2018年5月27日(日)

 金正恩委員長は軍を完全掌握しているのか――軍トップの電撃更迭

左が軍総政治局長に任命された金守吉氏、右が解任された金正角氏


 朝鮮人民軍トップの金正角軍総政治局長(次帥)が突然解任され、金守吉・平壌市党委員長が後任に任命されていたことが26日の金正恩委員長の元山現地指導随行者名簿で確認された。

 前任の金正角次帥は党(組織指導部第一副部長)に復帰した黄炳誓氏の後任として昨年11月に軍総政治局長に登用されたばかりで僅か半年での交代となった。

 金次帥は4月20日に開かれた党中央委員総会(第7期第三次全員会議)で政治局員に選出されたばかりだった。さらに5月中旬に開かれた党中央軍事委員会拡大会議にも出席していた。それも、最前列の一番右端(序列1位)に座っていた。

 金正角次帥は76歳で、84歳の李明秀軍総参謀長よりも8歳も若い。北朝鮮の政治局員は90歳の金永南最高人民会議常任委員長や93歳の楊享變同副委員長を筆頭に78歳の朴奉柱総理、李洙ヨン党副委員長(国際担当)まで80歳前後の長老らが何人もいることを考えると、解任は年齢が理由とは考えにくい。

 後任の金守吉平壌市党委員長も軍人出身で2014年3月まで軍総政治局副局長(組織担当=中将)の要職にあった。前年12月の「張成沢粛清・処刑事件」余波を受けて失脚した文景徳政治局員の後釜として平壌市党委員長(当時は党書記)に就いていた。今月14日から他の市・道党委員長らと共に北朝鮮経済視察団の一員として訪中し、24日に帰国したばかりの慌ただしい異動で、今回の軍総政治局長の交代がいかに電撃的だったかがわかる。

 振り返れば、軍総政治局長の交代は2012年に金正恩政権が発足してからこの6年間で3度目、金守吉氏で4人目となる。

 趙明禄次帥の死去で2010年11月に以来空席となっていた軍総政治局長に2012年4月に党人の崔龍海党書記(当時)を起用。2年後の2014年4月に同じく党人の黄炳誓党組織指導部第一副部長(当時)にバトンタッチさせ、昨年11月に黄炳誓氏から軍人出身の金正角氏に、そして今回、軍服を脱いで党人となった金守吉氏を任命したことになる。

 ちなみに、金正日政権時代は軍総政治局長の交代は一度もなかった。趙明禄次帥が1995年10月に就任して以来、亡くなる2010年11月まで15年間、病床にあってもその要職にあった。

 頻繁な交代は軍総政治局長に限ったことではない。軍総参謀長と人民武力相も同様だ。

 故・金正日総書記は17年間の在任中、総参謀長の交代は崔光→金英春→金格植→李英鎬と僅か3度しかなかった。中でも金英春次帥に至っては12年間も総参謀長のポストにあった。李英鎬次帥も金正恩政権下で失脚(2012年8月)するまでの3年5カ月間、その座にあった。

 それに比べて、まだ6年しか経ってない金正恩政権下では李英鎬→玄永哲→金格植→李永吉→李明秀とすでに4度交代している。李明秀次帥(2016年2月〜)で5人目だ。1年半に一人の割合で総参謀長を交代させていることになる。

 それも、李英鎬次帥は8カ月で、後任の玄永哲大将も9カ月で解任されている。金格植大将に至っては僅3か月。最長期間は李永吉大将の2年6カ月。総参謀長から人民武力相に転出した玄永哲大将は就任から9カ月後の2015年4月になんと粛清、処刑されてしまっている。

 軍総参謀長同様に人民武力相も金正恩政権下ではいずれも「短命」に終わっている。

 金正恩政権下では金永春→金正角→金格植→張正男→玄永哲→朴英植(2015年4月〜)とすでに6人目だ。

 金英春次帥は金正日総書記が死去するまで3年2カ月その座にあったが、金正恩政権発足4か月で更迭されている。金正角次帥も8カ月、張正男大将は1年1か月、玄永哲大将は10カ月しかもたなかった。

 ちなみに金正日政権は17年間で僅か4人に過ぎなかった。呉振宇元帥はなくなるまで19年間、そのポストに会った。後任の崔光次帥は1年4カ月と短かったが、任期中に死去したことが原因である。3人目の海軍出身の金益鉄次帥は1997年2月から2009年2月まで12年間も在任していた。

 「軍三役」の頻繁な入れ替えは金委員長の軍首脳への懐疑心の表れとも言えるが、裏を返せば、軍部の間に金委員長への不満が鬱積していることへの表れと言えなくもない。

 「先軍政治」下の金正日政権下では総参謀長も人民武力相も厚遇されていた。例えば、李英鎬総参謀長は政治局常務委員かつ党軍事副委員長の最高ポストにあった。しかし、金正恩政権下では金正角政治局長も、李明秀軍総参謀長も、また朴英植人民武力相も政治局員、軍事委員止まりで、政治局常務委員にも党軍事副委員長にも就けなかった。

 振り返れば、李英鎬総参謀長が2012年8月に電撃解任された際、朝鮮中央テレビは2か月後の10月30日、金日成軍事総合大学での金正恩委員長の演説を約12分にわたって放映したが、金委員長は李総参謀長を念頭に「党と指導者に忠実でない者はいくら軍事家らしい気質を持ち、作戦、戦術に巧みだとしても、我々には必要ない。歴史的教訓は、党と指導者に忠実でない軍人は革命の背信者へと転落するということを示している」と発言していた。

 また、李永吉総参謀長が2016年1月に電撃解任された時も、解任直後の2月2日に開催された党中央委員会と人民軍党委員会の連合拡大会議で金正恩委員長は「人民軍隊は最高司令官の命令一下、一つとなって最高司令官の指示する方向だけ動くように」と自ら訓示していた。

 金委員長が一般席に座っていた軍首脳らに向かって見下ろすかのように「自分の命令に服従せよ」と演説をぶったのは、祖父の金日成主席の時代も、父・金正日総書記の時代もなかったことだ。

 前年の労働新聞に「人民軍指揮官らは最高司令官にはたった一言、『かしこまりました』とだけ言えば良い」との記事が掲載されていたところをみると、当時李永吉総参謀長は最高司令官の金委員長の意に従わなかったため解任されたということになる。

 金正恩委員長は今月、2年ぶりに開いた党中央軍事委員会拡大会議でも約80人の軍事委員や軍司令官、軍団長らを前に「党による軍への唯一領導体系を徹底させる」ことを強調していたが、軍歴のなさと、若さゆえに「侮られているのでは」との金委員長の軍首脳への懐疑心と「権益や人事面でないがしろにされている」との軍首脳の不満が交錯しているとすれば、軍から核とミサイルを取り上げるのは容易ではないことがわかる。

 従って、北朝鮮が16日に予定されていた韓国との高位級会談を突如ドタキャンし、さらには外務省を通じて「一方的に核放棄を迫るなら米朝首脳会談を再考する」と一転、米韓両国に強硬に出た背景に軍の「抵抗」があったのでないかと推測されるが、それでも金委員長が昨日(5月26日)、文在寅大統領に自ら再度、首脳会談を申し入れ、来月12日にシンガポールで予定通り、米朝首脳会談を行うようトランプ大統領を説得するよう要請したならば、「完全なる非核化」で軍の一任を取り付けたと言えなくもない。

 金委員長が軍を完全に掌握しているならば、金委員長が米韓両首脳に口約束した北朝鮮の核放棄は米国が確約する体制保障次第ではトランプ大統領の意向に沿った形で予想外に早いテンポで進むことになるかもしれない。