2011年5月31日(火)

中国で何があったのか?

 金正日総書記の訪中(5月20−26日)が終わった。1983年の訪中を含め、金日成主席死去後の1994年に政権を継承してからこれまでの訪中は計8回。過去に1年の間に2度(2000年5月と2001年の1月)の訪問はあったが、3度(2010年5月、8月、2011年5月)はない。在任中27回の非公式訪問を含め延べ39回も訪中した金主席の時も一度もなかったことだ。極めて異例のことであることがわかる。どうしても行かざるを得なかった事情が生じたことは疑いもない。

 今回の金総書記の訪中は一般的には核問題、経済協力問題、そして次世代の中朝関係に目的があったと推測されている。そのことは金総書記に随行した顔ぶれからもうかがい知ることができる。

 金総書記の特使として訪韓し、李明博大統領と会談したこともある対南通の金基南書記と、先頃訪英したばかりの外交担当の崔泰福書記、それに外交ブレーンの姜錫柱副首相と6か国協議担当の金桂冠第1外務次官、さらには金英日党国際部長が随行。胡錦濤主席とのトップ会談には姜錫柱副首相と金桂冠第1外務次官を同席していた。

 また、経済分野では外資導入を任されている義弟の張成沢党行政部長と咸鏡南道党責任書記から党計画財政部長に抜擢された太鍾守副総理、それに朱圭昌党機械工業部部長の3人を伴っていた。

 後継者問題では?

 後継問題では、昨年9月の党代表者会で党軍事副委員長に就任した金正恩氏を同行させなかったものの胡錦濤主席との会談の場に中国側が後継者である習近平党副主席を同席させていたことから当然話題に上ったものとみられる。

 金総書記は帰国前日の27日に開かれた胡主席主催の歓迎宴でのスピーチの最後で「両国の老革命家が残してくれた貴重な遺産であり、共同の財富である中朝親善を引き続き強固発展させるためあらゆる努力をする。中朝親善は白頭山の天然樹林のように永遠に青々としており、鴨緑江の流れのように世代から世代に引き継がれ変わりなく継承強化される」と語り、胡主席も「中国は伝統的な中朝親善を強固発展させることを確固不動な方針として堅持している」と応えていることから、次世代の習近平―金正恩体制下でも密接な関係を維持することで意見の一致をみたことは明白だ。

 韓国の主要メディアは、胡主席は北朝鮮の後継体制支持に消極的だったため「金委員長は穏やかでない心境で帰途に就いた」(中央日報)と書いていたが、中国は金正恩氏が昨年9月に党軍事副委員長に選出された時点で祝電を送っており、また今年2月に訪朝した孟建柱公安相は金総書記だけでなく、別途に正恩氏用の贈り物も持参していた。中国側に世襲に不満あれば、特別扱いはしなかったはずだ。まして、後継者に内定した習副主席が同席している場で後継問題での不協和音は考えられない。

 そもそも中朝両国は互いに内政に干渉しないことを外交方針としている。党幹部人事、特に国家の命運を託す指導者、後継者の選定は、国の主権の問題である。それに口を挟むというのはまさに露骨な主権侵害、内政干渉にあたる。中国が仮に世襲に不快感を抱いていたとしても、中国の属国でない限り、指図する立場にはない。金総書記が息子を後継者に選ぼうが、その後継者が「反中」でない限り、無条件歓迎、支持するのが中国の外交原則である。

 経済問題では?

 日韓のメディアでは北朝鮮が思い通りの経済支援や経済協力が得られなかったのではとみる向きが多い。韓国紙「毎日経済」は28日付で、また「朝日新聞」は29日付でその理由について@外資導入担当の張成沢氏が胡主席との会談に同席しなかったこと、A今月末に予定されていた中朝国境に近い新義州の黄金坪での中朝合作による開発事業の式典が突如キャンセルされたことなどを挙げている。

 韓国紙「朝鮮日報」にいたっては、北朝鮮が経済特区に指定した羅先市とセットで黄金坪の開発協力を求めたところ、「黄金坪は経済性がない」との理由で断ったとされ、このため金総書記は「怒り狂って帰国した」と「政府消息筋の話」として伝えていた。

 同紙によれば、経済支援についても、金総書記が「破格の支援」を願い出たが、温家宝首相は、「中朝両国の経済協力は、市場原理に従うべきだ」と強調し また、胡主席も「双方の利益に見合う協力を進めるべきだ」とそっけなかったそうだ。

 それでも、金総書記は会談終了後の胡主席主催の歓迎宴のスピーチで「社会主義建設と祖国の統一を実現するための我が人民の闘争にいつも支持と声援を送ってくれていることをありがたく思っている」と語っていた。また帰国に際して胡錦濤主席に宛てた感謝文では「すべての問題で立派な見解一致をみたことに満足している」と述べていた。

 胡主席もまた、会談終了後の歓迎宴のスピーチの中で「金総書記とは共通の関心事となる問題などについて深く意見を交換し、重要な合意をみた」と語っていた。「意見の一致」は外交問題に限定してのことなのか、それとも経済協力問題も含めての意味なのか、定かではないが、今後はっきりしてくるだろう。

 明白なことは、中国は吉林省、黒竜江省、遼寧省の東北3省開発のため「超国境経済協力特区」に指定した長春―吉林―図們一帯を国家プロジェクトとして今後2020年までに約2020億元を投じ、延辺朝鮮自治州の豆満江流域を中国の成長の軸として開発する計画を持っていることだ。この計画の中に琿春―羅津―上海間に石炭輸送海上航路建設などのプロジェクトが含まれている。

 「超国境経済協力特区」が物流拠点となるには生産品とこの地域の豊富な地下資源を上海や日本、米国、カナダなど海外に搬出するための北朝鮮の港湾都市、羅津が必要となる。

 中国は2008年に羅先港の埠頭使用権を確保し、大連の創立グループが約20億ドルを投じて、羅津港を整備する。中國の商地冠群投資有限公司も昨年12月に代表団が訪朝し、勝利化学工場、製油場、石油製品工場など視察するなど現地調査を実施している。さらに吉林省代表団も09年10月に訪朝し、羅先―清津間の道路建設などの開発合作事業に乗り出している。

 一方の北朝鮮は羅先を第二のシンガポールに、国際中継貨物拠点、輸出加工基地にすることを夢見ている。羅津開発では両国の思惑、利害関係は一致していることだけは間違いない。

 中朝貿易は昨年で35億ドルを突破している。日本が北朝鮮に経済制裁を科した2001年は約7億4千万ドルだったのが、この9年間で約5倍に達している。北朝鮮からの中国向け鉱物輸出だけでもこの8年の間に17倍の8億6千万ドルに達している。中国は北朝鮮にとっては経済面では生命線でもある。

 北朝鮮は本気で、韓国がかつて1970年代に日本に近い慶尚南道の馬山と全羅南道の麗水に経済特区を設け、日本の企業、投資を誘致し、「漢江の奇跡」を起こしたように世界第2位に躍り出た中国をパトロンにして、羅先や黄金坪島のある国境都市を中国東北3省とワンセットでの開発を企図しているようでもある。

 北朝鮮が望むような大規模の経済支援を中国が約束したのか、あるいは渋ったのかは、今後の推移を見守るほかないが、最も注目すべきは、朝鮮半島の緊張緩和問題である。

 対韓関係では?

 中国側の報道では、金総書記は中国首脳らとの会談で「南北関係の改善に対しても誠意を持っている」「6カ国協議の早期再開を支持する」と語っていた。「経済建設に精力を集中させているところであり、(そのためには)安定した周辺環境が必要である」として、「障害要素を取り除くことが東北アジア地域の全般的利益に合致するものと認識している」とも語っていた。

 こうした前向きの発言から帰国後には国連の制裁解除や6か国協議再開のため対米、対韓関係改善に向けて思い切った措置を講じるのではと期待されていたが、北朝鮮は30日、突如国防委員会の声明を通じ「これ以上、韓国政府を相手にするつもりはない」と強硬な態度に出た。

 声明は@韓国政府をこれ以上相手にしないA李明博政権の「反共和国的対決策動」に終止符を打つための全面攻勢に入るB北朝鮮の軍隊と人民は対決策動に対処するため実質的な複数の行動措置を講じる−と宣言している。

 さらに声明では、北朝鮮の体制を批判するビラ散布など韓国が展開している「心理戦」にも言及し、「心理戦には、すでに警告している通り任意の時刻に任意の対象を目標として不意打ちで物理的対処をする」と韓国側を威嚇した。

 金総書記は4月26日に平壌を訪れたカーター元大統領を通じて「米国、韓国とはあらゆるテーマについて議論する準備ができている。6か国協議を早期に開催したい」と言っていたが、僅か1か月でひっくり返ったことになる。

 声明では、李明博大統領がドイツ訪問中の5月9日「北朝鮮が非核化に合意すれば、来年3月に韓国で開催する核安全サミットに金総書記を招待する用意がある」などと述べたことも痛烈に批判していた。

 北朝鮮の祖国平和統一委員会が李大統領の発言の翌日(5月11日)に報道官談話を出し、李大統領の提案を「馬鹿げている」と一蹴した時は訪問先のデンマークで「北朝鮮が否定したからと言って、否定的とは言えない。いろいろと解釈すべきだ」と余裕綽々だった李大統領もこの国防委員会の声明にはさすがに唖然としたのではないだろうか。

 李大統領のスポークスマンは祖国平和委員会の批判談話から一週間後の18日に「韓国側の真意を南北当局間の実務者接触を通じて北朝鮮側に伝えたところである。今のところ特別な反応はないが、今後南北間に具体的な論議があることを期待している」との談話を出していたが、今回の国防委員会の声明は韓国の期待を裏切る結果となった。

 中朝首脳会談では「すべての問題で立派な見解一致をみたことに満足している」(金総書記)「共通の関心事となる問題などについて深く意見を交換し、重要な合意をみた」(胡総書記)ことになっている。今回の北朝鮮の声明は中朝首脳会談で同意を得たうえでのものなのだろうか?

 仮に中国が了解したうえでの話なら、中国は自ら提唱した「南北会談―米朝会談―6か国協議」の3段階提案を取り下げたことになり、議長国である中国の威信失墜にもなる。中国との事前協議なく、一方的に決定したとしても同じことで、中国の面子は丸つぶれである。

 韓国に譲歩を迫るための牽制ではなく、本気で李大統領が退任するまで韓国政府との関係をこのまま断絶するなら米朝協議も、またこれら二つの協議を経て開催する手はずになっている6か国協議も3段階プロセスを踏襲する限り、李明博政権下では開けないことになる。

 金総書記の心境変化の理由は?

 想像するところでは、東京で22日に李大統領と会談した温家宝総理らの話を聞いて、また訪中直前の李大統領の民主平和統一諮問委員らとの懇談会の席での発言を聞いて、態度を硬化させた可能性が高い。

 李大統領は、カーター大統領に託した対話メッセージの受託を拒絶し、温総理には「対話を求めているのは我々の方ではなく、北である。我々は待っていればよい」と、金総書記の無条件対話再開に柔軟な姿勢を示さなかった。

 さらに25日に行われた民主平和統一諮問委員らとの懇談では「ドイツの分断の壁が壊れる時点で東独の総理は『分断の壁の崩壊は100年かかる』と言っていたが、それから10か月もしない間に壁は崩れた。我々の統一もドイツ統一のように明日来るかもしれないので準備しなければならない」と語ったとされる。国防委員会の声明で「ならぶ我が国が急変、崩壊するまで待てばよい」と言っているところをみると、李大統領に見切りを付けたのかもしれない。

 極めつけは、昨日の「韓国の予備軍訓練場で北朝鮮の故金日成主席と金正日委員長、息子の金正恩氏の写真を射撃訓練用の標的として利用している」との韓国の報道であろう。

 報道では、仁川の予備軍訓練場では、「金父子の首を刎ねて3代世襲を終結させよう」などの垂れ幕が掲げられ、これら垂れ幕には血まみれになっている金総書記と息子の金正恩氏の写真が印刷されていたようだが、韓国国防部は「全く知らなかった」としているが、「我が革命の首脳部への非難の度数を高めているのは許しがたい」と北朝鮮が声明で指摘しているところをみると、これが決定打となったかもしれない。

 問題は、金総書記が北朝鮮の立場を事前に中国側に伝え、了解を得ていたのか、それとも帰国後に態度を翻したのかである。前者ならば、中国も南北対話に頑なな韓国への牽制として、あるいは北朝鮮が中国の立場を困らせるような核実験やミサイル発射実験を行わないことを条件に受け入れた可能性も考えられなくもない。しかし、後者ならば、中朝関係が再びギクシャクする可能性もある。

 中国の意向を無視し、訪中後に金総書記が独断で韓国への強硬策を決めたならば、「胡主席との会談で最新鋭戦闘機30機の提供を申し出たが、中国側に拒否された」との韓国側の報道は的外れとは言い難い。今回の訪中に軍需部門担当の朴道春書記と朱圭昌党機械工業部(軍需)部長が随行していることからも核実験やミサイル発射実験を凍結する見返りとして戦闘機など兵器の提供を申し出た可能性は十分に考えられる。

 経済支援に続いて軍事支援も断られたとの韓国報道が事実ならば、その反動として、南北関係の好転を求める中国の説得に耳を貸さず、韓国との対決姿勢に転じたのかもしれない。

 一昨年10月の温家宝総理の訪朝と昨年の2度にわたる金正日総書記の訪中で中朝関係は大幅に改善されたものの、中朝関係はかつてのような蜜月の関係にはない。中国は北朝鮮の内外政策に不満を持っているが、北朝鮮もまた外交面では中国に不信を抱いている。

 一昨年の2009年8月に、現代グループの女性オーナーが訪朝し、金総書記と会談した際、金総書記は中国を「信用が置けない」と吐露していた。この年、北朝鮮の人工衛星と称したテポドンの発射と核実験に中国が拒否権を発動せず、国連安保理の非難声明や制裁決議に同調したことが原因だ。

 金正日総書記はこの年の1月に訪朝した王家瑞共産党対外連絡部長に「北朝鮮は中国を裏切るようなことは絶対にしない」と約束したにもかかわらず、中国が北朝鮮を裏切り、西側に同調したことで怒り心頭となった北朝鮮外務省は中国を「米国にへつらう、追随勢力」として間接的に不満を露呈した。

 北朝鮮外務省代弁人は当時「我々の前では衛星発射は主権国家の自主的な権利であると言いながら、いざ衛星が発射されるや国連で糾弾すう策動を行った」と不満を表明した。さらに中国とロシアを指し「キー・リゾルフ米韓合同軍事演習のような大規模の核戦争演習が行われていることには沈黙しながら、わが国が自衛的措置で実施した核実験については『地域の平和と安全へ脅威である』と口を揃えている」と批判のオクターブを上げていた。

 労働新聞も論説で「大国がやっていることを小国はやってはならないとする大国主義的見解、小国は大国に無条件服従すべきとの支配主義的論理を認めないし、受け入れないのが我が人民だ」と述べ、「結局、我々を武装解除させ、なにもできないようにさせたうえで自分らが投げ与えるパンくずで延命させようとするのが他の参加国らの下心である」と「他の参加国」との表現を用い、中国にも不満をぶつけていた。

 江沢民前主席とは会ったのか?

 金総書記は今回の訪中期間中に江沢民前国家主席の出身地である揚州を訪れた。22日に揚州入りした金総書記が23日、「江沢民前主席と夕食をともにした」と一部で伝えられた。外電が現地の消息筋の話として報じたところでは、金総書記と江前国家主席が出席するなか、江蘇省芸術団の公演と夕食会が同日夜に開かれたとのことだ。

 しかし、北朝鮮の発表には江前主席との会談については言及がなかった。1991年に故金日成主席が訪中した際、江氏が案内した名所を訪れ、その他、大型スーパー、太陽光発電関連企業などを視察し、24日も揚州市から南京市に入り、市内の液晶パネル工場を視察したとされている。大型スーパーや太陽光発電所、液晶パネル工場を視察するため長春から3000kmも遠く離れた揚州を訪れたとは考えにくい。

 揚州訪問は現指導部に依然として影響力のある江前主席との会談に目的があったのだろう。もしかすると、江沢民氏に会い、戦闘機の提供を働き掛けてもらいたかったのかもしれない。会ってないのが事実ならば、江沢民氏側の事情で会談が直前に流れた可能性も考えられる。

 金総書記の訪中後を期待していた韓国、李明博政権にとって金正日訪中は「吉」でなく「凶」と出たようだ。

 北朝鮮の公式謝罪なくして、南北対話・改善はない、南北対話なくして、6か国協議はないとのこれまでの李政権の対北原則を今後も堅持するのか、あるいは軌道修正するのか、岐路に立たされたようだ。

 北朝鮮の今回の決定に6か国協議議長国である中国と6か国協議の再開を待望する米国が南北関係の好転が望めない今、核問題、6か国協議をどのようにハンドリングするのか、先行き不透明となった。