2015年12月30日(水)

 日韓の歴史認識の問題に決着がついたのか

 日韓間の永年の懸案であった慰安婦問題は今回の日韓外交交渉で一応決着がついた感じだが、歴史認識の論争はこれで終息するのだろうか?今回の外交決着で韓国民が収まるのだろうか?そう願っているが、正直、疑問だ。

 韓国国民の多くは、慰安婦問題など過去の清算が未解決のままとなっている根本的な原因は50年前の日韓条約と四つの付属協定(日韓請求権協定、在日同胞法的協定、日韓漁業協定、日韓文化財協定)のボタンを当時の韓国政府(朴正煕政権)が掛け間違えたことに起因しているとみなしている。かつては、日韓条約の改定さえ求める声が充満していた時もあった。

 今から20年前、ちょうど日韓条約30年目に当たる1995年6月、先月死去した金泳三大統領の政権下で日韓条約改定に向け「韓日過去清算汎国民運動本部」(常任議長=金命潤新韓国党議員)が結成された。留意すべきは、この改定運動が慰安婦に関する河野談話があった2年後に起きたことである。

 人権の守護者でもある金寿煥枢機卿や各教団の元老らが共同議長として名を連ねた同本部は世論喚起のため条約改定を求め100万人署名運動を展開したが、この運動には1965年当時条約に反対した学生運動出身者らの集い「6.3同志会」が加わっていた。「同志会」会長は当時次期大統領候補の一人として取り沙汰された金徳龍政務第一長官で、会員(215人)には角界各層の指導者の他、国会議員も多数含まれていた。国会終了と同時に廃案となったものの「6.3同志会」を中心に299人の国会議員のうち106人が連名で「韓日協定再締結勧告案」を国会に提出していた。

 条約改定論者らの主張は「未来志向的な韓日関係を築くには両国間の過去清算問題が解決されなければならない。そのためには何よりも過去史の物議の源泉となっている韓日協定を改定しなければならない」というものだった。特に彼らが問題にしたのは日韓基本条約の序文に「植民地支配に対する謝罪」が明記されてなかったことだ。

 日韓条約のどこにも36年間の植民地統治が不法との明示がないばかりか、条約の第二条に「最終的に完全に解決された」との規定を日本政府が金科玉条として国連人権委員会の勧告にも関わらず従軍慰安婦への謝罪、損賠賠償を拒否していることに不満を露わにしていた。日韓条約及び付属協定が再検討されなければならないのは、日帝36年間の植民地支配と侵略戦争責任を明確に清算できないままに日本に免罪符を与えてしまった「売国協定」であるというのが言い分であった。50年前に締結された条約であるが、屈辱外交の象徴であり、反歴史的、反民族的条約である以上、基本条約の付属協定である「紛争の解決に関する交換公文」により外交ルートを通じて条約の再検討問題を日本側に提起すべきと「国民運動本部」は韓国政府に進言していた。

 問題提起の国際法上の論理としては、国際条約法上の事情変更の原則、過ちと欺瞞による条約の終了もしくは無効にすることができる「1969年ウィーン条約法」により日韓基本条約及び付属協定の全面再検討を要求することができると、彼らは唱えていた。また、「韓国政府は国際法と国際慣例に立脚して日韓請求権協定に従軍慰安婦の人権侵害に対する賠償問題や戦争犯罪のような刑事責任が含まれなかったことを公式的にはっきりさせるべき」とも主張していた。

 日本政府は条約を楯に韓国側との再交渉を拒んでいるが、誠意があるなら、条約を弾力的に、あるいは拡大解釈して対応するか、条約が足枷になるなら、協議して条約を改定すれば済む話だとさえ考えていた。日本でも、1951年にサンフランシスコ講和条約と同時に米国との間で調印された安保条約も1960年に改定され、新条約が締結されているし、日米の地位協定についても在日米軍の刑事裁判手続では米軍人及び軍属の起訴前の拘禁の移転とか、軍属に対する裁判権の行使の面などで運用の改善が行われている。まして、「金科玉条」としてきた日本国憲法ですら「時代に沿わない」という理由だけで改正しようとしている日本だから、できないはずはないと考えていた韓国人がいたとしても不思議ではない。

 しかし、金泳三政権が退陣し、日本との未来志向の関係を目指す金大中政権が登場すると、日韓条約改定機運は消沈してしまった。金大中政権にとって慰安婦問題よりも経済立て直しが緊要だった。加えて、日本政府が日韓漁業協定の破棄を通告していたことのほうがはるかに深刻な問題だった。日韓漁業協定が破棄されれば、1,600隻の韓国の漁船が日本の排他的経済水域から締め出され、その損失額は3千億ウォンを超すと見積もられていたからだ。

 金大中政権は日本への報復措置として▲漁業自主規制協定の破棄▲日本政府が外国漁船の入漁を阻止している北方領土周辺での操業▲日本の水産資源保護に決定的な打撃を与える漁獲方法を検討したが、同時に外交的報復措置として日本の国連安保理事国加盟に反対し、加えて慰安婦問題で日本政府の法的責任を追及することが検討された。慰安婦問題については国家レベルでの補償を求めないとの立場からの大幅な転換だった。金大中政権は慰安婦問題をなんと対日対抗措置の「外交カード」として使ったのだ。

 柳宗夏外相(当時)は国会統一外務委員会で「1965年の韓日請求権締結協定当時は従軍慰安婦問題の不法性が論議されなかった」と述べ、「日本政府が今になって慰安婦問題で賠償責任がないと主張するのは道理に合わない」と日本政府を批判し始めた。また、同年3月にスイスのジュネーブで開かれた第54次国連人権委員会で従軍慰安婦に対する徹底した真相究明と被害者に対する日本政府の直接補償を促す方針を固めた。韓国政府が慰安婦問題で日本に直接的に補償を促してきたのはこの時が初めてだった。

 金大中大統領は1998年10月来日し、植民地支配がもたらした苦痛と損害に対し日本の「お詫び」が文書化された共同宣言を小渕政権との間で交わしたことで「今後、韓国政府は、過去の問題を持ち出さないようにしたい。自分が責任を持つ」と言明した。金融危機に直面していた金大中政権にとって訪日の狙いは▲30億ドル相当の金融支援▲投資の増大▲韓国にとって大幅赤字となっている日韓貿易不均衡の解消にあった、そのために過去の清算、慰安婦問題をカードに使ったと言っても過言ではない。

 仮に朴槿恵政権も金大中政権と同じように政治的、経済的、外交的理由、即ち利害関係や損得勘定から日本と手を打ったということならば、政権交代による次の大統領によって再び歴史が繰り返されるかもしれない。