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2018年9月21日(金)

「金正恩ソウル訪問」に韓国は歓迎!北朝鮮は反対!の不思議な現象

訪朝した文大統領を街頭で熱烈歓迎する平壌市民(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)


 文在寅大統領の平壌訪問による今年3度目の南北首脳会談(9月18−20日)が終わった。

 韓国側は今回の会談での成果は金正恩委員長が早い時期のソウル訪問を約束したことだとしている。文大統領の平壌訪問随行を拒否し、一回目の「板門店宣言」同様に今回の「平壌宣言」にも批判的な立場の野党第一党の自由韓国党も「金正恩ソウル訪問」の確約を取ったことだけは評価していた。

 首脳会談、首脳外交は相互主義、クロス訪問が原則だ。相手の首脳を招請すれば、今度は答礼訪問するのが基本だ。しかし、南北に限っては一方通行だった。

 韓国からは2000年に金大中大統領が訪朝し、史上初の首脳会談を行った際、北朝鮮のパートナーである金正日総書記は「適切な時期に(韓国を)訪問する」と約束したものの金大中政権下(〜2002年2月)で実現しなかった。盧武鉉大統領が2007年に平壌を訪れたことで二度目の南北首脳会談が実現したものの結局のところ金正日総書記は死去する2011年12月まで韓国を一度も訪問することはなかった。

 本来ならば、文在寅大統領が先に平壌を訪れるのではなく、金正日総書記の後継者である金正恩委員長がソウルを訪問し、首脳会談を行うのが礼儀なのだが、11年ぶりに開かれた今年4月の板門店での首脳会談が、軍事境界線上にある板門店の韓国側エリアで実現したことで「次は韓国の番」として文大統領は北朝鮮側の招請を受け、「今秋の訪朝」を約束したようだ。しかし、6月に今年2回目の首脳会談が今度は文大統領が軍境界線を越え、板門店の北朝鮮側内で行っているのでやはり順番からすれば、今年3度目の首脳会談は金委員長がソウルを訪問して行われるのが筋であった。

 順序は逆になったが、それでも金正恩委員長はソウル訪問を約束したことで、早ければ今年4回目となる首脳会談はソウルで開催されることになる。

 それにしても不思議なことがある。「金正恩訪韓」を韓国側が歓迎しているのに北朝鮮が反対していることだ。文大統領の随行者の一人である文正仁大統領統一外交安保特別補佐官は金委員長のソウル訪問について「金正恩委員長の周囲は誰もがソウル訪問に反対していた。しかし、誰も(金委員長を)引き止めることができなかった」とソウル訪問は「金委員長の独自の決定である」とブリーフィングしていた。

 金委員長の周囲が反対する理由は明かにされてないが、考えられる理由としてはやはり警護の問題が一番のネックなのだろう。身の安全が脅かされる恐れがあることに尽きるようだ。

 金大中大統領も盧武鉉大統領もそして今回の文在寅大統領も街頭パレードが行われ、十数万人の平壌市民に熱烈歓迎されていたが、ソウルでは歓迎一色とはいかないだろう。

 韓国は反共国家である。共産主義、社会主義の標榜は法律で禁じられている。韓国内には「滅共統一」「勝共統一」を叫ぶ反共主義者や反北主義者らはごまんといる。朝鮮戦争の犠牲者や退役軍人、その遺族の中には「復讐心」を抱いている者も相当数いる。北朝鮮に風船ビラを飛ばしている団体にみられるように「打倒金正恩体制」を叫ぶ北朝鮮から逃げてきた脱北者らは3万人以上もいる。その中には元軍人や工作員らもいる。警護上の問題から周囲が反対する理由はわからないわけではない。しかし、北朝鮮の最高指導者が訪韓できない、訪韓しない理由はそれだけではないようだ。

 金正恩委員長の父親の金正日総書記は金大中大統領との首脳会談で「適切な時期」の訪韓を約束したが、実はこの時も韓国側は確約を取るのに随分苦労していた。というのも、金大中大統領が「この次は貴方がソウルを訪問すべきだ」と訪韓を招請したところ、金正日総書記は「私は行けない」と拒んだからだ。

 金大統領が「なぜ(韓国に)来ることができないのか?」と問いただすと「私は現在の職責(国防委員長)のままでは行けない。私が今の職責のままで行けば、我が人民はよく思わない」と、金総書記は韓国側の受け入れ態勢を問題にしたのではなく、国内上の問題を理由に挙げていた。

 金大統領が「貴方が来るべきではないか。今、貴方と私が和解と協力について互いに合意したばかりなのに、貴方が来なければ、誰も和解と協力の政策を信じないだろう。だから、貴方が来るべきだ」と再三説得したもののそれでも金総書記は「私はダメだ。個人の資格ならば、(韓国に)行って、漢拏山にも登ってみたい。金大統領も個人の資格で来るならば、白頭山で4泊5日ぐらい私と一緒に過ごすことができる。しかし、職責を持ったままでは行くのは大変難しい」と首を縦に振らなかった。

 何度促しても突っぱねるので金大統領は最後に「貴方は何度も我が国が東方礼儀之国であることを言っていたが、私は貴方よりも年寄りではないか。年上の者が訪ねてきたのにどうして答礼訪問が出来ないのか?それでは礼儀に反するのでは?」と諭したところ、この言葉に金総書記は「わかりました」とやっと納得し、共同宣言に「適切な時期にソウルを訪問する」との一筆を取り付けることができた。しかし、結局、金総書記は18年間の任期中に一度も訪韓することはなかった。

 韓国詣では▲韓国を国家として正式に認めることになりかねない▲二つの国家の存在を認めれば「全朝鮮人民を代表する国家」としての正統性が問われかねない▲最高指導者としての権威失墜に繋がりかねないなどを憂慮していたのかもしれない。

 父親と異なり金委員長は早ければ「年内にも訪韓する」(文大統領)ようだが、訪韓が実現すれば、南北関係改善に向けた金委員長の決断が本物であることが証明されるだろう。韓国が訪韓を歓迎する理由はこの一点にある。



2018年9月8日(土)

注目すべき軍事パレードでの「金正恩演説」―ICBMは登場するか

北朝鮮のICBM(労働新聞)


 北朝鮮は9月9日に建国記念日を迎える。今年は建国から70周年という節目の年にあたることから「一大慶事」として軍事パレードやマスゲームなどで盛大に祝うようだ。

 前例からすると、前日(8日)に中央報告大会が開かれる。5年前の建国65周年(2013年)の時は4.25文化会館で開かれ、党内序列2位の金永南最高人民会議常任委員長が演説を行った。ちなみに金正恩委員長はひな壇に姿を見せなかった。

 金正日政権下の60周年(2008年)の時には平壌体育館で開催されたが、この時は序列4位だった金英日総理が演壇に立った。最高指導者の金正日総書記は出席しなかったが、金総書記の欠席は、前月(8月)に脳卒中を起こし、療養中であったことが原因で、軍事パレードにも姿を現さなかった。

 今年は70周年であることから軍軍事レードが行われるが、60周年も、65周年もいずれも人民軍正規軍による行進はなく、非正規軍である労農赤衛隊による閲兵式がメインだった。従ってミサイルは登場しなかった。また、60周年の閲兵式では金正日総書記ではなく、金英春国防副委員長(軍総参謀長)が、65周年の時は金正恩委員長ではなく、朴奉柱総理がそれぞれ演説を行ったが、65周年の時は閲兵式の後にピョンヤン群衆示威も同時に行われた。

 前例に従えば、金正恩委員長は中央大会には欠席するかもしれないが、軍事パレードは100%出席するだろう。

 注目は、軍事パレードの式典で金委員長自らが演説するかどうかにある。労働党創建70周年(2015年10月10日)の軍事パレードでは演説を行っていることから今回も自ら演説するものとみられるが、問題はその中身で、特に世界の耳目を集めている非核化について踏み込むかどうかが最大の焦点となるだろう。

 もう一つの注目は軍事パレードの規模である。

 一部では、今年2月に行われた朝鮮人民軍創建70周年並みか、あるいはそれを上回る規模になると言われているが、厳冬の2月に、それも平昌五輪開幕前日に金日成広場で行われた軍創建70周年軍事パレードには軍人が延べ1万3千人、示威には平壌市民5万人が動員されていた。また、兵士の行進では、米韓の特殊部隊に対抗して創設されたばかりの特殊作戦軍(軍団長:金英福中将)が8番目に登場し、韓国メディアの関心を引いていた。

 装甲車や戦車、タンク、長距離砲、多連装ロケットなどがお見えし、最後は戦略軍(司令官:金洛謙大将)の行進で締めていた。ミサイル開発のトリオの一人である張昌河上将(党軍需工業部副部長)が戦略軍部隊を率いていたのが印象的だった。

 パレードには新型の短距離ミサイルの他に中距離弾道ミサイル「北極星2型」、準ICBMの「火星12号」、ICBM級の「火星14号」がそれぞれ6基、そして最後に昨年11月29日に発射に成功したとされる米本土攻撃可能なICBM「火星15」が4基移動式発射台に搭載され、登場していた。

 今回は、正規軍によるパレードになるのか、労農赤衛隊による閲兵式になるのか、また、ICBMが登場するのかどうか、大いに注目されるところだが、それにしても金正恩政権は2012年に発足してから2014年と2016年を除いてほぼ毎年軍事パレードを実施している。中でも2013年は7月27日の朝鮮戦争勝利(休戦協定)60周年と9月9日の建国65周年と、2度も実施していた。

 過去の軍事パレードの特徴を挙げれば、以下のとおりである。

 ▲2012年4月の金日成主席生誕100周年軍事パレードでは金正恩委員長が初めて群衆の前で演説を行い、「軍事技術的優勢はもはや帝国主義者らの独占物ではない。敵が原子爆弾で我々を威嚇攻撃する時代は永遠に過ぎ去った」と豪語し、軍事パレードでは一度も発射実験したことがないICBM級の「KN−08」がお披露目された。

 ▲2013年7月の朝鮮戦争勝利60周年軍事パレードでは金委員長の演説はなく、当時、軍総政治局長だった崔龍海政治局常務委員が祝賀演説を行い、陸海空の部隊によるパレードでは「放射能」標識のリュックを持った歩兵部隊が登場し、話題をさらった。

 ▲2013年9月の朴奉柱総理が演説を行った建国65周年軍事パレードは陸海空の正規部隊は動員されず、労農赤衛隊を中心とした予備役らによる閲兵式となった。

 ▲2015年10月の労働党創建70周年軍事パレードは金正恩委員長が25分にわたり演説を行い、約2万人以上の軍人と一般群衆10万人が動員され、午後3時から始まったパレードは終了するまで3時間にわたって実況中継された。パレードでは無人飛行機が初めて登場し、「KN−08」の改良型である「KN−14」もお披露目された。

 ▲2017年4月の朝鮮人民革命軍創建85周年軍事パレードでは金正恩委員長は出席したものの演説はせず、2013年7月の時と同様に崔龍海・政治局常務委員が行った。約2時間50分にわたって行われたパレードではこの年の3月に発射され、日本の排他的経済水域に3発着弾した「スカッドER」のほかSLBMを地上型に改良した「北極星2型」やキャニスター(収納筒)に収められた新型中長距離弾道ミサイル「火星12号」や「火星14号」などが次々と登場した。何度も発射しては失敗を繰り返していた中距離弾道ミサイル「ムスダン」や「KN-08」の改良型と推定される長距離弾道ミサイルも登場した。



2018年8月29日(水)

内閣情報官がベトナムで接触した人物は金正恩実妹の最側近!

朴槿恵前大統領が野党時代に訪朝した時に接待した金聖恵室長(労働新聞から)


 北朝鮮で身柄を拘束されていた日本人観光客の帰国にタイミングを合わせるかのように米紙ワシントン・ポストは昨日、「日朝情報当局高官が先月、ベトナムで極秘に接触していた」と報じた。

 同紙によると、北朝鮮側と接触したのは北村滋内閣情報官で、北朝鮮側は「キム・ソンヘ」という名の人物。「キム・ソンヘ」なる人物の肩書が伝えられるように「統一戦線部統一戦線策略室長」ならば、金正恩委員長の実妹、金与正党第一副部長の最側近である金聖恵党中央員会室長のことである。

 金聖恵氏の対外的肩書は党中央員会室長だが、裏の肩書が統一戦線部策略室長。役職が示しているように金聖恵室長は長年、主に対韓、統一部門を担当してきた。

 金聖恵室長はポンペオ国務長官との最終談判のため5月30日にニューヨーク入りした金英哲(キム・ヨンチョル)党国務副委員長(統一戦線部部長)率いる北朝鮮代表団の中に紅一点、含まれていたことはあまり注目されなかった。

 会談後、ホワイトハウスのガーデンでトランプ大統領が金英哲副委員長と記念写真を撮る際に手招きして呼び寄せたことから西側のメディアからは金英哲氏の夫人と勘違いされていた。

 今年51歳の彼女は6月12日の米朝首脳会談の際に儀典を仕切った金昌宣国務委員会部長(金正恩秘書室長)と同様に一昨年亡命した太永浩元駐英公使が先頃出版した著書(「3階書記室の暗号」)で取り上げた金正恩秘書室のメンバーでもある。金与正党第一副部長の後ろ盾もあってそれなりの権限も実力もある。

 朴槿恵前大統領が野党時代に訪朝(2002年5月)した際にも、また現代グループの女性オーナー、玄貞恩会長の訪朝(2009年8月)でも、さらに故・金大中大統領の夫人(李姫鎬女史)が金正日総書記の葬儀(2012年12月)に出席した時も、必ず接待役として登場し、金正日総書記との会談をセッティングしていた。また、2013年6月には南北高位級会談実現に向けた実務、交渉では祖国平和統一委員会部長という肩書で北朝鮮側の団長として参加していた。

 金聖恵室長は今年2月に平昌五輪開会式に金正恩委員長の特使として訪韓した金委員長の実妹、金与正第一副部長に密着随行し、また、3月に北京で行われた中朝首脳会談、4月の板門店での南北首脳会談にも随行メンバーとして加わっていた。これらの首脳会談には李雪主夫人と与正氏が同行していた。

 金英哲副委員長が出席した平昌五輪閉会式にも金聖恵室長は随行していたが、閉会式に米国からトランプ大統領の娘であるイバンカ補佐官がアリソン・フッカー国家安全保障会議(NSC)朝鮮担当部長を伴って出席したからに他ならなかった。換言するならば、この二人の女性と金英哲部長との接触、あるいは会談を想定して派遣されたと言っても過言ではなかった。

 金聖恵室長は4月27日の南北首脳会談には随行したものの南北首脳会談を前に4月5日に行われた儀典、警護、報道に関する実務交渉には金昌宣部長が率いた代表団メンバー(6人)には加わらなかった。また、金昌宣部長は米朝会談場所や宿泊施設の選定や儀典、警護関連で事前にシンガポールを訪れたが、金聖恵室長はシンガポールに行かず、金英哲副委員長と行動を共にし、米国を訪れていた。

 金聖恵室長は4月27日の南北首脳会談には随行したものの南北首脳会談を前に4月5日に行われた儀典、警護、報道に関する実務交渉には金昌宣部長が率いた代表団メンバー(6人)には加わらなかった。また、金昌宣部長は米朝会談場所や宿泊施設の選定や儀典、警護関連で事前にシンガポールを訪れたが、金聖恵室長はシンガポールに行かず、金英哲副委員長と行動を共にし、米国を訪れていた。

 北村滋内閣情報官と金聖恵室長との秘密接触の日時は不明だが、北村情報官はほぼ毎日、官邸を訪れているが、7月は7日〜8日の3日間、13日〜16日の4日間は官邸に現れてない。

 安倍総理は米朝首脳会談開催決定後から「拉致問題は最終的には私と金正恩委員長の間、朝日間で解決しなければならない。北朝鮮が正しい道を歩むなら、日朝平壌宣言に基づいて国交を正常化し、経済協力をする用意がある」(6月9日)「金正恩委員長が大きな決断をすることが求められる。相互不信という殻を破って一歩踏み出し、解決したい。信頼関係を醸成していきたい」(6月16日)と発言し、再三にわたって北朝鮮にラブコールを送っていたのは周知の事実である。

 日朝情報当局者の秘密接触の結果かどうか定かではないが、韓国の拉致被害者家族でつくる「拉北者家族会」の崔成竜代表は7月12日、金正恩朝鮮労働党委員長が日本人拉致問題について「(2014年のストックホルム合意に基づく)調査結果を改めて日本側に説明するよう指示した」という情報を平壌の消息筋から得たことを明らかにしていた。

 また、北朝鮮が日本人拉致問題を巡り、4年前に入国を認めた神戸市の元ラーメン店員田中実さんと同じ店の元店員金田龍光さん以外に「新たな入国者はいない」と伝えていたとの情報が伝わってきたのもこの日朝極秘接触の直後のことである。

 安倍総理は今月6日の記者会見で「最後は私自身が金正恩委員長と対話し、核・ミサイル、何よりも重要な拉致問題を解決し、新しい日朝関係を築かなければならない」と述べ、日朝首脳会談の実現に意欲を示したが、北朝鮮による日本人観光客の釈放はもしかすると、日朝首脳会談に向けての環境つくりの一環かもしれない。



2018年8月20日(月)

南北離散家族再会は東京五輪でも、札幌アジア冬季大会でもあった!

南北離散家族(写真:ロイター/アフロ)


 朝鮮戦争(1950−53年)で離ればなれとなってしまった韓国と北朝鮮の離散家族が今日から26日まで北朝鮮の金剛山にある面会所で再会を果たす。朝鮮戦争停戦日(53年7月)から数えると実に65年ぶりの肉親再会となる。

 朝鮮戦争で引き離され、生き別れた離散家族の再会が実現したのは朝鮮戦争停戦から32年目の1985年9月、当時韓国は全斗煥軍人政権下にあった。これを機に離散家族再会事業の定例化が期待されたが、熾烈な南北対立の煽りを受け、一回限りの一過性で終わってしまった。

 二度目はそれから15年後の2000年8月、平壌を訪問し、金正日総書記を相手に史上初の南北首脳会談を実現させた金大中民主化政権の下で南北双方合わせて200人近くが肉親との再会を果たした。この年からこれまで20数回行われてきたが、1回につき人数はそれぞれ約100人。このため韓国側では申請者の13万人のうち半分以上の7万人が再会を待たずに他界している。

 実は、南北離散家族の再会は朝鮮半島で実現する約20年前の1964年、東京オリンピックの時が初めてであった。

 東京にまで来て、直前になってボイコットして引き揚げてしまった北朝鮮選手団の中に当時女子400mと800mの世界記録保持者で、金メダル候補とみられていた女子陸上選手(辛金丹)がいたが、娘の存在を知って韓国から来日した父親との双方の関係者にもみくちゃにされながらの短時間の出会いは世界中に南北分断の悲哀を知らしめることとなった。

 また、1990年の札幌冬季アジア大会でも北朝鮮のスピードスケート選手(韓ピルファ)が韓国から会いに来た実兄と40年ぶりに再会したが、この再会シーンも体制、イデオロギーが異なっても「血は水よりも濃い」ことをはっきりと内外に見せつけ、世界の人々に感動の涙を誘っていた。

 辛親子も韓兄妹もそれが最初で最後となったが、短時間ながらも会えただけまだましで、1985年の初の離散家族再会時は、北朝鮮に住む両親と生き別れとなった韓国の男性(当時54歳)が涙ながらに抱き合う離散家族再会光景をテレビで見ているうちに、父母恋しさの気持ちが高まり「両親に会いたい」と言いながら10分余りも激しく泣いた末、心臓麻痺を起こし、死亡すると言う痛ましい事件も起きていた。

 南北離散家族再会事業は南北関係が冷却した李明博保守政権下でも2回開かれているが、2010年10月の再会では北朝鮮側の面会者、97人の中に驚いたことに朝鮮戦争で「戦死した」はずの韓国軍兵士4人が含まれていた。

 休戦当時国連軍は韓国軍失踪者の数を8万2千人と推定していたが、北朝鮮側から捕虜として引き渡された韓国軍兵士は約10分の1の8千4百人程度。残りの消息、安否は今もって確認されないままである。

 この4人については北朝鮮に送還を求めている韓国側の捕虜名簿(約500人)にもなく、また韓国の家族はとっくに戦死したものと思い、墓まで立て、毎年法事までしていたというからビックリ仰天したことは言うまでもない。春日八郎の歌「お富さん」の「生きていたとはお釈迦様でも知らぬ〜」云々の話ではない。

 最高齢は90歳の李ジョンヨルさんで、朝鮮戦争当時は30−33歳歳。4人の中で一番年下は77歳の李ウォンシクさんで、18〜20歳で入隊し、戦場に送られていた。4人はかわいそうなことに休戦から2年後の1955年には韓国政府から「戦死者」として処理されてしまった。それもこれも1953〜54年の3度にわたる北朝鮮側との捕虜交換時に送還されなかったためだ。

 李ジョンヨルさんは生後100日で生き別れとなった息子、ミングァンさん(61歳)と会った際に「ミングァン、お前のことは一日も忘れたことはない」と涙し、早還暦を過ぎ、白髪の交じった息子を抱いていた。李ウォンシクさんも再会した83歳の姉と弟から「案じ続けていた両親が亡くなった」ことを聞かされ嗚咽していた。

 今回、南北は双方とも事前に参加者家族の生死確認を依頼していたが、韓国は北朝鮮から依頼された200人のうち129人(生存122人)について、北朝鮮は韓国が依頼した250人のうち163人(生存122人)についてそれぞれ安否を確認し、その中かから今回、韓国側は抽選で93人、北朝鮮側は88人が選ばれているが、韓国側は80代、90歳代と高齢者が多く、体調不良などで参加できない人もいるとのこと。なお、韓国側の最高齢者は101歳の男性で、北朝鮮にいる息子の妻、孫と再会するとのことである。



2018年8月17日(金)

「金永春元人民武力相国葬」から見て取れる北朝鮮党・軍幹部の序列

金正日時代の金永春人民武力相(金正恩委員長の左隣)(写真:アフロ)


 金正日総書記時代(1994年7月−2011年12月)に軍総参謀長(1995年10月―2009年1月)、人民武力相(2009年2月―2012年4月)を歴任し、国防副委員長(2007年3月―2014年4月)も兼ね、人民武力相辞任後も党部長(金委員長の軍事アドバイザー)、人民武力省総顧問(2014年4月〜)という要職にあった金永春元帥(82歳)が死去した。

 金正日総書記が死去した際の葬儀で霊柩車を護衛した「軍部4人衆」の一人でもあった金永春元帥の葬儀を北朝鮮は国葬とし、金正恩委員長を葬儀委員長に151人から成る葬儀委員会を構成したが、発表された葬儀委員は金永南最高人民会議常任委員長、崔龍海党組織指導部部長、朴奉柱内閣総理ら3人の政治局常務委員に続き、93歳と最高齢の楊享變最高人民会議副委員長を筆頭に13人の政治局員が順当に名を連ねていた。

 但し、政治局員では唯一、朴英植前人民武力相だけがオミットされていた。朴英植大将は南北首脳会談後の5月に開かれた党中央軍事委員会拡大会議(日時未定)で人民武力相を解任されたが、その際に政治局員からも除外されたものとみられる。同じ時期に軍総政治局長を解任された金正角次帥や軍総参謀総長を更迭された李明秀次帥らがいずれも葬儀委員に名を連ねているだけに奇妙である。

 政治局員に続いて平昌五輪に出席した崔希党第一副部長をはじめ数日前に平壌市党委員長に就任していたことが判明した金能五氏を含め11人の政治局委員候補がリストアップされたが、政治局員候補である金正恩委員長の実妹の金与正党第一副部長(宣伝担当)だけが唯一含まれてなかった。

 昨年「規律違反」を理由に軍総政治局長を解任されていた黄炳誓氏は最近、党第一副部長に復職したことが確認されたが、軍総政治局長の解任と同時に政治局常務委員、政治局員、軍事委員のいずれの肩書も外されていたことが明白となった。

 葬儀委員の序列では黄炳誓氏は同じ党第一副部長(組織指導部担当)である実力者・金京玉氏の次の41位にランクされていた。軍事委員でもあり金正日総書記から大将の称号を与えられている金京玉氏は「北朝鮮の黒田官兵衛」とも称される「軍帥」「策士」として知られている。

 軍人では5月に軍総参謀総長の職を解かれ、老兵に退いたはずの84歳の李明秀次帥がトップ(全体で6位)。続いて軍総政治局長の李守吉大将(20位)、軍総参謀長の李永吉大将(21位)、人民武力相の呂光鉄大将(22位)の三役が並び、以下、前軍総政治局長の金正角次帥(43位)、朴秀一(不詳=44位)、人民武力省第一次官の徐興賛大将(45位)、昨年10月に軍偵察局長に就任した張吉成上将(46位)、軍総政治局副局長(組織担当)の孫哲柱上将(47位)、2010年4月から軍保衛司令官(保衛局長)の座にある趙ギョンチョル大将(48位)、軍総政治局副局長(宣伝担当)の李斗成中将(49位)と続いている。

 葬儀委員のリストに入ってない軍人では、前出の前人民武力相の朴英植大将、護衛司令官の尹正麟大将、軍副総参謀総長の李英柱海軍中将、同じく軍副総参謀総長の金楽淳中将、戦略軍司令官(ミサイル指導局長)の金洛謙大将、第1軍団長(第963部隊長)の金成徳上将、第4軍団長の李成国上将、第5軍団長の張正男上将、第9軍団長(第264大連合部隊長)の金誠日上将、それに人民武力省次官の洪栄質、申相大らがいる。

 金ファミリーの警護を担当するだけでなく、クーデターや人民蜂起を鎮圧する部隊でもある護衛司令部の司令官・尹正麟大将は金正恩委員長が後継者となった2010年4月に護衛司令官に就任している。金正日総書記の国葬では趙ギョンチョル保衛司令官が60位で、尹正麟護衛司令官は63位にランクされていた。

 また、金正恩体制発足2年目の2013年5月に軍No3の人民武力相に昇進していた張正男第5軍団長は2014年6月に更迭され、東部前線の5軍の団長に事実上「左遷」されたが、2015年2月に中央軍事委員会拡大会議に出席したのを最後に動静が伝えられてなかった。今年4月12日に放送された「金正恩最高水位推戴6周年中央報告大会」では大佐の階級に降格していたことが判明した。

 また、戦略軍司令官(ミサイル指導局長)の金洛謙大将も昨年9月15日の金正恩委員長に伴って中長距離弾道ミサイル「火星12」発射訓練に姿を現して以来、昨年11月29日のICBM「火星15」の発射にも立ち会わず、動静が途絶えたままである。

 今年2月に朝鮮人民軍健軍70周年を記念して行われた軍事パレードでは戦略軍(司令官:金洛謙大将)が取りを務めていたが、ミサイル開発のトリオの一人である張昌河上将(党軍需工業部副部長)が部隊を率いていた。

 今回、軍長老の葬儀委員に名前が挙がらなかった軍人らは人事交代によるものと推察されるが、誰に交代したのか、後任者については掴めてない。



2018年8月16日(木)

韓国の大統領に「日朝」「拉致問題」の仲介ができるだろうか?

板門店で会談した文在寅大統領と金正恩委員長(提供:The Presidential Blue House/ロイター/アフロ)


 文在寅大統領は昨日(15日)、日本の植民地統治からの解放日である「8.15光復節」の記念式典での演説で「安倍晋三総理と韓日関係を未来志向的に発展させ、朝鮮半島と北東アジアの平和繁栄のため、緊密に協力していくことにした」と述べ、「この協力は結局、日朝関係正常化へ繋がっていくだろう」と述べていた。

 文大統領が突如、日朝関係について言及したのは自身の構想である北東アジア6カ国(韓国、北朝鮮、中国、モンゴル、ロシア、日本)と米国でつくる「東アジア鉄道共同体」の実現のためだ。文大統領は朝鮮半島縦断鉄道とロシアのシベリア鉄道と中国の満州鉄道を連結させることで「北東アジアにおける共生・繁栄の大動脈をつくる」ことを真剣に考えているようだ。

 文大統領が「東アジア鉄道共同体」構想実現のためには日朝関係正常化が不可欠とみなしているならば、来月平壌で開催予定の今年3度目となる南北首脳会談の場で金正恩委員長に日本との関係改善に乗り出すよう働きかけるかもしれないが、日本の立場からすれば、懸案の拉致問題が解決されなければ、北朝鮮と国交を結ぶことはできない。

 では、文大統領に拉致問題解決に向けた秘策でもあるのだろうか?米朝首脳会談を仲介したように日朝首脳会談をアレンジできたとしても、それが拉致問題の解決に繋がるのだろうか?

 北朝鮮は2014年5月の「ストックホルム合意」に基づき、客観性を持った実効性のある再調査、特に拉致を実行した特殊機関も調査できる権限を持った権力機関(国家安全保衛省)による全面的な再調査を求めた日本側の要請に応じ、再調査委員会を立ち上げ、再調査を開始した。

 肝心の再調査の結果は2016年に北朝鮮が核実験とミサイル発射実験を強行したことから凍結、棚上げとなっているが、日朝政府間協議が再開されれば、日本政府としては再調査を要請した手前、再調査結果を受け取らざるを得ない。

 安倍総理は北朝鮮に対して「正直に、そのままに、決して虚偽をまぜることなく伝えてもらいたい」と強く要請しているが、国民感情からすれば、横田めぐみさんをはじめとする政府認定の拉致被害者が生存、帰国してこそ、また拉致されたかもしれない多くの特定失踪者が出てきてこそ北朝鮮の調査結果は「合格」という評価になる。逆に過去同様に再びゼロ回答ならば「またも嘘をついている」と「不合格」の烙印を押すことになるだろう。

 北朝鮮の再調査の回答が真実か、虚偽か、一体何を持って判別すればよいのか、その基準と尺度は確かに難しい。しかし、それでも日本側には北朝鮮の再調査結果を精査、査定する定規はあるはずだ。

 例えば、帰国を果たした拉致被害者の証言では、北朝鮮が明らかにしていない拉致被害者とおぼしき日本人がいる。蓮池薫さんは6年前、某テレビ局とのインタビューで「いまここで何人、どなたかということは言えないが」と断った上で「背の低いやや太った中年男性」や「中国料理を作るのが上手な料理人」と抽象的な表現ながらも複数の日本人の存在を口にしていた。曽我ひとみさんもまた、北朝鮮抑留中に平壌の遊園地付近で拉致されたとみられる「20歳ぐらいの日本人男女」を目撃している。

 帰国した拉致被害者らが「残された拉致被害者が一日でも早く家族に再会できるよう互いに元気でいてほしい」と一様に言っているところをみると、「拉致被害者はもういない」というこれまでの北朝鮮当局の説明は「嘘」ということに尽きる。

 未帰還者が政府認定者なのか、特定失踪者なのか、すでに政府は彼らの証言を基に人物を特定しているものと思われる。従って、今回の調査結果にこれらの人物に関する言及がなければ、日本政府とすれば、北朝鮮の調査報告書を突き返すほかないだろう。

 この他にも幾つか判断基準がある。そのうちの一つは、田口八重子さんに関する安否である。北朝鮮が1987年に発生した大韓航空(KAL)機爆破事件の実行犯である金賢姫に日本語を教えたとされる「李恩恵」こと田口八重子さんをどう扱うかだ。

 北朝鮮は今日までKAL機爆破事件を「韓国のでっち上げ」、「北の工作員である」ことを自供した金賢姫は「我が国の国民ではない」、李恩恵については「存在しない」との立場だ。今回もまた、田口八重子さんと李恩恵とは別人との前提で「死亡」を通告するようだと、日本からすれば北朝鮮の調査結果は「虚偽」ということになる。

 北朝鮮にとって田口さんの生存を認め、日本に引き渡すことは、即ちKAL機爆破を、テロを認めることになる。そうなれば、韓国政府に正式に謝罪しなければならず、亡くなった115人の乗客への巨額の賠償問題も発生する。

 今回の調査は厳密に言うと、3度目の調査(1回目は2002年、2回目は2004年)となる。それも拉致に無縁な金正恩体制下で行われる調査であり、かつ日本の要望に応え特別な権限を持った特別調査委員会による最後の調査である。従って、過去と同じ結果ならば日本が求める拉致問題の解決も文大統領が望む日朝国交正常化も半永久的に不可能となる。

 政府認定の拉致被害者の中に生存者がいるならばこれまでの「1人もいない」から「いる」に、「他に拉致被害者はいない」から「いた」に北朝鮮の調査結果を180度翻すには「黒」を「白」に変えられる人物の政治判断しかない。それができるのは正に金正恩委員長一人しかいないが、文大統領にそうした説得ができるだろうか?



2018年8月15日(水)

北朝鮮での「日本人観光客拘束事件」を検証する

日朝政府間協議(写真:ロイター/アフロ)


 観光で北朝鮮を訪れていた日本人男性が身柄を拘束されたようだ。単独旅行ではなく、ツアーで入っていたようだが、情報収集に努めているとされる日本政府からはまだ身元も含め詳細については一切明らかにされていない。

 逮捕された場所が首都・平壌ではなく、平壌から西方55km離れた南浦とも伝えられているが、南浦は新石器時代の巨石墓や2004年にユネスコ世界遺産に指定された産高句麗時代の壁画古墳がある。また、西海(黄海)海域8kmを塞き止めて建設された巨大な河口ダム「西海閘門」がある。北朝鮮唯一のゴルフ場「平壌ゴルフ場」も南浦にある。高句麗壁画古墳―西海閘門―平壌ゴルフ場が観光コースとなっていることからツアー客は南浦に案内されたのだろう。外国人が許可なく、勝手に行けるような所ではない。

 南浦は観光名所だけでなく、海軍の造船所のある軍港としても知られている。海軍基地もあれば、偵察総局傘下の工作機関・西海岸連絡所の一つである南浦連絡所もあれば、米国のメディアが取り上げている秘密の濃縮ウラン施設もある。今から3年前の2015年3月には日本海に向けてスカッドミサイル2発が発射されていた。

 身柄を拘束された日本人男性は映像関係者と言われていることから撮ってはならない場所を撮ってしまったため「スパイ容疑」を掛けられた可能性が多分に考えられるが、北朝鮮観光は今回が初めてではなく、過去にも北朝鮮訪問歴があるだけに北朝鮮公安当局からマークされていたのだろう。その一方で、仮に北朝鮮が今後の日朝交渉の取引材料として「人質」を必要としていたならば、罠にかかったか、あるいはでっち上げられた可能性も考えられなくもない。

 日本人が北朝鮮で身柄を拘束されたケースは何も今回が初めてではない。過去にも何件もある。

 最も古いのは1983年に発生した貨物船「第十八富士山丸事件」である。船長と機関長が北朝鮮兵士の密航補助と「スパイ」容疑で逮捕され、7年もの間、北朝鮮に抑留されていた。また、1999年には元日本経済新聞の記者が「スパイ容疑」で逮捕され、2年2カ月間にわたって拘束されていた。

 珍例では、2003年8月に中朝国境の鴨緑江を運航する遊覧船から飛び降りて北朝鮮に渡り、亡命を申請した日本人女性がいる。亡命を拒まれた結果、「不法入国」で身柄を拘束され、2005年11月まで2年3カ月間、北朝鮮で抑留されていた。

 この他にも麻薬密輸容疑で2003年に逮捕され、5年以上も拘束された日本人男性もいる。また、2011年にも同じく麻薬密輸容疑で中露の国境に近い最北端の羅先市で日本人男性二人が逮捕され、身柄を拘束された事件も起きている。

 政治決着で釈放された「第十八富士山丸事件」以外は金銭で決着が付いている。例えば、元日経記者の釈放には2千万円前後の金が、また日本人女性の引き渡しでは数百万の金が北朝鮮に支払われたと言われているが、北朝鮮はこの二人については拘置所ではなく、ホテルや招待所に宿泊させていたことから長期間にわたる「滞在費用」の支払いを求めたとの言い分だった。

 麻薬密輸容疑で羅先で身柄を拘束された日本人男性二人については「麻薬と偽造貨幣の犯罪で関係機関が司法処理を進めている」と北朝鮮は日本に通告していたが、最終的には裁判に掛けられ、判決が出る前に「多額の保謝金」が支払われ、決着が付いたとされているが、金額については不明だ。

 今回の「日本人観光客身柄拘束事件」について北朝鮮当局は沈黙を守ったままだが、「スパイ容疑」ならば取り調べが済み次第、公表されるだろうが、2010年4月に逮捕された韓国系米国人宣教師(チョン・ヨンス)の場合は、半年以上も伏せられ、北朝鮮当局は11月になって逮捕の事実を公表していた。

 また、2012年11月に旅行先の羅先で身柄を拘束された観光業を営む韓国系米国人(ペ・ジュンホ)の場合も拘束から40日目にして「共和国に敵対する犯罪容疑で拘束した」と発表していた。従って、必ずしも、直ちに発表するとは限らないが、それでも公になってしまった以上は、近々、発表するのではないだろうか。

 今回のケースと似たようなケースとしては2013年10月の元米兵メリル・ニューマン氏の身柄拘束事件がある。

 北京の旅行会社を通じてツアーで北朝鮮に入った当時85歳のニューマン氏は北朝鮮を出発する直前、飛行機から連れ出され、身柄を拘束された。幸い高齢ということもあって「国外追放」という形で解放されたが、それでも拘束から42日間も要した。

 また、翌年の2014年4月にも観光で訪朝し、日本海に面した清津を旅行中に滞在していたホテルの部屋に聖書を置いていったため出国直前に逮捕された米国人ジェフリー・ファウル氏も釈放までに半年もかかっている。

 さらに、2015年にも2月にカナダ人牧師(イム・ヒョンス)が、10月に韓国系米国人(キム・ドンチョル)が相次いで身柄を拘束され、カナダ人牧師は終身刑(無期懲役)を、韓国系米国人は10年の刑を宣告されていた。いずれも罪状は「スパイ罪」や「国家転覆陰謀罪」だった。

 韓国系米国人のキム・ドンチョル氏は今年5月にポンペオ国務長官が訪朝し、昨年4月〜5月にかけて「スパイ容疑」で身柄を拘束されていた同じ韓国系米国人のキム・サンドク氏とキム・ハクソン氏と共に引き取り、米国に連れ帰っており、カナダ人牧師のイム・ヒョンス氏も今年8月に病気を理由に釈放され、カナダに帰国することができた。

 今回、日本人がスパイ容疑で逮捕されたのが事実ならば、裁判に掛けられ、有罪となれば、政治決着にせよ、金銭にせよ、日本政府には負担となるだろう。



2018年8月9日(木)

反米国家「北朝鮮―イラン」の対米不協和音

李容浩外相とモハンマドジャバド・ザリフ外相(IRNA)


 シンガポールで開かれた東南アジア諸国連合(ASEAN)地域フォーラム(ARF)に出席した李容浩外相は7日、帰途イランに立ち寄り、モハンマドジャバド・ザリフ外相と会談した。

 かつてブッシュ政権からイラクと並び「悪の枢軸」とのレッテルを張られた北朝鮮とイランは1979年のイラン革命によるホメイニー政権発足以後同盟関係にあり、核とミサイル開発でも協力関係にはあるが、対米外交(核交渉)では共同歩調を取っているとは言い難い。

 ▲北朝鮮とイラン

 例えば、イランは2015年7月15日、国連安保理の経済制裁発動から9年目にしてオバマ政権下の米国を相手に制裁解除を条件に核保有、核武装をしないことを宣言したが、このイランの決定に北朝鮮外務省は7月21日、「イランの核合意は自主的な核活動権利を認定させ、制裁を解除するための長期間の努力で得た成果である」とイランへの配慮から一定の評価をしつつも「イランの次は北朝鮮」との国際社会の声に「イランと我々とは実情が異なる。結び付けること自体が話にならない」との談話を出して、反発していた。

 「名実共に核保有国であり、核保有国には核保有国としての利害関係がある」と、まだ核を保有してないイランとの違いを殊更強調した上で「一方的に先に核を凍結したり、放棄したりすることを論じる(米国との)対話には全く関心がない」とイランに倣う気がないことを明かにし、「一方的に、先に核を凍結、放棄した」イランへの不快感を示していた。

 北朝鮮は「我々の核抑止力は我が国の自主権と生存権を守るための必須手段であって交渉のテーブルに乗せ、取引することはない」と突っ張っていたが、3年経った今年6月12日、金正恩委員長はシンガポールでトランプ大統領に会い、米国による安全保証を担保に「完全なる非核化」を約束してしまった。

 すると、今度は、イランが「朝鮮半島の平和と安定を望み、それに寄与する措置を歓迎する」としながらも「北朝鮮の指導者はどのような種の人間と交渉しているのか分かっているのか」と金正恩委員長がトランプ大統領を相手に会談したことに不満を示し、北朝鮮に対して「米国の本質は楽観できるものではなく、注意深く対応すべきだ」と注文を付けていた。

 イランは金委員長が求めた米朝首脳会談について「米国の振る舞いや意図については懐疑的であり、極めて悲観的に見ている」と冷淡な反応を示す一方で、トランプ政権の「イランが望めば会う」との対話の呼び掛けに最高指導者ハメネイ師直属の精鋭軍事組織「革命防衛隊」のジャファリ司令官は「イランは会談を受け入れた北朝鮮とは違う」と、3年前の北朝鮮と同じようなことを言っていた。

 振り返れば、対米交渉をめぐる「反米国家」の北朝鮮とイランの足並みの乱れは、かつて「反米同士」であった北朝鮮とリビアのそれと酷似している。

 ▲北朝鮮とリビア

 北朝鮮が1994年10月、クリントン政権下の米国とジュネーブで体制保障を条件に核放棄の合意を交わした際、当時リビアの最高指導者だったカダフィ大佐は北朝鮮を辛らつに非難した。

 カダフィ大佐は「昨日まで反米国家だった北朝鮮は金日成主席が死ぬや反帝国主義の路線から離脱し、米国の浸透を許している」と激怒し、「北朝鮮の反帝国主義路線は詐欺だった。北朝鮮の国民は金正日に騙されている」と金正日政権を扱き下ろした。

 「反帝・反米」の旗印の下で長い間、同盟関係にあっただけにアジアの「反米チャンピオン」の「核放棄」決断はカダフィ大佐には「背信行為」に映っていた。しかし、それから9年後、今度は一転、リビアが米国と交渉を開始し、核放棄の決断を行った。

 カダフィ政権は2003年12月に核計画放棄を宣言すると共にブッシュ政権に大量殺傷兵器(WMD)の破棄を約束し、翌年(2004年)国際原子力機関(IAEA)の査察を受け入れ、大量破壊兵器関連施設の廃棄に着手した。経済制裁の緩和と外交関係の回復及びテロ支援国リストからの解除を取り付けるための「究極的な選択」であった。

 カダフィ大佐は前言を翻し、北朝鮮に対して「核査察に開放的であるべきだ。自らの国民に悲劇が降りかかるのを防ぐためにも北朝鮮は我々を見習うべきだ」とリビアに倣うように進言したが、今度は金正日総書記が労働新聞を通じて「帝国主義者の威嚇・恐喝に負けて、戦う前にそれまで築いてきた国防力を自分の手で破壊し、放棄する国がある。恥知らずにも、他の国に対して『模範』に見習えと、勧告までしている」とカダフィ政権を痛烈に批判していた。

 この応酬後、両国の関係は半ば絶縁状態に陥っていたが、2011年10月にカダフィ大佐が米仏の支援を受けた反政府勢力によって拘束、殺害され、42年間続いたカダフィ政権が終焉してしまった。

 北朝鮮は当時、崩壊したカダフィ政権について「制度転覆を企図する米国と西側の圧力に屈し、あちこち引きずられ核開発の土台を完全に潰され、自ら核を放棄した結果、破滅の運命を避けることができなかった」との烙印を押していた。

 イランはトランプ政権がイラン核合意からの一方的な離脱を表明したことから「この男(トランプ大統領)は米国民を代表しておらず、有権者が次の選挙で距離を置くことは明白だ」と、「トランプ相手にせず」との立場でいるが、北朝鮮は金委員長がトランプ大統領宛の親書でトランプ大統領を「強い意思と誠実な努力」の持ち主であると評価し、トランプ大統領を相手にする立場を鮮明にしていることから李外相の今回のイラン訪問の結果が注目される。



2018年8月3日(金)

例外、例外、また例外で崩れる「北朝鮮制裁の壁」

南北縦断鉄道復旧で握手する韓国と北朝鮮の鉄道員(写真:ロイター/アフロ)


 金正恩委員長が掌を反して、それまで拒んでいた「非核化」を前提にシンガポールでトランプ大統領と首脳会談を行った最大の理由は、米国から体制保障(安全保障)を取り付けることだ。北朝鮮にとっての体制保障とは、米国による敵視・敵対政策の撤回、即ち軍事攻撃をしないことと北朝鮮の経済を窒息させないことだ。

 前者については平和協定の締結、その前段階としての戦争終結宣言を、後者についてはずばり国連による経済制裁の撤回を強く求めているが、米国も国連(安保理)も北朝鮮が「完全な非核化」に向け、具体的な行動を取るまでは戦争終結宣言にも、制裁の緩和、解除にも応じない方針だ。

 しかし、その一方で、後者については北朝鮮との関係改善に意欲を燃やす韓国の文在寅政権が「特例」や「例外」措置を次々と要請し、それが受け入れられていることから北朝鮮に対する制裁の壁が徐々にではあるが、崩れつつあるようだ。

 韓国政府はすでに2月の平昌冬季五輪に北朝鮮を参加させるため国連の制裁対象人物である崔輝・国家体育指導委員長と、米国独自の制裁となっていた金正恩委員長の妹・金与正氏の二人を国連と米国から「例外」認定を取り付け入国させ、加えて「哨戒艦撃沈事件」(2010年発生)の張本人とみなしていた金英哲党副委員長(前偵察総局長)までも韓国のブラックリストから外して入国させていた。

 また、平昌五輪を前に北朝鮮の馬息嶺スキー場での南北合同練習に韓国の選手らを参加させる名目でアシアナ航空機を北朝鮮に向け飛ばしたが、本来ならば「北朝鮮を経由した航空機の米国への入国を180日間禁止する」という米国の行政命令に抵触する行為だった。この平昌五輪では韓国政府は「三池淵管弦楽団」(114人)らの宿泊費を含め北朝鮮代表団に対し約3億円を南北交流基金から支出していた。

 平昌五輪後も朝鮮半島の軍事的緊張緩和を盛り込んだ「板門店宣言」に則り、南北将官級軍事会談(6月14日)を開き、黄海(西海)側の南北ホットライン(通信線)を復旧させたが、これに伴う北朝鮮への光ケーブルなどの関連装備や文書交換用のファクスの供与を安保理の制裁から「例外」扱いとさせていた。

 さらに、今月20〜26日にかけて北朝鮮側の金剛山で行う予定の朝鮮戦争離散家族再会事業(南北100人ずつ)のため7月9日から面会所や宿舎となる金剛山ホテルの改修作業のため韓国から60人が派遣され、支援にあたっているが、費用は全額韓国側の負担である。

 南北離散家族再会事業は2015年10月を最後に行われておらず、約3年間面会所などが使用されていない。韓国政府は設備運営のため北朝鮮への輸出が禁じられているガソリンなど一部品目について例外的に輸出を認めるよう国連安保理に要請しているが、これまたすでに「例外」として認められている。

 また、「板門店宣言」では北朝鮮側の開城工業団地内に南北当局者が常駐する共同連絡事務所を設置することにも合意しているが、開設となれば、発電機を稼働させるための燃料供給などが必要となるため韓国政府は現在、国連に北朝鮮制裁免除を要請している。

 この他に南北を結ぶ東海線・京義線鉄道の南北連結区間の復旧に向けて7月20〜24日にかけて東海線の北朝鮮側連結区間(金剛山青年駅―軍事境界線)と京義線の北朝鮮側区間(開城―新義州)の工事や信号・通信設備の点検作業が韓国主導で行われたほか、山林分野の協力に関する南北分科会議(7月4日)も開かれ、韓国政府は伐採や開墾で荒廃した北朝鮮の山林復興に向け協力することを約束している。

 北朝鮮は2008年時点で山林全体の面積の32%にあたる284万ヘクタールが荒廃し、これによる洪水や山崩れなどが社会的、経済的被害を増大させている。どれもこれも、韓国側の支援が前提となっている。

 南北間では文化、スポーツ交流も目白押しで、すでに先月は平壌で開かれた南北統一バスケットボール大会(7月3〜6日)に韓国代表選手団(100人)が軍用機2機に分乗して訪朝し、逆に韓国の大田で開催されたコリアオープン卓球大会(7月17日〜22日)には北朝鮮が選手16人とコーチ合わせて25人を派遣していた。

 今月にはインドネシアで開かれるアジア大会(8月18〜9月2日)にバスケットボール、カヌー・ドラゴンボート、ボートの3競技で南北合同チームが結成されるほか、慶尚南道・昌原で開催される世界射撃選手権大会(8月31〜9月14日)とソウルで韓国の2大労組(韓国労総と民主労総)が主催する「南北労働者統一サッカー大会」(8月10〜12日)にも北朝鮮は選手団を派遣する予定にある。秋には今度は韓国で南北統一バスケ大会が開催されることにもなっている。これらのイベントでも恐らく「例外」措置が取られることになるだろう。

 南北問題を管轄している韓国統一部は国連安保理に対北朝鮮制裁の免除要請は「制裁緩和のためのアプローチではない」と説明しているが、先月訪米した康京和外相はポンペオ国務長官と共同で安保理理事国を対象に行った会見(7月20日)で「北朝鮮との対話・協力に向け必要な部分では限定的な制裁免除が必要である」と強調していることから南北交流・協力が増大すればするほど、韓国では北朝鮮制裁は形骸化していくかもしれない。



2018年8月1日(水)

南北・米朝首脳会談後に著しく変化した韓国人の「対北意識」

抱擁する南北首脳(提供:The Presidential Blue House/ロイター/アフロ)


 韓国の文化体育観光部は昨日(31日)、6月26日から7月6日にかけて世論調査機関の「韓国リサーチ」に委託して全国成人男女1、521人を対象に実施した「南北関係に対する韓国国民の意識調査」結果を発表した。

 それによると、韓国を取り巻く現在の安全保障状況に関する認識では「安定している」(52.9%)と「不安定である」(47.1%)がほぼ拮抗していたが、来年(2019年)の安保状況については「改善される」が84.2%と、多くが楽観視していることがわかった。

 また、朝鮮半島の平和構築のための協力パートナーとしては「南北協力」が70.9%と最も多く、「米韓協調」(17.6%)と「米朝協調」(8.8%)を大幅に上回っていた。文在寅政権の外交・安保政策については75.1%が「よくやっている」と高く評価していた。

 国際社会が最も関心を寄せている北朝鮮の核放棄については43.2%が「放棄しない」と答え、「放棄する」の33.7%を約10ポイントも上回る結果となり、韓国民が悲観的にみていることが明らかになった。

 その理由に関する直接的な設問はなかったが、シンガポールでの米朝首脳会談での約束事項に関する設問では「米国は約束を履行する」が65.1%で、「履行しない」(29.8%)を2倍以上上回ったのに対して北朝鮮については「約束を履行する」が54.9%と、米国のそれよりも10%以上も低く、「履行しない」が逆に39.2%と10%も高かったことからみて北朝鮮への不信感が災いしているようだ。

 従って、今後、韓国民が求める優先課題としては1位が「北朝鮮の非核化措置」で、続いて「平和協定の締結」「南北間の経済協力」「北朝鮮の改革・開放」「南北離散家族の再会」の順となっている。意外なのは「北朝鮮は改革、開放に向かうか」の設問に回答者の85.1%が「YES」と答え、楽観的に捉えていたことだ。

 韓国民の究極的課題である「南北統一」については「長期的に可能」との回答が79.6%もあり、国民10人のうち8人が統一を肯定的に展望していることがわかった。それでも「近いうちに可能」との回答は3.9%と極めて低い。統一に向けての現実的方策としては「斬新的な統一」が望ましいとの回答が最も多く62.9%を占めていた。

 また、「統一によって韓国民が得る社会・経済的利益」に関する設問では「利益は大きい」との回答が64.6%に達し、「利益にはならない」(26.7%)を大きく上回っていた。また、統一税への反感が強かった2010年(李明博保守政権)の調査時とは異なり、統一費用支出に関する質問では半数近い47.1%が統一費用を用意するために追加税金を出すことに賛成していたが、「負担しない」も30.6%もあった。適切な統一税の負担額については「毎月約1、000〜2、000円未満が望ましい」が26.2%と最も多かった。

 なお、韓国民の北朝鮮に対する感情やイメージについては「肯定」と「否定」が交錯しており、現在の韓国民の複雑な感情をそのまま表していることもわかった。

 例えば、78.4%が北朝鮮を「韓国の安全を脅かす対象」と捉え、70.2%が「警戒すべき対象」とみている反面、その一方で77.6%が「力を合わせて協力していく対象」、76.3%が「究極的には統一すべき対象」とみていた。

 今回の世論調査結果については韓国のメディアの見出しも様々で核問題に関する世論調査結果を重視したのが「文化日報」と経済紙「韓国経済」で、文化日報は「北朝鮮の非核化が優先、文政府は直視せよ」との見出しを掲げ、世論調査結果を伝えていた。

 一方、統一問題にウエィトを置いたのが「東亜日報」と「KBS」と「News1」で一斉に「10人中8人が統一は可能」との見出しで報じていたが、「聯合ニュース」は「10人中8人、統一は可能とみているが、最優先政策としては北の非核化」と「統一」と「核」を平行して見出しに載せていた。

 異色なのは保守系の「中央日報」で今回の世論調査では83.6%が「北朝鮮は韓民族(同じ民族)である」と回答していたが、「中央日報」一紙だけは「20代の10人中、3人は『北朝鮮は韓民族ではない』保守化明白」との見出しを掲げ、韓国の若者の3割近くが北朝鮮を同一民族とみなしていないことを強調していた。ちなみに「同じ民族とはみない」との回答は50代では10.5%にとどまっていた。

 同紙は「20代が北朝鮮に対して感じる好感度を表す感情温度は46.6度で、中間数値である50度より低い。これは30〜40代の50度に比べても低い水準だ」と分析していた。



2018年7月30日(月)

注目されるシンガポールでの日朝外相会談

昨年フィリピンで開催されたASEAN地域フォーラムでの河野太郎外相(写真:ロイター/アフロ)


 本日(30日)から史上初の米朝首脳会談が行われたシンガポールで第25回ASEAN(東南アジア諸国連合)地域フォーラム(ARF)が開かれる。

 日米中ロ及び南北から外相が出席すれば、米中、米露、米朝、中朝、中露、南北、日中、日韓など各国による個別の外相会談が行われることになるだろう。

 北朝鮮による朝鮮戦争戦死者の遺骨返還直後だけに非核化と体制保障をめぐるポンペオ国務長官と李容浩外相との会談が最も注目されるが、北朝鮮が求めている戦争終結宣言にトランプ政権が前向きに対応するならば、韓国の康京和外相を加えた3者会談、あるいは中国の王毅外相を含む4者会談がシンガポールを舞台に行われる可能性もゼロではない。

 日本にとって最も注目すべきは、河野太郎外相と李容浩外相との日朝外相会談の有無である。

 過去を振り返ると、福田政権下2008年に同じくシンガポールで開催されたARFでは高村外相と朴宜春外相が7月23日に接触し、高村外相が「諸懸案を解決し、日朝関係を進めよう」と要請したところ、朴外相は「同意する」と返答。それから約20日後に中国・瀋陽で日朝政府間実務者協議が再開され、北朝鮮は拉致被害者の再調査を行うことに同意していた。

 当時、日本側が人的往来の規制と航空チャーター便の規制解除を実施する用意がある旨表明し、北朝鮮もまた生存者を発見し、帰国させるための拉致被害者に関する全面的な調査を行うことで両国は8月12日に合意を交わしていた。

 この時も2014年5月の「ストックホルム合意」同様に調査対象には日本政府が認定した拉致被害者やその他に提起された行方不明者(特定失踪者)を対象とすること▲調査は権限が与えられた北朝鮮の調査委員会によって迅速に行い、可能な限り秋には終了することを北朝鮮に確約させたが、福田総理が9月1日に辞任したことで頓挫してしまった。

 「ストックホルム合意」1年後の2015年8月6日にマレーシアで行われた岸田外相と李容浩外相との会談は「やっとつかんだ糸口は放してはならない」とする安倍晋三総理の指示の下、北朝鮮側と事前折衝の末、実現したが、大きな進展は見られなかった。

 翌2016年(ラオス)は日本側に最初からその意思がなかったのか、あるいは働きかけたのに、断られたのか、定かではないが、岸田―李会談は不発に終わってしまった。

 昨年(フィリピン)は2年ぶりに接触があり、河野外相が李外相に「日朝平壌宣言に基づき、拉致・核・ミサイルを、包括的に解決するというのが日本の立場」ということを伝えたようだが、北朝鮮が直後の9月3日に6回目の核実験を強行したため本格的な日朝交渉再開に繋げることができなかった。

 日朝政府間交渉は行き詰まったままだが、北朝鮮が今年4月に核実験とミサイル発射の中断を宣言し、また史上初の米朝首脳会談が実現し、核・ミサイル問題をめぐる米朝交渉が再開され、南北の2度にわたる首脳会談により南北関係も好転するなど周辺環境が著しく改善されたことで日朝外相会談が実現すれば、拉致問題をめぐる日朝政府間交渉も始動することになるだろう。

 何よりも、安倍首相の要請を受け、文在寅大統領とトランプ大統領が首脳会談の場で金正恩委員長に「核・ ミサイル・拉致問題の全ての諸懸案を包括的に解決し、国交正常化を目指す考えに変わりはない」との日本側のメッセージを金委員長に直接伝え、これに対して金委員長が「なぜ日本は拉致問題を我々に直接言ってこないのか」と、直接要請があれば、日朝交渉に応じる用意があることを表明していることからも期待が持てる。

 米朝首脳会談直後から安倍首相は「拉致問題は最終的には私と金委員長の間、日朝間で解決しなければならない」と述べ、最近では繰り返し「相互不信という殻を破って一歩踏み出し、解決したい。信頼関係を醸成していきたい」と語るなど、これまでと違って積極的な姿勢を示していることから金委員長がこれに応えれば、9月の自民党総裁選前後には日朝交渉が再開され、米朝会談の進展次第では年内の日朝首脳会談もあり得るだろう。

 日朝政府間交渉が再開され、拉致問題解決の糸口を見出すことができるか、シンガポールでの日朝外相会談に注目したい。



2018年7月27日(金)

「形骸化された」休戦協定――65年目にして戦争終結となるか

米国、北朝鮮、中国がサインした朝鮮戦争休戦協定(左が金日成)(写真:ロイター/アフロ)


 今日(7月27日)は朝鮮戦争(1950-53年)休戦(停戦)日である。今年は休戦協定の締結からちょうど65年目となる。

 北朝鮮は非核化の条件として米国に安全保障を要求しているが、その最優先事項が休戦協定から平和協定への移行である。

 今年4月の南北首脳会談では「休戦協定締結から65年となる今年に終戦を宣言し、休戦協定を平和協定に転換し、恒久的で堅固な平和体制の構築に向けた南北米の3者または南北米中の4者会談開催を積極的に推進していく」ことが宣言された。また、6月の史上初の米朝首脳会談でも「朝鮮半島の持続的かつ安定的な平和を構築するため、共に努力する」ことで意見の一致をみている。

 第二次世界大戦最後の冷戦地帯でもあり、南北双方合わせて100万以上の軍人が対峙するアジアの火薬庫と称される朝鮮半島は今もなお、国際法的には「撃ち方止め」の状態が続いているに過ぎない。休戦協定はあってないに等しく、実質的に形骸化している。

 例えば、休戦協定第1条第6項の「双方は、いずれも非武装地帯内で又は非武装地帯に向かっていかなる敵対行為を行ってはならない」も7項の「軍事停戦委員会に許可しない限り、いかなる軍人又は文民も軍事境界線を越えることはできない」は順守されておらず、第2条の「(朝鮮半島の)国境外からの増援や軍事要員を入れることを停止する」も「(朝鮮半島の)国境外からの増援の作戦用航空機、装甲車及び弾薬を持ち込むことを停止する」も骨抜きになっている。

 何よりも、問題なのは1953年7月27日に締結された休戦協定を維持してきた軍事停戦委員会が1991年3月以来、一度も開かれてないことだ。それもこれも、北朝鮮が軍事停戦委員会から一方的に撤収してしまったことによる。原因は1991年3月に米国が停戦委員会の国連軍首席(代表)を米軍から韓国軍将校に交代させたことに北朝鮮が反発したためだ。北朝鮮は休戦協定を平和協定に替える問題では韓国が休戦協定の当事国でないことを理由に一貫して「韓国を相手にせず」との立場を取っていた。

 さらに北朝鮮は3年後の1994年5月に停戦委員会に代わる窓口として人民軍板門店代表部を設置し、同時に中国を説得し、中国人民支援軍代表部を撤収させ、以降、単独で米軍側と接触してきた。今回の米兵戦死者遺骸送還をめぐる板門店交渉も北朝鮮は人民軍板門店代表部所属の将校が軍事停戦委員会の場ではなく、北朝鮮側エリア内の「統一閣」で米軍の将校に会い、協議していた。

 もう一つの変化は、停戦委員会と並んで停戦状態を監視してきた中立国監視委員団(韓国側にスイス、スウェーデン、北朝鮮側にチェコとポーランド)も事実上機能が麻痺してしまったことだ。東欧社会主義政権が崩壊し、チェコとポーランドの両国が西欧化したため中立国のバランスが崩れたとして1995年5月に北朝鮮は中立国監視団の北朝鮮側事務所を一方的に閉鎖してしまった。

 北朝鮮は米軍と別途に韓国とは国防相会談や将軍級会談を開き、ホットな軍事問題については協議している。国防相会談は2000年6月に金大中大統領と金正日総書記との間で行われた初の南北首脳会談での合意に基づき同年9月に、また南北将軍級会談は盧武鉉政権下の2004年5月から行われている。

 国防長官会談では▲南北首脳会談での共同声明の履行努力及び交流と協力保障のための軍事的問題を解決する▲軍事的緊張緩和と朝鮮半島平和を強固にするため共同で努力する ▲(朝鮮半島縦断)鉄道・道路連結工事のための人員、車両等の非武装地帯出入りを許可し、安全を保障する▲鉄道と道路周辺の軍事境界線と非武装地帯を開放し、南北管轄地域設定問題を停戦協定に従って処理することで合意が交わされたが、すべてが中断したままにある。

 また、将軍級軍事会談では▲西海(黄海)での偶発衝突防止措置の改善方法▲西海上での共同漁業水域の設定▲軍事的緊張緩和及び信頼構築措置などについて協議が行われたが、これまた進捗がないまま今日に至っている。

 その後、北朝鮮は人民軍最高司令部が2013年3月7日に「協定の拘束を受けることなくいつでも制限なく、打撃を行うことができる」と休戦協定の白紙化を宣言し、休戦を維持する板門店連絡代表部の活動を停止し、米軍(国連軍)との通話を遮断し、韓国との南北軍事ホットラインも止めてしまった。

 休戦協定の破棄は、即、交戦状態への回帰を意味する。軍事境界線(38度線)を挟んでの「撃ち方止め」の状態の終焉を指す。休戦協定によって設定されていた南北4キロにわたる非武装地帯も自動的に消滅することになり、厳禁されていた部隊や重武装の配備も可能となる。

 休戦ラインや海上でのトラブルや衝突を回避、収拾するためのメカニズムがなくなれば、不測の事態を阻止できなくなる。些細なトラブルも、あるいは偶発的な衝突も、へたをすると、それが拡大し、局地戦、全面戦争に発展しかねない。

 幸いにして、北朝鮮は休戦協定を引き続き順守し、また南北首脳会談と米朝首脳会談を機に南北間、米朝間の軍事ホットラインも復活したが、これが戦争終結宣言、さらにはそれを国際法的に担保する平和協定に繋がるかどうかが最大の焦点となるだろう。



2018年7月25日(水)

「西海衛星発射場」解体が事実ならば 北朝鮮は人工衛星を断念したのか

北朝鮮北西部の東倉里にある「西海衛星発射場」の発射台(写真:ロイター/アフロ)


 米国の北朝鮮分析サイト「38ノース」は一昨日(23日)、北朝鮮北西部の東倉里にある「西海衛星発射場」で主要施設の解体が始まったようだと最新の商業衛星写真を分析した結果、明らかにした。

 数日前に撮られた衛星画像によれば、加工用の建造物や弾道ミサイル向けの液体燃料エンジンなどの試験に使われていたロケットエンジン発射台が撤去され始めた形跡があるとのことだ。この一報にトランプ大統領は早速「嬉しく思う」とコメントし、韓国大統領府も「非核化に良い影響を与えるだろう」と歓迎していた。

 韓国情報当局は昨日(24日)、北朝鮮が20日から22日にかけて「西海衛星発射場」にある全長67メートルの発射台に設置されていた大型クレーンを一部解体したと明らかにした。事実ならば、北朝鮮は人工衛星の発射も断念したことになる。

 北朝鮮は2012年4月、同12月、そして2016年2月と計3度、この「西海衛星発射場」から地球観測衛星と称する人工衛星(光明星3号、4号)を打ち上げてきた。一連の打ち上げは2012年から始まった「宇宙開発5カ年計画」に基づくもので、この計画は2016年に一応終了している。

 しかし、金正恩委員長は2016年2月に「光明星4号」が発射された際「実用衛星をもっと多く発射せよ」と担当幹部らに直接指示し、これを受けた北朝鮮の国家宇宙開発局(NADA)は7か月後には推進力を3倍に増やした新型の停止衛星運搬ロケット用大出力エンジンを開発し、その地上噴出実験を成功させていた。当時、米航空宇宙研究機関の「エアロスペース」は「38ノース」への寄稿文で「北朝鮮が公開したエンジンは小型無人用探索装備を発射するには十分だ。停止軌道に通信衛星など多様な低高度偵察衛星を発射するのに適している」と解析していた。

 金委員長は昨年の新年辞でも「これ(2016年2月の打ち上げ成功)により宇宙征服に向かう道が敷かれた」と演説し、北朝鮮メディアは競って「平和的宇宙開発の権利」を主張する記事を掲載していた。例えば、労働新聞は昨年12月25日付で「平和的宇宙開発を一層推進し、広大な宇宙を征服していく」と、今後も開発研究を進めていく意思を明確にしていた。労働新聞が「宇宙開発の権利」を主張する記事を掲載したのは昨年12月の1か月だけで3回。人工衛星の研究・開発が金正恩政権の重要な国策の一つであることがわかる。

 また、ロシアの政府系メディアも昨年11月に訪朝したロシアの軍事専門家のコメントとして「北朝鮮が地球観測衛星1基と通信衛星1基の開発をほぼ完了した」と伝えていた。北朝鮮の国家宇宙開発局の幹部はこのロシアの軍事専門家との面談で「数メートルの解像度を持つ重さ100kg以上の地球観測衛星と静止軌道に投入する数トン以上の通信衛星をほぼ完成させた」と語っていた。

 北朝鮮のミサイルには「火星」や「北極星」という名称が付けられているが、人工衛星に限っては「光明星」と呼称している。

 昨年7月に発射された中長距離弾道ミサイル「火星14号」は全長19m、12月に発射された大陸間弾道ミサイル(ICBM)「火星15号」は全長22m、いずれも2段式であるそれに比べて「光明星」は全長30.0m(直径2.4m 重量91トン)、3段式で一回りも、二回りも規模が大きい。

 「宇宙開発は我々の自主権の権利行使である」との立場に立つ北朝鮮は国際社会が批判しようが、安保理が制裁を掛けようが、これまで人工衛星の開発、発射を中断することはなかった。現に2012年2月29日にオバマ政権と交わした合意で「実りある会談が行われる期間は長距離ミサイルの発射を行わない」ことを約束したにもかかわらず人工衛星は別物として僅か1か月半後の4月13日に米国の説得を振り切る形で打ち上げていた。

 国連は安保理議長声明で発射を非難したが、北朝鮮は外務省声明(4月18日)で「平和は我々にとって何より貴重だが、民族の尊厳と国の自主権はより尊い」と述べ、翌日、宇宙空間技術委員会の名で人工衛星打ち上げの継続を宣言し、同年12月に再度トライしていた。

 仮に金委員長がシンガポールでの首脳会談でトランプ大統領に人工衛星発射場と称している東倉里の「西海衛星発射場」の解体、閉鎖に同意したならば北朝鮮自らが「西海衛星発射場」が長距離弾道ミサイル(テポドン)の発射場であったことを認めたことになる。

 実際に北朝鮮は人工衛星と喧伝していたが、2009年4月の「光明星2号」発射成功の際の祝賀宴では当時人民武力相(国防相)の金英春次帥が「発射成功で強大な軍力を再び世界に誇示した」と演説し、また、2016年2月の「光明星4号」の発射成功の際にも尹東絃人民武力相次官が成功を祝う平壌市集会で「米帝もいかなる侵略者も、正義の水素爆弾と最長距離運搬ロケットまで装備した我が軍の強力な威力の前でこれ以上生きられないだろう」と演説していた。これらの発言は「衛星」ではなく、軍事目的の長距離弾道ミサイルの発射であることを暗に認めたことに等しい。

 父親の金正日総書記は2000年にミサイルの問題でクリントン政権と交渉した際、ミサイル開発を中止する条件として3年間で30億ドルの支援を要求し、人工衛星については「米国が代わりに打ち上げてくれれば、発射しない」との条件を提示していたが、金正恩委員長は見返りに何を要求するつもりなのだろか。

 それとも「西海衛星発射場」だけ閉鎖して1998年、2006年、2009年と3度発射した日本海に面した咸鏡北道花台郡の舞水端にある「東海衛星発射場」で今後も「人工衛星」の発射を続けるつもりなのだろうか。



2018年7月24日(火)

やはり、あったか!朴槿恵政権下での戒厳令とクーデターの動き

朴槿恵大統領(当時)の退陣を求めた市民らの集会(写真:Lee Jae-Won/アフロ)


 昨年、朴槿恵大統領(当時)の退陣を求める市民とそれを阻止する朴大統領支持派らの集会やデモが暴動化し、その結果、治安が悪化し、警察力だけでは収拾できない場合、戒厳令が宣布され、軍が前面に出てくるのではと危惧していたが、実際にそのような計画があったようだ。

(参考資料:韓国でクーデターは起きないか )  

 今、韓国では軍の情報機関である機務司令部が昨年3月、朴槿恵大統領の退陣を求めた「蝋燭デモ」と称される市民らの大規模デモを鎮圧するため戒厳令を検討していた疑惑が浮上し、騒動になっている。直接のきっかけは、機務司令部が戒厳令の布告を検討していたことを示す文書が見つかったことによる。国防省は昨日(23日)、事態を重く見た文在寅大統領の指示を受け同省内に特別捜査チームと検察の合同捜査本部を設置することを発表した。

 文在寅政権が「証拠」として公開した67ページに及ぶ朴槿恵政権時代の国軍機務司令部の「戒厳対応計画の細部資料」には「有事」の実行計画が詳細に明記されている。

 例えば、この文書には▲デモが行われているソウル中心部の光化門と国会議事堂のある汝矣島に機甲旅団(戦車や装甲車部隊)と特殊戦司令部を夜間に投入する▲治安および国家機能を維持するため新聞社や放送局など報道機関に「戒厳司令部検閲団」を置く▲国会が戒厳令を解除できないよう「反政府政治活動をした議員を集中的に検挙した後に司法処理する」計画などが書かれてある。国会議員の検挙に備え、299人の国会議員のうち保守派が130余人、進歩傾向が160余人と区分し、野党系の国会議長を含め戒厳令に反対する場合は検挙し、司法処理することも検討していたようだ。これは事実上、クーデターに等しい行為である。

 興味深いのは、戒厳令を発令する際に陸海空を束ねる合同参謀本部議長を排除して陸軍参謀総長を戒厳司令官に推薦していることだ。

 戒厳令の布告は大統領に権限があるが、戒厳司令官は通常、合同参謀本部議長が担う。ところが、この資料には序列2位の陸軍参謀総長が指名されていた。理由は不明だが、陸軍士官学校卒業生中心とした国軍機務司令部が戒厳令を速やかに発令できるよう3士官学校(3土)出身の合同参謀本部議長を排除し、陸士出身の陸軍参謀総長を推薦したのではとみられている。

 合同捜査本部は今後、機務司令部が独断で戒厳令を検討していたのか、それとも上(青瓦台=大統領府)からの指示で準備していたのかを調べるようだ。というのも当時、朴政権を支えていた金光鎮・国家安保室長と朴興烈大統領警護室長は共に陸士出身で同期であった。機務司令部が戒厳司令官に据えようとしていた張駿圭陸軍参謀総長は彼らの8期後輩にあたる。従って、朴大統領の意向を汲んだ両者が戒厳令を主導した可能性も排除できない。

 当時、朴槿恵大統領は国会で弾劾されても、支持率が歴代大統領最低の5%になっても、退陣を求めるデモが100万人規模であっても、大統領の座を手放す考えは全くなかった。国会で弾劾されても、憲法裁判所がそれを認め、罷免しない限り、大統領の座に留まることができたからだ。

(参考資料:朴槿恵大統領はなぜ、かくも強気なのか )  

 憲法裁判所の9人の裁判官のうち6人(3分の2)が国会の罷免決議に賛成しない限り弾劾できない。そのうち3人は大統領が自ら指名した裁判官であり、裁判長も朴大統領が任命した人物である。朴大統領は弾劾を回避できると自信を持っていた所以である。

 また、スタート当初は高齢者中心の数千人規模だった大統領支持派のデモも主催者発表で過去最高の30万人(警察発表5万人)に膨れ上がっていたことも支えになっていた。「コンクリート基盤」とされる保守勢力、隠れ「朴支持派」が息を吹き返し、保守バネが作動し、仮に5%台に急落した支持率が徐々に回復すれば、憲法裁判所の判決にも影響を及ぼし、国会の弾劾決議が棄却される可能性もゼロではなかった。

 何よりも、軍部は国会で罷免されても朴大統領を見放していなかった。女性大統領は軍にとって非常に扱いやすい。軍歴もなく、知識も乏しいからだ。加えて、最高司令官である朴大統領は軍に全幅の信頼を寄せていた。

 38度線を挟んで北朝鮮と対峙している軍の関心は国内のスキャンダルよりも、北朝鮮の脅威である。北朝鮮はいつでもミサイルを発射できる状況に加え、金正恩委員長が韓国の混乱に乗じ、前線部隊の視察など軍事的挑発を繰り返している時に国内が混乱している状況は軍にとっては耐え難いことであった。

 まして、朴槿恵退陣に伴う政変で北朝鮮に融和的で、かつ高高度ミサイル防衛システム(THAAD)の配備にも、日本との機密情報共有を可能にする軍事情報包括保護協定(GSOMIA)にも反対の立場を取る野党政権の誕生は軍部にとっては望ましくないのは言うまでもなかった。

 そう言えば、朴大統領を支持するデモ隊がソウルでの集会で「朴大統領の退陣デモに参加しているのは民主主義を破壊する従北左派勢力である」と非難し、主催者の一人であるソン・サンデ「ニュースタウン」発行人に至っては「朴大統領は直ちに戒厳令を宣布し、アカらを一人残らず捕まえろ」と叫んでいたことも今に思えば、その予兆だったのかもしれない。

 また、国会法制司法委員会で朴大統領支持派の与党・セヌリ党のキム・ジンテク議員が「北朝鮮はすべての宣伝媒体を使って『11月12日にすべてを終わらせろ』と扇動している。乱数放送も16年ぶりに再開している。11月5日の民衆総決起集会に出て来た中高校生らは『革命政権を打ち立てよう』と言っていたが、北朝鮮が裏で操っているのでは」と司法長官に調査するよう求める発言を行っていたこともそうした延長線上にあるようだ。全斗煥軍事政権が1980年5月に全羅南道・光州での民主化要求デモを武力で鎮圧した際に「デモが北朝鮮によって扇動されている」ことを口実、大義名分にしていたからだ。

 韓国では過去に2度、政治的混乱を理由に戒厳令が敷かれ、最期は軍がクーデターを起こし、全権を握った歴史がある。

 一度目は、1960年4月に初代の李承晩政権が学生デモで倒され、政治混乱を招いた時「北の脅威」を理由に陸士8期卒を中心とした朴正煕少将率いる軍将校らがクーデターを起こし、実験を掌握している。

 二度目は、後に大統領となった朴正煕氏が1979年暗殺され、政治空白が生じた時、これまた「北の脅威」や「安全保障」を理由に後に大統領になった陸士11期卒の全斗煥国軍保安司令官(機務司令官の前身)と同期の盧泰愚第9師団長らが決起し、戒厳令を敷き、「ソウルの春」(民主化)が潰し、1980年に軍政を敷いている。

 金泳三文民政権が誕生した1993年2月以来、軍の政治への介入は26年間途絶えている。今の韓国は昔と比べ、民度も高まり、クーデターを許す土壌はない。軍も近代化された。とは言え、東南アジアのタイでは2年前、女性首相であるインラック・シナワトラ氏が国家安全保障会議事務局長を異動させ、親類を後継ポストに就かせたのは職権乱用であると問われた裁判で失職したのを機に発生したデモによる国内の混乱に乗じ、軍が「平和と秩序」の維持を名目に戒厳令を敷き、最期は軍政を敷いたことはまだ記憶に新しい。

 「二度あることは三度ある」という諺があるが、三度目の正直で韓国ではクーデターが起きなかったということなのかもしれない。



2018年7月23日(月)

異例中の異例!上半期はゼロの金正恩委員長の軍関連視察

特殊部隊の訓練を視察する金正恩委員長(労働新聞から)


 今年上半期の金正恩委員長の現地指導は国家科学院の視察(1月12日)から始まり、平壌製薬工場視察(1月17日)、無軌道電車工場視察(2月1日)、元山カルマ海岸観光地建設現場視察(5月25日)、平壌大同江水産物食堂視察(6月8日)など経済分野に限定され、軍関連視察は朝鮮人民軍創建日の2月8日に行われた軍事パレードへの出席以外は、一回もなかった。金正日総書記の時代(1994年―2011年)も含めて半年にわたる最高導者の軍部隊視察ゼロは極めて異例のことである。

 金正恩政権発足年の2012年から昨年(2017年)までの上半期の軍関連視察(軍部隊視察と軍事訓練及びミサイル発射参観)を調べると、平均で16回に及ぶ。

 2012年(1月7回、2月4回、3月5回、4月3回、5月2回、6月0回)21回。
 2013年(1月0回、2月4回、3月9回、4月0回、5月1回、6月3回)16回。
 2014年(1月3回、2月0回、3月2回、4月4回、5月1回、6月5回)15回。
 2015年(1月5回、2月2回、3月3回、4月1回、5月2回、6月3回)16回。
 2016年(1月1回、2月3回、3月6回、4月2回、5月0回、6月1回)13回。
 2017年(1月3回、2月1回、3月2回、4月3回、5月5回、6月2回)16回。

 ちなみに昨年(2017年)は1月に第233軍部隊直属部隊と第114軍部隊を視察したのを皮切りにタンク及び装甲車歩兵連隊の冬季渡河攻撃戦術練習を視察。3月は第966大連合部隊指揮部を、4月はタンク兵による競技大会と特殊作戦部隊による渡河及び対象物打撃競技大会を指導し、軍総合打撃示威も参観していた。さらに5月は西海岸の北方限界ラインに近い離島に駐屯している二つの部隊を視察した他、6月は航空及び防空軍の戦闘飛行技術競技大会を参観していた。

 人民軍は毎年12月から1月にかけて冬季訓練を実施しているが、金委員長はこの冬季訓練も敬遠していた。過去5年間で一度もなかった現象だ。

 在韓米軍のブルックス司令官は21日「今、我々は(北朝鮮の)挑発なしに235日を過ごした。(昨年)11月29日に(火星15型)ミサイルが発射されて以来、我々は大きな変化を目撃した」などと述べていたが、北朝鮮によるミサイル発射も上半期は一度もなかった。ちなみに過去3年間は;

 2015年は2月に元山から新型艦隊艦ミサイル(KN-01)を発射したのをはじめ咸鏡南道・新浦で新型艦隊艦ミサイルの発射実験と潜水艦弾道ミサイル(SLBM)の水中実験(27日)を行い、3月は平安南道・南浦から日本海に向けスカッドC2発とSA地帯空ミサイル7発、黄海北道・サッカンモル一帯から500kmスカッドミサイル2発を発射していた。

 一昨年の2016年は1月6日に核実験、2月7日に平安北道・東倉里から人工衛星と称して事実上の長距離弾道ミサイル(テポドン)を発射したほか、3月には平安南道・粛川から「ノドン」2発を発射。4月にも東倉里から西海に向け短距離ミサイルのほか、中距離弾道ミサイル「ムスダン」を15日、30日と2回日本海に向けて発射していた。

 昨年(2017年)も2月12日に平安北道・亀城からSLBMを地上型に改良した中距離弾道ミサイル「北極星2型」が発射されたのをはじめ3月には東倉里から日本海に向かって弾道ミサイル「スカッドER4」4発と元山から「ムスダン」とみられる中距離弾道ミサイが発射されていた。

 また、4月にも5日、16日に新浦付近から日本海に向けて弾道ミサイル2発が、29日には西部の平安南道・北倉付近から北東方向に弾道ミサイル1発が発射されている。そして、5月には北西部の平安北道・亀城から「火星12号」がロフテッド軌道で発射され、「北極星2型」も平安南州・北倉から北東方向に再度発射されていた。

 金委員長は今年の新年辞で「北と南は情勢を激化させることをこれ以上やるべきではない。軍事緊張を緩和し、平和的環境を作り出すため共同で努力しなければならない」と発言し、弾道ミサイルの発射についても「4月21日から中止する」と公言していたが、現在のところ、行動で示しているようだ。



2018年7月18日(水)

金正恩委員長が経済視察で激怒!粛清の嵐は吹くか!

現地の幹部らを叱責する金正恩委員長(労働新聞から)


 朝鮮中央通信は17日、金正恩委員長は北東部・咸鏡北道にある漁郎川水力発電所やホテルの建設現場、かばん工場、温泉休養所など8カ所の視察を伝えていたが、水力発電所の建設が17年過ぎても70%しか完成していないことを知り、「発電所を建設する気があるのかないのか分からない」と激怒し、かばん工場の視察では期待に反していたことから「党の方針を受け、執行する態度が大きく間違っている」と憤激していた。また、温泉休養所では浴槽が「魚の水槽に劣る。本当にみすぼらしい」と酷評していた。

 今月初旬には中国と隣接する平安北道の新義州にある紡織工場と化学繊維工場を相次いで訪問した際にも「近代化水準が不十分だ」として責任者らを叱責していた。尻を叩いても、発奮しない現場へのいら立ち、経済が一向に思うようにいかないことへの焦りが垣間見える。

 父親の金正日総書記は祖父の金日成主席がまだ健在の頃の1984年、自身の42歳の誕生日に際して開いた党中央委員会責任者協議会で「人民生活を向上させるために」と題する演説を行い「人民生活を高めることが労働党の最高原則である」と拳を振り上げていた。

 金総書記は金主席死去6年後の2010年、「首領様(故金日成主席)は人民が白米ご飯に肉のスープを食べ、絹の服を着て瓦屋根に住むようにしなければならないと言われたが、われわれはこの遺訓を貫徹できずにいる」(労働新聞1月9日付)と人民生活を向上できないことのふがいなさを嘆いていた。そのうえで「私は人民がまだトウモロコシの飯を食べていることに最も胸が痛む。今、私が行うべきことは、この世で一番立派なわが人民に白米を食べさせ、小麦粉のパンや麺を腹いっぱい食べさせることである。我が人民をとうもろこし飯を知らない人民としてこの世に立たせよう」(同2月1日付)と幹部らにはっぱをかけていたが、結局17年の在任中についに金主席同様に人民への約束を果たせぬまま他界した。

 金正日総書記は何もせずにただ手をこまねいていたわけではない。何度も内閣を改造し、担当大臣を入れ替え、あるいはデノミ政策を断行したり、それなりの手は打ったものの結局は「笛吹けども踊らず」だった。

 金正日時代は農業や経済がうまくいかず、人民の間で不満が高まれば、その担当者に責任を転嫁させてきた。未曾有の飢饉に瀕し、大量の餓死者が出た1996年には農業担当の徐寛煕党書記が、デノミ政策の失敗で物価が高騰した2010年には党計画財政担当の朴南基部長が責任を問われ、処刑された。驚いたことに「米帝国主義の指示を受け、我が国の農業、経済を破綻させたスパイ」というのが処刑理由(罪状)だった。

 故・金総書記が息子に残した遺産が唯一指導体系、軍を中心とした権力基盤であるとすれば、背負わせた負は破綻した経済であろう。

 金委員長は政権を引き継いだ年の2012年4月15日、祖父生誕100周年の式典での演説で人民に向かって「これ以上ひもじい思いをさせない」と公約していた。公約実現のためには二代続けて実現できなかった「白米に肉スープ、瓦葺の家」を担保できるかにかかっている。

 人民から支持と忠誠心を得るにはまさに食糧難、エネルギー不足を解消し、国民生活を早急に向上させるほかない。しかし、現状は厳しく、食糧とっても、今年も国連食糧農業機構(FAO)が7月に発表した統計では64万トンも不足している。相変わらず、国連をはじめとする国際社会に人道支援を要請している始末だ。

 気が狂ったかのように核実験を繰り返し、ミサイルを乱射していた金正恩委員長が南北首脳会談、そして米朝首脳会談を機に核とミサイルを棚上げにし、経済に舵を切り、そのため経済分野への視察を増やしているのは、建国70周年(9月9日)を目前にしていること、また、一昨年5月に36年ぶりに開催した党大会で打ち出した「国家経済発展5か年戦略期間」の成否がかかっているからであろう。建国70周年を「一大慶事」として盛大に祝うには前に目に見える経済成果を上げなければならず、また、金正恩政権下で初めて打ち出した5か年経済計画を失敗に終わらすわけにもいかない。

 金委員長は「党の方針を受け、執行する態度が大きく間違っている」と咸鏡北道の党委員会を叱責しただけでなく、内閣をはじめ経済指導機関の責任幹部、さらには「しっかり指導しなかった党中央委員会経済部と組織指導部の該当指導課にも問題がある」として「党中央委員会の該当部署の事業を全面的に検討して厳重に問責し、調査するよう」指示していた。

 「許せないのは、国の経済の責任を負った幹部が発電所建設場に一度も出てきたことがなく(中略)竣工式には顔を見せる厚かましい態度である」とか「このように仕事をして、どうやって党の経済発展構想を進めていくのか」との怒り心頭の発言からしておそらく今後、地方の責任者のみならず、内閣さらには党の担当幹部らに対する査問、粛清が行われることになるだろう。

 金正恩体制下ではすでに2016年に金勇進教育担当副首相と黄民元農業相が粛清されている金勇進副首相は韓国統一省の発表(2016年8月31日)では「反党反革命分子」「現代版分派分子」の烙印を押され、7月に処刑されたとのことだ。その前年には当時軍No.2の玄永哲人民武力相がやはり「反党反革命分子」として銃殺刑に処せられていた。

 今回、地方幹部では金委員長から直接叱責された咸鏡北道の李ヒヨン党委員長と李サングァン人民委員会委員長の2人と両江道の李サンウォン党委員長と梁ミョンチョル三池淵郡委員長、それにキョンソン郡の崔スンナム委員長の3人が標的にされるだろう。さらに、7月初旬の視察の際にあまりのふがいなさに「心を痛めた」とされる新義州紡績工場のある平安北道の金ヌンオク党委員長と李テイル、安ギョングン副委員長の3人も処罰の対象に挙げられるかもしれない。

 次に「内閣をはじめ経済指導機関の責任幹部」では経済を仕切る朴奉柱総理(政治局常務員)と国家計画委員委員長でもある盧斗哲副総理(政治局員)さらには李ムヨン、金ミョンフン、任チョルンの3人の副総理に責任が及ぶかもしれない。閣僚では当然、崔一竜軽工業相、権相虎国家建設監督相、張吉竜化学工業相、朴勲建設建材工業相、鄭英寿労働相らがやり玉に挙げられるだろう。

 さらに「党中央委員会経済部と組織指導部の該当指導課にも問題がある」と指弾されていることから安正珠党軽工業部部長(政治局員)と呉秀英経済計画部長(政治局員)の二人が粛清の対象にされるだろう。

 問題は「組織指導部」の責任だが、トップの部長は党序列3位で政治局常務委員である崔龍海党副委員長であるが、金正恩体制を支える側近中の側近だけにそう簡単には切れないだろう。誰を身代わりに出すのか、今後の人事に目が離せない。



2018年7月11日(水)

あの北朝鮮レストラン女性従業員らの「集団脱北」は韓国情報機関による「拉致」!?

韓国当局が中国から脱北したと発表した北朝鮮レストラン従業員(韓国統一院)


 今から2年前に中国(浙江省寧波市)で発生した北朝鮮レストラン(柳京食堂)女性従業員13人の韓国への集団亡命事件は本人らの意思に基づく自発的な「脱北」ではなく韓国当局による「拉致」の疑いが強まっている。

 訪韓したトーマス・オヘア・キンタナ国連北朝鮮人権特別報告者は昨日(10日)、脱北した柳京食堂の支配人及び一部女性従業員らと面会した結果、「(従業員のうち)一部はどこに行くかも分からないまま韓国に来た。騙されたとも言える」と述べ、さらに「彼らが中国から自分の意思に反して拉致されたのならば、犯罪と見なされ得る」と記者会見で語っていた。

 北朝鮮が大陸間弾道ロケット(ICBM)のエンジン燃焼実験に成功した2016年4月8日、韓国政府はこの前代未聞の「集団脱北」を大々的に公表し、金正恩政権に大きな衝撃を与えた。

 出身成分(家柄)もよく、党への忠誠心も強い、外貨獲得のため選抜された先鋒隊がこぞって亡命したこと、また、海外在住者は離反者を出さないよう相互監視体制下での集団生活を義務付けられているが、従業員全員が行動を共にしたこと、加えて36年ぶりに開催される労働党大会(5月6日)を前に発生しただけに当時、金正恩政権が受けた衝撃は測り知れないものがあった。

 党に最も忠実で、思想的にも鍛錬されているはずの、それも韓国に亡命すれば、両親や兄弟らがどのような目に遭うか誰よりも分かっているはずの彼女らの亡命の動機が当時、不明だった。

 「営業不振により本国に召還され、処罰されるのを恐れ、悲観したため」との見方もあったが、業績不振が原因ならば、責任者が処罰されることはあっても一般従業員にはお咎めはないはずだ。また、韓国当局が言うように「自由や韓国への憧れから」だとしても、そう簡単に親、兄弟を捨てられるだろうかとの疑問も指摘されていた。

 彼女らは海外に出られるだけでもそれなりに恵まれている立場にあった。それだけに亡命の動機が知りたいところだったが、今日まで記者会見もセットされず、彼女らの口から動機について語拉致れることは一度もなかった。当時、北朝鮮の対応にも不可解なことがあった。

 北朝鮮は「脱北」が単独にせよ、家族単位にせよ、集団にせよ、よほどのことでない限りこれまで「拉致された」と騒いだりはしなかった。国家の恥に繋がることから「脱北」そのものを覆い隠し、徹底的に無視してきた。仮に脱北であることがはっきりした場合は、ドミノを防ぐため「脱北者」らを「人間の屑」とか「裏切り者」扱いにして収束を図る、これが北朝鮮の常套手段であった。

 韓国政府が「集団脱北」を公表(4月8日)した当初は、対韓宣伝メディア「我が民族同士」を通じていつものように「人間の屑」で対応したのだが、13人と同じ職場の同僚7人が帰国してから様相が一変した。赤十字委員会を通じて引率者の男性支配人を除く「12人は誘引、拉致された」との談話(4月12日)を発表したのだ。

 続いて、4月20日にはCNNの記者を招き、平壌の高麗ホテルで帰国した7人を引き合わせ、インタビューをセット。4月24日には「人間の屑」と罵っていた対韓宣伝メディア「我が民族同士」にそのインタビューが放映された。それでもこの時点での北朝鮮の反応はまだ対外、対韓向けに限られていた。過去のケースでは、このまま国民に知らせぬまま、外に向けて一方的に主張するだけ主張して矛を収めるのが常だったが、この時は明らかに違っていた。4月29日付けの労働新聞に赤十字委員会と祖国平和統一委員会の談話や声明を掲載し、国民にもこのことを知らしたのだ。

 この日を境に北朝鮮は堰を切ったかのように事件を取り上げ、5月3日には党大会取材のため平壌入りしていた外国メディアを呼び、7人の従業員と12人の家族らによる共同記者会見をセット、その模様を国内でもテレビで流した。10日後の5月13日には再びCNNを呼び、家族らにインタビューさせ、「娘に会わせろ、娘を返せ」と訴えさせた。

 極めつけは、12人の親らが国連人権理事会議長と国連人権最高代表に書簡を送り、真相究明と送還の協力を求める一方で、韓国の赤十字総裁にも同様の書簡を送りつけていた。こうしたことから韓国内でも徐々に「自発的な意思で韓国に入国した」との政府当局の発表を怪しむ雰囲気が広がり、ついには「民主社会のための弁護士会」(民弁)が所管の国家情報院に女性従業員らとの「緊急面会」を要請する事態に至った。

 北朝鮮や「民弁」の要求に対して韓国の該当部署「統一院」や「国情院」は「13人は強制によるものでなく、本人らの意思による」亡命であり、北朝鮮の主張は言いがかりであり、エリート集団の脱北による国内への衝撃と動揺を防ぐため、国際的イメージ失墜を挽回するための単なる「詭弁に過ぎない」として取り合わなかった。北朝鮮側が求めた板門店やソウルなどでの家族との面会も、国際人権団体や弁護人など第三者の接見も一切許可しなかった。

 当初から▲中国から第三国経由の一泊二日のソウル入りは韓国当局の手引きがなければ不可能であった▲引率者である男性支配人が金銭トラブルを抱え、韓国情報機関に抱き込まれていた▲「制裁が効いている」「金正恩体制は揺らいでいる」ことの証として脱北を誘導する必要性があった▲苦戦が伝えられる総選挙(投票日4月13日)の対策として「脱北事件」を起こす必要があった。(選挙前に大々的に発表したのに選挙後は完全黙秘してしまった)など様々な疑惑が指摘されていたが、今回の男性支配人と従業員らの「証言」により朴槿恵政権下の国家情報院による「企画脱北」の可能性が一段と高まった。



2018年7月6日(金)

米メディアの「金正恩はトランプを欺いている」報道を検証する

握手するトランプ大統領と金正恩委員長(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)


 トランプ大統領は5日、遊説のため移動中の大統領専用機で「北朝鮮が核・ミサイルプログラムを隠蔽しているのでは」との記者の質問に「北朝鮮は8か月間、ミサイル発射も、核実験もしていない」と述べたうえで、「金正恩委員長は北朝鮮の未来をみている。それが事実であることを願う。事実でなければ、我々は他の道に戻る」と答えていた。

 トランプ大統領は「彼と握手した時、とても印象が良かった。我々は気が合った。我々はお互いを理解している」と述べ、金委員長への信頼を寄せていたが、米議会のみならず、国家安全保障会議(NSC)や国務、国防省内でも「北朝鮮は信じられない」「トランプ大統領は騙されている」との声が大勢を占めているのが現状だ。

 その理由は、トランプ大統領とポンペオ長官の対北融和路線に不満を抱く強硬派が「金正恩は何ら変わっていない」ことを強調するため意図的に情報を流しているとの見方もあるが、米国の主要メディアによる「北朝鮮は核兵器と主要核施設の隠蔽を図っている」との相次ぐ報道に起因しているようだ。

 過去一週間の報道をチェックすると、まず6月29日にNBCの「米国を騙そうとする(北朝鮮の)取り組みが続いている」との報道があり、続いてワシントンポストが翌30日に「北朝鮮には完全に非核化する意図がなく、米朝首脳会談以後にも核弾頭および関連施設を隠そうとしていると国防情報局(DIA)は判断している」とNBCと同じネタ元(DIA)を引用し、報道していた。

 これにウォールストリートジャーナルも7月1日に参入し、ミドルベリー国際学研究所傘下の非拡散研究センターによる最近の衛星写真分析結果として今年4月まで咸興の核心ミサイル製造施設には新たな建物がなかったのに米朝首脳会談が開かれる間に「固体燃料弾道ミサイル工場の外部工事が完了した」と報じた。翌2日には今度はCNNが「DIAは金正恩が現時点では完全な非核化プログラムに参加する意図がないと判断している」と報道していた。

 さらに、権威ある外交専門メディア「ディプロマット」も2日、最近の米軍事情報評価結果を引用して「北朝鮮は今年上半期、新型弾道ミサイル用の支援装備と発射台を生産してきた」との記事を掲載。「新型弾道ミサイル」とはSLBM(潜水艦弾道ミサイル)を地上型に改良した準中距離弾道ミサイル(MRBM)「北極星2型」を指す。

 直近では米政府系メディア「自由アジア放送」が5日、平安北道の東倉里発射場を撮影した最新衛星写真を分析した対北専門媒体である「38ノース」の分析官の言葉を引用し「ミサイル発射場、ミサイル組立施設、燃料バンクなどはそのままあり、解体の兆候はない。むしろ、発射場の東側に隣接した場所に新たな建物が建てられていた」と、東倉里発射場の現状を伝えていた。

 一連の報道を整理すると、核兵器隠蔽を試み、ミサイル開発を続けていることからして金正恩政権には核・ミサイルを放棄する意思は毛頭なく、結果としてトランプ大統領は金正恩委員長に騙されているとの結論が導き出される。

 米朝首脳会談で発表された共同声明の2項目に「北朝鮮は朝鮮半島の完全な非核化に向け、努力する」ことを約束していた。核についての言及だけで、ミサイルについては触れてもなければ、約束もしてない。

 報道されているように核兵器の隠ぺいが事実ならば、明らかに共同声明に反し、金委員長はトランプ大統領を欺いたことになる。また、核施設の封印、凍結を公言、約束していたならば、明らかに背信行為にあたる。しかし、北朝鮮は咸鏡北道の吉洲にある核実験場の爆破・閉鎖を公言しただけで、核施設である原子力発電所や軽水炉の稼働中止についてはまだ公言もしてなければ、約束も交わしてない。唯一、核実験場の爆破だけは実際にそれを行動で示した。

 常識に考えて「朝鮮半島の完全な非核化に向け、努力することを約束した」ならば、その意思表示、あるいは誠意の表れとして核施設の稼働を中止するのが筋である。北朝鮮はおそらく今後、北朝鮮が求めている米国の見返り(体制保障)とのバーター取引のカードに使うつもりなのだろう。

 問題のミサイルについてはトランプ大統領が「金正恩がミサイルエンジン実験場の閉鎖を約束した」と、記者会見の場で語ったのがすべてだ。

 北朝鮮にはミサイルエンジン実験場は何ヵ所かある。そのうちの一か所は平安北道・亀城にあるが、ここは「38ノース」が商業衛星写真の分析に基づき確認したところ、実験用発射台などが撤去されたようだ。亀城からはこれまで沖縄の米軍基地を狙った「北極星2型」やグアムを射程に収めた中長距離弾道ミサイル「火星12型」、それに米国の西海岸に届く長距離弾道ミサイル「火星14型」が発射されていた。

 しかし、北朝鮮が全ての弾道ミサイル発射台を撤去したという話ではない。「火星14型」は中国との国境に近い慈江道・舞坪里からも発射されており、また昨年11月29日に発射された東海岸に届くICBM「火星15型」は平安南道・平城から発射されている。

 北朝鮮はエンジンの実験中止を約束しただけで、すべてのミサイル発射場の閉鎖を約束したわけではない。まして、北朝鮮が人工衛星発射場と主張している東倉里発射場の撤去は簡単ではない。

 北朝鮮は今年4月20日に開催された党中央委員会総会で「4月21日から核実験やミサイル発射を中止する」と宣言したが、人工衛星の発射については言及しなかった。東倉里発射場の撤去は「自主権の行使」と位置付けている人工衛星発射の断念、即ち「国家宇宙開発5か年計画」の放棄を意味する。

 どうみても、見返りを得ないままの一方的なミサイル発射場の解体、撤去は考えにくい。ちなみに、金正日政権は2000年にミサイル問題でクリントン政権と交渉した際、ミサイル開発を中止する条件として3年間で30億ドルの支援を要求し、人工衛星については「米国が代わりに打ち上げてくれれば、発射しない」との条件を提示していた。

 ポンペオ国務長官は今日(6日)平壌に入り、北朝鮮の非核化に向けて具体的な協議に入る。核・ミサイル問題で合意(取引)が交わされるのか、その一点に注目したい。



2018年7月2日(月)

北朝鮮は本当に核爆弾を60個も保有?

ICBM級「火星14型」搭載用の核弾頭(労働新聞)


 世界で最も評判の悪い首脳同士が握手し、意気投合したことへの違和感からなのか米メディアによる「トランプ・金正恩会談」と「米朝共同声明」への酷評が後を絶たない。

 酷評の理由の一つは、北朝鮮が共同声明で約束した「完全なる非核化」に「検証可能で不可逆的な」という文言が盛り込まれなかったこと、非核化に向けての具体的な手順や方法についても触れてなかったこと、さらには非核化完了の期限が明示されなかったことにある。当然と言えば当然のことだ。

 もう一つは、北朝鮮がまだ何一つ非核化措置を講じてないにもかかわらず、見返りを与えすぎたとの批判である。

 祖父(金日成主席)、父(金正日総書記)の時代からの悲願である米朝首脳会談に対等な形で応じことで金正恩委員長に大きな外交成果を与えてしまったこと、人権抑圧者と何事もなかったかのように握手し、人権問題を不問にしてしまったこと、極め付きは北朝鮮が「挑発的である」と反発していた米韓合同軍事演習を北朝鮮の主張をそのまま受け入れ、いとも簡単に中止を決断してしまったことなどが問題視されている。

 これに情報機関の国防情報局(DIA)の報告書に基づいて「トランプ政権は金正恩政権に騙されている」との論調がどうやら新たに加わったようだ。

 米紙・ワシントンポスト(WP)は6月30日、「DIAは北朝鮮には完全な非核化をする意図がなく、核兵器と主要核施設を隠そうとしていると判断している」と報じていた。その前日にはNBCが12人以上のDIA関係者の話として「米国を騙そうとする取り組みが続いている」と伝えていた。これら二つの米有力メディアの報道を総合すると、DIAが問題にしている北朝鮮の「背信行為」は主に以下の4点に絞られる。

 1)北朝鮮は米国が核開発プログラムの全体を把握してないとみて核弾頭とミサイル、核開発施設と個数を減らす方法を模索している(WP)
 2)最近数年間にわたり人工衛星写真分析とコンピューターハッキングを通じて寧辺とカンソンの他にも、少なくとも一カ所以上の秘密核施設が存在する(WP)
 3)北朝鮮は最近数カ月間、核兵器開発のためのウラン濃縮生産を高めており、米朝首脳会談で「完全な非核化」に合意した後も核開発作業を続けている(NBC)
 4)米国は米韓合同軍事演習の中止という大きな譲歩をしたのに北朝鮮は核備蓄量を減らすとか、核兵器生産を放棄したという証拠はどこにもない(NBC)

 DIAは機密情報に関わるとして詳細については明らかにしなかったが、両メディアとも結論としてこうした情報当局の判断は「トランプ大統領が米朝首脳会談以後『もはや核脅威はない』と宣言したことに相反する」と指摘していた。

 DIAは報告書で北朝鮮が保有している核爆弾の数を「65個」と推定しており、ニューヨークタイムズも5月6日付の記事でこのDIA情報に基づき保有数を「最大で60個」と報じていたが、その根拠、証拠は示されてなかった。

 北朝鮮の保有数は昨年まで最大で20個が相場とみられていた。北朝鮮は本当に核爆弾を3倍以上の65個も保有しているのだろうか?

 米上院のダイアン・ファインスタイン情報委員会委員長は2年前の2016年2月に開いた聴聞会で「北朝鮮は最大で20個のウラン型、プルトニウム型の核兵器を保有している」との極秘情報を開示していた。これは、多くの米国内の北朝鮮核専門家が予想していた「最大で16個」を4個ほど上回っただけだった。

 また、昨年7月に発表されたスウェーデンのストックホルム国際平和研究所(SIPRI)の世界の核軍備に関する最新報告書には「北朝鮮は2017年1月現在で、推定10−20発の核弾頭を保有している」と記されていた。同じく米シンクタンク、科学国際安全保障研究所(ISIS)もその数か月前(4月)に公表した報告書でも「北朝鮮は核兵器13〜30個を保有している」と報告していた。そのうえで「年3〜5個のペースで増やしている可能性もある」と補足していたが、1年経った現在、北朝鮮の保有数はどんなに多く見積もっても35個が関の山だろう。ということはDIAは明かに水増ししていることになる。

 仮に北朝鮮の保有数が最大で35個ならば、北朝鮮が正直に「35個」と申告したとしても、DIAや米メディアからすれば「トランプ政権を欺くため少なく申告し、隠匿した」という結論になる。正確な保有数が不明なだけにこの数の問題はどちらに転んでも物議を呼ぶことだろう。

 また、高濃縮ウラニウムの保有量についてもDIAは700kg以上と見積もっているが、韓国の専門研究機関では半分以下の280kgと推定している。これも一体、どっちが正しいのか当事者の北朝鮮以外、誰にもわからないのが実情だ。

 また「少なくとも一カ所以上の秘密核施設が存在する」とのことだが、核関連施設では黒鉛型原子炉と軽水炉が稼働している焦点の寧辺以外に平安南道・順川に原子力エネルギー研究所、平安南道・平城に核物理研究所、咸鏡北道・金策に原子力研究所、江原道・元山に放射防護研究所、咸鏡北道・清津に放射性同位元素活用研究所、咸鏡北道・羅津に核技術研究センターがあり、また、平安北道・亀城には核起爆装置製造工場、黄海北道・平山と平安北道・博川には濃縮ウラン生産工場があることはすでに明らかにされている。さらに平安北道・泰川に20万kw原子炉が建造中であったことや咸鏡南道・新浦に発電用原子炉が3箇所あることも北朝鮮は隠してない。「秘密核施設」とは一体どこを指すのだろうか?

 もしかすると、2年前の2016年7月に米科学国際安全保障研究所が「寧辺から45km離れた平安北道・金倉里のパンヒョン空軍基地内の敷地に遠心分離200〜300個程度で稼働できる小規模のウラン濃縮施設とみられる施設がある」と発表していたが、ここの場所を指すのかもしれない。

 北朝鮮がありのままを申告すれば、完全なる非核化は可能だが、北朝鮮には「前科」があるだけに「すべてを申告した」と言っても簡単には信用されないだろう。それだけに国際機関など第三者による徹底した検証はむしろ北朝鮮にとっても不可欠なはずである。



2018年6月27日(水)

南北を結び、中露に繋がる朝鮮半島縦断鉄道の経済的メリット

2007年5月に5両編成の列車による初の試験運転が行われた。(写真:ロイター/アフロ)


 韓国と北朝鮮は昨日(26日)、軍事境界線がある板門店の韓国側施設で南北鉄道連結に関する協議を行い、南北を結ぶ東海線・京義線鉄道の近代化に向けた共同研究調査団を発足させ、とりあえず京義線の北朝鮮側区間(開城〜新義州)についての共同現地調査を7月24日から始めることにした。これは4月の文在寅―金正恩首脳会談での「板門店宣言」に基づくものである。

 「板門店宣言」で両首脳は「民族経済の均衡発展と共同繁栄を成し遂げるため、10.4宣言(2007年10月4日の盧武鉉大統領と金正日総書記の首脳会談)で合意した事業を積極的に推進し、第一段階として東海線および京義線鉄道と道路を連結し、現代化して活用するための実践的な対策を取る」ことを国民に約束していた。

 京義線の北朝鮮側区間に続いて、東海線の北朝鮮側区間(金剛山〜豆満江)についても共同調査が実施され、さらに7月中旬には京義線の南北連結区間(ムン山〜開城)と東海線の南北連結区間(猪津〜金剛山)の点検も行うようだ。南北が鉄道・道路に関する協議を行うのは2008年以来約10年ぶりのことである。

 朝鮮半島縦断鉄道の連結は18年前に金大中大統領の訪朝による初の南北首脳会談後に開かれた南北閣僚会議での合意事項である。

 南北は合意と同時に西側の京義線(ムン山〜開城間の27.3km)と東側(日本海側)の東海線(猪津〜金剛山の25.5km)の路線連結工事に着工し、3年後の2003年には完工した。総工費は5,454億ウォン(約712億円=当時のレート)で韓国側が支出した。この内、北朝鮮側への支援金は全体の3分の1の1,809億ウォン(約240億円)。

 盧武鉉政権下の2007年5月、5両編成の列車による初の試験運転が行われ、南北分断以来、京義線は56年ぶりに、東海線も57年ぶりに開通した。試験運転なので時速は10〜20kmと遅く、このため京義線は1時間30分も要した。

 しかし、半年後に行われた韓国大統領選挙で保守の李明博大統領候補が当選し、翌2008年に政権を発足させた李大統領が前政権の南北合意事項を見直す方針を打ち出すや南北関係は悪化し、鉄道再開事業は全面ストップしてしまった。結局、1回限りの試験運転で終わってしまった。このため2008年8月に京義線を利用した北京五輪への南北共同応援団派遣構想も日の目を見ることはなかった。北京五輪ではシドニー、アテネへと引き継がれていた南北選手団の統一旗の下での合同入場行進も断ち切れてしまった。

 「板門店宣言」に基づき、京義線と東海線が完全復旧すれば南北双方にとってその経済的メリットは計り知れないものがある。

 南北の交易はスタートした1989年の時点では僅か2,500万ドル程度だったが、中国などを介した間接貿易から直接貿易にシフトした2000年4月の時点では4億3千万ドルに急増。さらに海上ルート(船舶)による南北直接貿易の結果、盧武鉉政権下の2007年には約18億ドルと、7年間で約4倍以上も伸びた。こうした趨勢から盧武鉉政権は南北鉄道が復旧されれば、5年後の2012年には65億ドルになると期待されていた。

 仮に今後、北朝鮮の非核化が前進し、安保理制裁が緩和、解除されれば、南北交易は6倍、中朝貿易は5.5倍になると見積もられている。

 これまで南北貿易では仁川〜興南は主に水産物が、仁川〜南浦は委託加工物品が輸送され、釜山〜羅津間は中韓の貨物の中継港として利用されてきた。仁川〜南浦間の海上運賃は20フィートコンテナ1個(1TEU)あたり800ドルであるが、鉄道を利用すれば、200ドルと4分の1になる。運送までの日数も大幅に短縮される。平壌まで路線が開通すると、さらなる利益をもたらす。ソウル〜平壌周辺への鉄道輸送費はコンテナ1個あたり200ドルぐらいで、輸送日数も1〜3日は短縮できる。

 また、京義線(釜山〜丹東)と東海線(釜山〜羅津)が復旧すれば、中国やロシアから欧州大陸鉄道にも連結することになる。

 京義線は釜山〜ソウル〜開城〜新義州から中国の丹東を通って中国大陸横断鉄道(TCR)からシベリア横断鉄道(TSR)に連結するルートと、中国大陸〜モンゴルを通ってTSRに連結する路線の2本が開通することになる。

 また、東海線の開通に伴い京元線(ソウル〜元山〜羅津〜TSR)が復旧すれば、羅津〜ハサン(ロシア国境駅)を経てTSRと結ぶ路線と清津〜会寧〜南陽〜図們(中国国境都市)からTSRに繋がる路線が開かれる。

 中朝間では和龍〜南坪を結ぶ鉄道(41.68km)が建設され、また、丹東市と新義州市を結ぶ国境大橋も建設されている。ロ朝間でもすでにハサン〜羅津間で鉄道(54km)が開通し、今後、ウラジオストク〜ハサン〜羅津を結ぶ450kmの鉄道を近代化する。加えて、中朝露の3国は図們〜豆満江(咸鏡北道)〜ハサンを結ぶ126kmの区間の国際鉄道の再開にも合意している。

 KOTRA(大韓貿易振興公社)が2000年に発表した報告書によると、釜山からモスクワまで1TEUの貨物を輸送する場合、海上輸送なら30日かかり、運賃は2、130ドルだが、シベリア横断鉄道を利用すれば期間は15日に半減し、運賃も300ドル程度安くなる。

 京義線が貫通すれば韓国〜EU間の物量の20%、日本〜EU間の物量の5%が京義線を使ってシベリア横断鉄道で運ばれることになる。

 京義線を使ってシベリア横断鉄道で運ばれる場合の北朝鮮の年間運賃収入は韓国の403億円に比べて約1.8倍の720億円と推定されている。北朝鮮にとっても経済的メリットは大きい。



2018年6月26日(火)

北朝鮮から消えた「反米スローガン」ー金正恩政権は「反米の旗」を下ろしたのか

長距離弾道ミサイル(人工衛星)発射成功祝賀公演のワンシーン


 昨日の6月25日は朝鮮戦争勃発日(1950年6月25日)である。今年で68周年である。

 北朝鮮は毎年この日から休戦日(1953年7月27日)までの約1か月間「反米月間」に定め、全国各地で国を挙げての大々的な反米キャンペーンを展開してきた。しかし、今年はどうやら取り止めたようだ。

 この1か月は集会、示威から始まって様々な反米運動やイベントが行われるのが常である。街頭には「打倒米国」「ヤンキーゴーホーム」の横断幕やポスターが掲げられ、テレビでは朝鮮戦争関連の映画やアニメなどが放送され、米国への人民の憎悪を煽ってきた。

 過去3年間の「反米月間」をチェックしてみると、2015年には労働新聞などメディアが「朝鮮戦争は米国によって引き起こされた侵略戦争」という社説や論説、署名入り記事を一斉に掲載していたほか、朝鮮中央放送は「米軍は朝鮮戦争で細菌を使用した」と米国の「野蛮性」を糾弾していた。これに煽られるかのように労働者や農民、教職者らが職場で糾弾集会を開き、反米の気勢を上げていた。

 そして、25日の当日には政治局常務委員の朴奉柱総理ら党幹部らが出席し、金日成競技場で平壌市群衆大会が開かれていた。反米集会は首都・平壌に限らず、各市、道でも行われ、当然、人民軍でも陸・海、空の各単位で「決起集会」が行われていた。

 また、この年は朝鮮戦争勃発65周年という節目の年ということもあって当時、最高権力機関であった国防委員会の名で声明が出されていた。声明は「盗人米帝の対朝鮮敵視敵対政策とそれに伴う前代未聞の孤立圧殺策動を踏みにじる我が軍隊と人民の挙国的反米闘争は新たな高い段階に達したことを宣言する」と謳っていた。

 一昨年の2016年も全国各地で群衆大会が開かれ、会場を金日成広場に移して行われた平壌市群衆大会では朴総理のほかに金正恩委員長の最側近である崔龍海政治局常務委員も出席した。この年は平壌市では群衆大会とは別途に新たに平壌市青年学生らによる「復讐決議集会」も開かれていた。

 また、朝鮮戦争での米軍の野蛮な虐殺の象徴として建てられた信川博物館に「軍隊や人民が連日訪れている」との北朝鮮メディアの報道も目を引いた。北朝鮮は信川では「米軍によって住民の4人のうち1人が虐殺された」と主張している。さらに、朝鮮戦争で投下された50kg〜250kgの米軍の不発弾がいたるところで発見されたとの報道もあった。

 この年は、反米月間を記念した切手も発行されていた。切手の宣伝画には「忘れてはならないオオカミの米帝を!」「朝鮮人民の不倶戴天の敵、米帝侵略者らを消滅させよう!」などの文字が印字されていた。

 昨年の67周年の反米月間でも例年同様のキャンペーンが展開されたが、前年と同じく金日成広場で行われた平壌市群衆大会では大会終了後に市民らによる大規模の示威も行われていた。

 米軍の不発弾も「これまでの間に80万個が発見、除去された」との報道もあった。この種の報道は戦争の傷跡が今も去ってないとして米国への憎しみを助長することにその狙いがあった。

 また、昨年も前年同様に反米月間を記念しての切手が二種類発行されていたが、一つはホワイトハウスに向けミサイルが飛んでいく風刺画が描かれており、もう一つは人民の拳で米星条旗がひきちぎられる場面が描かれていた。これら二種類の切手は、米国とは言葉ではなく、銃台で決着を付けなければならない、米国の強硬策には超強硬で対抗しなければならないとの当時の北朝鮮の雰囲気を表したものであった。

 さらに、休戦協定日を前に、米国の独立記念日にあたる7月4日に米国の西海岸まで届く中長距離弾道ミサイル(ICBM級)の「火星14型」を発射させていた。

 北朝鮮が休戦から65周年目にして反米キャンペーンを中断したとすれは、先のトランプ大統領とのシンガポールでの首脳会談で「米朝は平和と繁栄に向けた両国国民の願いを踏まえ、新たな関係を築くことを約束する」との共同声明を交わしたこと、トランプ政権が北朝鮮にとっては待望だった米韓合同軍事演習の中断を決定し、誠意を示したこと、さらにはトランプ大統領が金委員長の訪朝要請に「適切な時期に訪朝する」と受託したことへの「返礼」と言っても過言ではない。

(参考資料:4度目の正直の「相思相愛」の米朝首脳会談 )  

 クリントン政権下の2000年、父親の金正日総書記はこの年の10月9日に訪朝したオルブライト国務長官(当時)に「クリントン大統領が我が国を訪問され、我々との間で平和協定を結び、国交を正常化するならば、その日を期して反米の旗を降ろし、親米となる」と言ったと伝えられているが、金正恩政権は18年目にして、米国からの体制保障を引き換えに本当に反米の旗を下ろす決断をしたのかもしれない。

 なお、ホワイトハウスのNSC(国家安全保障会議)のスポークスマンは北朝鮮が反米キャンペーンを自制したことについて「肯定的な変化は大きな主動力になる」と歓迎の意向を表明していた。



2018年6月24日(日)

朝鮮戦争米軍兵士遺骨発掘の費用を米国は払うのか

板門店での米軍兵士遺骨返還儀式


 北朝鮮から朝鮮戦争(1950年6月−53年7月)で戦死した約200体の米軍兵士の遺骨が数日内に米国に返還されるようだ。

 トランプ大統領は20日に自身のツイッターで「すでに今日、200人の遺骨が返還された」と述べていたが、現在、米国の担当者2人が北朝鮮に入って、引き渡しの手続き行っている最中で、引き渡しまでに多少時間を要しているようだ。

 米軍兵士の遺骨返還はシンガポールでの米朝首脳会談で発表された米朝共同声明の合意事項である。北朝鮮は身元の確認ができた戦争捕虜及び行方不明者の遺骨を直ちに送還することを約束していた。共同声明発表から2週間もしない送還をトランプ政権は首脳会談の成果としてアピールしたいようだ。

 米軍兵士の遺骨問題がクローズアップされたのはブッシュパパ(ジョージ・ブッシュ)政権下の1989年5月からで、米国は北京で開かれた米朝第4回参事官級接触で当時約8千人と推定されていた米兵士の遺骨返還問題を北朝鮮側に初めて提起した。

 東欧社会主義諸国の瓦解や同盟国・ソ連の韓国への急接近に危機感を深めていた北朝鮮は対米接近を試み、翌年の1990年5月に非武装地帯の板門店を通じて5体の遺骨を米軍側に引き渡した。

 ブッシュ政権からクリントン政権に代った1993年8月25日に米朝は共同で遺骨を発掘し、返還することに関する合意書を交わし、そのための実務者協議会を板門店に設置することにした。合意書が採択されたことについて当時、国連軍司令部(駐韓米軍司令部)は「核問題解決のための国連軍側の絶え間ない努力と北朝鮮側の新たな意思の結果によって実現した」と評価し、北朝鮮もまた「ジュネーブで開かれている米朝高官会談の環境つくりに寄与する」と歓迎していた。

 北朝鮮は1994年までに単独で米軍兵士の遺骨を発掘し、合計で208人の遺骨柱を米国に返還していたが、新たな合意に基づき、1996年から米国防総省の「戦争捕虜、失踪者担当合同司令部」(DPMO)から調査団(27人)が北朝鮮に派遣され、米朝共同の遺骨収集が始まった。兵士の遺骨発掘調査は通常現役軍人の手によって行われることから合同調査、発掘のためとはいえ敵軍である米軍が北朝鮮に入るのは画期的な出来事であった。

 米国は1996年から2005年までに延べ33回、北朝鮮に調査団を派遣し、約220柱を発掘し、本国に送還した。このうち107人の身元が確認され、遺族に返還されていた。

 しかし、その後、米国は発掘人員の安全が保障されないとの理由で遺骨収集作業を中断させてしまった。北朝鮮からの遺骨返還は2007年4月にビル・リチャードソンニューメキシコ州知事が訪朝した際の6体が最後となった。

 北朝鮮はオバマ政権下の2010年1月に遺骨発掘問題を話し合う実務会談を国連軍司令部(駐韓米軍司令部)に提案し、一度は板門店で会談が開かれたものの進展をみることができなかった。この年の4月に朝鮮人民軍板門店代表部は談話を出し「我が国の至る所に米軍の遺体が散らばり転がっていても、もはや構わない」と述べ、北朝鮮の誠意を無視した結果として「数千柱の米軍兵の遺骨が流失すれば、その責任は人道主義的問題を政治化した米国側がすべて負わなければならない」と米国に発掘を再開するよう促していた。

 米朝は2011年に再度、タイで交渉し、遺骨発掘作業の再開で合意し、オバマ政権は570万ドルの支出を決定した。米軍広報官は「北朝鮮側に支払われる費用は米国がベトナムやラオスでの遺骨作業の時と同じレベルで、特別に多く払っているのではない」とコメントしていた。費用は発掘調査のためのベースキャンプの設置や北側労務者の雇用、車両のリースやヘリコプターなど運搬手段の使用などに使われると説明されていた。結局、この時は、翌年2012年4月に北朝鮮が人工衛星と称して長距離弾道ミサイル「テポドン」を発射したため立ち消えとなってしまった。

 これまでに合計で434体の遺骨が返還された米軍遺骨発掘事業では米国から北朝鮮に約2、800万ドルが支払われている。1千人以上の行方不明者を出した咸鏡南道のチャンジン湖と中国義勇軍との激戦で約300人の行方不明者を出したとされる平安北道の雲山での2005年4月の発掘作業では500万ドルが北朝鮮側に支払われていた。

 トランプ政権は金正恩政権が今回いっぺんで約200体の遺骨を返還するとツイートしていたが、通常ならば、その保障額は軽く1千万ドルは超えることになる。北朝鮮が請求するかどうかは不明だが、仮に米国がこれまでのように支払えば、国連の制裁決議違反となる。

 過去に米国はベトナムとの間で遺骨返還交渉を行ったことがあるが、米越の場合、遺骨発掘作業のためハノイに常設事務所の開設→共同実施調査→外相会談という経過を辿り、交渉の進展に合わせてベトナムに対して人道援助の供与、経済制裁の一部解除、IMF(国際通貨基金)による融資の許可など臨時融和政策を取ってきた。



2018年6月22日(金)

恥も外聞も捨てたなりふり構わぬ「金正恩3度目の訪中」

習近平主席の手を両手で握る金正恩委員長


 金正恩委員長が3月(25−28日)、5月(7−8日)に続き6月19日に一泊二日の訪中を終え、20日に帰国した。

 北京滞在中に習近平主席と会談した際、朝鮮中央テレビは報じなかったものの中国中央テレビによると、金委員長は「中国は我々の友好的で偉大な隣国だ。習近平国家主席は我々が非常に尊敬する偉大な指導者だ。私は習主席、中国の政党、政府、人民に対し、私個人と朝鮮労働党、北朝鮮の人民への誠実な友情と長期にわたる貴重な支持に感謝する」と述べたそうだ。また、宴会でのスピーチでは中朝は同じ屋根の下で暮らす家族同然であるとの趣旨の発言をしたうえで「今後中国同士らと一つの参謀部で緊密に協力し、協同する」と誓っていたそうだ。

 「不倶戴天の敵」であったトランプ大統領との首脳会談を例に取るまでもなく、北朝鮮の「手のひら返し外交」は「瀬戸際外交」と並ぶ伝統、お家芸ではあるが、それにしてもこの豹変ぶりは半端ではない。

 父親の金正日総書記は1994年から2011年の17年間の任期中、訪中は2000年(5月)、2001年(1月)、2004年(4月)、2006年(1月)、2010年(5月、8月)、2011年(5月)の計7回しかない。

 息子の金正日委員長同様に金正日総書記も1994年7月に政権を継承してから6年間、中国には行かなかった。また、2010年に限って2度、中国に足を運んでいたが、金正恩委員長のように40日置きに立て続けに3度も訪中することは一度もなかった。中国の最高指導者は2005年の胡錦涛主席以来13年間、訪朝してないだけに北朝鮮による「一方通行」は外交関係上、まさに異常である。

 祖父の金日成主席は生前、同盟国の旧ソ連と中国が韓国と国交を結んだことに衝撃を受け「大国は自らの国益のため同盟国を犠牲にする。永遠の友はいない」と後悔し、また父の金正日総書記も「中国は決定的な段階で我々を裏切る。中国を信用してはならない」との言葉を残していた。

 実際に金正日総書記は北朝鮮初の核実験への国連制裁決議に中国が同調した際には労働新聞を通じて「大国の顔をうかがい、大国の圧力や干渉を受け入れるのは時代主義の表れである。時代主義は支配主義の案内人で、その棲息の土壌となる。干渉を受け入れ、他人の指揮棒によって動けば、自主権を持った国とは言えない。真の独立国家とは言えない」と中国と距離を置いていた。

 また、2009年にも米国が主導する国連制裁決議「1874」に中国が賛成した時は「大国がやっていることを小国はやってはならないとする大国主義的見解、小国は大国に無条件服従すべきとの支配主義的論理を認めないし、受け入れないのが我が人民だ」(労働新聞)と中国への猛反発を露わにしていた。

 金正恩委員長も当初は、この教えを忠実に守り、従っていた。

 政権発足直後の2012年4月、ミサイル(衛星)発射で安保理議長声明が出された時は「常任理事国が公正性からかけ離れ、絶え間ない核脅威恐喝と敵視政策で朝鮮半島核問題を作った張本人である米国の罪悪については見て見ぬふりして、米国の強盗的要求を一方的に後押ししている」と中国への不満を露わしていた。

 翌2013年に制裁決議「2087」が採択された際には「間違っていることを知りながら、それを正そうとする勇気も責任感もなく、誤った行動を繰り返すことこそが、自身も他人も騙す臆病者の卑劣なやり方」(23日の外務省声明)と糾弾し、翌24日の国防委員会の声明では「米国への盲従で体質化された安保理事国らがかかしのように(決議賛成)に手を挙げた」と中国を「米国のかかし」とまで言い放っていた。

 さらに、2016年1月のテポドン発射を非難された際には労働新聞を通じて「我々は自らの力で暮らしており、誰の目も気にせず、誰にもぺこぺこと頭を下げることなくすべてのことを我々の意図、我々の決心、我々の利益に沿ってやっている。外部の支援はあっても、なくても良いというのが我々の決心である」と虚勢を張ってみせていた。

 一番記憶に新しいのは昨年4月の朝鮮中央通信の「我々の意志を誤判し、どこかの国(米国)に乗せられ、我々に対して経済制裁に走れば敵から拍手喝さいを浴びるかもしれないが、我々との関係に及ぼす破局的な関係を覚悟せよ」(21日)との警告だ。

 翌5月3日には労働新聞を通じて「朝中親善がいくら大事とはいえ、命である核と変えてまで中国に対し友好関係を維持するよう懇願する我々ではない」「制裁を強めれば手を上げて、関係復元を求めてくると期待することこそ子供じみた計算である」として中国が説得しようが、圧力を加えようが「国家の存立と発展のための我々の核保有路線を変更することも揺るがすこともできない」と豪語していた。

 「米国の卑劣な脅迫と要求に屈従し、血で結ばれた共通の戦利品である貴重な友誼関係を躊躇うことなく放り出している」として「反共和国制裁決議のでっち上げに共謀した国」「米国の卑劣な脅迫や要求に屈従した臆病者」「公正性を投げ捨てたかかし」とまで罵倒していたその中国に米国との非核化交渉に向けての「用心棒」としてまた経済面でのパトロンの役割を期待してのものであろうが、3度も詣でし、恥も外聞もなく、協力を懇願する姿はなんとも哀れ極まりない。

 なんだかんだ言っても、北朝鮮にとって中国はまさに「仏様、神様、中国様」なのかもしれない。



2018年6月17日(日)

知られざる「トランプ・金正恩単独会談」のこぼれ話

首脳会談で握手するトランプ大統領と金正恩委員長


 史上初の米朝首脳会談でトランプ大統領と金正恩委員長は全体会議の前に38分間、単独会談を行った。会談の具体的なやりとりについては双方とも伏せているが、幾つかこぼれ話がある。

(参考資料:「同床異夢」の「トランプ・金正恩」の7つの共通点 )  

 一つは、電話番号の交換にまつわる話である。

 トランプ大統領は金正恩委員長に自身の直通電話番号を教えたことを明らかにし、17日(日本時間18日)に「金委員長に電話する」とフォックスニュースのインタビューで語っていた。

 両首脳間のホットラインの設置は単独会談中にトランプ大統領が「これから頻繁に連絡を取り合おうと」と提案し、サンダース大統領スポークスマンと金与正氏を会談場に呼び、二人を通じて電話番号を交換したことによる。

 トランプ大統領は15日、ホワイトハウスで記者団に対し「私は金正恩氏に電話ができる。私は彼に直接繋がる電話番号を教えた。問題があれば、彼は私に電話を掛けることができる。私も彼に電話ができる。我々は意思疎通ができることになった。大変良いことだ」と語っていた。

 ホットラインの設置はどうやら金委員長が会談中に今年の新年辞で豪語した「核ボタン」について触れたことがきっかけとなったようだ。

 金委員長が元旦の「新年の辞」で「米本土全域が我々の核攻撃の射程圏内にあり、核のボタンが私の事務室の机の上に常に置かれていること−これは決して威嚇ではなく、現実だということをはっきり理解すべきだ」と米国を威嚇し、これに対してトランプ大統領が即座に「自分の核ボタンの方がもっと大きく、強力だ。それに私のボタンは作動する」と応酬したのはまだ記憶に新しい。

 金委員長は単独会談の場で「全世界の人々が一つ知らなければならないのは私のテーブルの上にあった核ボタンが無くなったのはトランプ大統領のおかげであるということ。全世界はこのことでトランプ大統領を尊敬しなければならない」と述べ、トランプ大統領を持ち上げたようだ。

 結果として、両首脳は執務室のテーブルの上にはこれからは核ボタンではなく、ホットラインを常設し、早期に稼働することで合意したとのことだ。

 トランプ大統領は共同声明に「完全で検証可能で、不可逆的な非核化」(CVID)を盛り込めなかったことで国内外から批判を受けているが、メディアとのインタビューやツイッターで「(金委員長と)合意しなければ、戦争になる。戦争になれば、3千万、4千万、5千万の人が死ぬ。オバマ大統領は核問題を解決できなかったが、もう核の脅威はない。核問題は解決した」ことの実績をことさら強調していたが、どうやら金委員長の前述の発言に鼓舞されたようだ。

 なお、昨年10月に戦争の危機が高まった折、米議会調査局は「米国の可能な対北接近法」と題する報告書で米朝ホットラインの必要性を提案していた。ちなみに米国と旧ソ連はキューバ危機後の1963年にホットラインを構築し、意思疎通のチャンネルを設置した。これは双方の誤判による核戦争を防ぐためであった。米朝のホットライン設置はこれをモデルにしたようだ。

 もう一つは、首脳会談で発表された共同声明の4項目のうち1項目を除き、3項目については事前に合意ができていたことだ。

 共同声明では▲新たな米朝関係の構築▲平和体制の構築▲完全なる非核化▲戦争捕虜及び行方不明者の遺骨の発掘と送還に関する4項目で合意が交わされたが、戦争捕虜の問題以外は事前に合意をみていたことのことだ。ということは、CVIDについては実務協議の段階ですでに適応外とすることで合意していたようだ。

 また、ワシントンポスト(WP)によると、シンガポールに到着したトランプ大統領は会談を一日前倒して、11日にできないかと側近らに催促していたこともわかった。

 トランプ大統領は「私も、金正恩も二人ともここにいるのになぜ11日にできないのか」とポンペオ国務長官やサンダース報道官らに疑問を呈したが、二人から11日は準備に要すること、また急に予定を早め11日にやれば、米国時間は日曜の夜にぶつかり、テレビ中継もやりにくくなると説得され、結局断念し、予定通り12日に臨んだとのことだ。

 なお、前出のWPによれば、トランプ大統領は私的な場では知人らに対し金委員長と親密な関係を築くため北朝鮮での収益性の高い開発事業について不動産開発業者や金融界のお偉方を紹介、斡旋することもできると言っていたようだが、実際に金委員長にそうした打診をしたのかはわかっていない。

(参考資料:4度目の正直の「相思相愛」の米朝首脳会談 )  



2018年6月14日(木)

米朝首脳会談で「人工衛星」の問題はどう決着?

2年前に発射された「光明星4号」


 北朝鮮は4月20日に核実験と中長距離弾道ミサイル及びICBM(大陸間弾道ミサイル)の発射中止を一方的に宣言し、5月24日に咸鏡北道・吉洲にある核実験場を爆破、閉鎖した。また、北朝鮮分析サイト「38ノース」は商業衛星写真の分析に基づき、平安北道・亀城にある弾道ミサイルの実験用発射台が撤去されたと伝えていた。

 亀城からはこれまで潜水艦弾道ミサイル(SLBM)を地上型に改良した中距離弾道ミサイル「北極星2型」やグアムを射程に収めた中長距離弾道ミサイル「火星12型」、それに米国の西海岸に届く長距離弾道ミサイル「火星14型」が発射されている。

 「火星14型」は中国との国境に近い慈江道・舞坪里からも発射されており、また昨年11月29日に発射されたICBM「火星15型」は平安南道・平城に基地があるので、北朝鮮が全ての弾道ミサイル発射台を撤去したという話ではない。最も深刻な問題は米国が長距離弾道ミサイル「テポドン」の発射基地とみなしている平安北道・東倉里のミサイル発射場の扱いだ。

 北朝鮮が「西海衛星発射場」と称している東倉里発射場には高さ65メートルの発射台がある。北朝鮮はここから2006年、2009年、2012年(2回)、2016年と「人工衛星」を発射してきた。

 弾道ミサイルには「火星」、「北極星」という名称が付けられているが、人工衛星には「光明星」という冠が付けられている。人工衛星と称するロケットは1998年の「1号」から始まり、およそ3年スパンで発射が行われ、2016年には「光明星4号」が打ち上げられている。この「4号」は本来、2015年10月の「労働党創建70周年」の式典に合わせる予定だったが、完成が間に合わず、数か月後の2016年2月に発射されている。

 北朝鮮は今年4月20日に開催された党中央委員会総会で「4月21日から核実験やミサイル発射を中止する」と宣言したが、人工衛星については言及してない。人工衛星の発射については一貫して「自主権の権利行使である」と主張してきた。

 実際にオバマ政権下の2012年2月29日に米朝で交わされた合意が破綻した最大の原因は北朝鮮が「光明星3号」を打ち上げたことにあった。オバマ政権は北朝鮮に対して敵視政策の撤回と24万トンの食糧支援を見返りに北朝鮮に「実りある会談が行われる期間は長距離ミサイルの発射を行わない」と長距離弾道ミサイル発射の凍結を約束させたが、合意から2カ月もしない4月13日に北朝鮮は「光明星3号」を発射してしまった。

 オバマ政権は北朝鮮の合意破りを非難したが、北朝鮮は「国際法で公認された宇宙利用の権利である」「6か国協議共同声明には人工衛星を発射してはならないとの合意はない」「平和的な衛星打ち上げは米朝合意とは別問題である」等と反論し、米朝合意の破綻を意に介さなかった。

 金正恩委員長は2016年2月に「光明星4号」が発射された際「実用衛星をもっと多く発射せよ」と指示し、これを受けた北朝鮮の国家宇宙開発局(NADA)は7か月後には推進力を3倍に増やした新型の停止衛星運搬ロケット用大出力エンジンを開発し、その地上噴出実験を成功させている。

 当時、米航空宇宙研究機関の「エアロスペース」は「38ノース」への寄稿文で「北朝鮮が公開したエンジンは小型無人用探索装備を発射するには十分だ。停止軌道に通信衛星など多様な低高度偵察衛星を発射するのに適している」と解析していた。また、ロシアの政府系メディアも昨年12月訪朝したロシアの軍事専門家のコメントとして「北朝鮮が地球観測衛星1基と通信衛星1基の開発をほぼ完了した」と伝えていた。

 金正恩委員長は昨年の新年辞で「これにより宇宙政府に向かう道が敷かれた」と演説し、北朝鮮メディアも「平和的宇宙開発の権利」を主張する記事を相次いで掲載していた。例えば、労働党の機関誌・労働新聞は昨年12月25日付で「国家宇宙開発5か年計画」に関する記事の中で「平和的宇宙開発を一層推進し、広大な宇宙を征服していく」と、今後も開発研究を進めていく意思を明確にしていた。労働新聞が「宇宙開発の権利」を主張する記事を掲載したのは、昨年12月の1か月だけで3回。人工衛星の研究・開発が金正恩政権の重要な国策の一つであることがわかる。

 9月9日に建国70周年を迎える今年は「およそ3年」というスパンからしても、また国家の大きな節目であることを考えても、人工衛星を打ち上げてもおかしくはない。

 米国は衛星発射も弾道技術を使用することから国連決議に抵触するとして容認しない方針だが「人工衛星は安保理決議よりも優位を占める国際法で公認された宇宙利用の権利である」と主張する北朝鮮とどう折り合いをつけるのか、興味深い。

 ちなみに金正日政権は2000年にミサイル問題でクリントン政権と交渉した際、ミサイル開発を中止する条件として3年間で30億ドルの支援を要求し、人工衛星については「米国が代わりに打ち上げてくれれば、発射しない」との条件を提示していた。



2018年6月10日(日)

4度目の正直の「相思相愛」の米朝首脳会談

史上初の歴史的な米朝首脳会談に臨むトランプ大統領と金正恩委員長


 「世紀の談判」と称される史上初の歴史的な米朝首脳会談を2日後に控え、トランプ大統領と金正恩委員長は今日(10日)それぞれ開催地・シンガポールを訪れる。

(参考資料:訪米した金英哲副委員長が持参した「金正恩親書」――トランプ大統領の早期訪朝を要請か! )  

 トランプ大統領はG7が行われていたカナダから専用機「エアフォースワン」で、金委員長もロシア製の専用機「チャムメ1号」か、もしくは中国からチャーターした「CA(エアチャイナ)122便」のどちらかでシンガポール入りするようだが、トランプ大統領は夜に、金委員長は一足先に夕方には宿舎に到着の予定だ。宿舎はトランプ大統領がシャングリラホテル、金委員長はセントレジスホテルで距離にして僅か570メートルしか離れてない。

 一時はボルトン大統領補佐官対金桂寛外務第一次官、ペンス副大統領対崔善姫外務次官ら参謀によるバトルが原因で流会の恐れもあったが、これにより史上初の米朝首脳会談がシンガポールのリゾート地、セントーサ島のカペラホテルで開かれることが決定的となった。会談が現実すれば、まさに米朝両国にとっては4度目の正直となる。

(参考資料:「同床異夢」の「トランプ・金正恩」の7つの共通点 )  

 

 1度目は金正恩委員長の祖父・金日成主席がクリントン大統領を相手に試みた1994年で、米韓関係者らの橋渡しによるところが大きかった。

 この年の4月に訪朝したウィリアム・テーラー米戦略問題研究所副所長らに対して金主席が自ら訪米の意欲を示し、また、米CNNが米TVメディアとして初めて金主席との単独インタビューを全米に流したことで浮上した。さらに金主席が直後に訪朝した在米韓国人ジャーナリストの文明子氏に「英語の勉強をしているところだ」と述べたことから「金日成訪米」は現実味を帯びた。

 金主席の訪米仲介に積極的に動いたのが後の大統領、金大中氏(当時:アジア太平洋平和財団理事長)であった。 金大中氏は1994年5月に訪米し、ナショナル・プレス・クラブ(NPC)で講演を行った際、「金日成訪米」について触れ「訪米の招待状を出したらどうか」と提案。これを受ける形でNPCが金主席に米国での講演依頼の招待状を出すに至った。

 金主席は自身の最後の誕生日となった1994年4月15日に行った米CNNとのインタビューで「核兵器の運搬手段もなく、国土も狭く、核兵器を実験することもできない」と核保有を否定し、2か月後の6月15日に一触即発の状況を回避するため訪朝したジミー・カーター米元大統領との会談で原子炉の凍結及び平壌での金泳三大統領との初の南北首脳会談開催に同意した。

 金主席は当時、南北首脳会談を終えた後、2回目を米国で行うことを検討していた。米朝国交樹立のため訪米し、その際に金泳三大統領も訪米するというシナリオだった。しかし、それもカータ―訪朝から1か月もしない7月8日に心臓発作で死去したことで無となってしまった。金主席の急死で7月25日に予定されていた南北首脳会談は頓挫してしまった。

 2度目は、金正恩委員長の父、金正日総書記の政権下で、クリントン大統領の任期最後の年の2000年。この年の6月に金正日総書記は金大中大統領と史上初の南北首脳会談を行ったが、その場で金正日総書記は金大中大統領にクリントン大統領との首脳会談の仲介を依頼した。

 金大中大統領の仲介が実を結び、4か月後の10月に北朝鮮軍トップの趙明禄人民軍総政治局長とオルブライト米国務長官による相互訪問が実現したことでクリントン大統領はミサイル問題解決のため訪朝を計画。だが、中東問題を優先せざるを得なかったことや11月6日に行われた大統領選挙で後継者のゴア副大統領が共和党のブッシュ候補に敗れたことで訪朝が白紙化してしまった。

 それでも初の米朝首脳会談に意欲を示すクリントン大統領は12月21日、金大中大統領に電話をかけ「北朝鮮訪問はほぼ不可能だが、来年1月に金正日をワシントンに招待したい」と金正日訪米の仲介を依頼した。これに金大統領が「金正日がワシントンに行って何も得ずに戻るわけにはいかない。事前に成功を保障しておく必要がある」と進言したことから米国務省は翌日、金正日総書記宛てのクリントン大統領の親書を北朝鮮の国連代表部を通じて伝達した。親書には「われわれ二人(クリントン氏と金総書記)が会えば(関係改善)問題の解決が可能になる」と書かれてあった。

 しかし、ブッシュ次期大統領が大統領選挙期間中から「米朝ジュネーブ核合意」をはじめクリントン政権の対北外交を痛烈に批判していたこともあってレイムダックに陥ったクリントン大統領を相手に首脳会談をしても意味がないと判断した金総書記は「関心がない」と回答。これによりクリントン政権下での米朝首脳会談は立ち消えとなった。

 クリントン氏は退任後、講演席で「(オルブライト訪朝結果を基に)北朝鮮に行けば、(ジュネーブ合意に続き)ミサイル協定も締結できると確信していた。それが任期中にそれが実現できなかったことが最も悔やまれる」と振り返っていた。

 そして、3度目は北朝鮮を「悪の枢軸」と呼び、金正日総書記を「ならず者」「暴君」と罵倒していたブッシュ政権時代にあった。

 ブッシュ大統領は南北及び日米中ロ6か国による核問題合意に関する「6か国協議共同声明」が発表された2か月後の2005年11月、北京での胡錦濤主席との首脳会談の場で「金正日と会っても良い」と発言し、翌2006年11月には訪問先のベトナムから「北朝鮮が核兵器を廃棄する場合、朝鮮半島の平和体制構築に向け金正日総書記と朝鮮戦争の終結を宣言する文書に共同署名する用意がある」とラブコールを送っていた。北朝鮮が1か月前の2006年10月9日に史上初の核実験を行ったため首脳会談を真剣に検討せざるを得なかったようだ。

 ブッシュ大統領もクリントン前大統領と同様に2007年には訪朝したヒル国務次官補を通じて金正日総書記に親書を伝達し、任期最後の年の2008年にはライス国務長官を平壌に派遣する計画を立てていたが、チェイニー副大統領ら「ネオコン」の反対にあい、実現しなかった。結局、最後は任期切れとなり、ブッシュー金正日首脳会談が日の目を見ることはなかった。

 トランプ大統領は大統領になる前から「(金正恩と)話し合うのがなぜだめなのか。金正恩が米国に来るなら会う。会談場でハンバーガーを食べながら話をする。核を放棄するよう説得できる可能性は10〜20%程度ではあるが、対話して悪いことはない」(2016年6月3日、アトランタ―での演説で)と発言していたが、まさに4度目にして現実のものとなった。

(参考資料:「金正恩シンガポール訪問」で注目すべき7つのポイント )  

  

2018年6月8日(金)

「金正恩シンガポール訪問」で注目すべき7つのポイント

専用機「イリューシン(IL)62M」で国内を移動する金正恩委員長


 史上初の米朝首脳会談の日が迫ってきた。会談が成功するかどうか、会談の焦点である北朝鮮の非核化と北朝鮮が交換条件として求めている体制保障についてどのような「ビッグディール」が行われるのか、世界の関心はこの一点に注がれているが、これ以外にも注目すべきポイントは多々ある。

(参考資料:訪米した金英哲副委員長が持参した「金正恩親書」――トランプ大統領の早期訪朝を要請か! )  

 トランプ大統領はこれまで内外で様々な国の首脳らと会談を行っているので、誰もがそのスタイルや手法については慣れ、そこそこ熟知しているが、金正恩委員長のそれについては未知で、従って金委員長の一挙手一投足に関心が集まることになるだろう。

 板門店での韓国の文在寅大統領との首脳会談、訪中しての習近平主席との首脳会談で金委員長のパフォーマンスを目の当たりにしているが、同胞国の韓国、友好国の中国の首脳との会談と、国交のない敵国の首脳とでは接し方、対応も当然異なってくる。そこで、注目すべき7つのポイントを挙げてみる。

 1.専用機がノンストップでシンガポールに入るのか

 金正恩委員長の専用機は1960年代に開発、製作され、70年代に改良されたイリューシン(IL)62M型で、飛行距離は約1万km。平壌からシンガポールまでは4,700kmでノンストップによる飛行は可能だが、旧式であるため整備問題で不安を抱えている。2014年11月に崔龍海党副委員長がロシア訪問の際、利用したが、機器にトラブルが発生し、引き返したこともあった。先の二度目の訪中時は大連まで運行しているが、飛行距離は短く、およそ1000kmであった。

 また、燃料も補給する必要もある。シンガポールまでは中国の上空を通るので中国のどこかを中継地にする可能性も考えられる。今回、一度もテストフライトをしてないことからぶっつけ本番で飛ばすことになる。

 2.板門店会談と同様に12人のボディーガードを連れていくのか

 文在寅大統領との板門店会談では屈強なボディーガードを12人も引き連れていた。ランチのためリムジンに乗って北側のエリアに戻る際、車を囲みながら伴走するボディーガードの警護ぶりは韓国のみならず世界を驚かせた。

 休戦状態にあるとはいえ、最前線、それも敵地(平和の家)に入ることから徹底した身辺警護となったが、文大統領が二度目の会談のため北朝鮮側のエリア(統一閣)に入った際には伴走車が2台だけで、ボディーガーは数えるほどだったことを考えると、北朝鮮の警戒ぶりは過剰であったことがわかる。今回も同じ人数を連れていくのか、それとも米国と同じ警護員の数にするのか、興味深い。

 3.随行人に金桂寛外務第一次官が含まれるのか

 金正恩委員長の随行人は南北、中朝首脳会談の時のメンバーが中心となるだろう。 ポンペオ国務長官のパートナーである金英哲統一戦線部長、李洙ヨン党国際部長、李容浩外相、板門店で米国側と詰めの協議を行った崔善姫外務次官及び崔寛一対米局長、そしてシンガポールを事前視察し、米国側と儀典関連の調整を行った金ファミリーの「執事」と称される金昌宣党中央委員会部長らが同行することになるだろう。

 問題は、先月17日、「リビア方式のような一方的な核放棄強要なら再考する」との談話を発表し、一時トランプ大統領の首脳会談中止発言を招いた金桂寛第一次官がメンバーに加わるかどうかである。

 核・対米交渉に長け、ボルドン大統領補佐官から「問題人物」と警戒されている金桂寛第一次官は2016年11月に金委員長が在北朝鮮キューバ大使館に訪問した際に同行したのを最後に公の場に姿を現してない。

 4.背広にネクタイ姿で現れるのか

 金委員長は国内での重要な行事では党服を着用している。また、南北首脳会談でも中朝首脳会談でも、そしてポンペオ国務長官に会った時も党服を着ていた。しかし、背広も持っており、公の場に背広姿で登場したこともあった。

 一昨年5月に行われた36年ぶりの党大会で初めてネクタイにスーツ姿で現れたことが話題となったのはまだ記憶に新しい。普段スーツ姿であっても、党大会には通常は党服に着替えて出てくるのがあるべき姿だが、金委員長の場合は逆パターンで、誰も予想してなかった。

 父の金正日総書記は一度も背広姿を見せることはなかった。しかし、金委員長がスタイルを真似ている祖父・金日成主席は1955年にインドネシアで開かれたバンドン会議に詰め入りの党服ではなく、背広姿で現れた。また1994年に訪朝したカーター元大統領と会談した際も背広姿であった。

 シンガポールでの米朝首脳会談を北朝鮮が普通の国に変身したことをアピールする絶好の機会と捉えているなら、背広に着替えて現れるかもしれない。

 5.トランプ大統領に両手で握手するのか

 金委員長は韓国の文大統領(66歳)、中国の習主席(65歳)との首脳会談では相手が年長者であることから朝鮮半島の礼儀作法に倣い、握手する際に左手を添え、両手で相手の手を握って見せた。また、西洋式にハグまでして親近感をアピールした。

 文大統領や習主席よりもさらに年上の御年72歳のトランプ大統領に対しても同じように礼節を重んじてしかるべきだが、直前まで激しく罵り合い、戦争一歩手前までいった宿敵にどう接するのか注目される。

 また、トランプ大統領には「リビア方式に従わなければ、カダフィ―の二の舞になる」と威嚇したボルドン大統領補佐官が随行するが、「人間の屑」「吸血鬼」呼ばりするなど拒否感を示しているボルドン補佐官と握手を交わすかも注目の的となりそうだ。

 6.英語で挨拶するのか

 金委員長は10代の頃、スイス・ベルンのインターナショナルスクールや公立学校で6年間(1994−2000年)留学し、学んでいたが、その際にドイツ語と英語をマスターしたと言われている。しかし、金委員長が英語圏の外国人と接する機会は稀で、米国人はNBAの元スター選手ロッドマン氏とポンペオ長官ぐらいに限られている。

 いずれも公の場では通訳を挟んでいたが、通訳抜きで語る場面も少なからずあった。ポンペオ長官との会談を終え、見送る途中、廊下を歩きながら会話を交わしていたが、通訳は後ろを歩いていたのでおそらく直接英語でやりとりしていたのだろう。

 世界が注目する公式の首脳会談ということもあって、ポンペオ長官の時と同じ通訳を連れて行くものとみられるが、親近感を示すため最初に会った時に、あるいは二人きりで散歩する際には英語を使う可能性も十分考えられる。

 7.共同記者会見に応じるのか

 南北首脳会談では終了後、金委員長は文大統領と並んで共同記者会見に臨んでいた。但し、記者の質問は一切受け付けることはなく、一方的に原稿を読み上げ、立ち去っていた。

 今回もトランプ大統領との共同記者会見に応じ、記者らの質問を受け付けるのかが見物だ。

 一度も経験したことのない西側記者らの質問攻勢に耐えられるとは考えにくいが、質問者の人数が制限され、事前に質問が提出されているならば、応じる可能性もゼロではない。仮に応じた場合、人権問題についてどう答えるのか興味深いが、現実問題として、共同記者会見に応じる可能性は極めて低いだろう。

(参考資料:「同床異夢」の「トランプ・金正恩」の7つの共通点 )  



2018年6月4日(月)

米朝首脳会談を前に人民軍No.1に続き、No.2の総参謀長 ,No.3の人民武力相も解任

金正恩委員長演説中にコックリする李明秀軍総参謀長を凝視する趙延俊党検閲委員長


 朝鮮人民軍トップの金正角軍総政治局長が先月突如解任されたが、No.2の李明秀軍総参謀長も、No.3の朴英植人民武力相も同時に更迭されていたことが判明した。軍トップ3人が揃って一同に解任されたのは極めて異例で、過去に前例がない。

 軍総政治局長は76歳の金正角次帥から68歳の金守吉平壌市党委員長に、軍総参謀長は84歳の李明秀次帥から63歳の李永吉第一副総参謀長(大将)に、そして人民武力相は朴英植大将(年齢不詳)から62歳の呂光鉄第二経済委員会委員長に交代している。

 金守吉、呂光鉄両氏ともいずれも軍人出身で、金守吉氏は2014年3月に平壌市党委員長に起用されるまで軍総政治局副局長(組織担当=中将)の要職に、また呂光鉄氏も副総参謀長から2015年に人民武力相に転出し、第一次官のポストにあった。

 軍総政治局長の交代は先月26日に朝鮮中央通信などが伝えた金正恩委員長の東海岸都市の元山現地指導随行者名簿で判明していたが、軍総参謀長と人民武力相の人事異動については一切明らかにされてなかった。

 これにより、金正恩体制が2012年1月に発足してからこの6年間で軍総政治局長は金守吉大将で4人目、軍総参謀長は李永吉大将で6人目、人民武力相は呂光鉄大将でなんと7人目の交代となる。

 ちなみに父・金正日体制下(1994-2011年)では17年の間、軍総政治局長の交代は一度もなかった。趙明禄次帥が1995年10月に就任して以来、亡くなる2010年11月まで15年間、その要職にあった。

 趙政治局長はクリントン政権時代の2000年10月、金総書記の特使としてワシントンを訪問し、クリントン大統領に親書を伝達していたことが最近、金英哲党副委員長兼統一戦線部部長(前偵察総局長)がホワイトハウスを訪れ、トランプ大統領に金正恩委員長の親書を伝達したこととの関連で米国のマスコミで取り上げられていたばかりだ。

 また、総参謀長の交代も金正日政権下では3度しかなかったし、人民武力相も17年間で僅か4人に過ぎなかった。呉振宇人民武力相は1995年2月になくなるまで19年間、そのポストにあった。後任の崔光次帥は1年4カ月と短かったが、任期中に死去したことが原因である。3人目の海軍出身の金益鉄次帥は1997年2月から2009年2月まで12年間も在任していた。

 今回更迭された金正角次帥は昨年11月に軍総政治局長に登用されたばかりで僅か半年での交代となり、2016年2月に総参謀長に就任した李明秀次帥も2年3か月で、同じく同年5月に人民武力相となった朴英植大将も2年でお役御免となった。軍首脳を頻繁に交代させるのは軍を掌握していることの証であると同時に軍首脳部に絶大な信頼を置いてないことの表れでもある。

 今回の人事で意外なのは軍総参謀長に李永吉大将が再起用されたことだ。

 李永吉大将は前線の5軍団長から2013年に作戦局長に起用され、その年に早くも58歳の若さで総参謀長の抜擢されていた。翌年の2014年には党政治局候補委員、党軍事委員にも選出され、とんとん拍子に出席していたが、2016年1月に突如電撃解任されてしまった。

 当時、韓国の情報機関・国家情報院は李永吉総参謀長が「分派活動が理由で粛清、処刑された」と発表したが、実際には処刑されてはおらず、9か月後の11月に姿を現し、健在ぶりを示したが、それでも総参謀長から一転、第一副総参謀長に降格されていた。

 李永吉総参謀長解任直後に党中央委員会と人民軍党委員会による連合拡大会議が開かれたが、金正恩委員長は唯一指導体系の確立の重要性を強調し、「一心団結を破壊し、蝕む分派行動を徹底的になくす闘争を進めるよう」強調していた。

 この日、金正恩委員長は一般席に座っていた軍首脳らに向かって見下ろすかのよう「人民軍隊は最高司令官の命令一下、一つとなって最高司令官の指示する方向だけ動くように」と訓示していたが、最高指導者が「自分の命令に服従せよ」と演説をぶったのは、祖父の金日成主席の時代も、父・金正日総書記の時代もなかったことだ。

 さらに不可解なのは後釜に李永吉総参謀長の大先輩にあたる李明秀大将(当時)を据えたことだ。

 李明秀大将は金正日政権下で前線の3軍団長から作戦局長に就任し、2011年には警察にあたる人民保安相に就任したが、金正恩政権発足翌年の2013年4月に人民保安相だけでなく、党政治局員、軍事委員、国防委員などすべての任を解かれていた。

 李永吉総参謀長の後任に当時82歳のロートルを据えたのは明らかに世代交代と全く無縁の人事だった。金正恩委員長がなぜ、この機会に若返りせず、20歳以上も年上のリタイアしていた人物を登用したのか、今もって謎のままだ。

 今回も「軍三役」にいずれも60代を登用したことから世代交代を図ったとの見方と、3人のうち2人が党から起用されていることで党による軍部へのコントロールを徹底させるための人事との見方が交錯しているようだが、解任された李明秀軍総参謀長と朴英植人民武力相は4月の南北首脳会談では金英哲統一戦線部部長、李洙ヨン国際担当部長や李容浩外相らと共に金正恩委員長に随行し、板門店まで来ながら、会談にも晩餐会にも同席することもなくそのまま平壌への帰任を命じられていた。何のためにわざわざ板門店まで連れてきたのか、これまた謎となっている。

 首脳会談の相手である米韓両国に対して軍を掌握しているところを見せつけるため二人を板門店まで同行させたとみられなくもないが、北朝鮮の非核化が主要議題となる米朝首脳会談を目前にした突然の軍首脳陣の交代だけに今後波紋を呼びそうだ。



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