2018年6月24日(日)

 朝鮮戦争米軍兵士遺骨発掘の費用を米国は払うのか

板門店での米軍兵士遺骨返還儀式


 北朝鮮から朝鮮戦争(1950年6月−53年7月)で戦死した約200体の米軍兵士の遺骨が数日内に米国に返還されるようだ。

 トランプ大統領は20日に自身のツイッターで「すでに今日、200人の遺骨が返還された」と述べていたが、現在、米国の担当者2人が北朝鮮に入って、引き渡しの手続き行っている最中で、引き渡しまでに多少時間を要しているようだ。

 米軍兵士の遺骨返還はシンガポールでの米朝首脳会談で発表された米朝共同声明の合意事項である。北朝鮮は身元の確認ができた戦争捕虜及び行方不明者の遺骨を直ちに送還することを約束していた。共同声明発表から2週間もしない送還をトランプ政権は首脳会談の成果としてアピールしたいようだ。

 米軍兵士の遺骨問題がクローズアップされたのはブッシュパパ(ジョージ・ブッシュ)政権下の1989年5月からで、米国は北京で開かれた米朝第4回参事官級接触で当時約8千人と推定されていた米兵士の遺骨返還問題を北朝鮮側に初めて提起した。

 東欧社会主義諸国の瓦解や同盟国・ソ連の韓国への急接近に危機感を深めていた北朝鮮は対米接近を試み、翌年の1990年5月に非武装地帯の板門店を通じて5体の遺骨を米軍側に引き渡した。

 ブッシュ政権からクリントン政権に代った1993年8月25日に米朝は共同で遺骨を発掘し、返還することに関する合意書を交わし、そのための実務者協議会を板門店に設置することにした。合意書が採択されたことについて当時、国連軍司令部(駐韓米軍司令部)は「核問題解決のための国連軍側の絶え間ない努力と北朝鮮側の新たな意思の結果によって実現した」と評価し、北朝鮮もまた「ジュネーブで開かれている米朝高官会談の環境つくりに寄与する」と歓迎していた。

 北朝鮮は1994年までに単独で米軍兵士の遺骨を発掘し、合計で208人の遺骨柱を米国に返還していたが、新たな合意に基づき、1996年から米国防総省の「戦争捕虜、失踪者担当合同司令部」(DPMO)から調査団(27人)が北朝鮮に派遣され、米朝共同の遺骨収集が始まった。兵士の遺骨発掘調査は通常現役軍人の手によって行われることから合同調査、発掘のためとはいえ敵軍である米軍が北朝鮮に入るのは画期的な出来事であった。

 米国は1996年から2005年までに延べ33回、北朝鮮に調査団を派遣し、約220柱を発掘し、本国に送還した。このうち107人の身元が確認され、遺族に返還されていた。

 しかし、その後、米国は発掘人員の安全が保障されないとの理由で遺骨収集作業を中断させてしまった。北朝鮮からの遺骨返還は2007年4月にビル・リチャードソンニューメキシコ州知事が訪朝した際の6体が最後となった。

 北朝鮮はオバマ政権下の2010年1月に遺骨発掘問題を話し合う実務会談を国連軍司令部(駐韓米軍司令部)に提案し、一度は板門店で会談が開かれたものの進展をみることができなかった。この年の4月に朝鮮人民軍板門店代表部は談話を出し「我が国の至る所に米軍の遺体が散らばり転がっていても、もはや構わない」と述べ、北朝鮮の誠意を無視した結果として「数千柱の米軍兵の遺骨が流失すれば、その責任は人道主義的問題を政治化した米国側がすべて負わなければならない」と米国に発掘を再開するよう促していた。

 米朝は2011年に再度、タイで交渉し、遺骨発掘作業の再開で合意し、オバマ政権は570万ドルの支出を決定した。米軍広報官は「北朝鮮側に支払われる費用は米国がベトナムやラオスでの遺骨作業の時と同じレベルで、特別に多く払っているのではない」とコメントしていた。費用は発掘調査のためのベースキャンプの設置や北側労務者の雇用、車両のリースやヘリコプターなど運搬手段の使用などに使われると説明されていた。結局、この時は、翌年2012年4月に北朝鮮が人工衛星と称して長距離弾道ミサイル「テポドン」を発射したため立ち消えとなってしまった。

 これまでに合計で434体の遺骨が返還された米軍遺骨発掘事業では米国から北朝鮮に約2、800万ドルが支払われている。1千人以上の行方不明者を出した咸鏡南道のチャンジン湖と中国義勇軍との激戦で約300人の行方不明者を出したとされる平安北道の雲山での2005年4月の発掘作業では500万ドルが北朝鮮側に支払われていた。

 トランプ政権は金正恩政権が今回いっぺんで約200体の遺骨を返還するとツイートしていたが、通常ならば、その保障額は軽く1千万ドルは超えることになる。北朝鮮が請求するかどうかは不明だが、仮に米国がこれまでのように支払えば、国連の制裁決議違反となる。

 過去に米国はベトナムとの間で遺骨返還交渉を行ったことがあるが、米越の場合、遺骨発掘作業のためハノイに常設事務所の開設→共同実施調査→外相会談という経過を辿り、交渉の進展に合わせてベトナムに対して人道援助の供与、経済制裁の一部解除、IMF(国際通貨基金)による融資の許可など臨時融和政策を取ってきた。