2019年3月29日(金)

 「打倒金正恩政権」の亡命者組織「自由朝鮮」の背後に米CIA!


 先月スペインで起きた北朝鮮大使館襲撃事件の背後に米CIAの存在が指摘されている。

 米国の北朝鮮問題専門誌「NK」は襲撃グループ(10人)のうち2人が「事件前にCIAと接触していた」とスペイン消息筋の話として伝えたからだ。スペイン当局はすでにCIAが襲撃グループと接触した証拠を確保しているようだ。

 一方、韓国の有力紙・東亜日報は昨日(28日付)、複数の情報筋の話として2017年2月にマレーシアで暗殺された金正恩党委員長の異母兄、金正男氏の息子、漢卒(ハンソル)氏が現在、FBIの保護の下、米国に滞在していると報じていた。

 母と妹と共にマカオに滞在していたハンソル氏は父親殺害後、大使館襲撃の犯行声明を出した「打倒金正恩政権」の亡命者組織「自由朝鮮」の前身である「千里馬民防衛」の助力で台湾に出国したことまでは確認されていたが、その後消息が経たれ、亡命先は不明だった。

 同紙よれば、亡命先として希望していた「第三国」への出国が台湾空港での手続きが手間取り、一日遅れたことから急遽行き先が米国に変更されたとされている。CIAの判断によるとされているが、ハンソル氏を脱出、保護する過程で10万ドルの資金が投入されたのが事実ならば、これだけの大金をCIAでなければ、結成されたばかりの「千里馬民防衛」に出せるはずはない。CIAは途中から関わったのではなく、最初からハンソル氏の身柄確保に全力を挙げていた可能性が高い。

 駐スペイン北朝鮮大使館襲撃にCIAの関与が浮き彫りになったことでこれにより金正男―CIA−金ハンソル米国亡命―「自由朝鮮」が一つに繋がっていることが明白になった。

 金正男氏とCIAの関係については昨年実行犯とされたインドネシア人とベトナム人女性の公判で事件の調査にあたった警察官が証人として出席し「殺害される前の2日前に(金正男氏は)身元不明の韓国人と会っていた」と証言していた。マレーシアの捜査当局はすでにこの韓国人がCIA関係者であると割り出している。

 殺害される1週間前の2月6日にマレーシアに入り、ランカウイ島のホテルに宿泊した金正男氏は殺害された当時13万8千ドルの現金を所持していたが、このホテルでこの韓国人から受け取ったものとみられている。この男性への情報提供としての報酬なのか、あるいは亡命資金として受け取ったのかは不明だが、正男氏については直前まで韓国を含む「第3国」への亡命説が流れていたのは事実である。

 実際に、韓国のメディアは物心両面で海外生活を庇護してくれた叔父の張成沢氏が2013年12月に処刑され、また当時マレーシア大使だった親類の張勇鉄氏(張成沢氏の甥)までが2014年1月に帰国したまま消息を絶ったことから「正男氏は身の危険を感じていた」と伝えていた。

 英国のBBCも一昨年(2017年)8月14日に放映した金正男氏の暗殺に関するドキュメントで「スイスへの亡命を考えていた」と伝えていた。正男氏がスイス留学時のクラスメートに滞在先のマレーシアから「3日後にジュネーブで会おう」とのメールを送っていたことが根拠となっていた。こうしたことからBBCは「正男氏はスイスに亡命し、欧州の市民権を得ようとしていたのでは」と推測していた。

 金体制を揺さぶる心理作戦を展開している米CIAはこれまで情報価値のある北朝鮮の大物、VIPの亡命にはほぼ関与してきた。

 現在、韓国で金正恩政権を真っ向批判している太永浩・元駐英北朝鮮公使は3年前に韓国に亡命しているが、「ガーディアン」や「サンデー・エクスプレス」など現地報道によって、CIAが亡命の手助けをしたことが確認されている。太公使の亡命意思を英外務省が確認し、CIAに知らせた結果、少数の米国の関係者らが協議のため英国を訪れていたとのことだ。

 太公使はオックスフォードシャーのブライズ・ノートン空軍基地から用意された英国の空軍機で飛び立ったが、「同機には米国の関係者らも同乗していた」と報じられていた。ドイツのラムスタイン米空軍基地に着陸し、ここで他の航空機に乗り換え、2時間後ソウルに向かったが、この米軍基地は1991年にコンゴ駐在の高英煥一等書記官が外交官としては初めて韓国に亡命を果たすまでCIAの保護を受けていた場所である。

 さらに、1996年から98年にかけて金正男氏の叔母に張承吉駐エジプト大使、さらには金正恩委員長の叔母の亡命が相次いだが、これにもCIAが深く関わっていた。

 現在、娘(南玉さん)と共にパリで暮らしている金正男氏の叔母である成恵良さんは1996年1月、13年間滞在していたロシア(モスクワ)を出国し、スイスに向かい、滞在先のスイスで米国の情報関係者と接触し、スイスからやはりドイツのラムスタイン米軍基地に移されていた。成恵良さんは当初は妹の恵淋さん(正男氏の母)を連れて亡命する計画だったが、恵淋さんは亡命せず、モスクワに戻ってしまった。

 張承吉駐エジプト大使が米国に亡命したのは1997年8月。同居していた当時19歳の息子がカナダに亡命したため帰国後の粛清を恐れ、後追い亡命したと言われていた。

 張大使夫妻はカイロ市内の米CIAアジトに3日間潜伏した後、米大使館が用意したパスポートを使って8月25日に出国したことがその後、判明した。

 張大使の亡命には米CIAが絡んでいたことは当時ワシントンポストなどで報じられていたが、それによると、張大使は亡命への見返りとして直前までCIAに情報を流していた。北朝鮮によるエジプトなど中東諸国へのミサイル輸出を調べていた米CIAは張大使の米国亡命を「金塊を発見したような気分だ」とその成果を誇っていた。

 金正恩委員長の叔母の高容淑さんは金正恩委員長が兄(正哲)の後を追い、1996年にスイス留学した際に親代わりとして生活の面倒を見てもらった最も近い肉親である。

 容淑さんは姉(容姫=金委員長の母親)が乳癌を発症した年の1998年5月、夫の李剛(別名:朴剛)氏と共にベルーンにある米大使館に駆け込み、米国への亡命を申請した。

 亡命から18年経った2016年5月、夫の李剛氏は「ワシントンポスト」(5月27日付)とのインタビューで「(米大使館で)亡命を申請し、数日後にフランクフルトの米軍基地に移送され、そこで数か月間調査を受けた」と証言していた。

 金正男氏の息子の米国亡命やスペイン大使館襲撃事件、さらには「金正恩打倒」を掲げる「自由朝鮮」の設立へのCIAの関与が濃厚になったことで北朝鮮のトランプ政権への今後の対応に影響を及ぼすのは必至だ。