2006年6月3日(土)

「金英男家族」の来日をめぐる「不協和音」


 横田めぐみさんの夫、金英男さんの母(崔桂月)と姉(金英子)の来日で「日韓提携」が期待されていた日韓両国の拉致被害者家族及び支援団体の関係は「協調」どころか、残念ながら逆に「不協和音」を曝け出す結果となってしまった。

 「週刊新潮」(6月8日号)が「『横田さん夫妻』も嘆く日韓支援団体の『内輪もめ』」という見出しの記事の中で書いているように、日韓の支援団体同士の「いざこざ」が原因だ。今回、韓国からは「拉北家族協議会」の崔祐英代表と「金英男家族」を引率してきた「拉北者家族会」の崔成龍代表が来日した。崔祐英代表は女性だ。「週刊新潮」にも触れられているように実は「家族協議会」と「家族会」は犬猿の関係にある。

 元来は、一つの組織だったが、4年前に内紛が起きて、分裂してしまった。日本側はこれまで、崔祐英さんと横田夫妻が「義理の親子」関係を結んだことでもわかるように「家族協議会」を精神物心両面で支えてきた。そうした関係から招請側の「救う会」が崔祐英さんを窓口に「金英男家族」の日本招請も含めすべての事を進めようとしたことに崔成龍代表が反発したようだ。結局、それが原因で、5月27日の「日韓連帯東京集会」と翌日28日の「国民大集会」また最終日(30日)のめぐみさんの拉致現場への視察も「母親の体調不良」を理由にすべてキャンセルしてしまった。

 実は、その予兆は、横田早紀江さんらが4月に訪米した際にあった。ブッシュ大統領との面会のあと満面の表情で帰国した早紀江さんら拉致被害者家族会や「救う会」メンバーだったが、5月に予定されていた横田滋さんの訪韓と「金英男家族」の訪日をめぐってはその段取りを任されていた「救う会」と「金英男家族」の代理人である崔成龍代表とはこの時点でギクシャクしていた。

 崔成英代表が当時ワシントンで日韓の友人に次のように語っている。「4月20日、私たちはワシントンでの北朝鮮への抗議集会に参加するためにこちらにやってきましたが、日本のテレビ局のアレンジで横田滋氏と生中継で話をしました。横田さんからワシントンを訪れる『救う会』の西岡氏と話し合って金英男さんの母と姉の訪日スケジュールを相談して欲しいと依頼を受けました。しかし、西岡氏からは一度電話連絡があり、『いま忙しいので、ブッシュ大統領と横田さんとの面会後に連絡する』と言ってきました。その後は夜中の2時まで連絡を待っていたのに結局なしのつぶてでした。日本側からは以前、5月10日前後にソウルへ横田夫妻を連れて行きたいという打診はありました。さらに金英男家族を6月10日頃に日本に招待したいという内々の打診もありました。ところが日本で国民大集会が6月11日から5月28日に変更になったので、5月末に来てくれと一方的な打診があっただけで正式な話し合いはしていないのです。日本側は日本側が言えば、韓国側がハイハイとおとなしくついてくると思っているのでしょうかね?金英男さんの母も80歳近い老齢で、関節炎に悩まされており、歩行も困難な状況です。そういう事情も知らずに一方的に『招待するから来てくれ』と言う態度はクビをかしげます。このままでは5月28日の日本の拉致大集会などには我々は行きません。我々が日本側に先に連絡する必要はないです。日本も韓国も同じ東洋の美徳を重んじる儒教の影響のある国です。本来なら妻の実家が夫の実家に挨拶にやってくるというのが、一般的ですから、その慣例に従って妻の両親である横田夫妻が韓国を訪問するのを待っているのですが、訪問時期に関しては相互で話し合わなければならないのに、西岡氏は一方的に通告してくるというやり方です。これでは気分いいはずはありません。日本での国民大集会はあちらで勝手にやればいいんです」

 結局崔成龍代表は「救う会」に「軽視された」という面子と「崔祐英とは同席できない」との理由だけで、「招待」を断り、集会もボイコットしてしまった。30日の1時からの新潟県知事への表敬訪問の際も、崔成龍代表は欠席し、姉の金英子さんも崔祐英さんの隣に座らされたことに不快感を示し、2時から予定されていた新潟県会議員との会合をドタキャンしてしまった。3時からのめぐみさんの拉致現場視察はそもそも「金英男家族」からの要望だった。そのため体調が万全でないにもかかわらず横田夫妻が自ら案内を買って出たのに、崔祐英さんらは視察したものの、肝心の「金英男家族」は姿を現さずじまいだった。

 これではマスコミの扱いが小さくなるのは止むを得ないかもしれない。崔成龍代表と「金英男家族」それに崔成龍代表に味方する「拉北・脱北人権連帯」の都希命代表らは滞日中の宿舎も別で、東京では半蔵門の「グランド・アーク・ホテル」、新潟では「ホテルオークラ」だったが、新潟でのホテル代とホテルから新潟空港へ移動の際の車代などは民団と総連の和解に反対した新潟民団が負担し、飛行機代や東京での滞在費は日本政府が負担したようだ。

 帰国前夜、新潟市内の居酒屋で金英子さん、崔成龍代表、都希命代表、それにソウルから同行してきた韓国人特派員ら二人を加えた簡単な打ち上げ会があったが、崔成龍代表は「独島(竹島)や靖国参拝、歴史教科書問題で右翼的な救う会の連中らとはとても一緒にやっていけない。彼らは人権問題を金正日打倒や日本の右翼化という自らの政治的目的に利用しようとしている」と、「救う会」とは今後も一切関係しないとの強硬な姿勢を打ち出していた。しかし、よく考えてみると、すべての原因は韓国の被害者家族の会が1本化していないことにある。

 困ったことが、もうひとつある。それは、拉致被害者同士の間でも拉致問題の解決の手法をめぐって「温度差」が見られたことだ。

 「子供らに会いに北朝鮮に一緒に行こう」と誘う崔桂月さんに対して「子供らが帰国するまで我慢して待ちましょう」と諭す横田早紀江さんの「二人の母」のギャップだ。「再会」を優先する韓国の母親と、「奪還」を優先する日本の母親の違いは、ある意味では仕方がないかもしれない。

 今年82歳の崔桂月さんは早紀江さんよりも一回りも年上で、車椅子に頼らざるを得ないほど病弱、衰弱している。「生きているうちにひと目会いたい」との気持ちは誰も止めることはできない。

 本誌が得た情報では、早ければ8月中に親子の再会が実現するかもしれない。姉の金英子さんは「韓国政府を信じている」と言っていたが、どうやら来日直前に韓国政府当局から8月15日の解放記念日前後に予定している離散家族のリストの中に母親の名前をリストしたと耳打ちされたようだ。

 北朝鮮は4月の南北長官(閣僚)級会談で金英男さんの安否について「担当機関を通じて調査する。追って知らせる」と、「否認」ではなく、柔軟に対応してきた。次回の南北長官級会談は7月中旬に開かれる。北朝鮮としては、次回の会談前には回答しなければならない。「7月回答、8月再会」、これがシナリオではないかと考えられる。

 結局、南北は、韓国人拉致問題を北朝鮮に拉致された可能性のある息子に日本の母親が会いに行き、幕引きとなった「寺越方式」で決着付けるつもりのようだ。拉致問題を解決するためには同じ境遇の身に置かれた被害者家族同士の絆を、さらには支援団体の連携を一層強めなければならないのに主導権や仕切りをめぐる醜い争いは「人道」の名に反するばかりか、拉致問題の解決を遅らせるだけだ。