2019年4月22日(月)

 3度目の正直となるか!カウントダウンに入った「金正恩訪露」


 ロシア大統領府は4月18日、金正恩委員長がプーチン大統領の招きで「今月下旬にロシアを訪問する」と正式に発表した。

 金委員長はどうやら今度こそ、ロシアを訪問するようだ。というのも、過去に2回、訪露説が取り沙汰されながら、実現しなかった経緯があるからだ。

 1度目は、政権を継承してから2年目の2014年8月。ロシアのラブロフ外相が「現在のところ、そうした計画はない」と否定し、韓国の外交部も「噂は確認されてない」と否認していたにもかかわらず、当時党第一書記だった金正恩委員長がロシアを訪問するのではとの噂が広まっていた。「火のない所に煙は立たぬ」ではないが、当時、その根拠として三つ上げられていた。

 一つは、中朝関係の悪化にあった。

 胡錦涛主席の後を継ぎ、2013年3月に第7代国家主席に就任した習近平主席は3か月後には韓国の朴槿恵大統領を北京に招請し、翌2014年7月には自らソウルを訪れた。中朝の伝統的外交慣例に反し、北朝鮮よりも韓国の最高指導者を先に招待し、また平壌よりもソウルを先に訪れたのだ。北朝鮮が中国の「背信行為」に激怒しているならば、その当て付けとして、金委員長の訪露があっても不思議ではなかった。

 次に、北朝鮮が経済面で中国よりもロシアに傾いていたことだ

 米国との関係を重視する中国が北朝鮮への経済制裁を強める中、ロシアは北朝鮮の旧ソ連時代の債務110億ドルのうちなんと100億ドルも免除する措置を講じていた。北朝鮮もこれに応え、日本海に面した不凍港である羅先港の埠頭3号と羅先鉄道の50年間の使用権をロシアに与えていた。埠頭はこの年の7月に完成し、すでにロシア産の石炭(9千トン)などが運び出されていた。

 最後に、両国間には首脳同士で合意すべきモンゴル〜ロシア〜北朝鮮間の鉄道連結(朝鮮半島縦断鉄道とシベリア鉄道の連結)や北朝鮮経由による露韓ガスパイプライン(ハバロフスク〜ウラジオストク〜北朝鮮〜韓国)建設など大型プロジェクトが横たわっていたことだ。

 仮に訪露となれば、「中国憎し」の感情からだけではなく、外交的、経済的対中依存度からの脱却がその狙いとみられていたが、結局、金委員長は動かず、1か月前に外相に就任したばかりの李スヨン・現党国際部長が半年後の9月に9泊10日の日程でロシアを公式訪問していた。

 2度目は、翌年の2015年5月で、ロシアの対独戦勝70周年記念式典への出席が取り沙汰されていた。

 ロシア大統領府が早い段階で「金委員長が式典に出席する」と発表し、プーチン大統領の補佐官をはじめラブロフ外相や韓国駐在のロシア大使までが口を揃えて「出席することになった」と公言していたこともあって金委員長の訪露は確実視されていたが、直前になってロシア当局は「金正恩第一書記の出席は見送りになった」と発表した。

 ロシア当局は「中止は北朝鮮の国内事情による」と説明していたが、最初から行く気がなかったのか?それとも、突然気が変わったのか?この時のドタキャンは今もって謎のままだ。

 確かに当時、北朝鮮は「出席する」と一度も口外したことはなかった。他の首脳らと同席する場には最初から行く気はなかったのに欧米諸国のボイコットで影が薄くなった祝典の目玉としてロシアがあまりにも積極的に働きかけたため直前まで断り切れず、ズルズルと出欠の回答を引き延ばしてしまった可能性もなくはなかった。

 西側のメディアは金委員長がドタキャンしたのはロシアが原油供給をはじめとする相当なレベルの経済支援を断ったからとの見方を取っていたが、結局、式典には国家元首格の金永南最高人民会議常任委員長が出席することになった。

 昨年も9月もウラジオストクで開催された「東方経済フォーラム」への出席が噂されていたが、ロシアのユーリイ・ウシャコフ大統領補佐官はこの時期に平壌で第3回南北首脳会談が開催されることもあって早い段階から「出席はない」との見通しを述べていた。

 カウントダウンに入った初の「金正恩訪露」に関して北朝鮮からの正式発表はまだない。

 父親の金正日総書記は在任中(1994年7月―2011年12月)に3度訪露しているが、初訪露の2001年7月(28−8月18日)の時は出発2日前に「間もなく訪問する」との発表があった。

 また、2度目の2002年8月(20−24日)の時も出発1週間前に「8月下旬に訪問する」との発表があった。いずれも公式訪問であった。しかし、3度目の2011年8月(21−25日)の時は、事前発表はなく、国境を超えた時点で発表された。この時は非公式訪問であった。

 今回の訪問が非公式ならば、また父親同様に専用列車を利用するならば、国境を越えるまで北朝鮮からの正式発表はないかもしれない。