2009年8月5日(水)

クリントン元米大統領の電撃訪朝を読む

 クリントン元大統領が昨日、電撃訪朝した。

 空港で出迎えたのは、楊亨變(ヤン・ヒョンソプ)最高人民会議常任委員会副委員長。他に金桂寛(キム・ゲグァン)外務次官、それに李根(リ・グン)外務省対米局長らの顔も見えた。

 これがオバマ大統領ならば、憲法上の国家元首である金永南委員長が出迎えただろう。事実、日本から2002年に小泉総理が、また韓国から盧武鉉大統領が2007年に訪朝した際には、金永南委員長が空港に現れていた。 もしかすると、2000年に金大中大統領を空港で歓迎したように金正日総書紀自身が出迎えることもあり得たかもしれない。

 それでも、楊亨變副委員長に出迎えさせたのは、訪朝を決断したクリントン元大統領への北朝鮮なりの厚遇であろう。実質的に国賓待遇と言っても良い。小泉さんの2005年の2度目の訪朝の時には、外務次官、それも最も格下の金永日次官が対応したのと比較してみると、一目瞭然だ。

 もう一つ、小泉訪朝時との違いは、日帰りした小泉さんとは異なり、平壌で一泊したこと、さらに晩餐会にも応じたことだ。「人質」の解放という点では訪朝の目的はクリントンさんも小泉さんも同じだったが、小泉さんは北朝鮮からの昼食会を断り、手弁当を用意して平壌に乗り込んでいた。北朝鮮から出されたミネラルウォーター、お茶にも手を付けなかった。ワインで乾杯したクリントンさんとは大違いだ。

 クリントン元大統領の訪朝で懸案の二人の米人女性ジャーナリストは解放されたが、北朝鮮という国はやはり、金総書紀と話し合わなければ、何事も進展、解決しないことがこれではっきりした。

 ところで、クリントン元大統領の訪朝が「私的な訪問」なのか、それともオバマ政権の特使としての訪問なのか、議論を呼んでいるが、あまり意味のないことだ。「公人」か「私人」で問題となる日本国総理の靖国参拝とは次元が違う。

 過去に似たような話があった。カーター元大統領が15年前の1994年6月に訪朝した時のことだ。

 当時クリントン政権は今のオバマ政権同様に「個人の資格での訪朝」と釈明していた。しかし、平壌で核問題についての突っ込んだ話し合いが行なわれ、その結果、金日成主席が原子炉発電所の凍結を表明したことで、クリントン政権は北朝鮮への攻撃を思いとどまり、第一次核危機が回避された。その後、米朝間でハイレベルの交渉が行なわれ、カーター訪朝から4ヵ月後にジュネーブでの合意となった。後になって、クリントン政権がカーター元大統領の訪朝に秘かに期待を寄せていたことがわかった。

 どちらにしても、9年前まで大統領だった人物が、それも、ヒラリー・クリントン長官の夫が、ブッシュ政権からオバマ政権に引き継ぐ際の政権引継委員会共同委員長の立場にあったジョン・ポデスター元大統領首席補佐官や元国務省朝鮮部長らを引き連れて、訪朝したということは紛れもない事実だ。

 会談の議題についても「記者の釈放問題だけ」と米政府当局者は弁明しているようだが、晩餐会の時間を入れて、3時間以上も一緒にいたわけだから、常識的に考えても「釈放問題」だけというのはあり得ない話だ。

 クリントン元大統領から金総書紀にオバマ政権が検討している包括的提案を提示されたのは間違いない。オバマ大統領に会い、直接説明を受けなくても、電話でも聞けるし、担当閣僚である妻のヒラリー長官から中身を聞かされていてもおかしくはない。大統領のためでなく、妻のために一肌脱ぐのは夫として当然のことだ。

 また、米CBSテレビはクリントン元大統領が日本人拉致被害者や拘束中の韓国人の問題についても言及し、「解放すれば前向きな進展がある」と「非常に強い調子」で善処を求めたと報道しているが、金総書紀が日韓の問題に精通している金養健党中央部長兼国防委参事を同席させているところをみると、おそらく事実だろう。

 但し、温和なクリントン元大統領が他国の問題のため「強い調子で」言及するとは俄かに信じがたい。日韓頭越しの訪朝への反発を和らげるために事のついでに触れた程度かもしれない。要は、金総書紀が「強い調子の言及」になんと返事したかである。クリントン・金正日会談で拉致問題についてのやりとりがあったならば、我々が知りたいのは、北朝鮮側からの回答である。

 クリントン元大統領の訪朝との関連では金総書紀が国防委員長の職責で女性記者の特赦を命じたことや夕食会も国防委員会が主催したことで朝日新聞のソウル特派員は韓国の新聞記事を参照に今日の朝刊で「国防委員会の権限が拡大した」と書いていたが、金正日氏は国交のない日本、米国、さらには韓国の首脳を招請した際には党総書紀ではなく、国防委員長の肩書きで臨んでいる。2002年の小泉訪朝の際に発表された日朝平壌宣言も国防委員長の名で署名しているのは周知の事実だ。国防委員長としてクリントン氏に応対しているわけだから、晩餐会を国防委員会が主催するのは当然の話で、それだけで権限拡大と結びつけるのは短絡的である。