2015年12月31日(木)

 噂が絶えない「不可解な」金養建交通事故死

この年の瀬にまた北朝鮮から仰天ニュースが飛び込んできた。金正恩第一書記の側近の一人だった金養建政治局員兼書記(73歳)の交通事故死だ。

党・軍幹部の粛清が絶えない金正恩政権下で統一戦線部部長として対韓関係に携わってきた党最高幹部の一人が突然「交通事故死した」との北朝鮮の発表に韓国メディアは驚きの声をあげ、一部では「不自然」との見方さえ流れている。しかし、北朝鮮では幹部らの交通事故死は決して珍しいことではない。

過去の事例をみれば、古くは朝鮮戦争休戦協定の調印者として知られる南日副首相から金治国党組織指導部第一副部長、李華栄同副部長、李鍾木外交部第一副部長、金容淳党書記、李鉄奉・江原道党書記、李在剛党組織指導部第一副部長らが交通事故で亡くなっている。

俄かに信じ難いが、金日成政権下で軍No1の座にあった故・呉振宇人民武力相も、また金正恩第一書記の実母である故・高容姫氏も、そして訪朝した朝鮮総連の故・徐満述議長も北朝鮮滞在中に交通事故に遭っている。

韓国メディアの一部は「交通事故死を装った粛清ではないか」と疑問を呈する向きもあるが、労働党中央委員会と最高人民会議常任委員会の合同葬儀が執り行われることからその可能性はゼロに近い。何よりも、金正恩第一書記が自ら国葬の葬儀委員長を買って出ていることから金第一書記の金養建部長への信任の厚さが測り知れる。

金部長が13人しかいない最高幹部(政治局員)の一人であることから当然の待遇と言えばそれまでだが、金国泰政治局員(2013年12月14日)の国葬の時はNO.2の金永南最高人民会議常任委員長が葬儀委員長を担っていた。やはり、2007年に統一戦線部の部長に就任して以来、一線で対南関係を統括していたことの功労が評価されたものとみられる。金正日総書記存命中の2007年、韓国の盧武鉉大統領との間で南北首脳会談があったが、南北分断史上2度目の首脳会談をセットしたのが金部長だった。今年8月に「地雷事件」が原因で高まった危機を韓国との高官会談で収拾させたのも金部長である。

浮き沈みの激しい北朝鮮権力層で左遷も、失脚も一度もなく、順風満帆に出世街道を歩んできたことは金正日・正恩親子から信頼を得ていることを物語っている。そのことは、彼の党の序列を見れば一目瞭然だ。例えば、2010年10月の趙明録国葬委員リストでは170人中16位、金正日国葬委員名簿では231人中14位で、16位の崔龍海書記、18位の張成沢国防副委員長よりも上位だった。現在も党序列14位の座にある。

金部長は対南だけでなく、姜錫柱政治局員兼書記が闘病中であることから外交全般も担当し、10月に訪朝した劉雲山政治局常務委員との会談にも出席している。こうしたことから交通事故死に見せ掛けた粛清は非現実的だ。しかし、それでも、事故の詳細が不明なことから交通事故死への謎が消えないのも致し方のないところだ。

第一に、「午前6時15分に交通事故で死去した」と発表されているが、仮に病院に運ばれ、治療のかいもなく、亡くなった時間が6時45分ならば、事故はそれ以前、明け方に起きたことになるので車両通行の少ない時間帯に交通事故は考えられないという疑問だ

第二に、運転していたのが、本人なのか、それとも付き人の運転手なのか不明なことだ。

本人なら、飲酒運転が原因ということも考えられるが、お抱えの運転手ならば、あり得ないという疑問だ。

第三に、党幹部には頑丈なベンツが与えられているはずで、即死は考えられないとの疑問だ。

韓国では金部長の車が中朝国境に近い新義州出張後に平壌に戻る途中に軍用車(人民軍所属のトラック)と衝突したことから軍の頭越しに対韓修復に走る金部長を牽制する軍が「事故を装って、謀殺した」のではとの説も流れている。

また、金部長が最近、食料品工場など金第一書記の経済部門の視察に同行するなどその活動範囲を経済分野に広げていることから影響力増大を牽制する既得権勢力から狙われたのではとの説も流れている。どうやら金部長は処刑された張成沢国防副委員長の人脈に属していたことから既得権勢力は以前から彼の「首」を狙っていたというのがこの説を補強しているようだ。

統一戦線部は対南事業と朝鮮総連及び米国など海外同胞の事業(経済活動)も担当している。過去に海外同胞との事業での不正が発覚し、粛清された統一戦線部の幹部は少なくない。この場合、労働党組織指導部が指揮し、国家安全保衛部が捜査を行い、摘発するパターンだ。張成沢国防委員会委員長兼党行政部長が犠牲になったその典型的なケースだ。

興味深いのは、今年1月に経済協力事業で訪朝したところ、国家安全保衛部に逮捕され、今月16日に北朝鮮の最高裁判所から哀れにも国家転覆陰謀罪で終身労役刑を言い渡された韓国系カナダ人牧師(林賢珠氏)がいる。

林牧師はこれまでに人道支援などの目的で1997年から18年間に100回以上訪朝している。逮捕された今年1月も経済開発事業の実務面談との名目で北朝鮮北東部の経済特区、羅先に入っていた。ところが、2月2日、信じられないことにエボラ出血熱対策の入国制限措置に反し「違法に」平壌に移動したとの容疑で突然拘束されてしまった。

林牧師の窓口となったのは統一戦線部で、統一戦線部の案内なくして、国内の移動は不可能だ。

こうしたことから金第一書記の補佐役として何かと実験を握り始めた金部長を牽制する既得権勢力が彼の追い落としを図るため、今回の交通事故死を仕掛けた、あるいは「林牧師スパイ事件」の責任を取らせたとの推測も流れているようだが、今回発表された葬儀委員70人の中に黄炳誓軍総政治局長をはじめ軍幹部ら、また労働党組織指導部のトップである趙英俊と金京玉の両第一副部長も国家安全保衛部の金元弘部長もリストアップされている。