2018年7月24日(火)

 やはり、あったか!朴槿恵政権下での戒厳令とクーデターの動き

朴槿恵大統領(当時)の退陣を求めた市民らの集会(写真:Lee Jae-Won/アフロ)


 昨年、朴槿恵大統領(当時)の退陣を求める市民とそれを阻止する朴大統領支持派らの集会やデモが暴動化し、その結果、治安が悪化し、警察力だけでは収拾できない場合、戒厳令が宣布され、軍が前面に出てくるのではと危惧していたが、実際にそのような計画があったようだ。

(参考資料:韓国でクーデターは起きないか )  

 今、韓国では軍の情報機関である機務司令部が昨年3月、朴槿恵大統領の退陣を求めた「蝋燭デモ」と称される市民らの大規模デモを鎮圧するため戒厳令を検討していた疑惑が浮上し、騒動になっている。直接のきっかけは、機務司令部が戒厳令の布告を検討していたことを示す文書が見つかったことによる。国防省は昨日(23日)、事態を重く見た文在寅大統領の指示を受け同省内に特別捜査チームと検察の合同捜査本部を設置することを発表した。

 文在寅政権が「証拠」として公開した67ページに及ぶ朴槿恵政権時代の国軍機務司令部の「戒厳対応計画の細部資料」には「有事」の実行計画が詳細に明記されている。

 例えば、この文書には▲デモが行われているソウル中心部の光化門と国会議事堂のある汝矣島に機甲旅団(戦車や装甲車部隊)と特殊戦司令部を夜間に投入する▲治安および国家機能を維持するため新聞社や放送局など報道機関に「戒厳司令部検閲団」を置く▲国会が戒厳令を解除できないよう「反政府政治活動をした議員を集中的に検挙した後に司法処理する」計画などが書かれてある。国会議員の検挙に備え、299人の国会議員のうち保守派が130余人、進歩傾向が160余人と区分し、野党系の国会議長を含め戒厳令に反対する場合は検挙し、司法処理することも検討していたようだ。これは事実上、クーデターに等しい行為である。

 興味深いのは、戒厳令を発令する際に陸海空を束ねる合同参謀本部議長を排除して陸軍参謀総長を戒厳司令官に推薦していることだ。

 戒厳令の布告は大統領に権限があるが、戒厳司令官は通常、合同参謀本部議長が担う。ところが、この資料には序列2位の陸軍参謀総長が指名されていた。理由は不明だが、陸軍士官学校卒業生中心とした国軍機務司令部が戒厳令を速やかに発令できるよう3士官学校(3土)出身の合同参謀本部議長を排除し、陸士出身の陸軍参謀総長を推薦したのではとみられている。

 合同捜査本部は今後、機務司令部が独断で戒厳令を検討していたのか、それとも上(青瓦台=大統領府)からの指示で準備していたのかを調べるようだ。というのも当時、朴政権を支えていた金光鎮・国家安保室長と朴興烈大統領警護室長は共に陸士出身で同期であった。機務司令部が戒厳司令官に据えようとしていた張駿圭陸軍参謀総長は彼らの8期後輩にあたる。従って、朴大統領の意向を汲んだ両者が戒厳令を主導した可能性も排除できない。

 当時、朴槿恵大統領は国会で弾劾されても、支持率が歴代大統領最低の5%になっても、退陣を求めるデモが100万人規模であっても、大統領の座を手放す考えは全くなかった。国会で弾劾されても、憲法裁判所がそれを認め、罷免しない限り、大統領の座に留まることができたからだ。

(参考資料:朴槿恵大統領はなぜ、かくも強気なのか )  

 憲法裁判所の9人の裁判官のうち6人(3分の2)が国会の罷免決議に賛成しない限り弾劾できない。そのうち3人は大統領が自ら指名した裁判官であり、裁判長も朴大統領が任命した人物である。朴大統領は弾劾を回避できると自信を持っていた所以である。

 また、スタート当初は高齢者中心の数千人規模だった大統領支持派のデモも主催者発表で過去最高の30万人(警察発表5万人)に膨れ上がっていたことも支えになっていた。「コンクリート基盤」とされる保守勢力、隠れ「朴支持派」が息を吹き返し、保守バネが作動し、仮に5%台に急落した支持率が徐々に回復すれば、憲法裁判所の判決にも影響を及ぼし、国会の弾劾決議が棄却される可能性もゼロではなかった。

 何よりも、軍部は国会で罷免されても朴大統領を見放していなかった。女性大統領は軍にとって非常に扱いやすい。軍歴もなく、知識も乏しいからだ。加えて、最高司令官である朴大統領は軍に全幅の信頼を寄せていた。

 38度線を挟んで北朝鮮と対峙している軍の関心は国内のスキャンダルよりも、北朝鮮の脅威である。北朝鮮はいつでもミサイルを発射できる状況に加え、金正恩委員長が韓国の混乱に乗じ、前線部隊の視察など軍事的挑発を繰り返している時に国内が混乱している状況は軍にとっては耐え難いことであった。

 まして、朴槿恵退陣に伴う政変で北朝鮮に融和的で、かつ高高度ミサイル防衛システム(THAAD)の配備にも、日本との機密情報共有を可能にする軍事情報包括保護協定(GSOMIA)にも反対の立場を取る野党政権の誕生は軍部にとっては望ましくないのは言うまでもなかった。

 そう言えば、朴大統領を支持するデモ隊がソウルでの集会で「朴大統領の退陣デモに参加しているのは民主主義を破壊する従北左派勢力である」と非難し、主催者の一人であるソン・サンデ「ニュースタウン」発行人に至っては「朴大統領は直ちに戒厳令を宣布し、アカらを一人残らず捕まえろ」と叫んでいたことも今に思えば、その予兆だったのかもしれない。

 また、国会法制司法委員会で朴大統領支持派の与党・セヌリ党のキム・ジンテク議員が「北朝鮮はすべての宣伝媒体を使って『11月12日にすべてを終わらせろ』と扇動している。乱数放送も16年ぶりに再開している。11月5日の民衆総決起集会に出て来た中高校生らは『革命政権を打ち立てよう』と言っていたが、北朝鮮が裏で操っているのでは」と司法長官に調査するよう求める発言を行っていたこともそうした延長線上にあるようだ。全斗煥軍事政権が1980年5月に全羅南道・光州での民主化要求デモを武力で鎮圧した際に「デモが北朝鮮によって扇動されている」ことを口実、大義名分にしていたからだ。

 韓国では過去に2度、政治的混乱を理由に戒厳令が敷かれ、最期は軍がクーデターを起こし、全権を握った歴史がある。

 一度目は、1960年4月に初代の李承晩政権が学生デモで倒され、政治混乱を招いた時「北の脅威」を理由に陸士8期卒を中心とした朴正煕少将率いる軍将校らがクーデターを起こし、実験を掌握している。

 二度目は、後に大統領となった朴正煕氏が1979年暗殺され、政治空白が生じた時、これまた「北の脅威」や「安全保障」を理由に後に大統領になった陸士11期卒の全斗煥国軍保安司令官(機務司令官の前身)と同期の盧泰愚第9師団長らが決起し、戒厳令を敷き、「ソウルの春」(民主化)が潰し、1980年に軍政を敷いている。

 金泳三文民政権が誕生した1993年2月以来、軍の政治への介入は26年間途絶えている。今の韓国は昔と比べ、民度も高まり、クーデターを許す土壌はない。軍も近代化された。とは言え、東南アジアのタイでは2年前、女性首相であるインラック・シナワトラ氏が国家安全保障会議事務局長を異動させ、親類を後継ポストに就かせたのは職権乱用であると問われた裁判で失職したのを機に発生したデモによる国内の混乱に乗じ、軍が「平和と秩序」の維持を名目に戒厳令を敷き、最期は軍政を敷いたことはまだ記憶に新しい。

 「二度あることは三度ある」という諺があるが、三度目の正直で韓国ではクーデターが起きなかったということなのかもしれない。