2016年7月28日(木)

 横田めぐみさんの「教育係」であった拉致実行犯が姿を現した謎

日本が引き渡しを求めている日本人拉致の実行犯、辛光洙容疑者


日本人拉致の実行犯として日本から引き渡しを求められている北朝鮮の工作員、辛光洙容疑者が8年ぶりに公の場に姿を現し、関心を集めている。

辛光洙容疑者は1978年の地村保志・富貴恵夫妻の拉致、1980年の中華料理店員原敕晁さんの拉致の実行犯として国外移送目的略取容疑で10年前に日本の警察庁によって国際指名手配されている。

辛容疑者は原敕晁さんになりすまして旅券を不正取得し、韓国に浸透し、工作活動していた1985年に同国で逮捕され、死刑判決を受け、収監されていたが、金大中政権下の1999年に恩赦で釈放されていた。翌年の2000年6月に金大中大統領が平壌を訪問し、金正日総書記との間で首脳会談が実現したこともあって他の「非転向長期囚」62人と共に同年9月に北朝鮮に送還されていた。

辛容疑者は拉致した地村夫妻に平壌市内の招待所と呼ばれる施設で半年間にわたって朝鮮語を教えていただけでなく、1977年に拉致された横田めぐみさんにも拉致直後から「教育係」として朝鮮人化教育を施していたいとされ、めぐみさんの拉致にも関与した疑いが持たれている。

日本政府は日朝交渉の場で辛容疑者の日本への引き渡しを求めているが、北朝鮮は容疑を否認し、日本側の要請を拒んでいる。その他の実行犯についても「そのような人物は存在しない」と白を切り、日本の求めに応じていない。

辛容疑者は北朝鮮では他の「非転向長期囚」と共に「不屈の統一愛国闘士」扱いされていることから犯罪者として日本に引き渡すことはないとみられているが、日本は拉致問題の全容解明には実行犯への事情聴取が不可欠として、拉致実行犯の中心人物である辛容疑者の引き渡しを強く求めている。

辛容疑者は2008年9月の建国60周年閲兵式観覧を最後に消息が途絶えていた。本来ならば出席してしかるべき2010年9月の送還10周年記念行事にも姿を現さなかったことから「重病説」が流れていた。

北朝鮮にとっては日本国内で重病説が流れているならば、あるいは意図的に流していたならば、そのまま二度と、表に出さず、死亡者扱いにしてしまえば、日本から引き渡しを求められず済むはずだ。87歳と高齢なことから「死亡した」と通告すれば、さほど疑われることもない。それなのになぜ、今回、再び、それも8年ぶりに表に出したのか、謎と言えば、謎だ。

今回、辛容疑者が姿を現したのは7月21日に平壌で開かれた統一運動団体「祖国平和統一戦線」結成70周年記念報告会会場で、他の「同僚」らと共に出席していた。翌22日に朝鮮中央通信が報告会に関する記事を配信したが、金基南政治局員ら党幹部らと共に「非転向長期囚ら」が出席していたことを伝えていた。

そして、朝鮮中央テレビが23日、夜8時のニュース番組で報告会の模様を放映したところ辛容疑者が映っていたことから北朝鮮のメディアを傍受、チェックしている北朝鮮専門メディアのラジオプレス(RP)が気付き、25日に伝えたことで判明した。

映像では長期囚は全員が紺色の服を着て、中段の最前列に一列になって座っていたが、辛容疑者は向かって左側に位置していた。一瞬ではあるが、直ぐに確認はできた。確認できるように映していたと言っても過言ではない。しかし、その後配信された写真を見ると、辛容疑者の場面はカットされていた。こうしたことからもしかすると、映像で編集をミスった可能性も考えられなくもない。

仮に、北朝鮮が意図して、映らせたとするならば、その狙いは何か?

辛容疑者は金正恩政権になっても依然として「英雄」扱いしているので、絶対に引き渡すことはないとの意志伝達なのか、あるいは、まだ健在なので、日本の調査団が来るならば、事情聴取に応じても良いとのメッセージの発信なのか、それとも、辛容疑者を表に出すことで拉致問題を逆手にとって北朝鮮に対して圧力を強めるなとの日本への警告なのか、どのようにも解釈が可能だ。

公表のタイミングが24日からラオスの首都、ビエンチャンで行われたアセアン外相会議や地域フォーラム(ARF)と重なっていることから北朝鮮を批判する決議を日本が主導しないよう牽制した可能性も否定できない。

日朝交渉も安否不明者の再調査も凍結したままだが、今回の一件で、拉致問題に新たな動きがあるのか、注視したい。