2015年11月21日(土)

 哀れ!韓国の歌姫、桂銀淑(ケイ・ウンスク)

紅白歌合戦に7回連続出場するなど日本で大活躍していた韓国の人気歌手、桂銀淑(ケイ・ウンスク)が東京の自宅で2007年11月26日、「覚醒剤取締法違反で逮捕された」と聞いた時はビックリ仰天した。

それから8年後の昨日(11月20日)、今度は韓国で麻薬類管理法違反と詐欺罪で懲役1年6月の実刑判決が下されたとのニュースを聞いてまたもや驚かされた。韓国の知人を通してカムバックを目指していると聞いていたからだ。一度ならず、二度も失望、落胆したとはこのことだ。

日本で有罪判決を受け、韓国に追放(強制退去)されてからは老いた母親の面倒を見なければならないこともあって半ば隠遁生活をしていたようだ。数年前から仕事もなく、借金にも追われ、随分とお金に困っているとの話は聞いていた。2年前に高級車ポルシェのリース契約をめぐり詐欺で訴えられているとのニュースに接した時は「もしかしたら」との疑念も頭を過った。

それでも、昨年6月、歌手、ASKA(飛鳥)の覚醒剤事件絡みで日本のテレビのインタビューに応じ、覚醒剤に警鐘を鳴らすコメントをしていたこともあって、覚醒剤にはもう手を染めてないものと思っていた。ところが、今回の韓国の判決によると、「2012年から今年6月まで自宅やホテルで3回、覚醒剤を使用していた」とのことだ。詐欺罪については否認したものの覚醒醒剤の使用については桂銀淑本人も認めたようだ。

そうとは知らず、彼女のカムバックを助けるため、昨年あたりから韓国でディナーショーを開き、日本からツアーを組んで応援に駆け付けようとの企画が日本で練られ、彼女も本気でボイストレーニングやダイエットに取り組んでいたのはこれまた紛れもない事実だ。

美貌とハスキーボイスには男性ファンが多く、ニュースキャスターの筑紫哲也さんや後にニュースステーションのキャスターとなった朝日新聞編集委員の高成田亨さん(現在仙台大学教授)ら特にジャーナリストの間では絶大な人気を博していた。亡くなられた筑紫哲也さんは「桂銀姫を囲むジャーナリスト・文化人の会」の発起人になり、確か赤坂のホテルで彼女のためのパーティを開いてあげたこともあった。小泉純一郎元総理も大ファンで2006年4月に総理主催の「桜を見る会」に招待し、ツーショットの写真がフライデーに掲載されたこともあった。

思えば、彼女と出会ったのは、彼女のデビュー曲「大阪暮色」がヒットした1985年、ちょうど大学生のオリンピックと称されるユニバーシアードが神戸で開催された年だ。日本で開かれる大きな国際競技に韓国と北朝鮮から選手団が共に出場するのは初めてということもあって統一応援機を作り、南北合同応援団結成に向けて関西を奔走していた頃だ。

翌年大ヒットとなった「雀の涙」をレコーディングして上京した折には、音頭を取って、親しくしていた故・菅原文太さんに頼み、ジャーナリスト仲間らを集め、彼女の励ます会を開いてあげたこともあった。

その後も、新宿の京王プラザーホテルなどで開かれたディナーショーに足を運んだりもした。そんなことが縁で、知人が浅草のホテルで個人的なパーティを開いた時に1曲お願いしたところなんとしっかりメイクアップ、ドレスアップして1曲どころか、気前よく4曲も5曲も歌ってくれた。帰り際にお礼を述べたところ、ふとある悩みごとを打ち明けられた。「歌謡界の最高峰である日本レコード大賞を取りたいのだが、いろいろな問題があって、うまくいかない」と。

共通の友人であった麻布十番の韓国レストランのママさんから彼女はクリスチャンで、日曜日には欠かさず教会に行っていると聞いていた。いつだったか、テレビ番組で一緒になったことがあった。番組名は思いだせないが、確か、歴史人物を扱った1時間番組で、その日は韓国の元大統領、朴正熙を取り上げていた。

二人ともコメンテーターとして出演していたが、司会者の関口宏さんから朴元大統領が暗殺され、生涯を終えたことの感想を求められると、彼女はボロボロと涙しながら語っていた。韓国では「気が強い」という評判だったが、涙する彼女を隣で見ていて、本当に気の優しい人だなと思ったりもしたものだ。

桂銀淑は1999年頃から歯車が狂ったのか、実業家の元夫との離婚、借金による裁判など相次ぐトラブルに見舞われ、それが原因で鬱になり、覚醒剤に手を染めたようだが、周囲がもっと親身になって相談に乗り、大事にしてあげていれば、クスリに溺れないで済んだかもしれない。

日本では桂銀淑の復活を待望する熱烈ファンが多いだけに、今度こそ悔い改め、もう一度再起して、あのハスキーな声を聴かせてもらいたいものだが、もう無理かも。残念だ。