2016年10月24日(月)

 古くて新しい問題の「北朝鮮崩壊論」 三度目の正直となるのか

初代の金日成主席と二代目の金正日総書記


北朝鮮が崩壊するかどうかは古くて新しい問題だ。「北朝鮮崩壊説」は初代の金日成政権、二代目の金正日政権の時から語り継がれてきたコピーでもある。実際にこれまで北朝鮮の「崩壊説」が真剣に取りされたときが過去2度あった。

一度目は東欧社会主義諸国が崩壊した時だ。

金日成時代には同じ分断国の東ドイツ、兄弟国のルーマニアのチャフシェスク政権など東欧社会主義政権が相次いで瓦解し、本家のソ連共産党政権までが崩壊したことで北朝鮮でもドミノ現象が起きると囁かれていた。東ドイツが経済力で西ドイツに吸収されたように国際社会では北朝鮮の「東ドイツ化」は時間の問題とされていた。

当時、平壌を初めて取材で訪れた米CNNとのインタビューで金日成主席は「ソ連が滅び、東欧社会主義諸国も滅びたが、我々は滅亡しない。我々と彼らとは事情が異なる」と答えていたが、結局、金日成時代(1948年8月―1994年7月)は東欧からの暴風雨に耐え、崩壊には至らなかった。

二度目は、金日成主席が死去(94年7月)した時だ。

父親の急死により跡を継いだ金正日政権(1994年7月―2011年12月)について韓国大統領諮問機関である「二十一世紀諮問委員会」は「金正日が今後3年から5年以内に経済改革に着手しない場合、北朝鮮体制が崩壊する可能性が高い」と「5年以内の崩壊」を予測していた。米CIAに至っては「3年は持たない」とクリントン政権に報告していた。

「金日成が去れば、宮廷内クーデターが怒り、金正日が追放されるか、軍部がクーデターを起こすか、人民が蜂起し、倒すだろう」との予測がなされた。確かに、当時の様々なデータに基づけば、金正日政権は早期崩壊してもおかしくはなかった。

政権発足の翌年1995年には未曽有の洪水被害に見舞われ、食糧危機に陥っていた。

当時、国土の約75%にあたる8つの道(県)と145の市、郡が被害にあい、520万人が被災し、約50万人が家を失った。被害総額はGNPの4分の3にあたる150億ドルに達していた。被災者が総人口(当時2150万人)の4分の1、被害総額(1994年基準で212億ドル)がGNPの4分の3ともなれば、国家としての機能は麻痺状態だ。一説ではこの時の飢饉で100万〜200万の餓死者が発生したとも伝えられている。

深刻な経済状況に加え、在外公館員らをはじめ亡命者(脱北者)が続出した。

金日成政権最後の年の1993年には僅か8人だった脱北者の数は金正日政権発足年の94年には52人と急増し、99年には三桁の148人、そして2002年には四桁の1,142人に跳ね上がり、2009年には過去最高の2,927人に膨れ上がった。

玄哲海人民軍総政治局副局長(当時)の甥にあたる玄誠一駐ザンビア3等書記官(96年)、張承吉駐エジプト駐在大使夫妻(97年)、洪淳京駐タイ大使館参事官(99年)ら外交官らが韓国や米国に亡命した。また、党書記として仕えていた党幹部の一人、黄ジャンヨプ書記(97年)も離反し、韓国に亡命した。

離脱者はさらに親族にまで及び、96年には元妻の成恵琳(長男・正男の実母)の実姉と姪(成恵琅・李南玉)が、その2年後には妻(高容姫)の実妹の高容淑夫妻が敵国である米国に亡命してしまった。

しかし、金正日政権は2011年12月まで17年も続いた。処刑されたイラクのフセイン大統領や殺害されたリビアのカダフィー大佐、そして死刑を求刑されたエジプトのムバラク大統領とは異なり、惨めな末路を辿ることなく、後継ぎを決め、生涯を終えている。

金正日時代の「北朝鮮崩壊」のシナリオは以下のようなものだった

「大洪水と食糧難で、軍用米も底をついてくる。飢えた住民が急増すれば、社会、政治的に不満が爆発し、食糧倉庫襲撃などの暴動が発生するだろう。そうなれば、北朝鮮当局は戒厳令を宣布し、武力鎮圧に乗り出す。大規模の検挙から逃れるため住民らの大脱走が始まる。休戦ラインを越え、あるいは中国を経由して南に押し寄せて来る」

しかし、金正日政権下で亡命者の数はおよそ2万3千人近く増えたものの、それでもキューバの過去10年間(2005年―2014年)の13万5千人に比べれば6分の1程度だ。キューバでもカストロ首相の実妹が米国に亡命し、米国のマイアミで反キューバ運動を主動したが、キューバには打撃を与えることはできなかった。スターリンの娘も1960年代後半に米国に亡命したが、ソ連共産党政権は30年近く維持されていた。

では、三代目の金正恩政権(2012年〜)はどうか?

(参考資料:金正日総書記・正恩第一書記の徹底比較

韓国の情報機関「国家情報院」(国情院)は10月19日、金正恩政権について「前代未聞の暴政と結束の弱体化、そして民心離反により不安定で、瀬戸際に追い込まれ、限界状況にある」と国会に報告していた。

その根拠は▲金正恩(党委員長)には生死を共にする腹心もいない、権力層は保身のため仕方なく忠誠を示しているだけである▲特にエリート層は暴政により忠誠心が弱まっている▲一般国民の不満は大きく、過酷な労役や収奪で民心離反が全国で拡散している等々である。

処刑された幹部は国情院の発表では、過去4年間(2012―15年)で100人。内訳は2012年17人、2013年10人、2014年41人、そして2015年が30人余。その中には叔父の張成沢国防副委員長、玄永哲人民武力相、崔英健副総理も含まれている。

(参考資料:金正恩政権下で消された党・軍幹部ら主な要人リスト

そして、今年は一気に昨年の2倍の64人。「8月に処刑された」と報道された金勇進教育担当副総理も含まれているのだろう。粛清された軍や党幹部も李英鎬軍総参謀長、文景徳党平壌市書記ら含め相当数に上る。父親に尽くした忠臣らを容赦なく処断している。

亡命者は政権発足から4年間は晩年の金正日体制下(2008年―11年)の10、709人から5,695人に半減したものの、今年は再び急増し、9月現在1、036人と昨年同期(854人)よりも21%も増えている。何よりも、金正恩政権を支えるエリート層、核心層から出ているのが問題だ。

英国駐在の公使の亡命や中国の北朝鮮レストランで働いていた女性従業員らの集団脱北が注目されているが、これまでに金正恩委員長の秘密資金を管理する労働党「39号室」のアフリカ駐在官が亡命(2013年)したほか、ロシアの極東地域で党の「金庫」と称される「朝鮮大聖銀行」の代表が5百万ドル持ち出して亡命(2014年)している。

今年も、諜報組織である国家安全保衛部の局長や軍総政治局の幹部、人民軍偵察局の大佐、統一戦線部の外貨獲得幹部、「39号室」の中国・香港担当官、金委員長の薬を海外で調達する保健省北京駐在代表が韓国に亡命している。

北朝鮮での生活レベルが「中産層」だった脱北者は2001年以前の23.5%から2014年以降は66.8%に上っている。「大卒以上の学歴」も2011年の5.7%から2015年には7.3%に上がっている。

(参考資料:金正恩政権が不安定な主な5つの理由

統計やデータ上では、金正日政権の時に比べ体制が軋み、不安定であることは紛れもない事実である。それでもすでに5年が経過し、5月には36年ぶりに党大会を開催し、来年早、6年目を迎えようとしている。「倒れそうで倒れない」のもこれまた否定しがたい事実である。

果たして「三度目の正直」となるか、「二度あることは三度ある」か、金正恩政権に国際的な関心が集まる所以である。

(参考資料:北朝鮮ではなぜクーデターが起きない----その四つの理由