2017年4月4日(火)

 マレーシアとの破局を免れた北朝鮮得意の「人質外交」

「金正男殺害事件」の二人の実行犯(フォン容疑者とアイシャ容疑者)


「金正男殺害事件」へのマレーシア政府の対応は肩透かしに終わりつつある。予想外のマレーシア政府の腰砕けで国際社会を震撼させた一大事件はこのままでは幕引きとなる公算が強い。

マレーシア政府は自国で、それも玄関口である国際空港で白昼堂々と北朝鮮の国家組織による暗殺が企てられ、それも化学兵器である猛毒ガスのVXが使われたことで当初は怒り心頭だった。ところが、一転、北朝鮮との間で不可思議な合意を交わし、真相究明のキーマンとみられていたマレーシア駐二等書記官と高麗航空職員ら容疑者らの北朝鮮への出国を認めてしまった。それだけではない。返還を拒んでいた遺体まで引き渡してしまった。

(参考資料:「金正男暗殺事件」 解明されるか?7つのミステリー

マレーシア当局の措置は北朝鮮当局がピョンヤン駐在のマレーシア大使館職員及びその家族ら9人に対して出国禁止措置を取り、事実上「人質」に取ったため、人質の無事帰国を最優先させるには止むを得ない面もあったかもしれない。しかし、意外なのは「同事件を受けて中止した査証(ビザ)免除制度を再導入することを肯定的に協議し、両国関係をさらに高い段階に発展させるため努力することにした」と合意したことである。

てっきり、9人が無事帰国さえすれば、外交官家族らが人質に取られたことへの反発もあってマレーシア政府は第一段階ではクアラルンプールの北朝鮮大使館の閉鎖、さらに北朝鮮当局の対応次第では国交断絶に踏み切るのではと見ていたが、マレーシアのナジブ首相は「我々は駐平壌大使館を閉鎖しなければ、北朝鮮と断交もしない。北朝鮮労働者らのマレーシアでの外貨獲得活動も引き続き認める」と言う始末だった。内務次官にいたっては「北朝鮮労働者らの流入については既存の手続きに基づいて引き続き行っていく。建設や炭鉱業界の需要による」と北朝鮮との間で何事もなかったかのような感じのコメントをしていた。

「金正男殺害事件」がマレーシア警察当局の発表とおり、首謀者が北朝鮮に逃亡した4人組で、北朝鮮が背後で関与しているならば、マレーシア政府は北朝鮮の「人質外交」に屈したことになる。このままでは毅然と対応しなかったとして国際社会の批判を受けることになるだろう。

それにしても、北朝鮮のやり方は実にえげつない。マレーシアにとっては北朝鮮が犯罪容疑を掛けられていた自国の外交官や航空職員を脱出させるため何の罪もない外交官及びその家族を人質に取って交換条件にするとは想定外だったのかもしれない。しかし、北朝鮮の「人質外交」は今に始まったことではない。

(参考資料:哀れ、金正男! 知られざる「海外逃避行」

今から8年前の2009年、北朝鮮は現代グループ系列の現代峨山の社員一人を長期間にわたって抑留したことがあった。罪状は平壌滞在中に北朝鮮の女性職員の「脱北を企てた」というものであった。

現代峨山の社員の保釈をめぐって北朝鮮は韓国に対して「人道的な措置を求めるなら、それ相応の人道的な対応を求める」として、経済的見返りを要求していた。明らかな「人質外交」であった。

この年は、韓国人以外にも米国人女性ジャーナリスト二人が中朝国境で脱北者問題を取材中に国家安全保衛部要員らに「不法入国の容疑」と「敵対行為の嫌疑」で拘束される事件も起きた。裁判ではスパイ罪まで適応され、二人に12年の刑(労働教化刑)が宣告された。それでも、拘置所や刑務所ではなく、招待所に「隔離」され、重労働を強いられることはなかった。米国への外交カードにする魂胆だったからである。

その証拠に、北朝鮮当局は二人に何度も米国の家族に電話をさせ、米政府が釈放のため交渉に乗り出すよう働きかけさせていた。二人は、家族にクリントン長官(当時)だけでなく、オバマ大統領のミッシェル夫人にも動いてもらうよう要請していた。

ゴア元副大統領がつくったテレビ会社に二人が所属していたことから釈放のためゴア氏のピョンヤン訪問が検討されていたが、北朝鮮が首を縦に振らなかった。その理由は、ゴア氏ではなくクリントン元大統領を望んでいたからだ。

結局、北朝鮮の狙いどおり、クリントン氏がこの年の8月に訪朝することとなった。金正日総書記が出てきて、クリントン氏のため夕食会まで催した。大喜びの金総書紀は国防委員長の職責で女性記者の特赦を命じ、二人はクリントン大統領訪朝後に釈放されることとなった。

また、翌年の2010年にも韓国系米人宣教師が抑留される事件が起きたが、この時も、カーター元大統領の訪朝に続き、北朝鮮人権大使のキング氏が訪朝したことで、この宣教師は3日後に釈放された。

最も長引いたのが、観光業を営んでいた韓国系米国人のペ・ジュンホ氏が2012年11月に「羅先で共和国に敵対する罪を犯した」として拘束された事件である。ペ氏は2013年4月に「反国家敵対犯罪行為」の罪状で労働教化刑15年が宣告された。

ところが、北朝鮮はオバマ政権がペ氏の釈放に動かないことに焦ったのか異例にも「囚人」のペ氏に記者会見させた。一言も釈明、弁明させず、張成沢前国防副委員長を即断処刑してしまったのとは真逆の対応であった。

ペ氏は記者会見で「政府もマスコミも私の問題にもっと関心を払ってもらいたい。米政府は私の釈放のために北朝鮮と密接に協議してもらいたい」と、北朝鮮との対話に乗り出さないオバマ政権に不満を吐露していたが、北朝鮮の意向を代弁させていたのが透けて見えていた。

(参考資料:「殺害された金正男」のもう一つの「闇の顔」