2016年8月21日(日)

 駐英公使の韓国亡命で金正恩体制は揺らぐか

昨年7月平壌に大使らを招集。大使らとの記念写真で向かって右端が李容浩外相


五輪の最中、駐英北朝鮮大使館公使の韓国亡命はビッグニュースとなって世界を駆け巡っている。

外交官一人の亡命ならばさほど大事にもならない。しかし、金正恩政権下での過去3年間の韓国への亡命者が2013年に1,514人、2014年に1,397人、2015年に1,276人に達し、そのうち外国駐在官が2013年8人、2014年18人、そして2015年20人(〜10月まで)となると、話は別だ。何よりも、金正恩政権を支えるエリート層、核心層から離脱者が出ているのが問題だ。

(参考資料 北朝鮮から亡命した外交官と特権層の顔ぶれ

2013年には金正恩委員長の秘密資金を管理する労働党「39号室」のアフリカ駐在官がアフリカでの銅像建設代金を持って韓国に亡命したほか、2014年には東南アジア駐在の外交官に続いて、ロシアの極東地域で党の「金庫」と称される「朝鮮大聖銀行」の尹泰賢代表が5百万ドル持ち出して亡命している。また、この年には中南米からも大韓航空機爆破テロに関わった労働党「35号室」(対外情報調査部)に所属していた人物も亡命している。

昨年7月2日に韓国紙「朝鮮日報」系の「TV朝鮮」が伝えたところでは、昨年初めに「39号室」の幹部3人が韓国に亡命している。そのうちの一人は、民族経済発展に寄与したとして「3大英雄称号」を受けた副部長クラスで、第3国を経由して韓国に亡命したと伝えられている。もう一人は、香港派遣の中堅幹部で、娘が留学のため平壌から出て来たタイミングを捉え、これまた数百万ドルを持ち出して、韓国入りしている。

昨年脱北した20人の駐在官の中には勤務先の北京から脱出し、4月に韓国に入った軍総政治局の中堅幹部も含まれている。軍総政治局は軍全体を監視、統制する北朝鮮権力の核心組織で、そのトップは政治局常務委員でもある軍No.1の黄秉西総政治局長である。

この他に昨年の亡命者の中には対南工作部署の偵察総局所属の幹部と東欧に派遣されていた、諜報・治安機関である国家安全保衛部の幹部も含まれていた。偵察総局幹部の階級は大佐で、これまでの亡命軍人の中では最も階級が高い軍人であった。

また、昨年5月にはアフリカ駐在の外交官が夫人と二人の息子を連れて、韓国に亡命しているが、亡命の動機について「帰国すれば、粛清される恐れがあるから」と韓国の関係当局に語っていた。

この他に韓国には入国していないものの「39号室」に所属し、欧州で党の資金を調達、管理していた中堅幹部が4億〜5億円を持ち出したまま欧州のある国で当局の保護を受けていることも今回のテ・ヨンホ英国駐在公使の亡命事件との関連で判明した。この中堅幹部は欧州に20年以上も滞在し、北朝鮮の資産を管理していたとされている。持ち出した金は一説では400億円規模とも言われている。

韓国での報道では、在外公館から脱北し、韓国入りした北朝鮮の外交官は昨年1年間で約10人、今年は上半期だけで既に10人に迫っているとされているが、詳細は明らかにされてない。外交官ではないが、脱北者を取り締まる国境警備隊の大隊長までもが今年3月に韓国に亡命しているだけに脱北に歯止めがかかることはなさそうだ。

(参考資料) 雪崩現象を起こす脱北者の急増は体制崩壊の兆しか?

今年に入っての脱北者の増加、とりわけ体制に忠実だったエリート増、核心層の脱北要因の一つが金正恩政権の恐怖統治にあることは脱北者らの証言からも明らかだ。「国情院」が公開した「北朝鮮内部特異動向資料」によると、金正恩政権下の過去3年間に銃殺された幹部は2013年30人、2014年31人、2015年8人に上る。幹部だけでこの数だから、末端レベルではもっと多いかもしれない。

罪名は反党、反革命、宗派行為から命令服従、横領などの不正や職務怠慢など様々だが、恐怖統治下にあっても、それでもまだ1997年に韓国に亡命した当時序列27位の黄長ヨプ党書記(兼政治局員候補)クラスの最高幹部の亡命はない。

また、韓国には脱北した軍人もそれなりにいるが、最高の階級が大佐で、大佐以上の将軍クラスの亡命はまだ一件も確認されてない。さらに、外交官の亡命も1997年8月の張承吉駐エジプト駐在大使夫妻の米国亡命以来、大使の亡命は一件も起きてない。金正日―金正恩政権下のこの19年間、「小者」の亡命はあっても、体制を揺るがすほどの「大物」の亡命が一件もない。

政治局員(19人)と政治局員候補(9人)から成る最高執行部から、少なくとも党幹部と称される党中央委員(128人)もしくは党中央候補委員(106人)から亡命者が出れば、金正恩政権にとって大きな打撃となるが、公使クラスの亡命では金正恩政権の対外イメージを著しく損ねても、体制瓦解の引き金とはならないかもしれない。