2015年12月17日(木)

 産経新聞に完敗の朴槿恵大統領

産経新聞の加藤達也前ソウル支局長が名誉毀損で訴えられた裁判は「被告人は有罪である」として懲役1年6か月の求刑を求めた検察の主張が退けられ、無罪判決が言い渡された。

韓国では現職大統領が事実上当事者となる裁判で敗訴は異例だ。三権分立とはいえ、韓国の場合、大統領の一言、権限が時に司法に影響を及ぼすからだ。昨年に起きた客船「セウォル号」の沈没事故がその典型的な例だ。

救出作業を行わず、真っ先に逃げ出した船長らの行為を朴槿恵大統領が「殺人行為に等しい」と激怒したことから検察は船長らを殺人容疑で起訴し、裁判所も一審では殺人罪を適応し、死刑を宣告した。日本など国際社会で論じられていた業務上過失致死の議論は押し流されてしまった。

昨年10月にもインターネットポータル「ダウム」の討論掲示板アゴラに朴大統領の私生活を誹謗した主婦の裁判があったが、懲役4か月執行猶予1年の有罪判決が宣告されたばかりだ。

被告人の主婦は「インタビュー記事などを見て事実だと信じた内容を載せただけだ」と無罪を主張したものの「大統領の私生活に対する虚偽の文は、特別な事情がないかぎり大統領の業務と無関係なことであり、社会の世論形成や公開討論に寄与することもない。表現の自由の限界を越えた誹謗目的だった」と裁判所は全く相手にしなかった。

今回の「産経裁判」も論告求刑公判で検察側は懲役1年6か月を求刑したことから、お国柄、せいぜい執行猶予付きの有罪が妥当なところで、無罪は難しいと予想していただけにソウル中央地裁の判決には正直驚いた。国際社会の圧力があったとはいえ、また、外交的配慮が斟酌されたとはいえ、少なくとも司法の独立が維持されたことは評価に値する。

ソウル中央地裁は朴大統領の個人の名誉が毀損されたことは認めるとしても「言論の自由の観点から処罰の対象とはならない」と一刀両断だった。また、記事を書いた目的や動機は韓国の政治・経済事案を日本国民に伝える意図から作成したもので「朴大統領を誹謗する目的で書いたものではない」との加藤前支局長の訴えを全面的に認めた。「虚偽の事実だと十分に認識していながら被害者らを誹謗する目的で本件記事を報じた」との検察側の主張は通らなかった。

また「公職者に対する批判機能は保障されなくてはならないし、公職者の地位が高く、その権限が大きいほど言論の自由を保障する程度も広げなければならない」として「言論の自由の拡大は、大統領としての朴槿恵に対する名誉毀損にはならない」と、事実上検察の起訴そのものが不当だったとの見解を示した。

さらに、判決は「公職者の私生活と関連した事案であっても、公的関心事案に該当することもあり、私生活も公職者の社会活動に対する評価の資料となるので問題提起や批判は許容される」と被告人が主張する「記事の公益性」を認め、「良心に立ち、法治国家の名にふさわしい判断を願って止まない」との被告人の訴えに応えた。

勝訴した加藤前支局長は判決結果について「公人の中の公人である大統領に関する記事が気に入らないとして起訴する構図は近代的な民主主義国家のあり方としてどうなのか。いま一度考えていただきたい」とコメントしたが、朴大統領側にはきつい一言となった。

朴大統領はこれまで「自分に対する冒とくは国民への侮辱である」と強弁し、批判を一切許さない強気の姿勢を示してきた。検察もまた、朴大統領が「インターネット上での大統領に対する冒涜が度を越した」と発言をすると直ちに虚偽事実流布取り締まりチームを新設するなど政権べったりだった。

このため韓国の言論自由の享有レベルは米国の人権団体「フリーダムハウス」が発表した「2014年言論の自由報告書」によると、100点満点の32点で、世界197か国中68位で、インターネット統制を強化し、放送会社の要職に政府側の要人を座らせたことなどの悪評だった李明博政権よりもさらに4つもランクを下げてしまった。

そもそも、今回の裁判の原告は直接的には朴大統領の支持団体である複数の右翼団体であるが、朴大統領が昨年8月7日に「産経新聞に対して、民事・刑事上の責任を必ず問う」と公言したことを勘案すると代理人に過ぎないことがわかる。極論を言えば、朴大統領が「産経」を訴え、その結果、敗訴したのだ。朴大統領にとっては恥辱であると言っても過言ではない。

万が一、朴大統領自身が日韓関係に配慮して、善処を求めた日本の要望を裁判長宛に韓国外務省を通じて出すことに同意していたならば、最初からこの裁判を起こす必要もなかった。行政が司法の判断に影響を与えたとなればなおさら韓国のイメージを損なうだけだ。

検察が控訴するかどうか、それで朴大統領の心中がわかるだろう。