2009年8月19日(水)

金大中元大統領死去

 金大中元大統領が昨日亡くなった。韓国は盧武鉉大統領に続きこの2か月間で二人の元大統領を失う不幸に見舞われてしまった。

 常日頃政争で明け暮れている韓国の政界も、訃報に接し、しばし休戦というわけでもないが、与野党ともに昨日から喪に伏している。

 国中謹慎ムードが漂っている最中、タイミング悪いことに今日韓国では初の人工衛星が打ち上げられる。成功すれば、一転祝賀ムードが沸き起こるかもしれない。そうした事情から、科学技術庁次官が病院を訪れ、金大中側近らにお伺いをたてていた。韓国政府としては、打ち上げを5度も延期してきた手前、これ以上引き伸ばすわけにはいかないようだ。

 金大中氏が世界で最も知られた韓国の政治家であることは誰も異論のないところ。何度も死線をくぐり抜けてきた「行動する良心」としての評価による。

 金大中氏が盧武鉉前大統領らと共に韓国の民主化や言論の自由などの人権のため先頭に立って戦わなかったならば、今日保守勢力による金大中氏の太陽政策批判もできなかった。そのことは、かつての同志でもあり、ライバルでもあった金泳三元大統領の「我々が戦わなかったら、今頃、韓国はミャンマーのようになっていたかもしれない」との言葉が端的に示している。

 享年85歳、人生を十分全うしたと思う。亡くなる前に長年仲たがいしていた金泳三氏が、また、金大中氏に死刑を宣告した全斗煥元大統領が、そして金大中氏を拉致した朴正熙元大統領の娘、朴謹恵ハンナラ党元代表らが相次いで見舞ったそうだ。全斗煥氏は「金大中大統領は私を元大統領として厚遇してくれた。私にとっては金大中大統領の時代が一番良かった」と夫人に礼を述べていたそうだ。かつての政敵であった三人が見舞いに来たことを知って金大中氏はおそらく心が安らいだろう。

 想像するところ、政治家・金大中氏にとっての唯一の心残りは、ライフワークだった南北の関係改善がミサイル発射や核実験で後退し、悪化の一途を辿っていたことだろう。しかし、それもクリントン元大統領の訪朝に続く現代グループ会長の訪朝で好転の兆しを見せたことで安堵したことだろう。というのも、金大中氏は今春訪韓したクリントン元大統領に会い、事態打開のため訪朝を熱心に促していたからだ。思いが通じて、これまたホッとしたことだろう。

 金大中氏は、金総書紀がクリントン大統領との会談で外交交渉による核問題の解決に意欲を見せたとの知らせを、また現代財閥会長との会談では南北首脳会談の約束事である金剛山観光開発や南北離散家族の再会に同意したとの吉報を聞いて、息を引き取ったのではないだろうか。そうであれば、何よりの冥土の土産となった。

 金大中死して、内外の関心は、金正日総書記が弔問団を派遣するかどうかに移っている。今日、金総書紀が遺族に「民族の和解と統一の念願を実現するための過程で残した功績は民族とともに永遠に伝えられるだろう」と哀悼の意を伝えたとの報道があった。

 金総書紀には南北首脳会談でのソウル答礼訪問の約束を果たせなかった後ろめたさもある。弔問団を派遣するのは間違いないだろう。噂される、金養建統一戦線部部長(アジア太平洋平和協力委員会委員長)か、かつて一度訪韓し、金大中氏を見舞ったことのある金基南党書記のどちらかだろう。

 北朝鮮の弔問団派遣により弔問外交に発展し、南北関係が修復されるようなことになれば、金大中氏は自らの死をもって、南北関係の好転に寄与したことになる。最後の最後まで、南北の関係改善、統一に命を捧げた政治家として歴史にその名を刻むことになるだろう。