2019年4月21日(日)

 北朝鮮が米朝交渉から「ポンペオ除外」を言い出した理由

昨年10月4度目の訪朝の際のポンペオ長官と金委員長(朝鮮中央テレビ)


 北朝鮮がトランプ政権に対して今後、米朝非核化交渉を行う場合、ポンペオ国務長官を交渉から排除するよう突如求めた。

 突拍子もない要求をしたのは、外務省で米国を担当している権ジョングン局長で、その理由について同局長は「もしポンペオ氏がまた協議に加われば、交渉の場は再びひどい状況になり紛糾する」と語っていた。要は、ポンペオ長官は北朝鮮にとって邪魔な存在のようだ。

 北朝鮮のポンペオ長官外しの予兆は対米交渉を仕切っている崔善姫外務第1次官の3月15日の「ポンペオ国務長官とボルトン大統領補佐官が敵対と不信のムードを作り、指導者の交渉努力を妨害した」との発言にあった。ベトナムでの2度目の首脳会談で北朝鮮が寧辺核施設の廃棄を見返りに求めた制裁緩和にトランプ大統領は前向きだったのにポンペオ長官らが反対したため合意が得られなかったと北朝鮮は受け止めている。

 崔第1次官は物別れに終わったベトナム会談後、深夜に記者会見を開き、「金委員長は次回の会談に意欲を失いつつある」との趣旨の発言をし、集まった西側の記者に金委員長の失望、落胆ぶりを伝えていたが、この失望、落胆は換言すれば、ポンペオ長官に対してのものだった。ポンペオ長官に裏切られたことによる落胆と言っても過言ではない。

 米朝首脳会談をお膳立てしたのは他ならぬ当時、CIA長官だったポンペオ長官と金英哲党統一戦線部部長の二人である。ポンペオ氏は2018年4月26日に国務長官に就任するまではCIA長官のポストにあった。

 そのCIAは首脳会談が実現するまでは「金正恩除去作戦」を立案し、遂行していたが、作戦を指示したのは「最も危険なのは(核兵器を)支配している人物で、最も重要なのはそうした(核)能力から(使用の)意図を持つ者(金委員長)を分離することだ」と発言していたポンペオ長官自身だった。

 金委員長は「北朝鮮国民は彼(金委員長)が去るのを切望しているはず」と信じて疑わなかったそのポンペオ氏を2018年4月に平壌に招き、会談する決断をしたが、「斬首作戦」の指令者との会談は「最高指導者の決死擁護」が叫ばれている国にあっては信じ難いことであった。まさに不倶戴天の間柄であった金日成主席と金日成政権の撲滅をスローガンに掲げていた国際勝共連合の総裁でもある「統一教会」の文鮮明教祖との1991年の平壌電撃会談に匹敵するほど北朝鮮にあっては衝撃的な出来事であった。北朝鮮がこの会談を一切報道せず、伏せていたのはそうした理由からだ。

 IOC(国際五輪委員会)会長の訪朝や韓国芸術団の平壌公演が重なり、多忙を極めていたが、金委員長はポンペオ氏との会談を優先させたばかりか、「太っ腹の人」とのリップサービスも怠らなかった。この時の会談についてポンペオ氏は「非常に良い会談だった」と語っていた。

 ポンペオ氏は40日後の5月9日に今度は国務長官として再訪朝したが、この時は北朝鮮のメディアは訪朝を大々的に伝えていた。金委員長は国務長官就任を祝い、記念写真を撮り、晩餐後は玄関まで出て惜別し、「温かく見送った」と報道されていた。

 また、金委員長はこの日、ポンペオ氏から要請のあった北朝鮮に抑留されている3人の米国人の釈放にも同意し、引き渡した。トランプ大統領が深夜にもかかわらずワシントン郊外のアンドルーズ空軍基地でこの3人を出迎えたシーンはまだ記憶に新しい。ポンペオ長官に乗せられたのか、金委員長は3日後の5月12日には咸鏡北道・豊渓里の核実験場の廃棄を表明し、実際に12日後に爆破してみせた。

 ポンペオ長官はその後も、3回、(2018年7月6日)、4回(2018年10月7日)と訪朝を重ねたが、金委員長は4回目の時も応対し、接待した。この時は、自らポンペオ長官の宿舎を訪ね、午餐を共にしていた。

 金委員長からすれば、ここまで接待し、また非核化への意思表示として核実験とミサイル発射を一方的に中止し、核実験場まで爆破し、さらにシンガポール首脳会談で約束した朝鮮戦争で戦死した米軍の遺骨(55棺)を返還し、加えて北朝鮮に抑留していた米人を恩赦、帰国させ、しまいには寧辺にあるプルトニウムとウラン濃縮施設の凍結と廃棄まで約束したにもかかわらず、ポンペオ長官は金委員長の期待に何一つ応えなかったことへの不満が「ポンペオ外し」の根底にあるようだ。

 また、国務省のビーガン北朝鮮政策特別代表と金ヒョクチョル対米特別代表による事前の実務交渉では段階的な非核化で合意していたのにそれをひっくり返したのはポンペオ長官であるとの不信も毛嫌いする理由のようだ。