2018年2月11日(日)

 「影のNo.2」――威風堂々の金与正の「知られざる実像」

金正恩委員長と与正氏のツーショット


 北朝鮮は平昌五輪に金永南(キム・ヨンナム)最高人民会議常任委員長と金正恩党委員長の実妹・金与正(キム・ヨジョン)党宣伝先導部第一副部長らから成る高位級代表団を送り込んだ。

 最高権力機関の労働党執行部は政治局員(19人)と政治局員候補(11人)で構成されているが、御年91歳の金永南委員長は5人しかいない最高幹部の政治局常務委員である。金正日総書記の時代から党序列では常にNo.2の座にある。

 一方、昨年10月に政治局員候補に抜擢されたばかりの与正氏は序列では25位にランクされている。金永南委員長に比べてはるかに格下である。ところが、韓国政府もメディアも団長の金永南氏よりも、団員の一人に過ぎない与正氏にスポットを当てていた。それもこれも、最高権力者である金正恩委員長の実妹である与正氏が「影のNo.2」であり、兄の特使として派遣されてきたからに他ならない。

 与正氏は歳の割には威風堂々としていた。敵地である韓国に乗り込んできたにもかかわらず物怖じすることもなく、大統領官邸を訪れ、文在寅大統領と会見した際にも冗談を言うほどの余裕を見せるなど対等に渡り合っていた。

 与正氏については、ほとんどデーターがない。

 様々な情報を総合すると、与正氏は父・正日総書記と在日帰国者である母・高容姫(コ・ヨンヒ)氏との間に1987年9月26日に生まれている。国内ではなく、オーストリアのウィーンの病院で産まれたとの説もある。

 兄(1984年生まれ)よりも3歳年下の与正氏は幼児の頃から母親に連れられ外国を旅行しているが、1991年5月には兄ともども来日し、ディズニーランドに行ったことも確認されている。翌1992年にも7月20日から8月7日まで母親と一緒にスウェーデンでバカンスを過ごしていたことも確認されている。この時のパスポートの名前は「ジョンス」と記載されていた。

 与正氏は1998年(11歳)から2000年(13歳)まで正恩兄と同じスイスのべルン公立学校に留学しているが、その時の名前は「ジョン・スン」で、当時の学友らの話では趣味はイラストを描くことと踊りで、ダンス部に属していたそうだ。

 兄と共に2000年に帰国してからは消息が途絶えたが、10年後の2010年9月に開催された労働党代表者会の記念写真に「金正日総書記の第四夫人」と噂された秘書の金玉(キム・オク)氏の横に並んで写真に納まっていたことから俄然注目を集めた。

 父・正日総書記が死去(2011年12月17日)した際の追悼大会では後継者となった正恩氏の後ろに立っていたことから今後、兄をサポートする重要な地位に就くのではみられていた。

 与正氏が北朝鮮のメディアによって公然と報道されたのは2014年3月9日の最高人民会議選挙の時で、投票場に現れた金正恩第一書記(当時)に「同行した」と報じられた。最高幹部の崔龍海政治局常務委員や黄炳瑞軍総政治局長、さらには党組織部の金敬玉第一副部長の次に紹介されたことから党の重要な職に就いていることが明らかとなった。

 この日を境に兄の視察に公然と随行するようになり、同年3月17日には軍将兵らとともにモランボン楽団の公演も観覧した。また、5月10日の戦闘飛行技術競技大会の受賞式の写真には兄の後ろで受賞者に授与するメダルを手にしていた場面が映し出されていた。それでも、この時点ではどのような職責に就いていたかは不明だった。

 与正氏の職責が明らかにされたのは2014年11月27日で、兄の「4.16漫画映画撮影所」の視察に同行した際に「労働党中央委員会副部長」の肩書で、金基南政治局員兼書記、李在逸党第一副部長(宣伝担当)の次に紹介された。この日の労働新聞には兄の後ろでメモ用紙を片手に微笑を浮かべている写真も掲載された。

 父の正日総書記が28歳で、叔母の慶喜(ギョンヒ)書記が30歳で、それも指導員から課長と段階を経て副部長になっているのに比べ、若干27歳でいきなり党副部長抜擢とは明らかに異例の出世であった。与正氏が夫・張成沢(チャン・ソンテク)国防副委員長の失脚・処刑(2013年12月12日)で表舞台から姿を消した叔母に取って代わる存在になるのは自明だった。

 そして、昨年(2017年)10月に開催された労働党中央委員総会で若干30歳の若さで政治局員候補に選出された。政治局員候補に抜擢されたことで与正氏は党幹部の一人となった。金委員長以外は60〜80代までの高齢男性らで占められている政治局に若い女性がそれも副部長の地位で入局するのは前代未聞であった。父の実妹で与正氏の叔母にあたる慶喜氏が2010年に64歳で政治局入りしたことと比較すると、与正氏が異例の超高速出世を果たしたことがわかる。そして、今回、韓国に派遣された際には第一副部長に昇進していたことが確認された。

 与正氏もまたそのプライバシーは謎に包まれている。

 27歳となった2014年10月頃から「結婚しているのでは」との噂が流れた。翌2015年1月2日に左手の薬指に指輪がはめられている写真が公開されたことからほぼ確実とみられた。同年3月12日の部隊視察に同行した際には膨らんだお腹を隠すかのようにゆったりした服を着ていたことや踵の低いシューズを履いていたことから妊娠の可能性が取り沙汰された。この日を最後に5月29日にまでの47日間、動静が途絶えていたことからこの間に第一子を出産したものと推測される。

 金正日総書記の料理人として知られる藤本健二氏は2016年4月12日に訪朝した際に「与正氏は独身だと聞いている」と話しているが、韓国の情報機関・国家情報院は与正氏の夫の身元は把握できてないが、「2015年5月に出産したのは間違いない」と分析している。

 相手の男性については「崔龍海の次男説」から「大学教授説」まで様々流れているが、韓国政府は「どれも確認されてない」とコメントしている。

 なお、与正氏についてもしばしば健康不安説が取り沙汰されており、数年前から骨結核を患っており、抗結核藥を服用していると言われているが、これまた真偽は定かではない。