2016年6月28日(火)

 北朝鮮のミサイル開発にロシア人亡命者が協力していた!


韓国の「KBSTV」は27日夜の番組で、韓国国防研究院の保安(秘密)文書を入手し、「北朝鮮に亡命した旧ソ連の最先鋭ロケット技術チームが技術を提供し、最近まで関与していた」と報じた。

「KBS」は国防研究院にこの情報を提供したとされる脱北者のインタビューも紹介していたが、この脱北者によると、ソ連解体後に亡命したロシア人技術者は約25人で、平壌市の竜城区に本部がある第2自然科学院で5万5千人の北朝鮮スタッフと共に核、ミサイル、化学兵器など大量破壊兵器の開発に従事しているとのこと。

プーチン大統領が2000年7月に訪朝し、ロシア人亡命者らを帰国させるようを求めたが、ロシア人亡命者らは北朝鮮が給料として月8千ドルを保証していたことからそのまま留まったとのこと。

「KBSTV」が報じるまでもなく、北朝鮮の核とミサイル開発に旧ソ連の関与は以前から指摘されていた。何しろ、1992年の時点で、ウクライナのドゥブナにある核融合研究所では北朝鮮の核専門家が数百人も研修を受けていたし、ソ連崩壊後に失業したソ連のミサイルや核関連の科学者、研究者らは副総理級の待遇でスカウトされていた。

ソ連がロシアに取って代わり、韓国と国交を結んだことからロシアのエリツィン政権(1991−1999年)はロシア人のミサイル設計技術者や科学者らの北朝鮮入りを阻止していたと伝えられていたが、1994年に韓国に亡命するまで北朝鮮で生物化学兵器を扱っていた李忠国下士官は筆者の質問に「今でもロシアから技術者を連れてきている」と証言していた。

また、最高司令官直属のロケット部隊に将校として配属され、1997年に韓国に亡命するまで国家科学院平安北道資材供給所外貨獲得指導員だった安善国氏も「テポドン1号」が日本列島を飛び越えた翌年の1999年8月、北朝鮮とロシアとの関係についてソウルでの筆者の質問に以下のように答えていた。

―北朝鮮のノドン、テポドンはソ連製を改良して作ったのは間違いないか?

「技術を導入したのであって、コピーそのものではない。ソ連の技術を導入し、ソ連のものを輸入し、それを一つ一つ分解し、それをマイクロメーターで計って、その中に入っている科学製品を全部取り出して、分析し、科学方程式で割り出して、科学物資を作ったのだ」

―旧ソ連から技術者を呼んで、開発しているというのは事実か?

「それは当然のことだ。私自身もソ連人から指導を受けた。67年当時は7人のソ連人問が来ていた。発射台の乗務員が着るユニホームから歯ブラシ、歯磨き、タオルにいたるまで使用するものは全部ソ連製だった。ソ連人の顧問から教育を受けるので当然のことだ」

―ソ連が韓国と国交を樹立してからはどうか?ロシアとの関係が悪化してからもソの技術者の協力は続いていたのか?

「その後も入ってきている。昔のように政府レベルではなく、民間次元として。ロシアも法治国家といっても複雑な国なので、そういうことができた。ロシアの技術者は全員私服で来る。肩に星を付けた恰好で来る者はいない」

ロシアのミサイル協力についてはもう一人、証言者がいる。

米上院政府活動委員会が2003年5月20日に開いた公聴会で証言した黒覆面の元北朝鮮ミサイル技師で、日本で「李福九」という仮名で「北朝鮮弾道ミサイルの最高機密」という本を出していた。

このミサイル技師は1999年に韓国に亡命するまで熙川38工場に配属されていた。同工場の偽造名称は「熙川青年電気連合企業所」で、ミサイル技師の肩書は「603工場技術課課長」。議会証言後、韓国への帰途、東京に立ち寄った際に話を聞いてみた。

―北朝鮮のミサイルの水準はどの程度なのか?

「始まりはロシアだ。ミサイルも核もロシアだ。私がいた軍需工場もロシア製だ。北朝鮮の技術はロシアで、ロシアが定着させた。北朝鮮のレベルは簡単に言うと、ロシアと同じと見ればよい。」

―軍需工場にはロシア人以外の外人はいなかったのか、例えば、中国人や日本人などは?

「中国人は工場が稼働した初期の頃はいた。その後も何人か来ていたが、今は一人もいない。ロシア人が出入りしている。日本人は絶対に使わない。在日同胞も使わない。軍需工場には入れない。イラクをみればわかる。イラクは金があるから外国人を雇って基地を作ったが、全部暴露されてしまった。結局、頼れるのは自国民だ。軍事は慎重でなくてはならない」

この黒覆面のミサイル技術者の米議会での証言は韓国で波紋を呼び、国会情報委員会は翌6月3日、国家情報院(国情院)から説明を受けた。国情院は「黒覆面の証言者はミサイル誘導システム開発に関わった技術者ではなく、武器製造工場の下級労働者であり、ミサイル部品の輸入に関して証言できる立場にはない」と報告していたが、発言の信憑性については検証されることはなかった。