2019年3月26日(火)
本当に軍部は非核化に公然と反対しているのか?―「崔外務次官発言」の狙いを読み解く!
昨日、韓国のメディアに今月15日に平壌駐在の外交官及び外国メディアを対象に行った崔善姫外務次官のベトナムでの首脳会談に関する会見内容(全文)が掲載されていた。
金正恩委員長の対外スポークスマンでもある崔善姫外務次官はこの日の会見で人民と軍、軍需工業の当局者数千人が金委員長に「決して核開発を放棄しないように」との請願書を送るなど米国との非核化交渉に反対していたことを暗に伝えていた。崔次官言わく、そうした「反対の声」を押し切ってまで金委員長は非核化を決断し、はるばるベトナムでの米国との首脳会談に臨んだと、あたかも言いたげだった。
本当に、軍は金委員長の非核化決断に公然と反対したのだろうか?本当に反対の声を、それを束になって上げることができるのだろうか?
確かに、金委員長はベトナム会談での冒頭で「シンガポール会談(2018年6月12日)以後260日間、いつにもまして忍耐と努力を必要とした」とトランプ大統領に胸の内を吐露していた。
崔次官は金委員長のこの言葉をもって金委員長は「国内の多くの反対と挑戦にあっていた」と注釈していたが、金委員長の「忍耐と努力」は国内の反対の声を制することにあったのではなく、北朝鮮が非核化に向けて核実験とミサイル発射実験の中止、核実験場の爆破とミサイル施設解体着手という事前措置を一方的に取ったにもかかわらず、米国がそれ相応の措置(見返り)で応えるどころか、制裁を一層強化したことに苦心していたことを指すものである。
トランプ政権はこの期間、北朝鮮への輸出を手助けしたとしてまた、北朝鮮船舶と海上で積み荷を移し替える「瀬取り」を行ったとして中国やロシアなど外国の貿易企業に対して独自制裁を科し続けた。
シンガポール会談以後、北朝鮮に対して8月2回、9月1回、10月1回、11月1回、12月1回と計6回も制裁を科した。昨年12月の制裁は人権侵害を理由に金委員長の最側近である崔龍海党副委員長と朴光浩党宣伝扇動部部長、鄭慶澤国家安全保衛相の3人を新たに制裁対象に指定していた。
シンガポールで「北朝鮮と新たな関係を築く」と高らかに宣言したのに敵視政策の象徴である制裁を緩和しないどころか、逆に制裁を強化するトランプ政権に対して金委員長が非核化交渉を、首脳会談を続けるべきか迷うのは当然かもしれない。また、トランプ政権に不信を抱いていたとしても決して不自然なことではない。
しかし、だからと言って、最高司令官の金委員長が一旦決断したことに、それも昨年4月21日の党中央委員会総会(全員会議)で全員一致で議決されたことに軍が翻意を促すとか、異議を申し立てることは金委員長の唯一指導体制下の北朝鮮にあっては考えられない。そのことは、金委員長と軍部との力関係からも明白であり、李英鎬軍総参謀長、玄永哲人民武力相の二人の将軍(次帥)の一刀両断の粛清からも見て取れる。
金正日総書記が死去(2011年12月)するまでは後継者の金正恩委員長よりも序列上だった当時軍No.1の李英鎬総参謀長が2012年7月15日に開かれた政治局会議で政治局常務委員、党軍事委員会副委員長などすべての役職を解かれ、失脚した理由は当時、党・軍幹部子弟らが通う平壌金星高等学校に通っていた孫が「私のお爺さんが決心すれば、今日にも戦争ができるの。将軍様(金委員長)もお爺さんの言うことは何でも聞くの」と級友に語ったことや金委員長が父から権力を継承した直後、最側近らに「北朝鮮は世界の流れを無視して生存できない。世界が朝鮮の中にあるのではなく、朝鮮が世界の中にあるのだ」と開放の必要性を強調したことに「父親(金正日総書記)は外の世界を知らなかったから開放をしなかったとでも思っているのか。我々の現実で開放すれば国がどうなるかを考えずに言っている」などと批判したことが問題にされたと囁かれていた。
真の解任理由は今もって不明だが、どちらにせよ「反党分子」の烙印を押され失脚したことには変わりはない。実際、その3か月後に朝鮮中央テレビ(10月30日)は金日成軍事総合大学での金委員長の演説を約12分にわたって放映していたが、金委員長は野戦軍出身の李英鎬次帥を念頭に「党と指導者に忠実でない者は、いくら軍事家らしい気質を持ち、作戦、戦術に巧みだとしても、我々には必要ない。歴史的教訓は、党と指導者に忠実でない軍人は革命の背信者へと転落するということを示している」と述べていた。
もう一人の例が2015年に粛清された玄永哲人民武力相(当時)だ。
玄永哲人民武力相は失脚した李英鎬将軍の後任として2013年8月に総参謀長に選ばれた途端、大将から次帥に進級し、2014年6月から人民武力相に起用されていた。ところが、人民武力相就任から1年も経たない2015年4月に突然粛清、さらには処刑される羽目になった。
粛清の原因について当時は「金正恩委員長の演説中に居眠りをしたのが問題にされた」と面白おかしく伝えられたが、後に酒席で金委員長の指示に愚痴ったことが問題となっていたことが判明した。その証拠に電撃的粛清から間もない7月13日付の労働新聞2面に「敬愛する最高司令官同志の命令には『わかりました』という答えしか知らない軍司令官だけが真の同志である」と強調する記事が掲載され、軍首脳らに金委員長の指示、命令には「わかりました」と無条件従うよう促していた。要は、玄人民武力相の粛清は金委員長の命令、指示に一言「かしこまりました」と言わなかったことに尽きる。
金委員長のやることに軍首脳であれ、党幹部であれ、人民であれ「反対」の声を上げることは今の北朝鮮では考えられない。それでもあえて「誰それが反対」を持ち出すのは交渉手段に利用するためである。実際に北朝鮮は過去にも南北交渉の場でありもしない「軍が反対」のカードを巧みに利用してきたことがあった。
韓国人観光客向けの金剛山観光事業に踏み切る時も、また開城を経済特区にする時も空軍基地や前線の部隊を後方に移動させることになったが、その時も本当か嘘か定かではないが、金正日総書記は「軍が反対していた」と語っていた。
また、金正恩政権になってからも開城工業団地が南北の軍事的対立の煽りを受け、一時閉鎖されたことがあったが、その時も対南担当の責任者であった故・金養権党書記(統一戦線部部長)が韓国側に対して「再開したいのだが、何しろ軍が反対しているので」と言っていたことがあった。北朝鮮にとって「軍が反対」のカードは交渉相手に譲歩を促すため、高く売りつけるための手法に過ぎない。
崔外務次官の発言には米国に対して金委員長が軍の反対を押し切って交渉に臨んでいるので「顔を立ててもらいたかった」とのメッセージが込められているような気がしてならない。