2016年9月26日(月)

 拉致された映画監督の配達されなかった「金正日将軍様」宛の手紙

申相玉・崔銀姫夫妻と金正日総書記


北朝鮮に1978年に拉致され、映画製作を手伝わされた後、1986年に欧州に脱出し、韓国に「U−タウン亡命」した映画監督夫妻を扱ったドキュメント映画「恋人と独裁者」が韓国を皮切りに9月24日からは日本、米国で一斉に公開された。

英国出身のロス・アダムス氏とロバート・カンナン氏が共同で監督したこのドキュメントは日本では「将軍様 あなたのために映画を撮ります」というタイトルで上映されているが、なぜ、二人は拉致され、どのようにして脱出に成功したのか、拉致問題を抱える日本人にとっては示唆的な映画となっている。

女優の崔銀姫さんは今も健在だが、「韓国の黒澤明」と称された映画監督の申相玉氏は10年前の2006年に死去している。実は、申監督は北朝鮮から脱出してから8年後、金日成主席が死去し、金正日総書記が後を継いだ年の1994年に公開手紙を出していた。以下、その障り部分を公開する。

「貴方の傍を離れてから8年目にこういう形で手紙を書くことになりました。金日成主席死去以後、貴方の一挙手一投足は世界から注目されています。世界のマスコミは貴方の姿を見るため、声を聞くため、神経を尖らせています。過去に貴方に会ったという理由だけで私にも多くのマスコミからインタビューの要請が来ています。北朝鮮が取って来た閉鎖的な対外政策があなたの人物像を不透明にしているせいかもしれません。貴方に関する多くの情報を耳にする度に私は貴方と接していた頃を思い出さずにはいられません」

「マスコミの金正日報道は問題」

「短い時間でしたが、映画製作を通じて仕事の話だけでなく、貴方とは心を割って話し合い、信じた間柄でした。結果として私は貴方の期待を裏切ることになりました。しかし、北朝鮮から脱出したとはいえ、貴方との友情までも水に流したわけではありません。逆に貴方のことを心配する気持ちは以前よりも強まったと言っても過言ではありません。これから貴方が北朝鮮を導くという点では疑問の余地はありません。ただ、一部で言われているように貴方の健康が心配です。いつだったか、私が欧州から帰って、貴方に報告に伺ったことがありました。一緒に食事をするため食堂に向かう廊下で貴方は『私の体は実際よりも10年も年を取っている』と言ったのを覚えております。その時、私は『あまり無理しない方が良いですよ』とお願いしたことがありました」

「私が家内(崔銀姫)から聞いた話では彼女が北朝鮮から拉致された当初、貴方は大変酒を飲んでいました。ところが、私と会った時は随分と節制したように思われます。昨年7月20日の金日成主席追悼大会を伝えたTV画面に映った貴方の憔悴しきった姿は相当な衝撃を与えました。同時に、いろいろな憶測を生みました。報道では貴方は心臓病、肝臓病、糖尿病などにかかっていると言われていますが、10月16日の追悼大会に姿を現したことで一旦安心しました。健康に留意して、不測の事態が起こらないよう祈願します」

「最近、私は可能な限り、西側のマスコミのインタビューに応じるつもりです。私は彼らが期待していることとは正反対のことを言います。貴方の本当の姿を知らせることは重要なことなので、知っている限り真実を語っています。そうすると、彼らはいぶしがります。8年間も拉致された者が貴方を称賛することを言うのでおかしく思っています。私は称賛ではなく、事実を言っているだけです。彼らの先入観の前では私は言わば、北朝鮮のスパイになりかねません」

「親愛なる指導者万歳の歓呼は嘘」

「北朝鮮に対する関心の一つに、核問題を含む軍事問題があります。仮に北朝鮮に核爆弾があるとすれば、貴方はボタンを押す位置にあります。もし、第二次朝鮮戦争のような事態が起きれば、北朝鮮の最高指導者である貴方は朝鮮半島の運命を握ることになります。しかし、私の推測するところでは、北朝鮮は核を持つ必要性もなければ、戦争を起こす理由もありません。北朝鮮の軍事力が過大評価され、必要以上に不信の種となっています。北朝鮮に自ら戦争を起こす理由は見当たりません。起こせば、負けるのは火を見るよりも明らかです。ですから、そうした選択は万に一つないことは明白です」

「伝えられるところによれば、最近北朝鮮から亡命した前人民軍中尉という人物が『金正日は朝鮮戦争で負けるような事態になった場合、地球を破壊する』と答え、これに対して金日成が『最高司令官は腹が座っている』と称賛したと伝えられていますが、私からすれば、笑い話です。彼はその場にいたのならば話は別ですが、何を根拠にそのような話をしたのか理解に苦しみます」

「現在、北朝鮮を理解する上で障害となっているのはマスコミの報道と言っても過言ではありません。しかし、それを無視してよいものではありません。過ちは過ちとして正しく認識することです。聞きたくもない情報を防いでは国際的な関係を構築することはできません。例えば、貴方の家系図に関係する問題ですが、近代朝鮮の歴史を革命伝統に変え、その中心に祖父以来の貴方の一族が中心的に指導してきたと強調するのは度が過ぎると思います。例えば、父親(金日成)に関する重要な事実についても少なくとも日本に抵抗して戦ったのは事実です。それ以上に何を付加する必要があると言うのですか?あまり過度に賛美するのは逆効果となる場合もあります」

「私はいつも貴方に『北朝鮮の映画は金主席を称賛する言葉が3回以上出てくるが、これを直すべきです』と言ったことがあります。貴方が賛成してくれたので、私が製作監督した映画にはこうした常套的文句は一度も登場しませんでした。貴方に最初に会ったパーティーに出席した時のことです。演奏者十数人が貴方に向かって『親愛なる指導者、金正日書記万歳!』とぴょんぴょん飛び上がりながら叫んでいました。貴方がバンドマンに手を振って、止めるように指示しても歓呼は鳴り止みませんでした。その時、貴方は私の左手を握ってこう言いましたね。『アレは全部、偽りだ』と。貴方は統治手段として家系の偶像化を企図しているかもしれませんが、現実をしっかりと見る目は持っていました。ここに、北朝鮮が進むべき方法が暗示されているような気がします」