2016年7月29日(金)

 雪崩現象を起こす脱北者の急増は体制崩壊の兆しか?

今年3月に集団脱出した女性従業員13人が働いていた寧波の柳京レストラン


北朝鮮からの「脱北」が止まりそうにもない。

香港訪問中の北朝鮮の若者が1〜2週間前に韓国総領事館に飛び込み、保護を求めていると昨日、香港のメディアが伝えていた。また、中国に出張に来ていた北朝鮮の将軍クラスの軍人や外交官ら4人が第3国への亡命を企て、現在中国に潜伏している、と昨日韓国のメディアが大々的に報じていた。

香港で失踪した北朝鮮の若者は今月6日から16日まで香港の科学技術大学で開催されていた第57回国際数学オリンピアード大会に出席した後、北朝鮮の代表団から離脱し、そのまま韓国の総領事館に駆け込んだとのことだ。

世界109か国から602人が出場した大会には北朝鮮からは6人の秀才が出場し、総合で6位の成績を収めたとのことだが、韓国に亡命したのはそのうちの一人で、両親はエリート階層の可能性が取り沙汰されている。また、香港の韓国総領事館には40代から50代の軍関係者らしき人物がすでに保護されているとの情報もある。

日本にも今月、25歳の若者が単身脱北し、山口県長門市の仙崎港に漂着する事件が発生したばかりだ。

今年に入って中国・寧波のレストラン従業員13人が4月に集団脱出し、韓国入りしたほか、5月にも中国・陜西省のレストラン従業員3人が韓国入りするなど海外で働く従業員らの脱北が相次いでいる。

脱北者の数は父・金正日体制下の晩年の4年間は2008年=2,700人、2009年=2,927人、2010年=2,376人、2011年=2,706人と2千人台で、1万人を超えていた。

しかし、金正恩体制になってからは経済が若干好転したことや中国との国境の警備が強化されたこともあって2012年=1,508人、2013年=1,514人、2014年=1,397人、2015年=1,276人と1千人台にまで落ち、合計でも5,695人とほぼ半減していた。

ところが、今年に入って、脱北者の数が再び急上昇し、上半期(1−6月)は749人と、前年の同じ時期に比べ22%も増加している。先月1か月だけでも脱北者は150人に上る。寧波のレストラン従業員13人の集団脱出にショックを受け、国家安全保衛部や人民保安省(警察)から成る取り締まり隊を編成し、中国などに派遣し、監視を強めているだけに北朝鮮にとって事態は深刻だ。

脱北者が止まらない理由は幾つもある。

第一に、北朝鮮では生活できないこと、即ち、生活苦からの脱出だ。

韓国銀行が今月22日に発表した統計では、昨年の北朝鮮の国内総生産(GDP)は実質で前年比1.1%減少と、金正恩体制後初のマイナス成長を記録した。国際社会の経済制裁が徐々に効き始めたようだ。

第二に、将来への悲観だ。特に、海外で勤務する外貨稼ぎ従業員や貿易マン、外交官らの脱北にこのケースが多い。ノルマを達成できない場合の帰国後の処罰を恐れての脱北だ。

第三に、統制のタガが緩んでいることだ。取り締まる側の警備兵らがワイロを貰って、見逃していることだ。警備兵にも家族がいる。生きていくためには安い給料だけではやっていけない。

第四に、韓国への憧れだ。脱北者への聞き取り調査の結果、圧倒的多数が韓国情報に接していたことがわかった。中国経由での韓国情報の流入が脱北者の増大に繋がっている。

増大の背景には韓国への脱北に成功した肉親や親族からの手助けがあることも大きい。一人が脱北に成功すれば、その人が家族や親族を次々と芋づる式に脱北させているからだ。脱北者は1990年には一ケタの9人だったのが、金日成主席が死去した94年に二ケタの52人に跳ね上がり、そして99年には三桁の148人、2002年からは四桁となり、韓国への脱北者はすでに3万人に達している。

亡命者の増大を体制崩壊の兆しと捉えるべきか、判断が分かれるところだ。

キューバは2005年から15年までの過去10年間だけで13万5千人が米国に亡命しているが、カストロ政権は依然として健在だ。

その一方で、東ドイツはベルリンの壁が崩れる直前までは西ドイツに脱出した人は全部で2,700人に過ぎなかった。年平均で300人と、韓国への脱北者の9分の1程度だったが、ベルリンの壁が崩壊すると、西ドイツに吸収され、消滅してしまった。

北朝鮮がキューバのケースなのか、東ドイツのケースになるのか、いずれ歴史が証明するだろう。

参考資料 山口県に漂着した脱北者の日本への「暗示」 参考資料「集団脱北事件」が金正恩政権に与えた測り知れぬ衝撃