2006年1月6日(金)

「辛光洙実行犯説」について

 年初から「横田めぐみさんを拉致したのは辛光洙容疑者」との報道が駆け巡った。曽我ひとみさんから直接聞いた話として横田早紀江さんが伝えたものだが、昨年末には「辛光洙に拉致された」との地村夫妻の証言も流れた。これが事実ならば、辛容疑者は78年の6月の原敕晃さんを含め政府認定の拉致被害者(16人)のうち4分の1にあたる4人(3件)の拉致を自ら実行したことになる。

 実行犯ということは、自ら手を下して、拉致を行った。即ち、拉致の現場にいたことを意味する。しかし、一つだけ腑に落ちないことがある。スパイ容疑で1985年に逮捕された辛容疑者に死刑を宣告した韓国最高裁の判決文(同年11月30日)によると、辛容疑者はめぐみさんが拉致された77年11月当時は「平壌市万景台にある万景台4号招待所で工作員のための密封教育を受けていた」と記されている。また、地村夫妻が拉致された78年7月当時は「平壌市龍城区域にある龍城5号招待所で(日本に浸透するための)日本人化教育を受けていた」と書かれている。

 一言で言うと、その頃は平壌にいて、日本にはいなかったということになる。辛容疑者が韓国で逮捕された当時は全斗煥軍事政権時代で、北朝鮮スパイに対する尋問は拷問を伴うほど過酷を極めていた。そうした尋問により、辛容疑者はすべてを自白し、その結果、原敕晃さんの拉致が判明した。日本に来て、拉致したということになると、韓国の判決文との食い違いが生じる。

 また、めぐみさんの拉致についてはすでに実行犯として金正日政治軍事学校の教官「チョン・スンホ」なる人物の名前が挙がっている。

 証言したのは、安明進元工作員で、「チョン教官」から「俺が彼女(横田めぐみさん)を拉致した」との話を直接聞いたと、これまで証言していた。新潟県警では安元工作員の協力を得て、「チョン教官」のモンタージュ写真まで作成したほどだ。もちろん、「チョン教官」と辛容疑者は別人だ。辛容疑者と「チョン教官」がめぐみさん拉致の共犯でない限り、安元工作員の証言は否定されることになる。

 地村さんは、「実行犯を指揮していたのは、辛容疑者だ」と言ったとも言われているが、これが正確ならば、辛容疑者は単なる下手人というより、拉致の責任者の一人ということになる。

 辛容疑者が下手人なのか、それとも、平壌から、あるいは現場で拉致を指揮した責任者なのかでは大違いだ。

 この種の国家犯罪は、下手人だと、「上司の命令に従ったまでである」と責任を不問にされる恐れがあるが、責任者ならば、当然処罰の対象となる。いずれにしても、北朝鮮当局は4年前の9月に日本の調査チームに対して「拉致事件の責任者であるチャン・ボンリムは1998年に裁判に掛けられ、死刑に、キム・ソンチョルは15年の長期強化刑に処せられた」と、責任者の処罰を云々していたが、今回の拉致被害者らの証言でこれが偽りであることがはっきりした。

 警察庁は「すでに北朝鮮にインパクトを与える情報が入ってきている」と、自信を仄めかしている。今月中にも開かれる日朝政府間協議で日本政府がどのような新事実を突きつけ、それに北朝鮮がどう出てくるのか、目が離せない。