2018年8月17日(金)

 「金永春元人民武力相国葬」から見て取れる北朝鮮党・軍幹部の序列


 金正日総書記時代(1994年7月−2011年12月)に軍総参謀長(1995年10月―2009年1月)、人民武力相(2009年2月―2012年4月)を歴任し、国防副委員長(2007年3月―2014年4月)も兼ね、人民武力相辞任後も党部長(金委員長の軍事アドバイザー)、人民武力省総顧問(2014年4月〜)という要職にあった金永春元帥(82歳)が死去した。

 金正日総書記が死去した際の葬儀で霊柩車を護衛した「軍部4人衆」の一人でもあった金永春元帥の葬儀を北朝鮮は国葬とし、金正恩委員長を葬儀委員長に151人から成る葬儀委員会を構成したが、発表された葬儀委員は金永南最高人民会議常任委員長、崔龍海党組織指導部部長、朴奉柱内閣総理ら3人の政治局常務委員に続き、93歳と最高齢の楊享變最高人民会議副委員長を筆頭に13人の政治局員が順当に名を連ねていた。

 但し、政治局員では唯一、朴英植前人民武力相だけがオミットされていた。朴英植大将は南北首脳会談後の5月に開かれた党中央軍事委員会拡大会議(日時未定)で人民武力相を解任されたが、その際に政治局員からも除外されたものとみられる。同じ時期に軍総政治局長を解任された金正角次帥や軍総参謀総長を更迭された李明秀次帥らがいずれも葬儀委員に名を連ねているだけに奇妙である。

 政治局員に続いて平昌五輪に出席した崔希党第一副部長をはじめ数日前に平壌市党委員長に就任していたことが判明した金能五氏を含め11人の政治局委員候補がリストアップされたが、政治局員候補である金正恩委員長の実妹の金与正党第一副部長(宣伝担当)だけが唯一含まれてなかった。

 昨年「規律違反」を理由に軍総政治局長を解任されていた黄炳誓氏は最近、党第一副部長に復職したことが確認されたが、軍総政治局長の解任と同時に政治局常務委員、政治局員、軍事委員のいずれの肩書も外されていたことが明白となった。

 葬儀委員の序列では黄炳誓氏は同じ党第一副部長(組織指導部担当)である実力者・金京玉氏の次の41位にランクされていた。軍事委員でもあり金正日総書記から大将の称号を与えられている金京玉氏は「北朝鮮の黒田官兵衛」とも称される「軍帥」「策士」として知られている。

 軍人では5月に軍総参謀総長の職を解かれ、老兵に退いたはずの84歳の李明秀次帥がトップ(全体で6位)。続いて軍総政治局長の李守吉大将(20位)、軍総参謀長の李永吉大将(21位)、人民武力相の呂光鉄大将(22位)の三役が並び、以下、前軍総政治局長の金正角次帥(43位)、朴秀一(不詳=44位)、人民武力省第一次官の徐興賛大将(45位)、昨年10月に軍偵察局長に就任した張吉成上将(46位)、軍総政治局副局長(組織担当)の孫哲柱上将(47位)、2010年4月から軍保衛司令官(保衛局長)の座にある趙ギョンチョル大将(48位)、軍総政治局副局長(宣伝担当)の李斗成中将(49位)と続いている。

 葬儀委員のリストに入ってない軍人では、前出の前人民武力相の朴英植大将、護衛司令官の尹正麟大将、軍副総参謀総長の李英柱海軍中将、同じく軍副総参謀総長の金楽淳中将、戦略軍司令官(ミサイル指導局長)の金洛謙大将、第1軍団長(第963部隊長)の金成徳上将、第4軍団長の李成国上将、第5軍団長の張正男上将、第9軍団長(第264大連合部隊長)の金誠日上将、それに人民武力省次官の洪栄質、申相大らがいる。

 金ファミリーの警護を担当するだけでなく、クーデターや人民蜂起を鎮圧する部隊でもある護衛司令部の司令官・尹正麟大将は金正恩委員長が後継者となった2010年4月に護衛司令官に就任している。金正日総書記の国葬では趙ギョンチョル保衛司令官が60位で、尹正麟護衛司令官は63位にランクされていた。

 また、金正恩体制発足2年目の2013年5月に軍No3の人民武力相に昇進していた張正男第5軍団長は2014年6月に更迭され、東部前線の5軍の団長に事実上「左遷」されたが、2015年2月に中央軍事委員会拡大会議に出席したのを最後に動静が伝えられてなかった。今年4月12日に放送された「金正恩最高水位推戴6周年中央報告大会」では大佐の階級に降格していたことが判明した。

 また、戦略軍司令官(ミサイル指導局長)の金洛謙大将も昨年9月15日の金正恩委員長に伴って中長距離弾道ミサイル「火星12」発射訓練に姿を現して以来、昨年11月29日のICBM「火星15」の発射にも立ち会わず、動静が途絶えたままである。

 今年2月に朝鮮人民軍健軍70周年を記念して行われた軍事パレードでは戦略軍(司令官:金洛謙大将)が取りを務めていたが、ミサイル開発のトリオの一人である張昌河上将(党軍需工業部副部長)が部隊を率いていた。

 今回、軍長老の葬儀委員に名前が挙がらなかった軍人らは人事交代によるものと推察されるが、誰に交代したのか、後任者については掴めてない。