2019年4月2日(火)

 衝撃的な「駐スペイン北朝鮮大使館襲撃事件」の全容

襲撃された在スペイン北朝鮮大使館(写真:ロイター/アフロ)


 大使館はウィーン条約によって「不可侵」とされている。いわば「聖域」でもある大使館を武装グループが襲撃する事件がスペインで起きた。攻撃のターゲットにされたのは北朝鮮大使館。襲撃したのは金正恩体制打倒を叫ぶ在米韓国人の一団から成る反北朝鮮団体の「自由朝鮮」のメンバー。一体、何が起きたのか?

 ▲犯行声明を出した「自由朝鮮」

 事件が発生したのは3月22日午後4時34分頃。10人前後から成る一団がスペインにある北朝鮮大使館を襲撃。

 事件発生から4日後の26日、「打倒金正恩政権」を掲げ、ソウル市内の公園で3月1日に臨時政府の樹立を発表したばかりの闇組織「自由朝鮮」が犯行声明を出した。この組織の前身は2017年2月に起きた金正男殺害事件に絡み息子の漢卒(ハンソル)氏をマカオから緊急脱北させたことでその名を轟かせた脱北者救出団体の「千里馬民防衛」である。

 スペイン司法当局は一団のうち、米国に居住しているメキシコ国籍のホン・チャンと韓国国籍のリ・ウラン、米国国籍の在米韓国人のユ・サムら7人を割り出し、国際指名手配した。ホン・チャンを除く6人は全員20代半ばの若者らで、このうち5人は「韓国国籍」だった。

 襲撃を計画したリーダーはホン・チャン。エール大出身の在米韓国人2世らが軸となって2004年に設立した北朝鮮人権団体「LINK」の共同代表である。ワシントンに本部がある非政府機構(NGO)の「LINK」は米国、カナダ、欧州、日本及び韓国など100か所に支部を置き、主に中国や東南アジアで北朝鮮脱北者の支援活動を行ってきた。設立から3年後の2007年4月にはサンフランシスコで北朝鮮の人権状況を告発する国際会議を開催。設立15周年となる今年3月には活動成果として「1千人以上の脱北者を救出した」と豪語していた。

 ▲大使館襲撃の概要

 国外での事件を担当する全国管区裁判所のホセ・デ・ラ・マタ判事がスペインの有力日刊紙「エルパイス」(3月26日付)に明かした捜査内容(15ページ)によれば、大使館襲撃は8カ月前から緻密に練られていた。

 ホン・チャンを除くユ・サムとリ・ウランら6人は昨年6月にスペインを初めて訪れ、北朝鮮大使館に近い「ユーロスターズ サルスエラ パークホテル」に宿泊していた。最上階の部屋からは大使館の庭を覗くことができる。

 一行は犯行9日前の2月13日にスペインに再入国し、再び同じホテルに宿泊した。犯行に及ぶまでの間、白いバンを借りるなど襲撃に使用する装具などの調達に時間を費やしていた。事件2日前には市内の雑貨店で両面テープとペンチ、梯子などを購入していたことも確認されている。

 一方、ホン・チャンは一行よりも一週間も早い2月6日にスペインに入国し、翌7日には北朝鮮大使館を事前に訪れ、下調べをしていた。この時は大使館内には入れず、庭先で応対したソ・ヨンソク商務官にUAEとカナダに事務所のある投資会社の名刺を差し出し、「北朝鮮に投資をしたい」と訪問の目的を告げるだけで終わった。差し出した名刺には1979年1月生まれの「マッシュ・チャオ」という偽名が印字されていた。実際は金正恩委員長と同じ1984年生まれであった。

 ホン・チャンはマドリード滞在中、銃砲店で襲撃の際に用意すべき銃器などを見て回り、8日に一旦スペインを離れたが、19日にチェコのプラハからスペインに再入国し、翌日メキシコの大使館で旅券を更新していた。

 ホン・チャンは「カールトン・マドリード」と「アイタナ・バイマリオット」などのホテルに宿泊しながらマドリードで拳銃6丁、戦闘用ナイフ4本、こん棒や手錠、ゴーグルなどを調達していた。ホテル宿泊時は本名を使っていたが、大使館を訪れた時は実業家「マッシュ・チャオ」を、犯行後に逃走用のタクシーを呼び出す時には「オズワルド・トランプ」という偽名を使っていた。

 午後4時34分頃、一団はレンタルしたバンで大使館前に乗り付けた。ホン・チャンだけが一人降りて、大使館の門前でソ・ヨンソク商務官との面会を求めた。他のメンバーは車の中で待機していたが、大使館職員が門を開けると、一斉に大使館内になだれ込んだ。大使館内には当時、外交官や職員ら7人がいた。

 「自由朝鮮」は犯行声明の中で「我々は誰も縛り上げ、殴るようなことはしなかった。いかなる武器も所持していなかった」と主張していたが、スペイン捜査当局は「大使館職員らは暴力を振るわれ、縛り上げられ、数人が負傷を負った」と発表している。

 襲撃グループは職員らの手足を縛り、一部は頭から袋を被せ、会議室やトイレなどに隔離し、ソ・ヨンソク商務官を地下室に連れて行き、首筋にモデルガンを当て、亡命を強要した。

 幸い、2階に隠れていた一人の女性大使館職員がテラスから飛び降り、裏門から脱出に成功し、住民に助けを求めたことで救急車と警察官3人出動。テラスから飛び降りた際に怪我したこの女性職員は病院に運ばれた。

 駆け付けた警察官らが大使館の呼びベルを押したものの、金日成・金正日バッジを胸に付け大使館員を装ったホン・チャンが出てきて「何の問題もない」と言って、警察官を中に入れず、追い返した。大使館は治外法権のため警察官らは踏み込めず、大使館の外で待機せざるを得なかった。

 大使館員らの亡命工作に失敗した一団は午後9時40分、コンピューター2台とUSB数個、ハードディスク2個、携帯電話を1個奪って、大使館の車3台に分乗し、逃走した。ホン・チャンは他の一人と大使館の裏口から抜けだし、タクシーで逃走。ポルトガルを経由し、23日に米国ニュージャージー州のニューアーク空港に降り立った。

 ホン・チャンが大使館を出てから10分後、大使館を訪れた北朝鮮の留学生3人が呼びベルを押しても館内から返事がなかったため塀を乗り越え、大使館に入り、縛られていた館員らを解放し、外に連れ出したことで事が明るみになった。

 ▲FBIとCIAとの関係

 「自由朝鮮」は犯行声明で「米国の連邦捜査局(FBI)ととてつもなく価値のある特定情報を共有してきた。この情報はFBIの求めに応じて共有している」と北朝鮮大使館から盗んだ資料をFBIに提供したことを明らかにしたが、米国務省は26日、定例会見で米政府の事件への関与を問われた際に「米政府はこの事件とは無関係である」と答弁。しかし、米NBC(30日)は米国の司法消息筋の話として「FBIは(ホン・チャンから)情報を入手した」と報道。

 「自由朝鮮」はハンソル氏から救出の要請があったとして、マカオから「第三国」に脱出させたが、韓国の有力紙・東亜日報(3月28日付)が複数の情報筋の話として報じたところではハンソル氏は現在、FBIの保護の下、米国に滞在している。こうしたことから「自由朝鮮」とFBIが何らかの関係があったものとみられる。

 また、米国で発行されている北朝鮮専門媒体の「NK(North Korea) NEWS」は27日、米CIAが「自由朝鮮」に資金を提供した証拠も、またこの襲撃に直接関与した正確な情報はないが、「襲撃犯のうち少なくも2人は米CIAと連携している」と伝えていた。

 CIAの背後説についてかつてCIAに勤務したことのある米戦略国際問題研究所(CSIS)のスミ・テリ研究員がワシントンポストとのインタビューで「ハノイでの米朝首脳会談を前に北朝鮮大使館に侵入すればすべてを危険に陥れることになりかねないのでCIAが関与することはない」とCIAの「関与説」を否認していた。

 しかし、「自由朝鮮」は自らを「北朝鮮の独裁政権と戦う戦士」と呼び、「米CIAの外注を受ける団体というのが不名誉なことか」と、CIAとの関係をあえて否定しなかった。

 ▲「自由朝鮮」と金正男との関係

 ワシントンポストはさらに、28日付に金正男氏は「自由朝鮮」のリーダーと会った後、北朝鮮に暗殺されたと報じた。

 同紙は盧武鉉政権下で統一外交安保政策秘書官を務めたキム・ジョンボン元国家情報院対北室長の言葉を引用し、「自由朝鮮」のリーダーであるホン・チャンが金正男氏に会い、「再三にわたって亡命政府の指導者になるよう要請していた」と報じている。

 ホン・チャンは数年前から亡命政府の樹立を計画し、数回にわたって金正男氏に接触し、北朝鮮を見限り、亡命政府の首班になるよう説得していたが、断られたとのことである。このことにより、同紙は金正男氏の動向を監視していた北朝鮮がホン・チャンの金正男接近に危機感を覚え、「金正男除去」を決断、実行したとみなしている。

 金正男氏とCIAの関係については昨年実行犯とされたインドネシア人とベトナム人女性の公判で事件の調査にあたった警察官が証人として出席し「殺害される前の2日前に(金正男氏は)身元不明の韓国人と会っていた」と証言していた。マレーシアの捜査当局はすでにこの韓国人がCIA関係者であると割り出していたが、ホン・チャンと同一人物なのかはまだ不明。

  (参考資料:「打倒金正恩政権」の亡命者組織「自由朝鮮」の背後に米CIA! )