2015年11月21日(土)
消えた崔龍海書記は復活、復帰できるか
北朝鮮の最高幹部の一人である崔龍海書記(政治局員)が7日に死去した軍長老の李乙雪元帥の国葬委員リスト(171人)に含まれてなかったことから物議を呼んでいるが、その後、弔問(8〜10日)にも国葬(11日)にも姿を現さなかったことで身辺に異変が生じていることが裏付けられた。
崔書記の「異変」については「朝鮮日報」「中央日報」「京郷新聞」「聯合通信」など韓国のメディア、ニュース媒体は揃って「左遷されて地方の農場で『革命化教育』を受けている」との結論だ。「革命化教育」とは刑罰として地方の農場などに下って肉体労働を行うことを意味する。
「朝日新聞」「産経新聞」及び「時事通信」「日本テレビ」「フジテレビ」など日本のメディアのソウル発の記事も同様の見方だ。「東京新聞」はソウル発でなく、北京特派員の記事だったが「地方で思想化教育」という点では同じだ。どれも「協同農場で革命化教育を受けている」という点では共通しているが、但し、その理由については分かれている。
崔書記が勤労団体や青年組織を担当していることから「この分野での業務不振が問われた」(京郷新聞)との説、あるいは崔書記が両江道に建設された水力発電所「白頭山英雄青年発電所」の工事責任者であることから「発電所の不実工事の責任を取らされた」(朝鮮日報)との説、さらには不正容疑で処罰を受けた過去があることから「不正や不敬罪で問責を受けたのかもしれない」(中央日報)との説など様々だ。「東京新聞」は崔氏が昨年9月に国家体育指導委員長に就任していることから関係者の話として「金第一書記が力を入れるスポーツ振興事業をめぐり、何らかの落ち度があり、とがめられたもようだ」と書いていた。
「白頭山英雄青年発電所」絡みでは韓国情報機関の国家情報院傘下、国家安保戦略研究院の劉性玉院長が10月3日に完工したこの発電所で「水漏れが見つかったことや、十分に稼働していない責任を問われた可能性がある」と語ったことがニュース源となっている。
日韓のメディアとも左遷(解任)であって、粛清(追放)ではないことから「復帰はありうる」と予測している。その時期については「朝鮮日報」は「6か月から1年〜2年以内に復帰できる」としているのに対して「東京新聞」は「革命化教育は3か月にわたる」としている。ということは、早ければ、3か月後には崔書記はカムバックできるようだ。
粛清されず、復帰の可能性が残されたことについては崔氏の父親が金日成主席のパルチザン同志で、初代人民武力相の崔賢氏であることからその子息である「革命第2世代」を「簡単には粛清できない」というのが一致した見方のようだ。また、崔龍海氏が1997年と2004年に非理の嫌疑で地方の農場に飛ばされ、革命化教育を受けた後に復権した前例があることや「崔龍海騒動」が8日に表面化した以降も、金正恩第一書記の活動を伝える記録映画から崔氏が登場する場面が削除されず、そのままテレビで放映されていることも根拠となっているようだ。
左遷もしくは、一部で言われているように謹慎処分にあっているならばカムバックの余地は十分にある。しかし、全てのポストを解任されたまま、2度と姿を現さなかった李英鎬次帥(政治局常務委員、軍総参謀長、党中央軍事委員会副委員長)のようなケースも過去にはある。
序列No.4の座にあった李英鎬軍総参謀長は2012年7月15日に開かれた党政治局会議で「身辺関係により」全ての職務から電撃解任されてしまった。表向きは解任であったが、その後の経過をみれば、明らかなる粛清であった。
「崔賢氏の息子をそう簡単には粛清できないはず」との一般論もおいそれとは切れない筈の金正日総書記の義弟で、金慶喜書記の夫で、正恩第一書記の叔父である張成沢(政治局委員、党行政部長、国防副委員長、体育指導委員会委員長、大将)を粛清、処刑したことの「非常識」を考えると、必ずしもあり得ないとは断言できない。
粛清された序列5位の張成沢氏も2013年12月8日に開かれた党政治局拡大会議で全ての職の解任と全ての称号の剥奪、そして党からの追放、除名が決定した。処刑はそれから4日目である。
崔書記の場合は政治局会議という正式な手続きを経て解任、粛清された李英鎬、張成沢の両氏とは異なることから2人の二の舞(粛清)にはならないとの見方も成り立つが、今年4月30日に電撃解任された序列6位の玄永哲人民武力相(総参謀長と軍事副委員長を歴任、大将)はこうした手続きを踏まずに粛清されている。
また、当時序列7位にあった金慶喜書記(政治局員、大将)も夫が処刑された2013年12月以降、「政治局員も書記も解任された」との発表はない。それにもかかわらず全ての公式行事から姿を消したままだ。事実上、引退に追い込まれ、隠遁生活を強いられているとの情報もある。
さらに「失脚ではない」との根拠としては、8日に騒動が表面化した以降も、金第一書記の活動を伝える記録映画から崔氏が登場するシーンが削除されず、そのまま朝鮮中央テレビで放映されていることが挙げられているが、今年4月30日に粛清、処刑された玄英哲人民武力相の場合も5月13日に処刑の事実が表沙汰になった後でも内外の衝撃を抑えるためか、北朝鮮当局はしばらくの間、映像からカットせず放送していた。皮肉なことに今回の葬儀委員リストの中に玄英哲氏の名前が含まれてなかったことからはからずも粛清が裏付けられる格好となってしまった。
崔龍海氏が不死鳥のように復活するのか、それとも李英鎬元軍総参謀長の二の舞になるのか、あるいは金慶喜前書記の道を辿るのか、来年5月に労働党大会が開催されることから遅くとも半年後には判明するだろう。