2014年2月3日(月)

日朝極秘協議で拉致問題は進展するか

 ベトナムで1月25日、26日両日に日朝政府当局者協議があったと、「朝日」と「東京」が28日付けの朝刊で報じた。「東京」にいたっては「日朝が極秘協議」と一面トップで伝えていた。

 両紙の報道に対して菅義偉官房長官は28日午前の記者会見で「そのような事実は一切ない」と否定。また岸田文雄外相も同じ時間帯に同じように否定のコメントを出していた。

 しかし、政府が否定したにもかかわらず午後には「毎日」が「日朝外交当局が先週末、ハノイで非公式協議を行った」との記事を配信していた。非公式協議があったのはほぼ間違いなさそうだ。ハノイは2007年3月に日朝作業部会が行われたこともある日朝双方にとって都合の良い会談場所でもある。

 政府が認めなかったのは、非公式協議だからなのか、協議が不発に終わったからなのか、それとも、合意内容を電撃的に発表するつもりだったのか定かではないが、「東京」が伝えているように伊原純一アジア大洋州局長と宋日昊朝日国交正常化交渉担当大使間で行われたならば、野田政権下の2012年11月のモンゴルでの杉山晋輔アジア大洋州局長―宋日昊大使間の協議以来、1年2か月ぶりの日朝政府間協議となる。

 赤十字社協議から始まり、外務省課長級から局長級に格上げされた2012年11月の日朝政府間協議は、日本人戦没者の遺骨収集や引揚者の墓参問題を本題にしようとする北朝鮮と拉致問題を主題として取り上げる日本と対立し、難航したものの北朝鮮が「拉致問題は解決済み」との従来の立場を変更する可能性に言及したことで福田政権下で交わされた2008年の合意事項を確認し、履行することでほぼ意見の一致を見ていた。

 本来ならば、日朝は年内に再度局長級協議を開き、合意事項を正式発表し、2013年から履行する予定だった。それが、翌月の12月に北朝鮮によるミサイル発射(12日)と日本での政権交代(26日)により絶たれてしまい、今日に至っている。

 福田政権下の合意事項(2008年8月12日)とは北朝鮮の責任ある調査委員会による安否不明者に関する再調査の実施と引き換えに日本が独自に課した制裁の一部である人的往来の規制解除及び 航空チャーター便の規制解除を実施することにあった。

 この外務省間の合意は、合意から3週間後の9月1日、福田総理が突如辞意を表明したことで履行されなかったものの完全に死滅してもいなければ、白紙化もされてない。

 「私の内閣で拉致問題を全面解決する」と公約してから1年2か月、そろそろ結果を出さなければならない安部政権としては6年近く棚上げにされていた「日朝合意」を復活させ、拉致問題解決への突破口にしたい考えのようだが、北朝鮮による「再調査」が果たして、拉致問題の進展、全面解決に繋がるかどうかは不透明だ。

 「再調査」については、日本側から△生存者の発見を前提とした再調査でなければならない△再調査は北朝鮮上層部の委任を受けた権威ある機関が行わなければならない△再調査の進捗状況を日本に報告し、日本が確認、検証しなければならない△再調査は早急に行い、その結果を速やかに発表しなければならないとの条件を付けているが、拉致被害者家族会と特定失踪者の家族らは「北朝鮮は拉致被害者の所在を全て把握しているはずで、再調査の必要はない」と訴えていた。

 また、北朝鮮独自の再調査には問題、限界があるとして、当時政府の一部では日本の捜査当局者も加わった日朝合同調査の話も出ていたが、この「日朝合同調査」には安部総理自身が一貫して反対してきた経緯がある。

 幹事長時代の2004年には地元山口での講演で当時政府が北朝鮮に拉致被害者の合同調査機関設置を求めていたことについて、「茶番だ。拉致したのだから、どこにいるか、どこで亡くなったか、北朝鮮は知っている。誘拐犯に『一緒に捜そう』というのと同じで、問題の棚上げにつながる」と批判していた。

 北朝鮮単独の調査も「合同調査」もその効力には疑問が付きまとう。特に「合同調査」はへたをすると、「遺骨の発掘」など「死亡」を前提とした「捜査」ということになりかねない。日本自らが北朝鮮に「助け舟」を出すようなもので、被害者や世論の理解を得るのはそう簡単ではない。

 拉致問題進展の定義が定まってないことから外務省レベルの協議再開、あるいは再調査の開始をもってそれだけで「進展」と捉える向きもあるが、冷静に考えると、6年前に戻ったというか、単に振り出しに戻っただけである。

 小泉訪朝から12年、二度目の訪朝から丸10年経つのに一向に進展しないのは、外務省協議が遅々と進まないからではない。

 拉致問題解決のため昨年5月に訪朝した飯島勲内閣参与は帰国後、BSフジの番組に出演した際「外務省が始めようとしている実務者協議なるものが、日本とは統治制度が大きく異なる国家では、ほとんど意味がないことはこれまでの日朝交渉を考えれば明らかだ」と述べ、問題の解決は「トップ同士の話し合いしかない」と主張している。

 また、拉致担当の古屋圭司大臣も昨年9月に新潟日報とのインタビューで「交渉のための交渉とか、安否再調査とか、もうそういう段階ではない」と語っている。

 今回の日朝極秘協議の結果、どのような展開となるのか予断は許さないが、拉致問題は首脳外交以外に解決の道はない。

 安部総理は首脳会談を拒む中国について「直接会って信頼関係を築きながら、一つひとつ前に進む。いかなる課題があっても、首脳同士が膝詰めで話をすることで物事が大きく動く。昨年は、トップ外交の重要性を改めて実感しました」と先の施政演説で協調していた。ならば、金正恩第一書記との首脳会談を検討してみたらどうだろうか。

 恩師の小泉純一郎総理が、古くは、田中角栄総理が、それぞれ権力が絶頂の時に訪朝、訪中を決行した。

 拉致問題解決のために求められるのは、小泉、田中元総理のような先見の目を持った大胆な「政治決断」である。