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2018年6月17日(日)

知られざる「トランプ・金正恩単独会談」のこぼれ話

首脳会談で握手するトランプ大統領と金正恩委員長


 史上初の米朝首脳会談でトランプ大統領と金正恩委員長は全体会議の前に38分間、単独会談を行った。会談の具体的なやりとりについては双方とも伏せているが、幾つかこぼれ話がある。

(参考資料:「同床異夢」の「トランプ・金正恩」の7つの共通点 )  

 一つは、電話番号の交換にまつわる話である。

 トランプ大統領は金正恩委員長に自身の直通電話番号を教えたことを明らかにし、17日(日本時間18日)に「金委員長に電話する」とフォックスニュースのインタビューで語っていた。

 両首脳間のホットラインの設置は単独会談中にトランプ大統領が「これから頻繁に連絡を取り合おうと」と提案し、サンダース大統領スポークスマンと金与正氏を会談場に呼び、二人を通じて電話番号を交換したことによる。

 トランプ大統領は15日、ホワイトハウスで記者団に対し「私は金正恩氏に電話ができる。私は彼に直接繋がる電話番号を教えた。問題があれば、彼は私に電話を掛けることができる。私も彼に電話ができる。我々は意思疎通ができることになった。大変良いことだ」と語っていた。

 ホットラインの設置はどうやら金委員長が会談中に今年の新年辞で豪語した「核ボタン」について触れたことがきっかけとなったようだ。

 金委員長が元旦の「新年の辞」で「米本土全域が我々の核攻撃の射程圏内にあり、核のボタンが私の事務室の机の上に常に置かれていること−これは決して威嚇ではなく、現実だということをはっきり理解すべきだ」と米国を威嚇し、これに対してトランプ大統領が即座に「自分の核ボタンの方がもっと大きく、強力だ。それに私のボタンは作動する」と応酬したのはまだ記憶に新しい。

 金委員長は単独会談の場で「全世界の人々が一つ知らなければならないのは私のテーブルの上にあった核ボタンが無くなったのはトランプ大統領のおかげであるということ。全世界はこのことでトランプ大統領を尊敬しなければならない」と述べ、トランプ大統領を持ち上げたようだ。

 結果として、両首脳は執務室のテーブルの上にはこれからは核ボタンではなく、ホットラインを常設し、早期に稼働することで合意したとのことだ。

 トランプ大統領は共同声明に「完全で検証可能で、不可逆的な非核化」(CVID)を盛り込めなかったことで国内外から批判を受けているが、メディアとのインタビューやツイッターで「(金委員長と)合意しなければ、戦争になる。戦争になれば、3千万、4千万、5千万の人が死ぬ。オバマ大統領は核問題を解決できなかったが、もう核の脅威はない。核問題は解決した」ことの実績をことさら強調していたが、どうやら金委員長の前述の発言に鼓舞されたようだ。

 なお、昨年10月に戦争の危機が高まった折、米議会調査局は「米国の可能な対北接近法」と題する報告書で米朝ホットラインの必要性を提案していた。ちなみに米国と旧ソ連はキューバ危機後の1963年にホットラインを構築し、意思疎通のチャンネルを設置した。これは双方の誤判による核戦争を防ぐためであった。米朝のホットライン設置はこれをモデルにしたようだ。

 もう一つは、首脳会談で発表された共同声明の4項目のうち1項目を除き、3項目については事前に合意ができていたことだ。

 共同声明では▲新たな米朝関係の構築▲平和体制の構築▲完全なる非核化▲戦争捕虜及び行方不明者の遺骨の発掘と送還に関する4項目で合意が交わされたが、戦争捕虜の問題以外は事前に合意をみていたことのことだ。ということは、CVIDについては実務協議の段階ですでに適応外とすることで合意していたようだ。

 また、ワシントンポスト(WP)によると、シンガポールに到着したトランプ大統領は会談を一日前倒して、11日にできないかと側近らに催促していたこともわかった。

 トランプ大統領は「私も、金正恩も二人ともここにいるのになぜ11日にできないのか」とポンペオ国務長官やサンダース報道官らに疑問を呈したが、二人から11日は準備に要すること、また急に予定を早め11日にやれば、米国時間は日曜の夜にぶつかり、テレビ中継もやりにくくなると説得され、結局断念し、予定通り12日に臨んだとのことだ。

 なお、前出のWPによれば、トランプ大統領は私的な場では知人らに対し金委員長と親密な関係を築くため北朝鮮での収益性の高い開発事業について不動産開発業者や金融界のお偉方を紹介、斡旋することもできると言っていたようだが、実際に金委員長にそうした打診をしたのかはわかっていない。

(参考資料:4度目の正直の「相思相愛」の米朝首脳会談 )  



2018年6月14日(木)

米朝首脳会談で「人工衛星」の問題はどう決着?

2年前に発射された「光明星4号」


 北朝鮮は4月20日に核実験と中長距離弾道ミサイル及びICBM(大陸間弾道ミサイル)の発射中止を一方的に宣言し、5月24日に咸鏡北道・吉洲にある核実験場を爆破、閉鎖した。また、北朝鮮分析サイト「38ノース」は商業衛星写真の分析に基づき、平安北道・亀城にある弾道ミサイルの実験用発射台が撤去されたと伝えていた。

 亀城からはこれまで潜水艦弾道ミサイル(SLBM)を地上型に改良した中距離弾道ミサイル「北極星2型」やグアムを射程に収めた中長距離弾道ミサイル「火星12型」、それに米国の西海岸に届く長距離弾道ミサイル「火星14型」が発射されている。

 「火星14型」は中国との国境に近い慈江道・舞坪里からも発射されており、また昨年11月29日に発射されたICBM「火星15型」は平安南道・平城に基地があるので、北朝鮮が全ての弾道ミサイル発射台を撤去したという話ではない。最も深刻な問題は米国が長距離弾道ミサイル「テポドン」の発射基地とみなしている平安北道・東倉里のミサイル発射場の扱いだ。

 北朝鮮が「西海衛星発射場」と称している東倉里発射場には高さ65メートルの発射台がある。北朝鮮はここから2006年、2009年、2012年(2回)、2016年と「人工衛星」を発射してきた。

 弾道ミサイルには「火星」、「北極星」という名称が付けられているが、人工衛星には「光明星」という冠が付けられている。人工衛星と称するロケットは1998年の「1号」から始まり、およそ3年スパンで発射が行われ、2016年には「光明星4号」が打ち上げられている。この「4号」は本来、2015年10月の「労働党創建70周年」の式典に合わせる予定だったが、完成が間に合わず、数か月後の2016年2月に発射されている。

 北朝鮮は今年4月20日に開催された党中央委員会総会で「4月21日から核実験やミサイル発射を中止する」と宣言したが、人工衛星については言及してない。人工衛星の発射については一貫して「自主権の権利行使である」と主張してきた。

 実際にオバマ政権下の2012年2月29日に米朝で交わされた合意が破綻した最大の原因は北朝鮮が「光明星3号」を打ち上げたことにあった。オバマ政権は北朝鮮に対して敵視政策の撤回と24万トンの食糧支援を見返りに北朝鮮に「実りある会談が行われる期間は長距離ミサイルの発射を行わない」と長距離弾道ミサイル発射の凍結を約束させたが、合意から2カ月もしない4月13日に北朝鮮は「光明星3号」を発射してしまった。

 オバマ政権は北朝鮮の合意破りを非難したが、北朝鮮は「国際法で公認された宇宙利用の権利である」「6か国協議共同声明には人工衛星を発射してはならないとの合意はない」「平和的な衛星打ち上げは米朝合意とは別問題である」等と反論し、米朝合意の破綻を意に介さなかった。

 金正恩委員長は2016年2月に「光明星4号」が発射された際「実用衛星をもっと多く発射せよ」と指示し、これを受けた北朝鮮の国家宇宙開発局(NADA)は7か月後には推進力を3倍に増やした新型の停止衛星運搬ロケット用大出力エンジンを開発し、その地上噴出実験を成功させている。

 当時、米航空宇宙研究機関の「エアロスペース」は「38ノース」への寄稿文で「北朝鮮が公開したエンジンは小型無人用探索装備を発射するには十分だ。停止軌道に通信衛星など多様な低高度偵察衛星を発射するのに適している」と解析していた。また、ロシアの政府系メディアも昨年12月訪朝したロシアの軍事専門家のコメントとして「北朝鮮が地球観測衛星1基と通信衛星1基の開発をほぼ完了した」と伝えていた。

 金正恩委員長は昨年の新年辞で「これにより宇宙政府に向かう道が敷かれた」と演説し、北朝鮮メディアも「平和的宇宙開発の権利」を主張する記事を相次いで掲載していた。例えば、労働党の機関誌・労働新聞は昨年12月25日付で「国家宇宙開発5か年計画」に関する記事の中で「平和的宇宙開発を一層推進し、広大な宇宙を征服していく」と、今後も開発研究を進めていく意思を明確にしていた。労働新聞が「宇宙開発の権利」を主張する記事を掲載したのは、昨年12月の1か月だけで3回。人工衛星の研究・開発が金正恩政権の重要な国策の一つであることがわかる。

 9月9日に建国70周年を迎える今年は「およそ3年」というスパンからしても、また国家の大きな節目であることを考えても、人工衛星を打ち上げてもおかしくはない。

 米国は衛星発射も弾道技術を使用することから国連決議に抵触するとして容認しない方針だが「人工衛星は安保理決議よりも優位を占める国際法で公認された宇宙利用の権利である」と主張する北朝鮮とどう折り合いをつけるのか、興味深い。

 ちなみに金正日政権は2000年にミサイル問題でクリントン政権と交渉した際、ミサイル開発を中止する条件として3年間で30億ドルの支援を要求し、人工衛星については「米国が代わりに打ち上げてくれれば、発射しない」との条件を提示していた。



2018年6月10日(日)

4度目の正直の「相思相愛」の米朝首脳会談

史上初の歴史的な米朝首脳会談に臨むトランプ大統領と金正恩委員長


 「世紀の談判」と称される史上初の歴史的な米朝首脳会談を2日後に控え、トランプ大統領と金正恩委員長は今日(10日)それぞれ開催地・シンガポールを訪れる。

(参考資料:訪米した金英哲副委員長が持参した「金正恩親書」――トランプ大統領の早期訪朝を要請か! )  

 トランプ大統領はG7が行われていたカナダから専用機「エアフォースワン」で、金委員長もロシア製の専用機「チャムメ1号」か、もしくは中国からチャーターした「CA(エアチャイナ)122便」のどちらかでシンガポール入りするようだが、トランプ大統領は夜に、金委員長は一足先に夕方には宿舎に到着の予定だ。宿舎はトランプ大統領がシャングリラホテル、金委員長はセントレジスホテルで距離にして僅か570メートルしか離れてない。

 一時はボルトン大統領補佐官対金桂寛外務第一次官、ペンス副大統領対崔善姫外務次官ら参謀によるバトルが原因で流会の恐れもあったが、これにより史上初の米朝首脳会談がシンガポールのリゾート地、セントーサ島のカペラホテルで開かれることが決定的となった。会談が現実すれば、まさに米朝両国にとっては4度目の正直となる。

(参考資料:「同床異夢」の「トランプ・金正恩」の7つの共通点 )  

 

 1度目は金正恩委員長の祖父・金日成主席がクリントン大統領を相手に試みた1994年で、米韓関係者らの橋渡しによるところが大きかった。

 この年の4月に訪朝したウィリアム・テーラー米戦略問題研究所副所長らに対して金主席が自ら訪米の意欲を示し、また、米CNNが米TVメディアとして初めて金主席との単独インタビューを全米に流したことで浮上した。さらに金主席が直後に訪朝した在米韓国人ジャーナリストの文明子氏に「英語の勉強をしているところだ」と述べたことから「金日成訪米」は現実味を帯びた。

 金主席の訪米仲介に積極的に動いたのが後の大統領、金大中氏(当時:アジア太平洋平和財団理事長)であった。 金大中氏は1994年5月に訪米し、ナショナル・プレス・クラブ(NPC)で講演を行った際、「金日成訪米」について触れ「訪米の招待状を出したらどうか」と提案。これを受ける形でNPCが金主席に米国での講演依頼の招待状を出すに至った。

 金主席は自身の最後の誕生日となった1994年4月15日に行った米CNNとのインタビューで「核兵器の運搬手段もなく、国土も狭く、核兵器を実験することもできない」と核保有を否定し、2か月後の6月15日に一触即発の状況を回避するため訪朝したジミー・カーター米元大統領との会談で原子炉の凍結及び平壌での金泳三大統領との初の南北首脳会談開催に同意した。

 金主席は当時、南北首脳会談を終えた後、2回目を米国で行うことを検討していた。米朝国交樹立のため訪米し、その際に金泳三大統領も訪米するというシナリオだった。しかし、それもカータ―訪朝から1か月もしない7月8日に心臓発作で死去したことで無となってしまった。金主席の急死で7月25日に予定されていた南北首脳会談は頓挫してしまった。

 2度目は、金正恩委員長の父、金正日総書記の政権下で、クリントン大統領の任期最後の年の2000年。この年の6月に金正日総書記は金大中大統領と史上初の南北首脳会談を行ったが、その場で金正日総書記は金大中大統領にクリントン大統領との首脳会談の仲介を依頼した。

 金大中大統領の仲介が実を結び、4か月後の10月に北朝鮮軍トップの趙明禄人民軍総政治局長とオルブライト米国務長官による相互訪問が実現したことでクリントン大統領はミサイル問題解決のため訪朝を計画。だが、中東問題を優先せざるを得なかったことや11月6日に行われた大統領選挙で後継者のゴア副大統領が共和党のブッシュ候補に敗れたことで訪朝が白紙化してしまった。

 それでも初の米朝首脳会談に意欲を示すクリントン大統領は12月21日、金大中大統領に電話をかけ「北朝鮮訪問はほぼ不可能だが、来年1月に金正日をワシントンに招待したい」と金正日訪米の仲介を依頼した。これに金大統領が「金正日がワシントンに行って何も得ずに戻るわけにはいかない。事前に成功を保障しておく必要がある」と進言したことから米国務省は翌日、金正日総書記宛てのクリントン大統領の親書を北朝鮮の国連代表部を通じて伝達した。親書には「われわれ二人(クリントン氏と金総書記)が会えば(関係改善)問題の解決が可能になる」と書かれてあった。

 しかし、ブッシュ次期大統領が大統領選挙期間中から「米朝ジュネーブ核合意」をはじめクリントン政権の対北外交を痛烈に批判していたこともあってレイムダックに陥ったクリントン大統領を相手に首脳会談をしても意味がないと判断した金総書記は「関心がない」と回答。これによりクリントン政権下での米朝首脳会談は立ち消えとなった。

 クリントン氏は退任後、講演席で「(オルブライト訪朝結果を基に)北朝鮮に行けば、(ジュネーブ合意に続き)ミサイル協定も締結できると確信していた。それが任期中にそれが実現できなかったことが最も悔やまれる」と振り返っていた。

 そして、3度目は北朝鮮を「悪の枢軸」と呼び、金正日総書記を「ならず者」「暴君」と罵倒していたブッシュ政権時代にあった。

 ブッシュ大統領は南北及び日米中ロ6か国による核問題合意に関する「6か国協議共同声明」が発表された2か月後の2005年11月、北京での胡錦濤主席との首脳会談の場で「金正日と会っても良い」と発言し、翌2006年11月には訪問先のベトナムから「北朝鮮が核兵器を廃棄する場合、朝鮮半島の平和体制構築に向け金正日総書記と朝鮮戦争の終結を宣言する文書に共同署名する用意がある」とラブコールを送っていた。北朝鮮が1か月前の2006年10月9日に史上初の核実験を行ったため首脳会談を真剣に検討せざるを得なかったようだ。

 ブッシュ大統領もクリントン前大統領と同様に2007年には訪朝したヒル国務次官補を通じて金正日総書記に親書を伝達し、任期最後の年の2008年にはライス国務長官を平壌に派遣する計画を立てていたが、チェイニー副大統領ら「ネオコン」の反対にあい、実現しなかった。結局、最後は任期切れとなり、ブッシュー金正日首脳会談が日の目を見ることはなかった。

 トランプ大統領は大統領になる前から「(金正恩と)話し合うのがなぜだめなのか。金正恩が米国に来るなら会う。会談場でハンバーガーを食べながら話をする。核を放棄するよう説得できる可能性は10〜20%程度ではあるが、対話して悪いことはない」(2016年6月3日、アトランタ―での演説で)と発言していたが、まさに4度目にして現実のものとなった。

(参考資料:「金正恩シンガポール訪問」で注目すべき7つのポイント )  

  

2018年6月8日(金)

「金正恩シンガポール訪問」で注目すべき7つのポイント

専用機「イリューシン(IL)62M」で国内を移動する金正恩委員長


 史上初の米朝首脳会談の日が迫ってきた。会談が成功するかどうか、会談の焦点である北朝鮮の非核化と北朝鮮が交換条件として求めている体制保障についてどのような「ビッグディール」が行われるのか、世界の関心はこの一点に注がれているが、これ以外にも注目すべきポイントは多々ある。

(参考資料:訪米した金英哲副委員長が持参した「金正恩親書」――トランプ大統領の早期訪朝を要請か! )  

 トランプ大統領はこれまで内外で様々な国の首脳らと会談を行っているので、誰もがそのスタイルや手法については慣れ、そこそこ熟知しているが、金正恩委員長のそれについては未知で、従って金委員長の一挙手一投足に関心が集まることになるだろう。

 板門店での韓国の文在寅大統領との首脳会談、訪中しての習近平主席との首脳会談で金委員長のパフォーマンスを目の当たりにしているが、同胞国の韓国、友好国の中国の首脳との会談と、国交のない敵国の首脳とでは接し方、対応も当然異なってくる。そこで、注目すべき7つのポイントを挙げてみる。

 1.専用機がノンストップでシンガポールに入るのか

 金正恩委員長の専用機は1960年代に開発、製作され、70年代に改良されたイリューシン(IL)62M型で、飛行距離は約1万km。平壌からシンガポールまでは4,700kmでノンストップによる飛行は可能だが、旧式であるため整備問題で不安を抱えている。2014年11月に崔龍海党副委員長がロシア訪問の際、利用したが、機器にトラブルが発生し、引き返したこともあった。先の二度目の訪中時は大連まで運行しているが、飛行距離は短く、およそ1000kmであった。

 また、燃料も補給する必要もある。シンガポールまでは中国の上空を通るので中国のどこかを中継地にする可能性も考えられる。今回、一度もテストフライトをしてないことからぶっつけ本番で飛ばすことになる。

 2.板門店会談と同様に12人のボディーガードを連れていくのか

 文在寅大統領との板門店会談では屈強なボディーガードを12人も引き連れていた。ランチのためリムジンに乗って北側のエリアに戻る際、車を囲みながら伴走するボディーガードの警護ぶりは韓国のみならず世界を驚かせた。

 休戦状態にあるとはいえ、最前線、それも敵地(平和の家)に入ることから徹底した身辺警護となったが、文大統領が二度目の会談のため北朝鮮側のエリア(統一閣)に入った際には伴走車が2台だけで、ボディーガーは数えるほどだったことを考えると、北朝鮮の警戒ぶりは過剰であったことがわかる。今回も同じ人数を連れていくのか、それとも米国と同じ警護員の数にするのか、興味深い。

 3.随行人に金桂寛外務第一次官が含まれるのか

 金正恩委員長の随行人は南北、中朝首脳会談の時のメンバーが中心となるだろう。 ポンペオ国務長官のパートナーである金英哲統一戦線部長、李洙ヨン党国際部長、李容浩外相、板門店で米国側と詰めの協議を行った崔善姫外務次官及び崔寛一対米局長、そしてシンガポールを事前視察し、米国側と儀典関連の調整を行った金ファミリーの「執事」と称される金昌宣党中央委員会部長らが同行することになるだろう。

 問題は、先月17日、「リビア方式のような一方的な核放棄強要なら再考する」との談話を発表し、一時トランプ大統領の首脳会談中止発言を招いた金桂寛第一次官がメンバーに加わるかどうかである。

 核・対米交渉に長け、ボルドン大統領補佐官から「問題人物」と警戒されている金桂寛第一次官は2016年11月に金委員長が在北朝鮮キューバ大使館に訪問した際に同行したのを最後に公の場に姿を現してない。

 4.背広にネクタイ姿で現れるのか

 金委員長は国内での重要な行事では党服を着用している。また、南北首脳会談でも中朝首脳会談でも、そしてポンペオ国務長官に会った時も党服を着ていた。しかし、背広も持っており、公の場に背広姿で登場したこともあった。

 一昨年5月に行われた36年ぶりの党大会で初めてネクタイにスーツ姿で現れたことが話題となったのはまだ記憶に新しい。普段スーツ姿であっても、党大会には通常は党服に着替えて出てくるのがあるべき姿だが、金委員長の場合は逆パターンで、誰も予想してなかった。

 父の金正日総書記は一度も背広姿を見せることはなかった。しかし、金委員長がスタイルを真似ている祖父・金日成主席は1955年にインドネシアで開かれたバンドン会議に詰め入りの党服ではなく、背広姿で現れた。また1994年に訪朝したカーター元大統領と会談した際も背広姿であった。

 シンガポールでの米朝首脳会談を北朝鮮が普通の国に変身したことをアピールする絶好の機会と捉えているなら、背広に着替えて現れるかもしれない。

 5.トランプ大統領に両手で握手するのか

 金委員長は韓国の文大統領(66歳)、中国の習主席(65歳)との首脳会談では相手が年長者であることから朝鮮半島の礼儀作法に倣い、握手する際に左手を添え、両手で相手の手を握って見せた。また、西洋式にハグまでして親近感をアピールした。

 文大統領や習主席よりもさらに年上の御年72歳のトランプ大統領に対しても同じように礼節を重んじてしかるべきだが、直前まで激しく罵り合い、戦争一歩手前までいった宿敵にどう接するのか注目される。

 また、トランプ大統領には「リビア方式に従わなければ、カダフィ―の二の舞になる」と威嚇したボルドン大統領補佐官が随行するが、「人間の屑」「吸血鬼」呼ばりするなど拒否感を示しているボルドン補佐官と握手を交わすかも注目の的となりそうだ。

 6.英語で挨拶するのか

 金委員長は10代の頃、スイス・ベルンのインターナショナルスクールや公立学校で6年間(1994−2000年)留学し、学んでいたが、その際にドイツ語と英語をマスターしたと言われている。しかし、金委員長が英語圏の外国人と接する機会は稀で、米国人はNBAの元スター選手ロッドマン氏とポンペオ長官ぐらいに限られている。

 いずれも公の場では通訳を挟んでいたが、通訳抜きで語る場面も少なからずあった。ポンペオ長官との会談を終え、見送る途中、廊下を歩きながら会話を交わしていたが、通訳は後ろを歩いていたのでおそらく直接英語でやりとりしていたのだろう。

 世界が注目する公式の首脳会談ということもあって、ポンペオ長官の時と同じ通訳を連れて行くものとみられるが、親近感を示すため最初に会った時に、あるいは二人きりで散歩する際には英語を使う可能性も十分考えられる。

 7.共同記者会見に応じるのか

 南北首脳会談では終了後、金委員長は文大統領と並んで共同記者会見に臨んでいた。但し、記者の質問は一切受け付けることはなく、一方的に原稿を読み上げ、立ち去っていた。

 今回もトランプ大統領との共同記者会見に応じ、記者らの質問を受け付けるのかが見物だ。

 一度も経験したことのない西側記者らの質問攻勢に耐えられるとは考えにくいが、質問者の人数が制限され、事前に質問が提出されているならば、応じる可能性もゼロではない。仮に応じた場合、人権問題についてどう答えるのか興味深いが、現実問題として、共同記者会見に応じる可能性は極めて低いだろう。

(参考資料:「同床異夢」の「トランプ・金正恩」の7つの共通点 )  



2018年6月4日(月)

米朝首脳会談を前に人民軍No.1に続き、No.2の総参謀長 ,No.3の人民武力相も解任

金正恩委員長演説中にコックリする李明秀軍総参謀長を凝視する趙延俊党検閲委員長


 朝鮮人民軍トップの金正角軍総政治局長が先月突如解任されたが、No.2の李明秀軍総参謀長も、No.3の朴英植人民武力相も同時に更迭されていたことが判明した。軍トップ3人が揃って一同に解任されたのは極めて異例で、過去に前例がない。

 軍総政治局長は76歳の金正角次帥から68歳の金守吉平壌市党委員長に、軍総参謀長は84歳の李明秀次帥から63歳の李永吉第一副総参謀長(大将)に、そして人民武力相は朴英植大将(年齢不詳)から62歳の呂光鉄第二経済委員会委員長に交代している。

 金守吉、呂光鉄両氏ともいずれも軍人出身で、金守吉氏は2014年3月に平壌市党委員長に起用されるまで軍総政治局副局長(組織担当=中将)の要職に、また呂光鉄氏も副総参謀長から2015年に人民武力相に転出し、第一次官のポストにあった。

 軍総政治局長の交代は先月26日に朝鮮中央通信などが伝えた金正恩委員長の東海岸都市の元山現地指導随行者名簿で判明していたが、軍総参謀長と人民武力相の人事異動については一切明らかにされてなかった。

 これにより、金正恩体制が2012年1月に発足してからこの6年間で軍総政治局長は金守吉大将で4人目、軍総参謀長は李永吉大将で6人目、人民武力相は呂光鉄大将でなんと7人目の交代となる。

 ちなみに父・金正日体制下(1994-2011年)では17年の間、軍総政治局長の交代は一度もなかった。趙明禄次帥が1995年10月に就任して以来、亡くなる2010年11月まで15年間、その要職にあった。

 趙政治局長はクリントン政権時代の2000年10月、金総書記の特使としてワシントンを訪問し、クリントン大統領に親書を伝達していたことが最近、金英哲党副委員長兼統一戦線部部長(前偵察総局長)がホワイトハウスを訪れ、トランプ大統領に金正恩委員長の親書を伝達したこととの関連で米国のマスコミで取り上げられていたばかりだ。

 また、総参謀長の交代も金正日政権下では3度しかなかったし、人民武力相も17年間で僅か4人に過ぎなかった。呉振宇人民武力相は1995年2月になくなるまで19年間、そのポストにあった。後任の崔光次帥は1年4カ月と短かったが、任期中に死去したことが原因である。3人目の海軍出身の金益鉄次帥は1997年2月から2009年2月まで12年間も在任していた。

 今回更迭された金正角次帥は昨年11月に軍総政治局長に登用されたばかりで僅か半年での交代となり、2016年2月に総参謀長に就任した李明秀次帥も2年3か月で、同じく同年5月に人民武力相となった朴英植大将も2年でお役御免となった。軍首脳を頻繁に交代させるのは軍を掌握していることの証であると同時に軍首脳部に絶大な信頼を置いてないことの表れでもある。

 今回の人事で意外なのは軍総参謀長に李永吉大将が再起用されたことだ。

 李永吉大将は前線の5軍団長から2013年に作戦局長に起用され、その年に早くも58歳の若さで総参謀長の抜擢されていた。翌年の2014年には党政治局候補委員、党軍事委員にも選出され、とんとん拍子に出席していたが、2016年1月に突如電撃解任されてしまった。

 当時、韓国の情報機関・国家情報院は李永吉総参謀長が「分派活動が理由で粛清、処刑された」と発表したが、実際には処刑されてはおらず、9か月後の11月に姿を現し、健在ぶりを示したが、それでも総参謀長から一転、第一副総参謀長に降格されていた。

 李永吉総参謀長解任直後に党中央委員会と人民軍党委員会による連合拡大会議が開かれたが、金正恩委員長は唯一指導体系の確立の重要性を強調し、「一心団結を破壊し、蝕む分派行動を徹底的になくす闘争を進めるよう」強調していた。

 この日、金正恩委員長は一般席に座っていた軍首脳らに向かって見下ろすかのよう「人民軍隊は最高司令官の命令一下、一つとなって最高司令官の指示する方向だけ動くように」と訓示していたが、最高指導者が「自分の命令に服従せよ」と演説をぶったのは、祖父の金日成主席の時代も、父・金正日総書記の時代もなかったことだ。

 さらに不可解なのは後釜に李永吉総参謀長の大先輩にあたる李明秀大将(当時)を据えたことだ。

 李明秀大将は金正日政権下で前線の3軍団長から作戦局長に就任し、2011年には警察にあたる人民保安相に就任したが、金正恩政権発足翌年の2013年4月に人民保安相だけでなく、党政治局員、軍事委員、国防委員などすべての任を解かれていた。

 李永吉総参謀長の後任に当時82歳のロートルを据えたのは明らかに世代交代と全く無縁の人事だった。金正恩委員長がなぜ、この機会に若返りせず、20歳以上も年上のリタイアしていた人物を登用したのか、今もって謎のままだ。

 今回も「軍三役」にいずれも60代を登用したことから世代交代を図ったとの見方と、3人のうち2人が党から起用されていることで党による軍部へのコントロールを徹底させるための人事との見方が交錯しているようだが、解任された李明秀軍総参謀長と朴英植人民武力相は4月の南北首脳会談では金英哲統一戦線部部長、李洙ヨン国際担当部長や李容浩外相らと共に金正恩委員長に随行し、板門店まで来ながら、会談にも晩餐会にも同席することもなくそのまま平壌への帰任を命じられていた。何のためにわざわざ板門店まで連れてきたのか、これまた謎となっている。

 首脳会談の相手である米韓両国に対して軍を掌握しているところを見せつけるため二人を板門店まで同行させたとみられなくもないが、北朝鮮の非核化が主要議題となる米朝首脳会談を目前にした突然の軍首脳陣の交代だけに今後波紋を呼びそうだ。



2018年5月31日(木)

米朝首脳会談は「メラニア―李雪主」の夫人同士か、「イバンカ―金与正」の娘と妹の組み合わせか

平昌五輪に特使として派遣された金与正党第一副部長に寄り添う金聖愛室長


 米朝は6月12日にシンガポールで予定している史上初の首脳会談に向けて板門店、シンガポール、そしてニューヨークの3箇所で最終調整を行っているが、会談の実現と共にもう一つ注目されるのはファーストレディー同行の有無である。

 トランプ大統領とメラニア夫人との夫婦関係はトランプ大統領の過去の女性遍歴が問題となり、ぎくしゃくしていると伝えられているが、それでも北朝鮮に囚われていた3人の韓国系米国人が保釈され、5月10日深夜に帰国した際にはメラニア夫人が夫と共に空港まで出迎えていたことからシンガポールへのお供には問題はなさそうだ。

 一方、金正恩委員長の場合は、李雪主夫人を4月27日の初の板門店での南北首脳会談だけでなく、3月の初の訪中(25−28日)にも同伴させているので夫人同伴はむしろ望むとこかもしれない。

 米朝双方とも夫人を連れて行けば、雰囲気が和らぎ、和気藹々となったことで成功裏に終わった先の南北首脳会談や中朝首脳会談のように内助の功が奏して会談がはかどるかもしれない。

 通常の首脳会談とは異なり不倶戴天の、国際法的には交戦関係にある両国の会談だけに、また核とミサイルという物騒なテーマを議題とするだけに首脳と参謀だけに絞った会談になるとの見方が一般的かもしれない。

 それでも、気になるのはポンペオ国務長官との最終談判のためニューヨーク入りした金英哲(キム・ヨンチョル)党国務副委員長(統一戦線部部長)率いる北朝鮮代表団の中に紅一点、「金聖恵」(キム・ソンヘ)という名の女性が含まれていることだ。

 彼女の対外的肩書は党中央員会室長となっているが、本職は統一戦線部策略室長。今年51歳の彼女は現在、シンガポールで米国側と儀典関連の交渉をしている金昌宣国務委員会部長(兼金正恩秘書室長)と同じく一昨年亡命した太永浩元駐英公使が先頃出版した著書(「3階書記室の暗号」)で取り上げた金正恩委員長の秘書室のメンバーでもある。

 統一戦線部策略室長という役職が示しているように金聖恵室長は長年、主に対韓、統一部門を担当している。

 朴槿恵前大統領が野党時代に訪朝(2002年5月)した際にも、また故・金大中大統領の夫人(李姫鎬女史)が金正日総書記の葬儀(2012年12月)に出席した際にも、さらには現代グループの女性オーナー、玄貞恩会長が訪朝した際にも必ず接待役として登場し、金正日総書記との会談をセッティングしていた。

 それなりに権限や実力もあって、2013年6月には南北高位級会談実現に向けた実務、交渉では祖国平和統一委員会部長という肩書で北朝鮮側の団長として参加していた。

 金聖恵室長は今年2月に平昌五輪開会式に金正恩委員長の特使として訪韓した金委員長の実妹、金与正第一副部長(宣伝担当)に密着随行していた。また、3月に北京で行われた中朝首脳会談、4月の板門店での南北首脳会談にも随行メンバーとして加わっていた。いずれの会談にも金委員長の夫人と妹が同行していたからである。

 金聖恵室長は金英哲副委員長が団長となって出席した平昌五輪閉会式にも随行していたが、閉会式に米国からトランプ大統領の娘であるイバンカ補佐官がアリソン・フッカー国家安全保障会議(NSC)朝鮮担当部長を伴って出席したからに他ならなかった。換言するならば、この二人の女性と金英哲部長との接触、あるいは会談を想定して派遣されたと言っても過言ではなかった。

 金聖恵室長は4月27日の南北首脳会談には随行したものの南北首脳会談を前に4月5日に行われた儀典、警護、報道に関する実務交渉には金昌宣部長が率いた代表団メンバー(6人)には加わってなかった。

 今回の米朝首脳会談でも金昌宣部長は会談場所や宿泊施設の選定や儀典、警護など米国との実務交渉のためシンガポールを訪れているが、金聖恵室長はシンガポールに行かず、金英哲副委員長と行動を共にし、米国を訪れている。

 金聖恵室長の訪米はどうやらトランプ大統領がメラニア夫人を同伴させるのか、それとも娘のイバンカ補佐官を随行させるのか、あるいは、二人とも連れて来ないのか、その一点にあるようだ。

 米朝接触が噂された平昌五輪では金正恩委員長は対米接触を試み、開会式に妹を特使として派遣したが、米国はペンス副大統領だった。逆に閉会式では北朝鮮は金英哲党副委員長を送ったところ、米国はイバンカ補佐官だった。結局のところ、いずれも噛み合わず、ちぐはぐとなり、五輪での米朝接触は不発に終わってしまった。

 世紀の米朝首脳会談のパートナーが「メラニア―李雪主」の夫人同士の組み合わせになるのか、それとも「イバンカ―金与正」の娘と妹の組み合わせとなるのか、あるいは女性抜きの会談になるのか、これまた興味津々である。



2018年5月30日(水)

訪米した金英哲副委員長が持参した「金正恩親書」――トランプ大統領の早期訪朝を要請か!

偵察総局長時代の金英哲党国務副委員長


 史上初のシンガポールでの米朝首脳会談(6月12日)を前に北朝鮮の金英哲(キム・ヨンチョル)国務副委員長(統一戦線部長)が明日(米国時間30日午後)ニューヨークに入るようだ。

 金英哲副委員長のニューヨーク訪問はトランプ大統領自身もツイッターで「金英哲が今、ニューヨークに向かっている」と明かし、またホワイトハウスのサンダース報道官も「金英哲がニューヨークを訪れ、今週中にポンペオ長官と会う」と正式に認めている。

 国連総会出席のためニューヨークを訪れる外相を除けば、北朝鮮高官の訪米はクリントン政権下の2000年10月の趙明録(チョ・ミョンノク)国防委員会第一副委員長以来18年ぶりの「珍事」となる。

 当時、軍No.1の軍総政治局長の座にあった趙明録次帥は金正日国防委員長(総書記)の特使としてワシントンを訪問(10月9―12日)し、国務省でオルブライト国務長官と会い、その後、ホワイトハウスでクリントン大統領と面会し、金正日総書記の親書を伝達している。

 こうした前例から、金英哲副委員長もニューヨークでポンペオ国務長官にあった後、ワシントンを訪れ、トランプ大統領に会い、金正恩委員長の親書を伝達する可能性も取り沙汰されている。ポンペオ長官が4月にCIA長官として訪朝し、また5月にも国務長官として再度平壌を訪れ、金正恩委員長と会談していることへの「返礼」との見方がなされている。

 仮に、「トランプ・金英哲会談」が実現すれば、北朝鮮にとってはまさに18年前の出来事の再現となる。

 今から18年前の2000年6月に金正日総書記は韓国の金大中大統領と史上初の南北首脳会談を行ったが、その場で金総書記は金大中大統領にクリントン大統領との首脳会談の仲介を依頼していた。

 金大中大統領の仲介が実を結び、4か月後の10月、金総書記は最側近の趙明録次帥をワシントンに派遣したが、趙明録訪米最終日の10月12日、米朝は以下の3項目の共同コミュニケを発表していた。

 ▲双方は、一方の政府が他方に対して敵対的な意思を持たないと宣言し、今後過去の敵対感から脱し、新たな関係を樹立するためあらゆる努力をするとの公約を確認した。
 ▲自主権を相互尊重し、内政不干渉の原則を確認する。双務及び多務的な空間を通じた外交接触を正常に維持していくことが有益であることに留意した。
 ▲(北朝鮮は)ミサイル交渉中はすべての長距離ミサイルの発射を中止する。

 趙特使はクリントン大統領に金総書記の親書を伝達したが、中身はクリントン大統領の平壌訪問要請であった。

 クリントン大統領は核とミサイル開発放棄を訪朝条件とし、趙特使帰国後に直接金総書記からその意思を確認するためオルブライト国務長官を平壌に派遣(10月23日―24日)した。米朝史上初の国務長官の北朝鮮訪問だった。

 オルブライト長官は金総書記から1994年に交わした核合意(ジュネーブ合意)の履行とミサイル問題の解決の意思を確認し、さらには平和協定締結後も駐韓米軍の容認を取り付けたことでクリントン大統領に訪朝を進言。これによりクリントン大統領は訪朝の準備に取り掛かった。

 当時、オルブライト長官一行をマスゲームで歓待した金総書記は「クリントン大統領が我が国を訪問され、我々との間で平和協定を結び、国交を正常化するならば、その日を期して反米の旗を降ろし、親米に転じる。韓国以上に親米になる」と言ったと伝えられている。

 しかし、当時、中東問題などが足かせとなってクリントン大統領の訪朝は実現しなかった。訪朝が不発に終わったことについてクリントン大統領は後に自身の回想録「我が人生」(2004年に出版)で当時の状況を次のように回顧していた。

 「当時、私の任期は残り10週間しか残されてなかった。アラファト(パレスチナ解放機構議長)の袖をつかみ、彼の目を見ながら、北朝鮮の長距離ミサイルを中断させるための協定を結ぶために北朝鮮に行かなければならない、と言ったところ、アラファトから、今回で中東和平協定を結ぶことができなければ、5年は無理と、直訴された。」

 クリントン氏はその後も講演の場で「(オルブライト訪朝結果を基に)北朝鮮に行けば、(ジュネーブ合意に続き)ミサイル協定も締結できると確信していた」として、「任期中にそれが実現できなかったことが最も悔やまれる」と振り返っていた。

 偵察総局長時代(2009年5月―2015年12月)に起きた韓国哨戒艦撃沈事件や米国へのサイバー攻撃などで米国から「好ましからぬ人物」として制裁対象に指定されている金英哲副委員長は本来ならば米国には入国できないはずだ。南北首脳会談成功のための特例として入国が認められたようだが、トランプ大統領が「制裁対象人物」と面談するにはあまりにもハードルが高すぎる。そもそも北朝鮮の外交官ら要人は国連代表部のあるニューヨーク以外は移動できない。国連駐在の北朝鮮大使らも行動範囲を制限されている。

 それでも、二度訪朝し、金英哲氏と共に首脳会談のお膳立てをしたポンペオ長官曰く「金英哲氏は立派なパートナーである」と認めていることから金正恩委員長の親書を持参しているならば、トランプ大統領も米朝首脳会談の中止を発表した際に首脳会談をやりたければ、電話をするなり、手紙を寄こすなり、直接言ってもらいたいと語っていたことからトランプ大統領が面談する可能性も決してゼロではない。

 要は、金英哲副委員長が持参したその親書の中身だ。もしかすると、18年前に父親が求め、実らなかった悲願である米国大統領の訪朝要請かもしれない。

 金正恩委員長は米国が求める完全で、検証可能で、不可逆的な非核化に応じるにはそれに見合った体制保障の確約が必要であると米国に迫っているようだが、トランプ大統領の訪朝こそが何よりもその確約の証と言えなくもない。

 シンガポールでの米朝首脳会談後の来るべき早い時期、最短で朝鮮戦争休戦協定締結日の7月27日か、ひょっとすると、9月9日の建国70周年式典への出席を打診するかもしれない。

 まずは、「トランプ・金英哲会談」が実現するかどうかを注視したい。



2018年5月27日(日)

金正恩委員長は軍を完全掌握しているのか――軍トップの電撃更迭

左が軍総政治局長に任命された金守吉氏、右が解任された金正角氏


 朝鮮人民軍トップの金正角軍総政治局長(次帥)が突然解任され、金守吉・平壌市党委員長が後任に任命されていたことが26日の金正恩委員長の元山現地指導随行者名簿で確認された。

 前任の金正角次帥は党(組織指導部第一副部長)に復帰した黄炳誓氏の後任として昨年11月に軍総政治局長に登用されたばかりで僅か半年での交代となった。

 金次帥は4月20日に開かれた党中央委員総会(第7期第三次全員会議)で政治局員に選出されたばかりだった。さらに5月中旬に開かれた党中央軍事委員会拡大会議にも出席していた。それも、最前列の一番右端(序列1位)に座っていた。

 金正角次帥は76歳で、84歳の李明秀軍総参謀長よりも8歳も若い。北朝鮮の政治局員は90歳の金永南最高人民会議常任委員長や93歳の楊享變同副委員長を筆頭に78歳の朴奉柱総理、李洙ヨン党副委員長(国際担当)まで80歳前後の長老らが何人もいることを考えると、解任は年齢が理由とは考えにくい。

 後任の金守吉平壌市党委員長も軍人出身で2014年3月まで軍総政治局副局長(組織担当=中将)の要職にあった。前年12月の「張成沢粛清・処刑事件」余波を受けて失脚した文景徳政治局員の後釜として平壌市党委員長(当時は党書記)に就いていた。今月14日から他の市・道党委員長らと共に北朝鮮経済視察団の一員として訪中し、24日に帰国したばかりの慌ただしい異動で、今回の軍総政治局長の交代がいかに電撃的だったかがわかる。

 振り返れば、軍総政治局長の交代は2012年に金正恩政権が発足してからこの6年間で3度目、金守吉氏で4人目となる。

 趙明禄次帥の死去で2010年11月に以来空席となっていた軍総政治局長に2012年4月に党人の崔龍海党書記(当時)を起用。2年後の2014年4月に同じく党人の黄炳誓党組織指導部第一副部長(当時)にバトンタッチさせ、昨年11月に黄炳誓氏から軍人出身の金正角氏に、そして今回、軍服を脱いで党人となった金守吉氏を任命したことになる。

 ちなみに、金正日政権時代は軍総政治局長の交代は一度もなかった。趙明禄次帥が1995年10月に就任して以来、亡くなる2010年11月まで15年間、病床にあってもその要職にあった。

 頻繁な交代は軍総政治局長に限ったことではない。軍総参謀長と人民武力相も同様だ。

 故・金正日総書記は17年間の在任中、総参謀長の交代は崔光→金英春→金格植→李英鎬と僅か3度しかなかった。中でも金英春次帥に至っては12年間も総参謀長のポストにあった。李英鎬次帥も金正恩政権下で失脚(2012年8月)するまでの3年5カ月間、その座にあった。

 それに比べて、まだ6年しか経ってない金正恩政権下では李英鎬→玄永哲→金格植→李永吉→李明秀とすでに4度交代している。李明秀次帥(2016年2月〜)で5人目だ。1年半に一人の割合で総参謀長を交代させていることになる。

 それも、李英鎬次帥は8カ月で、後任の玄永哲大将も9カ月で解任されている。金格植大将に至っては僅3か月。最長期間は李永吉大将の2年6カ月。総参謀長から人民武力相に転出した玄永哲大将は就任から9カ月後の2015年4月になんと粛清、処刑されてしまっている。

 軍総参謀長同様に人民武力相も金正恩政権下ではいずれも「短命」に終わっている。

 金正恩政権下では金永春→金正角→金格植→張正男→玄永哲→朴英植(2015年4月〜)とすでに6人目だ。

 金英春次帥は金正日総書記が死去するまで3年2カ月その座にあったが、金正恩政権発足4か月で更迭されている。金正角次帥も8カ月、張正男大将は1年1か月、玄永哲大将は10カ月しかもたなかった。

 ちなみに金正日政権は17年間で僅か4人に過ぎなかった。呉振宇元帥はなくなるまで19年間、そのポストに会った。後任の崔光次帥は1年4カ月と短かったが、任期中に死去したことが原因である。3人目の海軍出身の金益鉄次帥は1997年2月から2009年2月まで12年間も在任していた。

 「軍三役」の頻繁な入れ替えは金委員長の軍首脳への懐疑心の表れとも言えるが、裏を返せば、軍部の間に金委員長への不満が鬱積していることへの表れと言えなくもない。

 「先軍政治」下の金正日政権下では総参謀長も人民武力相も厚遇されていた。例えば、李英鎬総参謀長は政治局常務委員かつ党軍事副委員長の最高ポストにあった。しかし、金正恩政権下では金正角政治局長も、李明秀軍総参謀長も、また朴英植人民武力相も政治局員、軍事委員止まりで、政治局常務委員にも党軍事副委員長にも就けなかった。

 振り返れば、李英鎬総参謀長が2012年8月に電撃解任された際、朝鮮中央テレビは2か月後の10月30日、金日成軍事総合大学での金正恩委員長の演説を約12分にわたって放映したが、金委員長は李総参謀長を念頭に「党と指導者に忠実でない者はいくら軍事家らしい気質を持ち、作戦、戦術に巧みだとしても、我々には必要ない。歴史的教訓は、党と指導者に忠実でない軍人は革命の背信者へと転落するということを示している」と発言していた。

 また、李永吉総参謀長が2016年1月に電撃解任された時も、解任直後の2月2日に開催された党中央委員会と人民軍党委員会の連合拡大会議で金正恩委員長は「人民軍隊は最高司令官の命令一下、一つとなって最高司令官の指示する方向だけ動くように」と自ら訓示していた。

 金委員長が一般席に座っていた軍首脳らに向かって見下ろすかのように「自分の命令に服従せよ」と演説をぶったのは、祖父の金日成主席の時代も、父・金正日総書記の時代もなかったことだ。

 前年の労働新聞に「人民軍指揮官らは最高司令官にはたった一言、『かしこまりました』とだけ言えば良い」との記事が掲載されていたところをみると、当時李永吉総参謀長は最高司令官の金委員長の意に従わなかったため解任されたということになる。

 金正恩委員長は今月、2年ぶりに開いた党中央軍事委員会拡大会議でも約80人の軍事委員や軍司令官、軍団長らを前に「党による軍への唯一領導体系を徹底させる」ことを強調していたが、軍歴のなさと、若さゆえに「侮られているのでは」との金委員長の軍首脳への懐疑心と「権益や人事面でないがしろにされている」との軍首脳の不満が交錯しているとすれば、軍から核とミサイルを取り上げるのは容易ではないことがわかる。

 従って、北朝鮮が16日に予定されていた韓国との高位級会談を突如ドタキャンし、さらには外務省を通じて「一方的に核放棄を迫るなら米朝首脳会談を再考する」と一転、米韓両国に強硬に出た背景に軍の「抵抗」があったのでないかと推測されるが、それでも金委員長が昨日(5月26日)、文在寅大統領に自ら再度、首脳会談を申し入れ、来月12日にシンガポールで予定通り、米朝首脳会談を行うようトランプ大統領を説得するよう要請したならば、「完全なる非核化」で軍の一任を取り付けたと言えなくもない。

 金委員長が軍を完全に掌握しているならば、金委員長が米韓両首脳に口約束した北朝鮮の核放棄は米国が確約する体制保障次第ではトランプ大統領の意向に沿った形で予想外に早いテンポで進むことになるかもしれない。



2018年5月20日(日)

北朝鮮核実験場の爆破は変更されることはない――その4つの根拠

米国の北朝鮮専門媒体「38ノース」が公開した豊渓里の核実験場


 米韓連合軍が航空戦闘訓練「マックスサンダー」を強行したことを理由に、また北朝鮮の亡命元駐英公使が国会で出版記念会見を行ったとして、北朝鮮は5月16日に予定されていた南北高位級会談をドタキャンし、さらに金桂官第1外務次官の名で「米国が一方的な核放棄を強要するなら米朝首脳会談を再考する」と示唆したことから核実験場の爆破実施を危ぶむ声が出ているが、予定通り23日から25日の間に行われるものとみられる。

 その根拠として以下4つ挙げられる。

 一つは、北朝鮮の対外宣伝サイトが核実験場廃棄のための実務対策が核兵器研究所など該当機関で講じられていると伝えていることだ。

 北朝鮮の対外宣伝サイト「朝鮮の今日」は昨日(20日)、「しっかりと肝に銘じておけ」と題した記事を掲載し、北東部の豊渓里にある核実験場の廃棄について「朝鮮労働党中央委員会第7期第3次全員会議の決定に従い、核兵器研究所など該当機関が核実験中止を透明性をもって担保するため核実験場を廃棄するための実務対策を立てている」と紹介していた。

 同サイトが「(核実験場の廃棄は)板門店宣言の精神に基づき、朝鮮半島非核化のため我が共和国が主導的に推進する非常に意義ある重大な措置である」と強調していることや「世界の国々から支持と歓迎を受けており、韓国からも『非核化を行動で示すとの意思の表れ』と歓迎されている」と述べていることから中止されることはないだろう。

 次に、この北朝鮮のサイトの記事を裏付けるかのように米国の北朝鮮専門媒体「38ノース」が15日に撮影された核実験場周辺の衛星写真に基づき、招待された外国の記者団が爆破場面を安全に観測することができる展望台などを北朝鮮がすでに設置していると19日に報じたことだ。

 この展望台からは西側坑道のほか、昨年9月に水爆実験が実施された北側坑道やまだ一度も使われてない南側坑道の入り口も観察できるようだ。すでに北朝鮮は全ての坑道を爆破するほか、観測施設などを撤去し、研究員らを撤収させると表明している。

 第三に、核実験場に米国、中国、ロシア、英国など外国からの記者団を案内するため元山から核実験場の咸鏡北道・吉洲間の鉄道を補修し、試験運転がすでに行われていることだ。

 北朝鮮は外国記者団を北京から70人乗りの専用機(高麗航空)で日本海に面した北朝鮮東部・元山(葛麻空港)に運び、そこから専用列車で核実験場がある吉洲まで輸送することにしている・元山から吉洲までは約270kmの鉄道が敷かれているが、レールが老朽化していることもあって最大速度は40kmに制限されており、従って、移動には7時間程度かかるものとみられる。

 最後に、取材を許可された外国メディアに北朝鮮が入国手続きを通報していることだ。

 北朝鮮から招待されたABC、CNN,APなど米国のメディアは22日午前11時まで北京の北朝鮮大使館に集まるよう要請されている。

 北朝鮮はビザ取得だけで一人あたり1万ドルを要求していると言われているが、これに元山までの航空料金や吉洲までの専用列車の運賃代や核実験場の取材費を含むと、金額は3倍の3万ドルに膨れ上がる模様だと、外電は伝えている。

 記者らは現地を取材・撮影した後に元山の記者センターを利用し、26日または27日に葛麻空港から専用機で北朝鮮を離れるという。

 ちなみに、南北高位級会談のドタキャンの余波で名簿の受理を拒まれている韓国の記者団(8人)も22日まで北京の北朝鮮大使館に向かうことにしている。北朝鮮は韓国については「通信社と放送局の各1社から4人ずつ、計8人の記者を招待する」と通知していた。

 核実験場の咸鏡北道吉州郡豊渓里は北部には海抜2、205メートル、1,874メートルの山々があり、南部の最も低いところでも海抜は600メートルである。

 北朝鮮は1,500メートルの万塔山高地に垂直で700メートルの坑道を掘って核実験場をつくったが、坑道は釣り針の形になっており、中間には鉄筋コンクリートのドアが幾つもあり、爆発が起きる起爆室の壁や底・天井にも幾重もの鉄筋コンクリートとゴム・亜鉛で層を作って放射能(熱と風)が外部に出ないよう遮断している。

 豊渓里の核実験場は北朝鮮でも最も秘密の場所で、韓国や米国の情報当局も豊渓里周辺のトンネル入口3〜4カ所など外観上現れたところを知っているだけで地下坑道の個数や起爆室(核実験場)をいくつ作っておいたのかは正確に把握できてない。



2018年5月13日(日)

シンガポールは北朝鮮の「モデル国」

北朝鮮がモデルとするシンガポール


 史上初の米朝首脳会談の会談場所はシンガポールに決まった。第一に平壌、第二に板門店(パンムンジョム)を希望していた北朝鮮が最終的に折れた格好となった。

 朝鮮半島以外ならばシンガポールは外交的に孤立している北朝鮮にとって申し分ない開催地である。

 何よりも、シンガポールとは外交関係がある。北朝鮮は韓国よりも2年早い1968年にシンガポールに通商代表部を設置し、貿易を開始し、翌年には総領事館、そして1975年には大使館を設置している。政治、外交、軍事面でシンガポールが非同盟であるという点に親近感を寄せている。

 また、経済面での付き合いは古く、シンガポールは北朝鮮の上位6番目の貿易国(1,299万ドル=2016年)である。シンガポールが国連決議に基づき制裁措置を取るまでの2016年10月まではノービザによる入国が可能であった。北朝鮮から貿易商社や船舶などが多数進出し、外貨獲得の拠点の一つになっていた。

 しかし、国連の制裁決議により昨年11月から貿易は中断したままだ。シンガポールは北朝鮮出稼ぎ労働者の労働許可も出してない。このため今年3月に北朝鮮外務省代表団がシンガポールを訪れ、貿易再開の糸口を探っていた。

 北朝鮮からすれば、シンガポールは距離的にもそう遠くはない、平壌からシンガポールまで距離にして4,700km、飛行機で約6時間30分ぐらいのところに位置しており、金正恩委員長の専用機(IL-62M)「大鷹1号」のノンストップ飛行が可能だ。

 シンガポールは治安も安定しており、警備面でもさほど心配はすることもない。秘密保全にも問題はなく、過去に米国や日本、さらには韓国との非公式、秘密接触も度々ここで行われてきた。

 インフラ整備も完璧で、国際会議の経験も豊富である。習近平主席と馬英九総統との史上初の中台首脳会議(2015年)が開かれ、またアジア最大規模のASEAN安全保障会議も開かれている。

 北朝鮮は先代の金正日総書記の時代からシンガポールに多大な関心を寄せていた。シンガポールが建国の父・リー・クアンユー首相当時、一党独裁体制下で目覚ましい経済成長を遂げていたからだ。

 北朝鮮の建国の父・金日成主席は生前「南北が統一すれば、スイスのような国を目指す」と公言していた。米国、中国、ロシア、そして日本の4つの大国に囲まれた朝鮮半島が生きる道は東西どちらの陣営にも付かないスイスのような永世中立国になるのが目標であると言っていた。しかし、二代目の金正日総書記の体制になってからは理想の国がスイスからシンガポールに取って代わった。

 金総書記は国土が719平方キロメートル、人口が561万人の小国ながら貿易によって栄えたシンガポールのような国造りを目指していた。政府与党・人民行動党の一党独裁政治体制下で小国が貿易、交通及び金融の中心地となっているからだ。

 シンガポールは世界第4位の金融センター、外国為替市場及び世界の港湾取扱貨物量で上海と並ぶ世界2大貿易港となり、一人当たりGDP57,713ドル(17年)で9位(日本38,439=25位、韓国29,891=29位)と、6世帯に1世帯が金融資産100万ドル以上を保有していると言われている。

 シンガポール港の特色は全世界の中継コンテナ流通量の15〜17%を取り扱うハブ港であることだ。取り扱うコンテナ貨物の8割は、周辺諸国への積み替え貨物だといわれている。それもこれも、シンガポールがアジアと欧州、中東、そしてオーストラリアを結ぶ交通の要衝、東西貿易の拠点となっているからだ。

 活発な貿易に伴い、観光業も成長し、2016年基準で1、291万人に上り、世界観光客ランクで28位)でポルトガル(1,142万人=30位)よりも多い。

 金正日政権(1994−2011年)は当初、クリントン政権との間で核問題が解決すれば、韓国、中国、ロシアとの国境を開放して、経済特区を設け、外国資本を積極的に誘致し、第二のシンガポールを目指していた。しかし、2001年に登場したブッシュ政権が北朝鮮、イランと並んで悪の枢軸と名指ししたイラクを軍事攻撃で崩壊させたことに危機感を抱き、核とミサイル開発を最優先とする「強盛大国」「先軍政治」に路線を転換してしまった。

 東西海に面した北朝鮮も地理的には世界第二位の経済大国・中国と国境を接し、日本海を挟んで世界第三位の日本と面している。また、北方にはロシア、南方に韓国と陸を接しており、日本の後方には世界第一の米国が控えている。地理的にはシンガポール同様に有利な地位に位置している。

 日本海に面した羅先港(水深10メートル)は不凍港である。5つの埠頭があって、1万トンクラスの船舶数十隻が同時停泊可能である。石油専用停泊地には3236mの送油パイプと浮標施設もあり、25万トンクラスの石油タンカーも停泊させることができる。さらに、清津港(物流処理能力が700万トン)もある。埠頭全長は2、138mで、同時に5千トンから1万トンクラスの貨物船を13隻停泊させることが可能である。中国(黄海)側には南浦港がある。

 羅先港だけでも全面使用となれば、2年後の2020年には全体として400万トンのコンテナ物流が発生する。北朝鮮には港使用料だけで国内総生産(GDP)の1.6%にあたる4億3千万ドルが入る。

 父親が果たせなかったシンガポールの道を歩めるかどうかは金正恩委員長の非核化への本気度にかかっていると言えそうだ。

(参考資料:米朝首脳会談の「会談場所」は米国が、「開催日」は北朝鮮が選択!? )  



2018年5月11日(金)

米朝首脳会談の「会談場所」は米国が、「開催日」は北朝鮮が選択!?

米朝首脳会談場所に決まったシンガポール(写真:ロイター/アフロ)


 トランプ米大統領は昨日(5月10日)、ツイッターを通じ史上初となる米朝首脳会談を「6月12日にシンガポールで開催する」ことを明らかにした。

 会談場所については大詰めでトランプ大統領が「2か所に絞った」とツイートしていたことからシンガポールと板門店の二者択一とみられていたが、大方の予想とおりシンガポールに決まった。一時は、米朝首脳会談の仲介役の文在寅大統領が板門店を推挙したことやトランプ大統領も「板門店もあり得る」とツイートで示唆したことから「板門店開催」もあり得るとみていたが、結局は敬遠されてしまった。板門店で開催された南北首脳会談の二番煎では新鮮味がないということと、北朝鮮による政治宣伝に利用されかねないとの判断が働いたようだ。

 金正恩委員長としては一に平壌、二に板門店を待望していたようだが、北朝鮮から会談を申し入れた立場上、選択権はトランプ大統領にあったため会談場所は譲らざるを得なかったようだ。トランプ大統領は大統領選挙期間中に「金正恩はと会うが、私が平壌に行くことはない。彼を米国に呼び、ハンバーグを食べながら話し合う」と言っていたことからトランプ大統領には最初から「平壌」は頭になかったのかもしれない。

 結局、会談場所は米国でも北朝鮮でもない、中立国のシンガポールが選ばれたが、それでも開催日の6月12日は北朝鮮にとって決して悪くはない。その理由は6月12日の数字を全部足すと末尾が「9」になるからだ。

 北朝鮮は社会主義国でありながら、韓国同様に儒教や封建的な要素が色濃く残っている国である。信仰深くはないのにどういう訳か縁起を担ぐ。特に故金正日総書記はよくゲンを担いでいた。ちなみに金総書記にとってのラッキーナンバーは「9」だ。

 金総書記が「9」をラッキーナンバーとみなすのは自身の誕生日が「2月16日」であることと関係しているからだ。誕生日の数字を全部足すと「9」になる。また、北朝鮮の建国記念日が「9月9日」と「9」並びであることも無縁ではない。従って、北朝鮮がこれまで何か重大なことを行う場合、ほぼ「9」に照準を合わせることが多い。例えば金総書記の場合;

 元帥推戴日は「4月23日」で、数字を合計すると末尾は「9」になる。国防委員長就任日も「4月9日」とこれまた「9日」の日を選んでいる。総書記就任日も「10月8日」で「9」だ。さらに最高司令官就任日も「12月24日」と、全部足すとこれまた「9」になる。ちなみに金総書記の選挙区は「第333選挙区」となっていた。極めつけは、亡くなる1か月前に家族や側近らに遺訓(遺言)を残していたが、その日は驚いたことに「10月8日」であった。これ以外にも例を挙げれば幾つもある。

 史上初の核実験も2006年の「10月9日」に行っているし、「人工衛星」と称した初の長距離弾道ミサイル「テポドン」も「1998年8月31日」に行っていた。数字を全部足すと、末尾は「9」だ。

 後継者の金正恩委員長もこのラッキーナンバーをそのまま継承しているようだ。それもそのはずで、金委員長の誕生日もまた「1月8日」と父親同様に足して「9」となるからだ。

 後継者として表舞台に登場した2010年の第3回党代表者会の開催日は「9月28日」であった。また、金正恩体制を盤石にするため2年後に開かれた第4回党代表者会の開催日も「12年4月11日」で、足すと末尾は「9」だ。

 故金総書記の「10.8遺訓」に従い、後継者の金正恩氏は「11年12月31日」に最高司令官に就任している。また、党第一書記就任したのも「12年4月11日」であった。いずれも合計すれば、末尾は「9」だ。偶然とは思えない。

 北朝鮮は2016年に党大会を開催しているが、本来ならば、党創建70周年の節目の年の2015年に開催してもおかしくはなかった。それをわざわざ1年遅らせ「2016年」に、それも「36年」ぶりに開催するとしたのも「9」に掛けて、縁起を担いだのかもしれない。

 金正恩体制下の4回目の核実験は2016年1月6日に行われているが、核実験を決断し、サインしたのは前年(2015年)の「12月15日」であった。また、5回目は2016年「9月9日」に行われているし、6回目も2017年「9月」に行われている。

 弾道ミサイルの発射もしかりだ。北朝鮮は「火星シリーズ」の中長距離弾道ミサイル「火星12号」と大陸間弾道ミサイル「火星15号」を昨年相次いで発射しているが、「火星12号」は「8月29日」、火星15号は「11月29日」に踏み切っている

 金正恩委員長のゲン担ぎは今年も顕著だ。

 文在寅大統領との南北首脳会談は4月の「27日」、午前「9時」にスタートさせているし、首脳会談を決定した第一回実務高級会談も3月の「29日」に、第二回実務高級会談も「4月5日」に、そして北朝鮮の平昌五輪参加をめぐる第一回南北高位級会談も1月「9日」に韓国側の平和の家で行われている。いずれの開催日についても北朝鮮が最終的に選択し、決定されている。

 ちなみに金正恩委員長が経済再建のため非核化を決断したとされる昨年(2017年)の第5回党細胞委員長大会は「12月24日」に開かれ、金委員長は「社会主義強国建設のため大胆で度量の大きい作戦を果敢に展開していく」と戦略及び路線転換に向けての決意を表明していた。



2018年5月3日(木)

米国人3人の解放は米朝首脳会談へのトランプ大統領への「土産」

懲役(労働教化刑)10年を宣告された米国籍韓国人のキム・ドンチョル氏


 トランプ大統領は5月2日、「過去の政府が北朝鮮の労働教化所から3人の人質を釈放せよと長い間要請してきたが、全く無駄だった」とツイートし、北朝鮮に抑留されている韓国系米国人3人の解放がトランプ政権の外交努力によって間近いことを示唆していた。

 現在、北朝鮮に抑留されている米国人は牧師のキム・ドンチョル氏(64歳)、人道支援活動家のキム・サンドク氏(59歳)、そして平壌科学技術大学で奉仕していたキム・ハッソン氏(年齢不詳)の3人。

 中露との国境に近い咸鏡北道の羅先で2015年10月に逮捕されたキム・ドンチョル氏の容疑はスパイと体制転覆行為。「最高尊厳(金正恩委員長)と政治体制を扱き下ろしながら体制転覆を企図する一方、南朝鮮(韓国)の傀儡らに党、国家、軍事機密を収集し、提供するなど国家転覆行為とスパイ行為を働いた」というもの。

 スパイ行為が何を指すのか不明だが、一説では羅先で北朝鮮の軍人から核関連データーが入ったUSBとカメラを受け取ったところを逮捕されたとも言われている。

 翌2016年4月に開かれた裁判で検察は懲役(労働教化刑)15年を求刑したが、裁判所はキム・ドンチョル氏が高齢であり、自分の過ちを認め、反省しているとして、5年減刑し、10年の労働教化刑を宣告していた。

 中国の朝鮮自治州にある延辺科学技術大学で教鞭をとっていたキム・サンドク氏(米国名はトニー・キム)は平壌科学技術大学に会計学教授として招請され、会計学について講義する一方、北朝鮮の辺境地帯を巡回し、食糧や医療など幼児らへの人道支援を行っていた。延辺科学技術大と平壌科学技術大はキリスト教事業家の韓国系米国人ジェームズ・キム氏が2010年に設立した大学である。

 キム・サンドク氏は昨年4月21日、約1か月間の滞在を終え、平壌国際空港で出国手続き中に北朝鮮公安当局に電撃逮捕された。また、キム・ハッソン氏もキム・サンドク氏同様に2014年から平壌科学技術大学で農業技術の普及活動を行っていたが、同じく昨年5月に鉄道で丹東に帰国する途中、平壌駅で敵対行為を理由に逮捕された。二人についてはまだ刑が宣告されておらず、未決のままだ。

 北朝鮮の関係者から得た情報として韓国拉致被害者家族会の崔成竜代表は北朝鮮が先月すでに3人を出所させ、平壌市内のホテルに移し、帰国に向けた準備を整えていることを明らかにしていた。北朝鮮当局は昨年意識不明の状態のまま釈放した米国人大学生が帰国後直ぐに死亡したことで米世論の対北感情が極度に悪化したことから健康面では細心の注意を払っているとのことである。

 トランプ大統領は金委員長との首脳会談が決まった後、会談で抑留者の釈放問題を持ち出すと公言していた。また、トランプ大統領の意向を察し、CIA長官時にトランプ大統領の特使として訪朝(3月31日ー4月1日)したポンペオ国務長官も金委員長に直接釈放を働きかけていた。

 ボルドン大統領補佐官は30日、フォックスニュースとのインタビューで「仮に北朝鮮が米朝首脳会談を前に米国人抑留者を釈放すれば、それは北朝鮮の本気度を示す機会となる」と語っていたが、3人の釈放と送還がトランプ大統領への土産になるのは間違いない。

 北朝鮮には現在、3人の韓国系米国人の他に韓国人6人が抑留されている。ほとんどが、中朝国境地帯で宗教活動を行っていた最中に身柄を拘束されている。

 このうち3人は2013年から2014年に相次いで逮捕されているが、韓国情報機関の国家情報院に内通していたとして国家転覆陰謀罪とスパイ罪が適用され、無期懲役を宣告されている。残り3人は脱北者で、韓国で国籍を取得した後に北朝鮮に潜伏した際に逮捕されている。

 文在寅大統領は板門店での金正恩委員長との首脳会談で6人を含む全ての韓国人の引き渡しを求めたとされているが、仮に北朝鮮が受け入れれば、残るのは日本人拉致被害者だけとなる。



2018年4月29日(日)

南北首脳会談で見せた金正恩委員長の「ジョークとサプライズ」は父親譲り

生前の金正日総書記に寄り添う正恩委員長


 今回の南北首脳会談ではホスト役の文在寅大統領よりも客人の金正恩委員長の一挙手一投足に関心が集まっていた。それもこれも北朝鮮の最高指導者として初めて分断の象徴である南北軍事境界線を跨ぎ、韓国側エリアに入って来たからだ。

 出迎えた文在寅大統領とのやりとりがそのまま流れたことで金委員長の肉声に接した人の多くがこれまでの強面のイメージとは違った一面を発見したことで好印象を持たれたようだ。中でも文大統領との会談の場で冷麺の話をした際に「遠いところから持ってきた」と言っては「あっ、遠いところとは言ってはいけなかったっけ」と言って、言い直した場面では「ジョークもなかなかのもの」と称賛されていたようだ。

 たかがジョークごときで「なかなかのもの」との人物評価は早計過ぎる感もある。というのも、ことジョークに関しては何といっても父親の金正日総書記のほうが一枚も、二枚も上手であるからだ。

 金正日総書記が2000年6月に、金大中大統領と南北史上初の首脳会談を行った時のエピソードを一例に挙げてみよう。

 首脳会談最終日の6月15日の晩餐会での場のことである。

 南北は直前まで共同宣言の文書作成で離散家族再会の日時の明記を巡って綱引きを演じていた。期日を盛り込むよう執拗に迫った金大統領に最終的に金総書記が折れ、「8月15日」と日程を定めることになり、晩餐会はめでたしめでたしで開かれたが、金総書記は晩餐会の場で全羅道出身の金大中大統領を指し、「全羅道の人がこんなんにしつこいとは知らなかった」とジョークをかましたのである。

 ところが、氏が同じ「金」であることから金大統領から「貴方の本貫(ルーツ)はどこですか?」と尋ねられ、思わず「実は全州金氏(朝鮮の氏族の一つ)です」と恥ずかしそうに返事をしたところ「それでは貴方こそが、本物の全羅道人間ではないですか」と金大統領から応酬され、これまた爆笑を誘うことになった。

 金総書記のジョークはこれにとどまらず、傍にいた金大統領の夫人が「私も全州金氏です」と言うと、金総書記は「では、私たちこそが本当の家族ですね!」とさらにジョークを連発。極め付きは、晩餐会にフカヒレの料理が出ると「これを食べると、歳をとっても子供が産めるし、若い人は精力が出るそうです。大統領、今晩は一人では眠れませんよ」とおどけた顔をして金大統領にジョークをかましたのである。

 金総書記のジョークはこれにとどまらず、韓国側による答礼晩餐会では男女の席が別々に分かれていたため大統領夫人が他の女性らと遠く離れたところに座っているのに気づき、金大統領に「統一するつもりですか、それともしないのですか?夫人を別々に座らせ、離散家族をつくってはダメでしょ!」と言って、大統領夫人を呼び寄せ、金大統領の隣に座らせ、金大統領から一本取っていた。

 また、首脳会談後の8月に訪朝した新聞、テレビなど韓国マスコミ社長一行(総勢46人)が訪朝した際には宴会場でワインを片手に各テーブルを回り、乾杯を提唱したかと思えば、スピーチでは「今日はちゃんと接待したので、明日の新聞が楽しみだ」とジョークを言っては、マスコミ社長一行らを大いに笑わせていた。

 今回の南北首脳会談では軍事境界線を跨いで韓国側に入った金正恩委員長が文在寅大統領から「私はいつになったら北に行けるのでしょうか」と言われて、「なんだったら今、行きましょう」と手を繋いだまま今度は境界線を跨いで北側エリアに入ったことを「サプライズ」とみなされ、その機転ぶりが「たいしたもの」と評価されているが、サプライズの面でも父親のほうが衝撃的だった。

 金大中大統領一行は6月13日に、平壌空港に到着したが、金正日総書記が直接空港に現われ、それもタラップのところで出迎えるとは韓国側の誰も予想も想像もしてなかった。びっくりしたのは金大統領一行だけでなく、当時、ソウルのロッテホテルに作られたプレスセンターで息をひそめて衛星画像を見ていた1千人の内外記者らも驚きの声が上がっていた。

 今回、文在寅大統領と金正恩委員長が散策して、ベンチで約30分密談したことが話題となっているが、金正日総書記の場合は、なんと空港から平壌の宿舎まで金大統領を自身の車(リンカーン・コンチネンタルリムジン)に乗せ、二人きりとなって密談していた。

 金正日総書記は意外と感性は豊かだった。虚飾とショーマンシップはあったものの基本的に頭の良い人物だった。生まれてから父親から帝王学を相当学んだからだ。金正恩委員長もおそらくその父親から帝王学を学んでいたのかもしれない。

 今回の件で、金正恩委員長の株はどうやら上がったようだが、金正日総書記の南北首脳会談の時も首脳会談後に韓国では「金正日ショック」とか「金正日シンドローム」現象が起きていた。

 当時、金正日総書記は韓国で起きた現象について後に訪朝した在米韓国人記者とのインタビューで「これまで歪曲報道が多く、印象が非常に悪かったところ、本人が画面に現れたことで異なった人間ではないことを知ったからではないでしょうか」と語っていたが、さて、今回は「金正恩シンドローム」が韓国で起きるかどうか、見ものだ。



2018年4月19日(木)

「先軍政治」の旗は下ろされるのか―音無しの構えの「朝鮮人民軍」

軍人が除外された4月15日の錦繍山太陽宮殿「参拝」


 朝鮮労働党中央委員総会が急遽20日に開催されることになった。

 南北・米朝首脳会談を前に、また朝鮮中央通信が「革命発展の重大な歴史的時期の要求に応じ、新たな段階の政策的問題を討議、決定するため」と伝えたこともあって、重要な決定が行われるとの憶測が流れているが、重要な決定は国務長官に内定しているポンペオCIA長官の訪朝(4月1日)後の9日に召集された党中央政治局員・政治局員候補拡大会議ですでに下されているので、中央委員総会はその決定を満場一致で採択するための単なる儀式に過ぎない。

 最大の関心は、非核化に向けて路線転換するのか、核開発と経済開発の「並進路線」を修正するのか、先代の金正日政権から引き継いだ「先軍政治」の看板を下ろすのかの一点にある。金委員長が党及び軍の全面的な支持を取り付けているならば、路線転換は可能であるが、軍の動向は不透明だ。

 金正恩委員長は4月15日、祖父・金日成主席生誕日に際し、遺体が安置されている錦繍山太陽宮殿に恒例の「参拝」を行った。参拝には金永南最高人民会議長、崔龍海党副委員長、朴奉柱総理ら3人の政治局常務委員を筆頭に政治局員、政治局員候補ら党幹部らがこぞって同行したが、軍人は除外された。

 過去3年間の「4月参拝」をチェックすると、2015年と2016年は軍幹部らだけを引き連れていた。昨年(2017年)は党幹部らと共に軍幹部らも随行していた。

 異変の兆候は新年の「元旦参拝」からで、軍人だけが外されていた。軍指揮官らだけの集団参拝もなかった。極めて異例のことであった。

 過去3年間の「元旦参拝」を調べてみると、金正恩委員長の参拝には2015年は軍総政治局長、人民武力相、軍総参謀長をはじめとする軍幹部らだけが、2016年と昨年の参拝では党幹部らに交じって軍幹部らもこぞって随行していた。今年の参拝に限って言えば、明らかに軍人だけが錦繍山太陽宮殿参拝から除外されたことになる。

 軍関連ではもう一つ奇妙な現象が起きている。金委員長が今年になって一度も軍部隊を視察してないことだ。北朝鮮では12月から冬季訓練が実施されているが、今年は軍事訓練も参観してない。どれもこれも異例で、金正恩政権発足(2012年)以来、一度もなかった現象だ。

 部隊視察については過去3年間の統計をみても、2015年は1月に5件、2月に5件、3月は4件と合計で13件の視察があった。また、一昨年(2016年)は1月に2件、2月に2件、3月には7件もあった。

 昨年(2017年)も1月は人民軍第233軍部隊と第1314軍部隊の視察に続きタンク装甲車歩兵連隊による渡河攻撃戦術演習の指導があり、2月は中距離弾道ミサイル「北極星2型」の試験発射に立ち会っていた。また3月も第966大連合部隊指揮部の視察、戦略軍火星砲兵部隊の弾道ロケット発射訓練の視察、それにロケットエンジン噴射試験の指導もあった。4月も13日に特殊作戦部隊による渡河訓練を視察していた。

 金委員長が新年辞で「北と南は情勢を激化させることをこれ以上やるべきではない。軍事緊張を緩和し、平和的環境を作り出すため共同で努力しなければならない」と言った手前、南北首脳会談や米朝首脳会談のため軍人を前面に出すのを自制し、自らも軍事活動を自粛しているのか、それとも単に「普通の国家」へのイメージチェンジを図ろうとしているのか今一つ不明だが、どうやら党が軍を掌握する北朝鮮版「シビリアンコントロール」を徹底させようとしているようだ。

 その証左として、金正恩委員長は昨年11月に軍No.1の黄炳誓軍総政治局長を解任すると同時に党最高幹部の位である政治局常務委員からも下ろしているが、後任の金正角軍総政治局長に政治局常務委員の地位を与えていない。金正角次帥は政治局常務委員どころか、まだ政治局員にも、政治局委員候補にも選出されてない。

 初代の金日成政権から二代目の金正日政権に至るまで「軍三役」(軍総政治局長、人民武力相、軍総参謀長)のうち誰か一人は政治局常務委員には入っていた。北朝鮮の体制は党と政府と軍の3本柱で成り立っているからだ。しかし、朴英植人民武力部部長(武力相)も李明秀軍総参謀長も政治局員にはなっているものの政治局常務委員には選ばれていない。

 また、今月11日に開催された最高人民会議の人事をみると、金正角軍総政治局長は前任者の黄炳誓氏が兼ねていた三つしかない国務副委員長(残りは朴奉柱総理と崔龍海党副委員長)のポストも引き継げないでいる。一介の国務委員とまりだ。

 人民武力部副部長時の2002年に大将に進級し、5年後の2007年には軍総政治局第一副局長として病床の趙明禄局長に替わって軍総政治局を統括していた今年76歳の金正角次帥は金正恩政権下の2012年に人民武力相に起用されたものの1年もしない2013年に更迭され、金日成軍事総合大学学長に左遷されていた。

 金委員長は一昨年2月には当時61歳だった李永吉軍総参謀長を更迭し、後任に2013年に人民保安相を解任され、国防委員からも外されていた前任者よりも21歳も年上の長老の李明秀大将を据えていたが、今回も同様にリタイアしていたロートルを軍トップに起用したことになる。OBを起用する理由は不明だが、いずれにせよ若返りとは無縁の人事であることには変わりはない。

 朝鮮中央テレビが4月11日に放映した「金正恩最高首位推戴6周年」記念報告大会の映像に2013年5月に人民武力相に抜擢された張正男大将の姿が映し出されていた。軍服の肩に付けられていた階級章をみると、大佐に格下げされていた。

 張正男氏は2014年6月に人民武力相を解任され、野戦軍の5軍団長に左遷され、階級も上将(中将と大将の間の階級)に格下げられていたが、今回はそれよりも2階級降格したことになる。金正恩政権下では将軍らの階級が上下するのは決して珍しいことではない。

 粛清や降格などの懲罰人事や論功行賞人事を駆使し、軍を掌握した金委員長が今後「先軍政治」の旗を下ろすつもりなのか定かではないが、「先軍政治」の金正日政権下で恩恵を与えられてきた最大の既得権集団、特権階級の軍がそれに従い、「宝剣」の核戦力を手離すことができるのか?

 「先軍政治」の国にあって国家予算は軍事優先である。かつて故金正日総書記は「我が国では軍事が第一で、国防工業が優先だ。我々が苦労しながら国防力を強化したから良かったもののそうしなかったら、帝国主義者らにとっくに食べられていた」と語ったことがある。

 人民軍の動向が注目される。



2018年4月17日(火)

なぜ、この時期に在韓米軍家族らの「国外退避訓練」が行われるのか

昨年実施された米軍輸送機による在韓米軍家族の国外退避訓練


 北朝鮮がミサイル発射など軍事挑発を止め、米韓両国に対して首脳会談を呼び掛け、これに米韓当局が春の恒例の米韓合同軍事演習の規模と期間の縮小で応じたことで朝鮮半島の情勢は一触即発の軍事的緊張状態からデタントの方向に流れている。

 こうした状況を反映してか日本は昨年3月から秋田県男鹿市を皮切りに全国の地方自治体で実施されていたミサイル避難訓練は今年1月22日の都内(文京区)での訓練を最後に行ってない。北朝鮮がミサイル発射実験を凍結したこともあってJアラート(全国瞬時警報システム)も今年は一度も作動してない。

 ところが、米軍による朝鮮半島有事を想定した在韓米軍家族らの退避訓練が昨日(16日)再開され、在韓米軍当局によると、20日まで実施されるようだ。

 在韓米軍は「退避訓練は春と秋に行う恒例訓練の一環である」として、朝鮮半島情勢や米朝関係に影響を与えるものではないと説明しているようだ。確かに一昨年も10月から11月にかけて、昨年も6月(5〜9日)と10月(23〜27日)に2度実施されていた。

 一昨年の避難訓練には60人が参加して行われ、対象者は避難の際に一人当たり最大で27キログラムの所持品の持参が許され、ソウル市龍山区にある米軍基地で身元確認の腕輪を渡され、保安検索の手続きが行われた。その後、一行は生物・化学兵器による攻撃を12時間防止することのできるマスクの着用方法に関する訓練を受け、大型輸送ヘリで南方の京畿度・平澤に移動した後、大邱にある米軍基地で一泊して翌日C―130輸送機で釜山にある金海空軍基地から日本の沖縄に向けて飛び立っていた。

 昨年6月の訓練には驚いたことに1万7千人以上が参加していた。韓国に居住している米国人は約20万人だが、およそ、十数人のうち一人が参加する計算となった。トランプ政権が北朝鮮の核とミサイル開発を阻止するため軍事オプションも辞さないと、公言したことが影響したようだ。

 当時の駐韓米第8軍のフェイスブックによると、訓練は朝鮮半島有事の際「旅券など書類を持ってソウルの龍山基地など韓国全土に散在している集結場所や退避統制所に集まる非戦闘員(米軍兵士の家族など民間人)らを航空機や鉄道、船舶で安全に日本に退避させる」ことを目的としていた。実際にこのうち、約100人以上が航空機に搭乗して、国外に出る訓練を受けていた。一方、10月の訓練は参加人数も規模も明かにされなかった。

 今回の訓練には米兵家族ら約100人が参加するようだが、計画では参加者らを軍用機で一旦、日本(在日米軍基地)へ運んだ後、米本土に移送することになっている。第三国を経由して米本土まで運ぶ退避訓練の実施は今回が初めてである。

 朝鮮半島有事の際に米国国籍の民間人を韓国から米本土まで実際に脱出させることを「非戦闘員退避活動」(NEO=Non-combatant Evacuation Operation)と米軍は呼称しているが、これまではコンピューター・シミュレーションや韓国国内に限定され実施されていた。

 ところが、北朝鮮が一昨年9月に5回目の核実験を強行し、緊張が高まったことで2か月後の11月に米軍輸送機に乗せて日本に輸送することになった。韓国からの脱出訓練は実に2009年以来7年ぶりのことであった。

 思えば、2009年という年は4月の北朝鮮による人工衛星と称した長距離弾道ミサイル・テポドンの発射をめぐってゲーツ米国防長官(当時)が「発射すれば、迎撃も辞さない」と警告し、これに対して北朝鮮人民軍参謀部が「(米国が)我々の人工衛星に迎撃行動をとれば、発射手段(イージス艦)への攻撃だけでなく、根拠地への報復打撃を開始する」と威嚇し、軍事的緊張がピークに達していた。

 米国が軍事攻撃を仕掛ける場合、先制、奇襲攻撃が成功の前提条件となるが、米国は軍事攻撃を開始する前には必ず自国民の被害を最小限にするため前もって紛争地域から非戦闘委、即ち民間人を疎開させる。クリントン政権が1994年6月に北朝鮮への核施設への先制攻撃を決断した際にも事前に駐韓米大使を通じて米国人の国外避難指示を出していた。

 在韓米軍が韓国在住の米民間人を米国に移す訓練を実施するのは、トランプ政権が来る米朝首脳会談を決して楽観視してないこと、米国が求める条件なしの非核化、それも完全で検証可能で不可逆的な非核化に北朝鮮が応じない場合は、次の段階(軍事攻撃)に移るかもしれないとの証とみる向きもある。

 韓国の軍消息筋は「南北・米朝首脳会談を前に、北朝鮮の非核化に対する期待感が高まっているが、米国は最悪の状況にも備えている」と韓国のメディアに語っているようだが、米朝首脳会談を前にシリア空爆に続く今回の在韓米軍家族らの退避訓練を金正恩政権がどう受け止めているのか、北朝鮮の反応が注目される。



2018年4月15日(日)

核を手離すべきか、保持すべきか、シリア空爆が米朝首脳会談に臨む金正恩委員長に及ぼす影響

シリア攻撃を発表するトランプ大統領(写真:ロイター/アフロ)


 トランプ政権が昨年に続き、再びシリア空爆に踏み切った。

 昨年の第一次攻撃は空軍基地1か所に限定され、地中海に待機していた艦船から巡行ミサイル59発が撃ち込まれたが、今回の第二次攻撃では英仏両国も加わり、首都ダマスカス近郊や中部ホムスの化学兵器関連施設など3箇所に向け巡航ミサイルが100発以上発射された。

 トランプ政権がシリア攻撃を再度決断した理由は一にも二にもアサド政権が反政府派勢力を駆逐するため化学兵器を使用したということに尽きる。

 トランプ政権は昨年も「化学兵器で民間人を殺害したのは人類に対するこの上ない冒涜であり、無垢の子供や幼児らを殺害したのは一線を越えた」と攻撃を正当化させていたが、今回も「残忍な蛮行」である化学兵器の使用への対抗措置として「正義の力を行使した」と主張している。

 結果として、トランプ政権のシリア空爆は今回もまた、米国にとって越えてはならない一線を越えたら、軍事力を行使する決意を行動で示したことになった。同時にイランや北朝鮮に対しても核・ミサイル開発を放棄しなければ実力行使も辞さないとするメッセージにもなった。こうしたことから北朝鮮の反応が注目されるところだが、15日午後5時現在、まだ公式反応はない。

 シリアは北朝鮮にとって数少ない友好国であるだけに昨年同様に米国の攻撃を非難する声明か、談話が外務省から発表されるものとみられるが、今回の件で金正恩委員長が心変わりして、トランプ大統領との史上初の米朝首脳会談をドタキャンすることはなさそうだ。それでも今回の米国のシリア攻撃は金委員長の心境に少なからぬ影響を与えることになりそうだ。

 北朝鮮は昨年、米国の攻撃を「主権国家に対する侵略行為である」と断罪する外務省談話(4月8日)を出していたが、その中で「シリアの事態は我々に帝国主義者らへの幻想は絶対禁物である」との警鐘を鳴らしたうえで「今日の現実は力には力で対抗し、核武力を常時強化してきた我々の選択が千万回正しかったことを立証した」として「核兵器を軸とした自衛的国防力を引き続き強化する」ことを強調していた。

 シリアは核兵器を保有してない。それにもかかわらず「化学兵器の拡散と使用を阻止することが米国の安全保障にとって死活的な重大な問題である」との理由で叩かれた。仮に北朝鮮が外務省談話で言及しているように「米国は核を持ってない国だけを選んで攻撃している」ならば、北朝鮮はトランプ政権を相手に米朝首脳会談に応じたとしてもそう簡単に核を手離そうとはしないだろう。

 しかし、その一方で、米国のシリア空爆が「国際的な規範や合意に違反したり、約束を守らなかったり、他者を脅かしたりすれば、いずれ対抗措置がとられる可能性が高いという警告」として受け取っているならば、トランプ政権との首脳会談で非核化を宣言し、体制保証を確約してもらったほうが得策であるとの結論に達するかもしれない。

 「シリアのアサド大統領の態度を変えさせようとする過去の試みは全て失敗し、そのせいで地域の不安定化が進んだ。我々は前政権から悲劇的な外交政策の災難を引き継いだ」というのがトランプ政権のシリア空爆の理屈となっている。それをそのまま「問題児」の北朝鮮に当てはめれば、仮に米朝首脳会談で非核化に応じなければ、次の攻撃対象にされかねない。何よりもトランプ政権が「北朝鮮は全世界の脅威であり、世界の問題である」と主張しているからだ。

 「これまで北朝鮮に対して言うべきことは言った。もうこれ以上、言うことはない」としているトランプ大統領にとって金委員長との首脳会談は北朝鮮核問題の平和的解決に向けた最後の外交努力と位置付けている。トランプ大統領曰く、「北朝鮮はならず者国家だ。(核放棄に向けた)合意ができれば最高だが、できなければ何かが起きることになる。今に分かる」とツイートしていたが、要は「後は行動するのみ」という意味のようだ。

 米国が求める完全で検証可能なかつ不可逆的な非核化に応じなければ、叩かれ、さりとて核という「抑止力」を手離してしまえば、核放棄後に米英仏によって攻撃され、崩壊したリビアのカダフィ政権の二の舞になるかもしれないとのジレンマを抱える金正恩政権がどのような選択を下すのか、早ければ来月その結果がわかる。

(参考資料:南北首脳会談は公表、米朝首脳会談は未公表―金正恩委員長の思惑 )  



2018年4月12日(木)

米韓首脳を介しての拉致問題の解決は!?

拉致被害者家族らと面談したトランプ大統領(写真:ロイター/アフロ)


 日本の頭越しに南北首脳会談と米朝首脳会談が決まったこともあって梯子を外された感のある日本政府の動きが俄かに慌ただしくなってきた。

 核やミサイルの他に拉致問題などの懸案を抱える安倍政権は河野外相を韓国に派遣し、文在寅大統領に金正恩委員長との首脳会談で拉致問題を議題に取り上げるよう要請する一方で安倍総理自らも今月17日訪米し、トランプ大統領と直談判し、拉致問題の解決に向け協力を求めるようだ。

 日本の要請に対して文大統領は直接的な回答を避けつつも「拉致問題を含め、北朝鮮と日本の間の懸案解決と関係の改善のため、(日韓)両国で協力していこう」と応じ、トランプ大統領もまた、金委員長との会談で日本人の拉致問題を提起することを約束するようだ。

 拉致問題への協力要請とは米韓両首脳が拉致被害者を全員日本に帰すよう金委員長に決断を促してもらう、あるいは拉致問題解決のため日朝政府間協議を速やかに再開するよう働きかけてもらう二点を指すが、こうした第三者を介した働きかけは側面支援とはなるが、根本的な問題解決に繋がるかは何とも言えない。

 日本政府が拉致問題で第三国に協力を求めたのは何も今回が初めてではない。

 北朝鮮と友好関係にあった中国への協力要請は一、二度ではない。胡錦涛前政権時代には再三協力を要請してきた。

 中朝両国間では胡錦涛主席の訪朝(2005年10月)と温家宝首相の訪朝(2009年10月)があり、金正日総書記もまた、2006年から死去する2011年まで計4度訪中し、首脳会談を行っているが、拉致問題が議題になったことは一度もなかった。

 米国に対してもしかりである。ブッシュ政権時も、クリントン政権の時も、またオバマ政権時も拉致被害者が大統領や国務長官などに直接会って、訴えてきた。しかし、米朝首脳会談が開かれなかったこともあって米大統領が金総書記に直接働きかけることは一度もなかった。

 トランプ大統領と金正恩委員長による首脳会談は米朝歴史上、初めてである。トランプ大統領が金委員長に直に拉致問題の解決を求めることができる。仮に米国が同盟国の日本の拉致問題が解決されなければ、核とミサイル問題が解決しても、国交正常化はできないとの厳しい条件を北朝鮮に突き付ければ、話は別だが、トランプ大統領が拉致問題への北朝鮮の考えを聞くことだけに終始すれば、過去の南北首脳会談ではすでにその回答が出ている。

 一回目の南北首脳会談は金大中政権下の2000年6月に行われたが、当時はまだ北朝鮮が拉致の事実を認めてなかった。北朝鮮が拉致を認めたのは2年後の2002年9月、小泉総理が訪朝し、金正日総書記と日朝史上初の首脳会談を行った時だ。従って、小泉政権が直接、金大中政権に拉致問題への協力を求めることはなかった。

 しかし、二回目の盧武鉉政権下の2007年10月の南北首脳会談では拉致問題が膠着状態に陥ったこともあって、当時福田康夫総理は盧武鉉大統領に金正日総書記宛のメッセージを託していた。当時も今と状況が似ていて、ジュネーブでの米朝関係正常化実務者会議で北朝鮮の核施設の年内不能化と全面申告で合意した直後で、米朝和解ムードが漂っていた。

 当時の報道によると、盧大統領は金総書記に福田政権で対北朝鮮政策が変わる可能性について言及し、遠まわしながら拉致問題の解決を促していたが、金総書記は「福田政権に代わったので日本の状況を見守っている」と答えただけだった。

 しかし、その後、金総書記は南北首脳会談で「拉致日本人はもうこれ以上いない」と語っていたことが判明した。また、南北首脳会談から10日後に共同通信社社長と会見したNo.2の金英南最高人民会議常任委員長も金総書記と口を合わせるかのように「拉致問題はすでに解決した問題である」と語っていた。

 二人の発言はこれまでの北朝鮮の公式見解、立場を繰り返したに過ぎないが、トップツーがここまで「断言」したとなると、日本が求めるような形の拉致問題の解決は容易ではないこともわかる。実際にこれ以降、拉致問題は全く進展が見られず、誰一人生存者は戻って来てない。

 「拉致問題は未解決」との立場の日本が求める拉致問題の解決とは、ずばり「死亡した」と発表された8人を含む12人の政府認定の拉致被害者の生存と、拉致された疑いの高い特定失踪者らの存在を北朝鮮が認め、日本に帰国させることだが、3年前の日朝ストックホルム合意に基づき、北朝鮮は拉致被害者の再調査を実施し、その結果を日本に通告することを約束していた。

 再調査は北朝鮮による核実験やミサイル発射によって中断したままとなっているが、安倍政権としては最終報告書を受け取る前に米韓首脳らを通じて金委員長に「勇断」を促したいところだ。米韓との一連の首脳会談で金委員長が日本人拉致問題についてどう言及するのか大いに注目されるところである。



2018年4月10日(火)

南北首脳会談は公表、米朝首脳会談は未公表―金正恩委員長の思惑

初の米朝首脳会談に臨むトランプ大統領と金正恩委員長


 昨日(9日)、北朝鮮は労働党中央委員会政治局会議を開いた。最高人民会議開催開催(11日)を前に予想されていた政治スケジュールの一環である。

 政治局会議では最高人民会議に提出する来年度国家予算について協議されたほか、金正恩委員長から最近の朝鮮半島情勢に関する報告があったようだ。

 北朝鮮は金委員長の報告の中で南北首脳会談が4月27日に板門店の韓国側地域にある平和の家で行われることを初めて国民に知らせていた。

 南北双方は3月29日の高位級会談で首脳会談を「平和の家で4月27日に行う」との共同報道文を発表していたにもかかわらず北朝鮮メディアは「共同報道文には南北首脳会談の時期と場所が明らかにされている」とだけ報道し、会談の日や場所については国民に一切伝えてなかった。

 南北首脳会談の開催は政治局会議で了承を得たことになるのでこれにより、三度目の南北首脳(文在寅大統領―金正恩委員長)会談は4月27日に行われることが確定したが、歴史を振り返ると、過去2度の南北首脳会談は合意どおり当日に行われたことは一度もなかった。

 一回目の2000年6月の南北首脳(金大中大統領―金正日総書記)会談は合意では金大中大統領が6月12日に訪朝して行われることになっていたが、北朝鮮側の事情で1日延び、13日に金大統領は平壌入りせざるを得なかった。

(参考資料:18年前の第一回南北首脳(金大中―金正日)会談の議題と攻防 )  

 二回目の2007年10月の南北首脳(盧武鉉大統領と金正日総書記)会談もまた、韓国の国家情報院院長(金万福)と北朝鮮の統一戦線部部長(金養建)が8月5日に協議し、3日後の8日に「8月28−30日に平壌で行う」と同時発表したが、これまた北朝鮮側が延期を要求し、10月2−4日に変更されてしまっている。

 「二度あることは三度ある」か、それとも「三度目の正直」で合意どおり今月27日に行われるかは、これまた当日になってみなければわからない。

 世界の関心は前座の南北首脳会談よりも、本番の米朝首脳会談に向けられているが、金委員長の昨日の報告では「米朝対話展望について深度深く分析評価した」とだけしか触れておらず、トランプ大統領との首脳会談の開催についてはまだ国民に伏せたままである。

 史上初の米朝首脳会談については金委員長自らが平昌五輪後の5月3日に訪朝した韓国特使を通じてトランプ大統領に「早い時期にお会いしたい」と要請し、それを受けトランプ大統領が「5月までに会談を行う」意向を示したことから今では既成事実化している。

 実際にトランプ大統領は以後、金委員長との首脳会談について「何が起こるかなんて誰も分からない。私はすぐに立ち去るかもしれないし、そのまま席に座って世界にとって最高のディール(取引)を成し遂げるかもしれない」(3月10日)「私は我々の会談に期待している。昨夜、習近平主席から金委員長が私との会談を期待しているというメッセージを伝えてきた」(3月28日)等など米朝首脳会談について再三言及しており、昨日(9日)もホワイトハウスで開かれた閣議の冒頭、首脳会談の開催時期について触れ、「5月か6月初旬になる」と述べたばかりだ。

 しかし、北朝鮮は依然として公式的には米朝首脳会談に関して一言も言及してない。金委員長は訪中(3月25-28日)した際、習主席との会談で米朝首脳会談への意気込みや米国が求める非核化の条件などを提示していたが、北朝鮮の国営放送は「朝鮮半島情勢管理問題を含む主要事案については深みのある意見交換を行った。会談は虚心坦懐で、建設的で、真摯な雰囲気の中で行われた」との表現に留めていた。

(参考資料:米朝首脳会談は実現するか?北朝鮮の「本気度」を占う4つのチェックポイント )  

 米朝会談の日時や場所、議題が何一つ決まってないことから公表は時期尚早と判断しているのかもしれないが、昨年の国連総会でのトランプ大統領の「北朝鮮を破壊する」演説に金委員長自らが激怒し、トランプ大統領を「火遊び好きな放火魔」「チンビラ」呼ばりし、「老いぼれた狂人を必ず、火でしずめる」と啖呵を切った相手との直接会談だけに南北首脳会談とは違い、対内的な説明に相当腐心しているようだ。

 何よりも「米国が推進する我が国の核問題の外交的解決には一かけらの期待も持たない」(労働新聞)と言っていただけに手のひらを返して米朝首脳会談を求めたとなると、それなりの国民向け言い訳が必要で、そのためにも北朝鮮は会談場所をできることならば平壌、悪くても板門店にしたいところだろう。「トランプが白旗を掲げてやってきた」と「外交勝利」を謳うことができるからだ。

(参考資料:北朝鮮が前代未聞の声明を発表! 究極の「トランプVS金正恩バトル」 )  



2018年4月8日(日)

「分かっちゃいるけど止められない」金正恩委員長の喫煙

どこに行ってもたばこ欠かせない金正恩委員長


 金正恩委員長が3月5日、韓国特使団と会食した際、特使団団長の鄭義溶大統領府国家安保室長から禁煙を勧められる一幕があったと、朝日新聞が複数の南北関係筋の話として報じていた。

 同紙によると、72歳の鄭氏が息子ほど歳の離れた34歳の正恩氏に「たばこは体に悪いので、お止めになったらどうですか」と勧めたところ、同席していた李雪主夫人が「いつもたばこを止めて欲しいと頼んでいるが、言うことを聞いてくれない」と手を叩いて喜び、正恩氏は笑っていたとのことだ。

 金正恩委員長が名立たる愛煙家であることは周知の事実である。金正日総書記の料理人で知られる藤本健二氏の話では、金正恩委員長は10代半ばから親に隠れて喫煙していたそうだ。従って、喫煙歴は足掛け17年となる。お気に入りは外国のイブ・サンローランと国内産では「7.27」(「7.27」とは朝鮮戦争戦勝記念日の7月27日を指す)という銘柄である。

 祖父の金日成主席も父の金正日総書記も愛煙家であった。金主席は還暦過ぎたあたりからはキューバのカストロ議長に勧められたのか、時たま葉巻のようなものを吸っていた。金総書記は外国製のダンヒルにマルボロを好んで吸っていた。

 金正日総書記の生存の頃のドキュメントフィルムをみると、たばこを手にした場面が頻繁に出てくる。面白いのは、側近が灰皿をもって金正日委員長について回っていたことだ。

 金正日総書記は2001年に訪中した折、中国の幹部に「健康に悪いので禁煙した」と語っていた。当時、北朝鮮のメディアは「喫煙は心臓を打ち抜く銃と同じだ」との金総書記の言葉を紹介し、国民に禁煙を奨励していた。

 しかし、金総書記は2009年に再びたばこをふかし始めた。同年4月14日、平壌の中心を流れる大同江の辺で行われた金日成主席生誕97周年を祝う花火大会を鑑賞した際に金総書記のテーブルの前に灰皿が置かれていたことから判明した。この年の9月にロシアの文化使節団を率いて訪朝し、金総書記と面会した音楽家のパーペル・オフシャンニコフ氏が「米国のマルボロを吸っていた」と証言したことで決定的となった。

 金総書記が長年禁煙していたたばこを復活したことについては「太り過ぎないため」の説と激務による「ストレス軽減のため」の説が交錯していたが、理由はどうであれそれから2年3カ月後に金総書記は父・金日成主席同様に心臓発作を起こして急死してしまった。

 祖父も父もいずれもヘビースモーカーであったが、それでも喫煙の際は場所柄を弁えていた。ところが、ヘビースモーカーのDNAを引き継いだ金正恩委員長の場合、TPOに関係なく、喫煙する。どこに行っても、たばこを離さない。歩きながらでも、また座っていてもテーブルには必ず灰皿が置かれていた。

 最も驚いたのは、2015年2月に元山の愛育院を視察した際、幼児らが集まっている愛育院で右手にたばこをくわえていたことだ。音楽会や舞踏会でも、妊婦の李雪主夫人が隣に座っていても、また元老らの前であろうが、おかまいなしに平気で吸っていた。

 この年の9月3日、モランボン楽団の公演では両脇には黄炳誓人民軍総政治局長(当時)と金基南党政治局員(当時)が座っていたが、黄炳誓局長は76歳、金己男政治局員に至っては87歳だった。当時31歳の若輩の金委員長からすれば、二人は父親、祖父のような存在であった。ところが、場内でたばこを吸っていたのは金委員長一人だけだった。いかに部下とはいえども、長老らの前での喫煙は朝鮮半島の礼儀作法として許されるものではない。結局、金委員長だけは別格として喫煙が許されていたことになる。

 そんなヘビースモーカーの金正恩委員長も一度は禁煙を試みたことがあった。

 一昨年(2016年)の労働新聞(4月24日付)に「たばこが人体に与える影響」との記事が掲載された。記事には金委員長が「革命をやろうとするな、体も健康でなければならない」と言ったと書かれてあった。

 労働新聞にはその後、喫煙が原因による肺癌発生に関する記事が掲載され、平壌を中心に全国各地に禁煙研究所が設立されるなど禁煙を本格的に奨励している事実も判明した。喫煙研究所は喫煙者の相談窓口となっており、喫煙者に対しては世界保健機構(WHO)が認定した禁煙栄養錠剤や禁煙パイポなど禁煙に関する健康製品や喫煙によって発生する疾病を治す医薬品などが補給されていた。

 禁煙キャンペーンは金委員長の許可なく勝手には始められない。ということは、金委員長が自ら音頭を取って禁煙したことになる。実際に金委員長が手にたばこをくわえている写真は2か月以上にわたって配信されなかった。たばこを手にしている姿は2016年3月15日の弾道ロケット大気圏再突入環境模擬試験に立ち会った時が最後でそれ以来、その種の写真は公開されることはなかった。金委員長は5月30日かその前日に行われた中朝バスケットボール親善試合を観戦していたが、テーブルには灰皿が置かれていなかった。

 ところが、3か月もしない6月4日に新たに建設された万景台少年団野営所を視察に訪れた際にはたばこを手にしていた。約80日ぶりの喫煙写真の公開であった。それもよりによって子供らが集う少年団野営所での喫煙であった。

 金委員長は今月1日、平壌で行われた韓国歌手らの公演を夫人と共に鑑賞したが、北朝鮮の映像を細かくチェックすると、実際に吸っていたかどうかわからないが、横のテーブルに灰皿が置かれていた。

 「ハナ肇とクレージーキャッツ」の植木等の爆発的なヒット曲「スーダラ節」の歌詞に「これじゃ身体に いいわきゃないよ分かっちゃいるけど やめられねぇ」とのフレーズがあるが、今の金委員長の心境を表しているのではないだろうか。ストレス発散や肥満防止のため手離せないのだろう。



2018年4月2日(月)

韓国芸術団の平壌公演は10年前のNYフィルハーモニの平壌公演の再現

韓国芸術団の平壌公演会場に姿を現した金正恩委員長


 昨日、平壌市内で開かれた韓国芸術団の公演に金正恩委員長が突然、李雪主夫人を連れ立って現われ、韓国側を驚かせたようだ。

 金委員長夫妻は韓国歌手らの歌に合わせて拍手をし、公演後は出演したアーティストたちと握手を交わしたほか記念撮影もしていた。

 金委員長は韓国側の引率者に「私が(アイドルグループの)レッド・ベルベットを見に来るかどうかに関心が多かったようだが、もともと明後日(3日)に来る予定だったが、日程を調整して今日来た。南北が共に行なう合同公演も意義深いが、南側だけの公演を見るのも意味がある」と語ったとのことである。

 文在寅大統領が平昌五輪の際に北朝鮮芸術団のソウル公演を鑑賞していたことから当然、予想されていたこととはいえ、それでも鑑賞するなら南北合同公演ではないかとみられていただけに、初日に訪れるとは意外だったようだ。金委員長曰く、「単独公演でも見るのが人情」だと述べたとのことだが、金委員長が鑑賞したこともあって韓国スーパスター、チョ・ヨンピルら韓国歌手11人による平壌公演は大いに受け、盛り上がったようだ。

 金委員長が昨年まで喧嘩相手だった「敵国」から芸術団を招くスタイルははやり、父・金正日総書記のDNAを受け継いでいることの証でもある。「蛙の子は蛙」と言われているが、明らかに金委員長は父のスタイルをそのまま踏襲している。

 というのも、今回の講演は金正日政権下の10年前の2月26日に平壌で行われたニューヨーク・フィルハーモニックの公演を連想させるからだ。

 公演会場の舞台の両袖には、米国と北朝鮮の両国旗が掲揚されていた。米国からは公演の仕掛け人であるグレッグ元駐韓米大使とペリー元国防長官が会場の中央で李根外務省対米局長と並んで座っていた。

 公演は両国の国歌演奏で始まったが、北朝鮮の国歌に続き、米合衆国国家が演奏された時も北朝鮮の機関、団体幹部らから成る観客は起立したままで、演奏が終わると、熱烈な拍手で応えていた。

 ワーグナーの「ローエングリン」第3幕への前奏曲、ドボォルザークの交響曲第9番「新世界より」が次々と演奏された。各曲の演奏の合間に指揮者のローリン・マゼール氏の簡単な解説があったが、ジョークを交えたり片言の朝鮮語を駆使したり、彼の話術も完全に観客を虜にしていた。

 ガーシュウィンの「パリのアメリカ人」、そして最後はバーンスタインの「キャンディード」序曲で締めくくったが、会場はアンコールの大合唱。これに応え、アンコール曲として管弦楽「アリラン」を編曲、演奏した。観衆は完璧に魅せられていた。会場はるつぼに化し、「ブラボー」の声とともに握手がしばらく鳴り止まなかった。

 それでも、この時は、音楽好きなのに最高指導者の金正日総書記の姿は会場にはなかった。

 金総書記が出席しなかった理由は朝鮮人民軍最高司令官の立場上、国交のない敵国の国歌に直立不動で敬意を表するわけにはいかなかったことである。米韓合同軍事演習が3月2日から行われることに備え、全軍に「高度の警戒心をもってあたれ」とはっぱをかけている最中に最高司令官が「星条旗」の演奏を聴くわけにはいかなかった。軍の士気にかかわるからだ。

 公演が行われた昨日、韓国では米韓合同軍事演習が始まった。それでも、金正恩委員長は公演会場に姿を現した。父親よりも度量のあるところを見せたかったのだろうか?



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