2017年10月9日(月)

 金正恩委員長が実妹を「影のN0.2」に抜擢した理由

金正恩委員長の実妹、与正(ヨジョン)政治局員候補



  金正恩委員長の実妹である金与正(キム・ヨジョン)党宣伝部副部長が7日に開催された労働党中央委員総会で若干30歳の若さで政治局員候補に選出された。

 労働党政治局はすべての権限を握っている。重要なことはすべて政治局で決定される。その政治局はこれまで金正恩委員長を筆頭に19人の政治局員と9人の政治局員候補で構成されていた。政治局員候補に抜擢されたことで与正氏は最高幹部の一人となった。

 金委員長以外は60〜80代までの高齢男性らで占められている政治局に若い女性がそれも副部長の地位で入局するのは前代未聞である。父・金正日総書記の実妹で与正氏の叔母にあたる金慶喜(キム・ギョンヒ)氏が2010年に64歳で政治局入りしたことと比較すると、与正氏が異例の超高速出世を果たしたことがわかる。金委員長の妹であるがゆえになせる業といえる。

 経験の浅い、未熟な妹を登用したのは他ならぬ正恩委員長自身である。序列や前例を無視し、妹を最高幹部の一人に据えたのは金委員長が置かれている立場、状況を反映しているようだ。

 国連の経済制裁と国際包囲網、さらには米国の軍事圧力に直面し、四面楚歌の金委員長の孤独感、ストレスは想像を絶するものがある。トランプ政権とのチキンレースは対応を一歩誤れば、米国の軍事攻撃を招き、国を滅ぼしかねない。

 軍事的緊張が高まり、米韓の「斬首作戦」が作動すれば、身の危険にさらされることになる。警戒すべきは、外部の敵よりも、内部の敵と考えていれば、周りを身内で固めたいのは当然だろう。絶対的な信頼を寄せている妹を身近に置くことがまさに正恩委員長にとっては安全装置でもあり、ストレスの解消にもなるのだろう。

 金与正・新政治局員候補は父・金正日総書記と在日帰国者である母・高英姫(コ・ヨンヒ)との間に1987年9月26日に生まれた。国内ではなく、オーストリアのウィーンの病院で産まれたとの説がある。誕生日を迎えたばかりで、今年満30歳。正恩委員長(1984年1月8日生まれ)よりも3歳年下である。

 与正氏は幼い頃から母親に連れられ外国に旅行しているが、1991年5月には兄ともども来日し、ディズニーランドで遊んでいたことが確認されている。翌年の1992年にも7月20日から8月7日まで母親と一緒にスウェーデンでバカンスを過ごしたことも確認されている。当時、産経新聞はスウェーデンで買い物している母子の写真を載せ「金日成主席の愛人とその子」ではないかと「スクープ」したが、実際には金総書記の夫人(高英姫)とその娘(与正氏)であった。

 この時の与正氏のパスポートには名前が「ジョンス」と記載されてあった。与正氏は1998年(11歳)から2000年(13歳)まで正恩兄と同じスイスのペルン公立学校に留学していたが、その時の名前は「ジョン・スン」で、当時の学友らの話では趣味はイラストを描くことと踊ることで、ダンス部に属していた。

 兄と共に2000年に帰国してから消息が途絶えていたが、10年後の2010年9月に開催された労働党代表者会の記念写真に「金正日総書記の第4夫人」と囁かれていた秘書の金玉(キム・オク)と共に写真に納まっていたことで注目され始めた。

 翌年の12月19日、父が死去した際には10日後に開かれた追悼大会で後継者となった正恩氏の後ろに立っていたことからいずれ兄をサポートする重要な地位に就くのではとの憶測が流れた。

 与正氏の存在が北朝鮮のメディアによって公式報道されたのは2014年3月9日の最高人民会議選挙の時で、投票場に現れた金委員長に同行していた。最高幹部である崔龍海(チェ・リョンヘ)政治局常務委員や黄炳瑞(ファン・ビョンソ)軍総政治局長、さらには党組織部の金敬玉(キム・ギョンオク)第一副部長の次に紹介されたことから党の重要な職に就いていることが明らかとなった。

 この日を境に正恩委員長の視察に公然と随行するようになり、同年3月17日には軍将兵らと共にモランボン楽団の公演を観覧した。また、5月10日の戦闘飛行技術競技大会の受賞式の写真には兄の後ろで受賞者に授与するメダルを手にしていた場面が映し出されていた。それでもこの時点ではまだ職責は不明だった。

 与正氏の職責が明らかにされたのは3年前の2014年11月27日で、兄の「4.16アニメ映画撮影所」の視察に同行した際に「労働党中央委員会副部長」の肩書で、金基南(キム・ギナム)政治局員、李在逸(イ・ジェイル)党第一副部長(宣伝担当)の次に紹介されていた。この日の労働新聞には兄の後ろでメモ用紙を片手に微笑を浮かべていた写真も掲載された。

 父の正日総書記が28歳で、叔母の慶喜政治局員が30歳で、それも指導員から課長と段階を経て副部長になったのに比べて、当時若干27歳でいきなり党副部長抜擢とはこれまた異例の出世であった。すでに、与正氏が夫・張成沢(チャン・ソンテク)国防副委員長の失脚・処刑(2013年12月12日)で表舞台から姿を消した叔母に取って代わる存在になるのは自明だった。

 予正氏もまたそのプライバシーが謎に包まれているが、27歳となった2014年10月頃から「結婚しているのでは」との噂が流れていた。一昨年(2015年)1月2日に左手の薬指に指輪がはめられている写真が公開されたことでそうした見方が一層強まった。

 相手の男性について一時は「崔龍海の次男ではないか」と韓国では囁かれていたが、事実ではなかった。昨年は、「相手は理科系の大学教授」との噂も流れたことがあったが、確認されてない。相手が誰であっても、与正氏の夫が今後かつての張成沢氏のような役割を担うのもこれまた明白だ。

 また、同年3月12日の軍部隊視察に同行した際には膨らんだお腹を隠すかのようにゆったりした服を着ていたことや踵の低いシューズを履いていたことから妊娠の可能性が取り沙汰されたが、この日を最後に5月29日にまでの47日間、動静が途絶えていたことからこの間に第一子を出産した可能性が考えられる。

 ただ、金正日総書記の料理人として知られる藤本健二氏で昨年4月12日に訪朝した際に「与正氏は独身だと聞いている」と話している。それでも、韓国の情報機関・国家情報院は与正氏の夫の身元は把握できてないが、「2015年5月に出産したのは間違いない」と分析している。

 なお、与正氏についてもしばしば健康不安説が取り沙汰されており、数年前から骨結核を患っており、抗結核藥を服用していると言われているが、これまた真偽は定かではない。