2013年11月2日(土)

金正恩がモンゴル大統領に会わなかった理由

 モンゴルのエルベグドルジ大統領が10月28日、モンゴルの大統領としては9年ぶりに訪朝し、31日に訪朝を終え、帰国した。

 注目された金正恩第一書記とのトップ会談はどうやら実現しなかったようだ。金正恩第一書記宛の土産を金永南最高人民会議常任委員長に手渡したと報道されているからだ。 

 一部には、「隠密に、非公式に会ったので報道しなかったのでは」と推測する向きもあるが、それも考えられない。北朝鮮の最高指導者が訪朝した外国元首との会談を過去に秘密に伏せた前例もなければ、その必然性もないからだ。

 今回の訪朝も前回同様に金永南最高人民会議常任委員長の招請によるものだった。従って、金永南委員長が前例に従い自ら空港まで歓送迎している。エルベグドルジ大統領も慣例に従い、迎賓館に着くと直ちに金永南委員長を表敬訪問し、その日のうちに会談を終えている。

 前回と今回の違いがあるとすれば、前回は、一泊して、翌日には帰国しているが、今回は3泊4日の日程だった。滞在期間が長いことから金正恩氏との会談の可能性が高いとみていたが、結局のところ、この滞在日程は、2007年7月に金永南委員長がモンゴルを3泊4日で訪問したことへの「答礼」のようでもあった。

 前回同様に今回も、もしかすると、トップ会談がないかもしれないとの「予兆」はあることはあった。

 北朝鮮の場合、友好関係にある外国の国家元首あるいは元首級の訪朝の際には必ず、事前に予告するのが慣例だ。現に、2007年10月にベトナムの最高指導者であるドク・マイン共産党書記長が訪朝した際も、また、2009年10月に中国の恩家宝総理が訪朝した際も、その一週間前には告知していた。今回は、事前告知がなかった。これは極めて異例のことだ。

 金正恩第一書記がエルベグドルジ大統領とのトップ会談に応じなかったことについてはいろいろ推測できる。

 一つは、前回同様に「慣例に従った」との見方だ。

 モンゴル大統領の場合、ベトナム共産党書記長や恩家宝総理らの訪朝とは違い、朝鮮労働党中央委員会の名による招請ではないことからあえて会談する必要がなかったとの見方だ。しかし、これは説得力に欠ける。

 仮にエルベグドルジ大統領のパートナーが憲法上の国家元首である金永南委員長であったとしても、少なくとも最高指導者として表敬訪問を受けるのが外交礼儀でもあり、国際慣例でもあるからだ。

 次に、金正恩氏が外国元首と首脳会談をやるにはまだ機が熟してないとの見方だ。

 弱冠30歳の金正恩氏の経験不足を不安視して、パスしたとの見方だが、これも今一つ弱い。というのも、7月の休戦協定60周年の記念式典の際に中国の李源潮国家副主席をはじめ多くの外国代表団が訪朝し、金正恩氏に接見しているからだ。

 エルベグドルジ大統領が拉致問題を持ち出す可能性があったので、首脳会談を忌避したとの見方はどうか。

 北朝鮮が二国間問題に第三国が関与すること、特に拉致問題の国際化を極度に嫌っているのは確かだ。エルベグドルジ大統領が仮に拉致問題を提起すれば、返答しなければならない。それで会談を嫌ったのではとの見方だが、拉致問題が持ち出されたとしても、聞き賜っていれば済むことで、主たる理由にはならない。

 となると、最後に考えられるのは、金正恩氏が最初の首脳会談の相手として中国の習近平主席を想定しているため、モンゴル大統領との会談を見送ったとの見方だ。

 金日成主席から後継者に指名された金正日総書記も最初に会談した外国の元首が、30年前の1983年に訪中した際の胡耀邦共産党総書記であり、ケ小平党中央軍事委員会主席であったことを考えると、最も説得力がある。

 モンゴル大統領が訪朝した翌日の29日、対中担当の金亨俊外務次官が北京を電撃訪問し、中国外交部の劉振民副部長と会談しているが、これが、金正恩訪中の地ならしならば、十分にあり得る話だ。仮に金亨俊次官が北京から急遽呼ばれたとするなら、中国が直前になって、妨害したことにもなる。

 金正恩―エルベグドルジ首脳会談が実現しなかったことについて一番、がっかりしているのは、おそらくエルベルドルジ大統領に拉致問題の解決を託していた安部総理ではないだろうか。

 いずれにせよ、日本のメッセージは金永南委員長に伝達されたものとみられるが、北朝鮮からモンゴルを通じてどのような「回答」が寄せられるのか、興味津々だ。