2016年5月8日(日)

 金正恩第一書記が党服を脱ぎ捨て、背広姿で党大会に現れた謎

珍しい背広姿の金正日総書記 拙著「金正日の真実」から


金正恩第一書記が36年ぶりの労働党大会にネクタイにスーツ姿で現れたことが話題となっている。

普段スーツ姿であっても、党大会には通常は、党服(人民服)に着替えて出てくるのが本来はあるべき姿だ。しかし、金第一書記の場合は逆パターンだ。誰もが予想してなかっただけにその意外性が関心の的となっている。

多くのメディアは祖父、金日成主席を模倣してスーツに眼鏡の姿で現れたのではと解釈しているが、36年前の党大会で5時間にわたって演説した際の金主席のコスチュームは背広ではなく、詰め入りの党服であった。祖父が開いた最後の党大会の記憶を彷彿させたいのならば、またその時の祖父の姿にダブらせたいならば、むしろ党服を着用して現れてほうが効果的だったはずだ。ちなみに他の出席者らも軍人以外は全員が背広だった。

モデルとなったとされる金主席の場合は、党服と背広を使い分け使用していた。党服を着用していた時期でも、例えば1955年にインドネシアで開かれたバンドン会議に出席する際には背広姿であった。党の業務を後継者の金正日書記に任せた後は、特に晩年は一度も党服を着ることはなかった。亡くなる1カ月前の1994年6月にカーター元大統領と接見した際には白のスーツで現れていた。党総書記としてではなく、国家主席として、国家元首として業務に専念していたからに他ならない。

では、総書記と国防委員長の二つの肩書を持っていた父・金正日総書記の場合はどうか。

金正日総書記の服装は基本的に質素であった。

夏はベージュやグレーの開襟シャツを身に着けている場合が多かった。冬は独特の人民服(党服)を着用していた。「1959年に東ドイツに留学していた頃にパイロットの制服に憧れ、それでパイロットに似た人民服を着用している」との情報が韓国から流されていたが、事実ではなかった。東ドイツには留学してなかったからだ。

一般的に金正日総書記は国内でも外国訪問時でもジャンバーのような服を着ていた。晩年は、ロシアや中国を公式訪問する際にもジャンバー姿で押し通し、一度も党服着ることはなかった。

金正日総書記がジャンバー姿を好むのは、「常に労働者と共にいる」ことを宣伝するためであると北朝鮮は説明していた。また、父親の金日成主席は「書記のジャンバー姿をみると、胸がわくわくする」と語っていたこともあった。

金正日総書記はそれでも公式行事などでは党服を着用していた。労働党第6回大会で後継者としてデビューした3年後の1983年に初めて中国を訪問した際にも党服を着ていた。もちろん、背広も持っている。

一般には知られてないが、1992年4月に背広姿で一度だけ外出したことがあった。平壌の人民生活展示会に三つ揃いで現れたのだ。この年の9月に金正日総書記の背広姿の写真(上記)が配信されたが、この時はベストを着用してなかった。

金正恩第一書記がこのまま党服を脱ぎ捨て、党大会後もこのスタイルで押し通すのか、それとも、また元に戻すのか、そのことからスーツに着替えて現れたことの意味がわかるのではないだろうか。