2018年12月18日(火)

日韓条約の当事者が語る「原爆投下」「請求権問題」そして「慰安婦問題」

 NHKの紅白歌合戦の出場が見送られるなど物議を醸している韓国人気アイドルグループ「BTS」(防弾少年団)メンバーの一人が着用した「原爆投下シャツ」は韓国では「祖国解放=光復」を記念するTシャツとして韓国の若者の間では知られているのは日本にとっては驚きだが、韓国では決して驚くべきことではない。

 「原爆投下イコール解放」は一般韓国人の平均的感覚である。現に、今から53年前、日韓国交正常化交渉をまとめた「大平・金メモ」の当事者である故・金鍾泌元首相も当時池田隼人首相(当時)に以下のように話していた

 「日本は広島、長崎に2発原爆を落とされた。不幸なことだ。歴史には栄辱、裏表がある。表の方は原爆で日本が大変な犠牲を強いられたけど、裏の方では次のようなことが言えるのでは。ヤルタ会談で米国が早く戦争を終わらせようと、また米国の犠牲を少なくしようとの願いでソ連を太平洋戦争に引き込み、原爆を投下した。原爆が落とされてなかったら、日本はもうちょっと戦っただろう。その場合、北方四島ぐらいでは済まなかったと思う。北海道に上陸しただろう。仮にロシアは北海道を占領したら、返還することはないだろう。おそらく、今の北朝鮮のような状況、朝鮮半島の南北分断のような不幸なことが日本列島でもあり得たかもしれない。日本が原子爆弾でボツダム宣言を受託し、戦争が終わり、北方領土ぐらいで済んだということだ」

 金元首相は今年6月に死去したが、この発言は日本による朝鮮半島植民地統治を制定した「日韓保護条約」締結から100年となる2005年1月、来日し、四国・高知で開催された日韓親善協会での講演で発した言葉だ。

 なお、「徴用工問題」で俄かにクローズアップされた請求権問題ついても触れているが、金元首相曰く「請求権というと日本人はちょっと抵抗感を感じるので、経済協力と言うふうにしたらどうかと言うたんです。『大平・金メモ』は公式文書ではないので、私は韓国に戻って国会で報告するときは請求権について話し合ったと言うことにするが、貴方は韓国に対する経済協力について話し合ったと報告すれば良い。それで終わったのです。これが『大平・金メモ』の真相です」

  2005年の年は折しも国交正常化40周年と重なったこともあって金元総理は渡辺恒雄・読売新聞会長(当時)の招きで6月に再来日し、経団連で中曽根康弘元総理ら日本の政治家、官僚、財界人及び言論人ら1千人を前に日韓国交記念講演を行い、日韓交渉時を回顧した際、慰安婦問題についても以下のように触れていた。

  「慰安婦問題は歴史的に重要な問題ではあるが、日韓交渉では討議されなかった。1951年から65年まで14年間、会談が行われたが、一度も議題には上がらなかった。私が1962年11月に大平外相と請求権交渉をした時もこの話はしなかった。この問題を知らなかったわけでもなかったし、日本の過ちを見逃すつもりもなかった。当時、我が社会の暗黙的雰囲気があった。戦前、慰安婦らは惨憺たる戦場を転々としながら人間以下の最低の奈落に陥り、九死一生生き延び、帰国した人々だ。体も心も傷を負った人々だ。彼女らはまだ30代から40代前半と若かった。凄惨な苦労を背負いながらも辛うじて帰国し、結婚もし、子を産み、家庭も築いていた。彼女らの過去史や傷を持ち出すことは二重、三重に苦痛を与えることになるからだ」