2010年11月10日(水)

ブッシュ回想録に北朝鮮先制攻撃

 時事通信によると、ブッシュ前米大統領は9日に発売された自身の回顧録(「決断の瞬間」)の中で、北朝鮮の核問題との関連で「外交的に解決できなければ、北朝鮮への軍事攻撃を検討せざるを得ない」と、訪米した中国の江沢民国家主席(当時)に対し警告していたそうだ。警告した時期は2003年2月10日とのことだ。

 ブッシュ氏は北朝鮮が核兵器計画を継続すれば、日本が核兵器開発に向かうのを止められなくなると指摘し、中国に解決に向けての協力を要請したとのことだが、イラク問題で手一杯だった米国に当時、果たして北朝鮮を攻撃できただろうか? 事実、ブッシュ政権がイラク戦に突入したのは、警告から1ヵ月後の3月である。

 ブッシュ前大統領が政権発足(2002年1月)直後から北朝鮮を「悪の枢軸」と非難し、金正日総書記を「取るに足らない男である。食卓で行儀悪く振舞うガキのようだ」と酷評していたことは周知の事実である。「核」の棒を振りかざす北朝鮮に苛立っていたのも事実である。

 北朝鮮がブッシュ大統領の言動に反発し「米国(クリントン前政権)とのすべての合意を全面検討せざるを得なくなった」として、2002年12月に核凍結の解除宣言し、核施設の封印と監視カメラの撤去、加えてIAEA(国際原子力機関)査察官の追放という強硬手段に出たばかりか、江主席の訪米直前にNPT(核不拡散条約)から脱退を宣言しただけに怒り心頭だったはずだ。

 ところが、北朝鮮は江主席を通じてブッシュ大統領の警告を聞かされたはずなのにひるむどころか、むしろ米国より強硬に出て、同年4月には6か国協議の米国首席代表であるケリー国務次官補に対して核燃料棒の再処理の開始を伝え、驚いたことに核輸出も辞さないと逆にブッシュ政権を脅す始末だった。そして9月には公言どおり8千本の使用済燃料棒の再処理の完了を発表し、10月には「核抑止力を物理的に公開する用意がある」と「伝家の宝刀」である核実験まで示唆していた。

 もちろん、ブッシュ大統領もそう簡単には北朝鮮の挑発や脅しに屈しはしなかった。

 核放棄の見返りである軽水炉建設の1年間中断を発表し、2004年10月には金正日体制を揺さぶるための北朝鮮人権法案にも署名した。2005年4月には「金正日のような暴君による暴政を終息させる」との決意表明もした。

 そして、暴政を終息させる手段として兵糧攻めに出て、05年9月にはマカオのバンコ・デルタ・アジア銀行にある北朝鮮関連口座の差し押さえ、12月には食糧支援(2万5千トン)まで中断した。

 ところが、北朝鮮も白旗を上げるどころか、逆に06年7月にはテポドンミサイルの発射、そして10月には核実験で答えた。

 その結果、どうなったのか。

 ブッシュ大統領は07年の金融制裁の解除に続き、08年にはテロ支援国指定の解除という大幅な譲歩を強いられる羽目となった。

 結局、米朝両国は相手に脅しをかけながらも05年7月、06年12月、07年2月、そして08年12月とその都度、6か国協議を開いたが、冷却塔の爆破という成果はあったものの、肝心の北朝鮮の非核化を実現できないままブッシュ大統領は任期を終えた、これが歴史的事実ではないだろうか。

 ブッシュ米大統領の「先制攻撃発言」を金総書記がどのように受け止めていたのだろうか。