2016年4月12日(火)

 「金正恩視察映像」から消されていた李永吉前軍総参謀長

中国の北朝鮮レストランでは働いていた13人の女性従業員の集団亡命に続き、人民軍偵察総局の中堅幹部(大佐)が韓国に亡命していた事実が明るみに出たことで「国連の制裁措置で金正恩体制が揺らいでいるのでは」「金正恩体制崩壊の兆しでは」と韓国のマスコミは亡命ニュースを大々的に報道している。

前者については亡命の動機が今ひとつはっきりしてない。仮にレストランの営業不振が原因ならば、責任者は処罰されることはあっても一般従業員にはそれほどお咎めはないはずだ。

韓国に亡命すれば、連座制のため親、兄弟が害を被り、良くて地方追放、へたをすれば強制収容所送りとなりかねない。韓国当局が言うように亡命の動機が自由や韓国への憧れからだとしても親、兄弟をそう簡単に犠牲にできるだろうかとの疑問も沸く。

もしかしたら、帰国したら全員処罰の対象となりかねない、一同が口にできない「不始末」を起こしていたからなのかもしれない。「不始末」が発覚すれば、どちらにせよ家族もろともただではすまされない。これが原因で、全員が連帯、共同責任を感じて亡命を決断したのではないだろうか?

後者の偵察総局の大佐の亡命については、亡命軍人としては過去最高の階級であること、また、軍の諜報組織である偵察局から出たことで、13人の集団亡命同様に北朝鮮にとっては痛手である。

偵察総局は金正日政権下の2009年に人民武力部傘下の軍偵察局を中心に党傘下の作戦部と「35号室」と呼ばれる党調査部の3つの機関が統合された機構で、初代局長が金英哲大将である。

総局は全部で5局から成っており、1局がスパイ育成と工作員の浸透、2局が暗殺、爆破、拉致、3局がテロ及び工作装備の開発、5局が後方支援、そして6局がサイバーテロやハッカーの担当となっている。(4局は欠番)

亡命した偵察局の大佐がどの局に所属していたかは不明だ。昨年秋にカリブ海の某国から亡命した軍人「C」が党35号室出身と報道されたことがあった。おそらく、今回発表された亡命大佐はこの「C」を指すものとみられる。ならば、キューバやベネズエラなど反米国家に派遣されていた偵察要員ということになる。そこでの任務、工作を含め偵察総局の作戦や工作について韓国当局はすでにある程度把握しているはずだ。

北朝鮮にとっては、亡命が半年前であったこと、また、情報漏えいや監督不行き届きの責任を取らされてしかるべき金英哲局長が今なお、健在であることからこの亡命事件は「過去の問題」として処理されている可能性も考えられる。但し、幹部の亡命の事実を金正恩第一書記に伏せていたならば、事情は異なる。金局長が叱責される可能性も考えられる。

金正恩体制の恐怖統治と強硬路線を支える二本柱が金元弘部長率いる国家安全保衛部と金英哲局長の軍偵察総局であることは誰もが認めるところだ。その一本から離反者が出るというのはそれだけ金正恩体制のタガが緩んでいることの証でもある。

今月は、11日に金正恩第一書記の就任日、13日に国防第一委員長就任日、そして2日後の15日は祖父、金日成主席の生誕日である。さらに、25日は朝鮮人民軍創建日と、北朝鮮にとってはお目出度い日が続く。

韓国では、2009年と2012年の「衛星」と称するテポドンミサイルが4月5日、13日に発射されていることや、今年1月の「水爆」と称する4度目の核実験が金第一書記の誕生日(8日)の2日前に発射されていることや2月7日のテポドン発射も金正日総書記誕生日の9日前に発射されていることなどから、北朝鮮が公言している5度目の核実験や中長距離弾道ミサイルの発射があるのではないかと、警戒している。

いずれにせよ、金第一書記にとっては政権発足から4年目、33歳の若さながらどうやら一人独裁体制を築いたようだ。そのことは、4月初旬に公開された金第一書記の軍部隊視察活動記録映像から確認できる。

この記録映画は今年1月から3月までの金第一書記の部隊視察や軍事訓練指導などを網羅したものだが、1月下旬に処刑されたとされる李永吉軍総参謀長は映像からカットされていた。

北朝鮮の公式報道では李永吉総参謀長は、1月4日の人民軍大連合部隊の砲射撃視察と9日の人民武力部訪問時はまだ健在だった。特に人民武力部では黄秉西軍総政治局長と朴英植人民武力相と一緒に金第一書記に花束を贈呈していたと報道されていたが、唯一李総参謀長だけが贈呈シーンからカットされていた。

2012年に李英鎬軍総参謀長が、2013年に叔父の張成沢国防副委員長が、2015年に玄永哲人民武力相が、そして今年2016年に李永吉軍総参謀長が粛清、処刑された今、誰も怖くてものが言える雰囲気ではなさそうだ。それもそのはずで、他の映像ではNo.2の長老の金永南最高常任委員長までもが50歳以上も年下の金第一書記に「ハイ、ハイ」とかしこまっていた有様だった。