2019年3月13日(水)
北朝鮮代議員選挙結果を徹底分析!相次ぐ実力者らの意外な「落選」が判明!
北朝鮮で10日に投票のあった日本の国会にあたる最高人民会議第14期代議員選挙の結果が判明した。
注目されていた最高人民会議の元老「三羽ガラス」である金永南常任委員長(91歳)、楊亨變同副委員長(94歳)、崔泰福同議長(89歳)のうち金永南、楊亨變両氏が再選されたが、崔泰福議長は再選されなかった。
また、注目の一人であった最高齢の金日成主席の実弟・金英柱同名誉副委員長(99歳)は同じく名誉副委員長の崔永林前総理(89歳)と共に推薦者リストから外された。
金英柱氏は1967年の初当選以来、52年間代議員の座にあった。前回(2014年)は第22号選挙区で立候補していたが、今回は楊亨變副委員長の選挙区になっていた。崔永林氏は今回代議員に選出された対米交渉人の一人である崔善姫外務次官(55歳)の父でもある。
長老ではこの他に李容茂元軍総政治局長(94歳)と呉克烈元軍総参謀長(89歳)も再選されなかった。二人とも金正日前政権から金正恩政権への移行期に国防副委員長として金親子を支えていた。元老では長年宣伝を担当していた金基南元党宣伝担当書記(90歳)が再選を果たしていた。金基南氏の現在の肩書は党中央委員会顧問である。
「影のN0.2」と称される金正恩氏の実妹、金与正政治局員候補兼党第一副部長(31歳)は第5号選挙区(カルリムキル)から出馬し、当選していた。31歳での当選は前回30歳で代議員となった兄・金委員長に続く二番目の最年少記録である。ちなみに父の金正日総書記は40歳で、叔母の金慶喜氏は44歳で代議員となっていた。金正恩委員長に抜かれるまで最年少記録を持っていたのは崔龍海党副委員長で1986年に36歳の若さで代議員に選出されていた。
金委員長の国内視察や中韓首脳との会談に同席するなど内助の功を発揮している金正恩委員長の夫人・李雪主(30歳)さんも選ばれるか注目されていたが、今回は見送られた。ちなみに金委員長の祖父・金日成主席の後妻となった金聖愛夫人は38歳の時に代議員に選出されていた。
米朝首脳会談に関わった党副委員長の金英哲統一戦線部部長(73歳)と李スヨン党国際部長(79歳)、それに李容浩外相(63歳)の3人も注目の的となったが、金英哲氏については当選者名簿では第306号選挙区(オッケ)と第378号選挙区(パンムン)に載っていた。おそらくこのうち一人が金英哲氏本人である可能性が高いことから李スヨン氏共々再選されたものとみられる。また李容浩外相も初当選を果たしていた。
今回の選挙では過去5年間、失脚や処刑説が囁かれていた党・政府・軍幹部の再選の有無も注目されたが、2014年10月に処刑説が流れた李松吉海州市党書記(当時)、2015年2月に処刑説が流れた趙英男国家経済委員会副委員長(当時)と2015年5月に処刑されたとされる崔英健副総理(当時)、それに2016年に処刑説が流れた金勇進副総理兼教育相(当時)の4人とも候補者リストに名前が載っていなかった。
また、軍では2015年2月に解任された辺仁善大将(73歳)、2015年4月に解任され、亡命説まで流れていた朴勝源前副総参謀長(73歳)、2015年4月に処刑されたとされる玄永哲大将(70歳)の3人、それに2017年に粛清されたと伝えられた金元洪前軍総政治局第一副局長(73歳)も選出されていなかった。金元洪氏は北朝鮮の秘密・情報機関である国家安全保衛部部長時代に張成沢氏を逮捕、処刑したことで知られている。
軍ではこの他に尹正麟護衛司令官(大将)も再選されてなかった。汚職説が流れていたが、落選理由は不明。
尹正麟司令官率いる護衛司令部(護衛総局)は韓国の大統領警護室に類似した組織ではあるが、金ファミリーの警護を担当するだけでなく、クーデターや人民蜂起を鎮圧する部隊でもある。
尹司令官は1985年から護衛司令部参謀長の座にあったが、金正恩委員長が後継者となった2010年2月に党中央委員に選出され、同年4月に護衛司令官に就任していた。前回の選挙では第156号選挙区(クムス)から出馬し、当選していた。
目に見えない敵から金正恩委員長を決死擁護する「守護神」でもある国家安全部、護衛司令部、そして保衛司令官(保衛局長)の三つのポストのうち代議員として残ったのは趙慶チョル保衛司令官(大将)のみとなった。
この他に意外だったのは、黄炳誓(79)党組織指導部第一副部長と金京玉同第一副部長(81歳)が選出されなかったことだ。
黄炳誓氏は2年前までは党では4人しかいない政治局常務委員に、軍ではトップの軍総政治局局長にまで昇りつめ、実質No.3として金委員長を補佐していた。彼の輝かしい経歴からすれば、再選されなかったことは驚きだ。
金京玉同第一副部長が再選されなかったのも意外であった。
金第一副部長が党副部長から第一副部長に昇進したのは金正日総書記が2008年に脳卒中で倒れた直後で、後継者の金正恩氏が党軍事副委員長としてデビューした2010年9月には金総書記の義弟、張成沢党行政部長や崔龍海党書記と共に党軍事委員に抜擢されていた。軍人ではないにもかかわらず金総書記の実妹、金慶喜党軽工業部長や崔龍海氏らと共に大将の階級まで与えられた。これを例に取っても、金総書記の金京玉第一副部長への信任がいかに厚かったかがわかる。
金正恩体制発足後も黒子に徹し、崔龍海氏が部長に就任するまで党の要である組織指導部を仕切っていた。黄炳誓第一副部長ともども代議員の肩書を外された理由は不明だ。
なお、ミサイル4人組である。李炳哲党軍需工業部第一副部長(71歳)、金正植同副部長(年齢不詳)、張昌河同副部長(年齢不詳)、それに金洛謙戦略軍司令官(陸軍大将)のうち李炳哲第一副部長と張昌河副部長の両名が代議員に選出されていた。
李炳哲第一副部長は党のミサイル開発の総指揮者であり、2017年に副部長に抜擢された張昌河氏は2014年から国防科学院の前身である第二自然科学院長の座にあった。約3千人のミサイルエンジニアを含む1万5千人を率い、武器体系の研究開発を主導していた。
代議員になれなかった金正植副部長は2012年に宇宙開発局の前身である宇宙空間技術委員会所属で、2012年の二度にわたるテポドン発射に関与した人物である。中将の階級も与えられ、準ICBMと称される「火星12号」の際には軍服を着て、現れていた。
なお、今回の選挙での最大の謎は金正恩委員長が再選を果たしたかどうか、不明なことだ。仮に、立候補しなかったとすれば、最高指導者が代議員にならなかったのは史上初めてのことで、1か月後に召集される最高人民会議での組織改編と人事が注目されることになる。