2022年1月21日(金)

 「佐渡島の金山」の前例となる「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録はどのように最終合意したのか

長崎の「端島(軍艦島)」(長崎港から筆者撮影)


 日本政府が来月1日までに国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)に佐渡島の金山を世界文化遺産として公式推薦するのかを問われた岸田文雄首相は「登録実現が何よりも重要だ。そのために何が最も効果的か、総合的に検討を行っている」と語っていた。どうやら今回は推薦を見送るらしい。現時点では推薦しても登録は難しいとの判断が働いているようだ。推薦したものの一度不適格とされれば、その後に登録された事例はないだけに慎重にならざるを得ないのだろう。

 これに対して安倍晋三元首相は首相在任中の2015年に「明治日本の産業革命遺産」が登録されたことを引き合いに出して、「反対運動が国際的に展開されたが、しっかりと反論し、最終的には合意した」と述べ、「論戦を避ける形で登録を申請しないのは間違っている」と政府に再考を促していた。

 では、「佐渡島の金山」同様に日韓の火種となった「明治日本の産業革命遺産」はどのようなプロセスを経て、合意を得て、最終的に登録ができたのかを振り返ってみる。

 ユネスコの諮問機関である国際記念物遺跡会議(イコモス)が九州・山口と関連地域の明治産業革命遺産を世界文化遺産に登録するよう勧告したのは2015年5月4日のことである。

 朴槿恵(パク・クネ)政権下にあった韓国政府は当初、日韓外相会談などの場で「協力する」と約束していた。ところが、日本が登録申請した23の対象施設のうち7施設が「強制連行された朝鮮人の犠牲の上に成り立っている」と市民団体やメディアが騒ぎ始めてから状況が一変した。慰安婦問題で対立していたこともあって韓国世論は硬化した。

 韓国外務省は一転,「隣国にとって苦渋の記憶に溢れた施設が世界遺産リストに登録されることはユネスコの世界遺産登録の精神に反する」と登録反対の立場を表明し、李炳鉉(イ・ビョンヒョン)ユネスコ代表部大使(当時)を通じてユネスコのボコバ事務局長に韓国側の懸念を伝えた。

 日本は登録時期を1850年から韓国を併合(植民地化)する1910年までに設定したことや強制連行を否認していたこともあって韓国のクレームには応じなかった。当時外相だった岸田首相は「日本は強制連行を認めてない」と公の場で発言していた。仮に国際会議の場で認めてしまえば、元徴用工問題を沸騰しかねないとの危惧があったからだ。折しも元徴用工らはこの年から日本企業を相手に訴訟を起こしていた。

 韓国政府は日本が登録を取り下げないため世界遺産委員会での投票に持ち込むことにし、中国、台湾、フィリピン、オランダなどと共同提出するためのロビー外交を展開する一方で、対抗手段として慰安関連資料を世界記憶遺産として登録する準備を進めた。日本もまた、登録のため総力を挙げ、安倍首相は7月2日に訪日したドイツの連邦上院議長を官邸に招き、自ら世界遺産登録への協力を要請していた。

 当時、世界遺産委員会メンバーは日本、韓国を含め議長国のドイツ、インドなど21か国から構成されていた。日本時間の7月5日午前(現地時間の7月4日午後4時)には結果が判明することになっていた。

 日韓共に勝算を確信していたが、万一負ければ、外交失墜に繋がりかねなかった。幸い、ボコバ事務局長から「日本と韓国は対話によって解決策を見いだすよう努力してほしい」との要請もあって日韓は土壇場で協議に入り、最後は佐藤地ユネスコ代表部大使(当時)が委員会でのスピーチで「1940年代に一部施設で意思に反して連れてこられ、厳しい環境下で働かされた多くの朝鮮半島出身者がいた」と「forced to work」という表現を用いたこと、また委員会が「強制労働があった」と韓国が主張する施設について日本が適切な説明措置を取るよう促したことで折り合いが付いた。

 韓国政府は情報センター設置など被害者を指す適切な措置を取る用意があることを日本が表明したことを受け入れ、その結果、「明治日本の産業革命遺産」の世界文化遺産登録は7月5日の第39回世界遺産委員会で韓国を含め満場一致で認められた。これが安倍前首相の言うところの「最終的合意」に至った経緯である。

 日本は登録という「実」を取り、韓国は直接的ではないが、間接的ながらも「強制連行」の事実を日本が認めたことで「名」を取ったことになった。言わば、日韓双方どちらにも解釈できるような「玉虫色の決着」であった。それもこれも、この年の12月の「慰安婦合意」に向けて日韓が水面下で交渉していたからこそ「妥協」が可能だった。

 韓国は当時、国民に日本が戦前、朝鮮人労働者を本人の意思に反して強制労働させた事実を初めて認め、それに伴い軍艦島にこうした事実を反映する条件で世界文化遺産登録が決定したと説明していた。しかし、5年経った2020年6月15日に東京・新宿にオープンした産業遺産情報センターを訪れた駐日韓国特派員らが「犠牲者を記憶するための展示はなく、逆に強制徴用犠牲者の被害自体を否定する証言や資料が展示されていた」と報じたことで事態を重く見た韓国政府は再びユネスコに登録取り消しを求める書簡を発送せざるを得なかった。

 解決したはずの問題はこうして再び蒸し返されることとなった。この種の抗議で登録が取り消しになった前例はなく、韓国の狙いはあくまでもユネスコを通じて展示場の内容の是正を求めることにあったことは言うまでもない。

 日本政府は「世界遺産委員会における決議・勧告を真摯に受け止めて、約束した措置を含めそれらを誠実に履行してきている」「戦時徴用された朝鮮半島出身者が端島炭坑などで働いていたことが明示されている」と反論したものの昨年7月にユネスコとイコモスの共同調査団が産業遺産情報センターを視察、調査し、その調査報告に基づき世界遺産委員会はセンターの強制労働の説明が不十分だとして、約束の忠実な履行を促していた。

 強制労働について国際社会は敏感だ。

 北京大会での公式ウェアの生産において中国の企業が新疆ウイグル自治区での強制労働で生産された綿を使用していることが問題にされ、また、北朝鮮が炭鉱や建設現場に未成年者を含め若者を強制動員し、過酷な労働を強いていることも国連人権委員会で問題にされるなど国際社会では人権問題がいつにもまして重要視されている。過去のこととはいえ、現状のままでユネスコ加盟国の支持を得るのは容易ではない。前回同様に登録に異議を唱えている韓国と話し合い、折り合いを付けるほか術はない。

 100%登録される確信があるならば話は別だが、いざ推薦して、仮に承認されないとなると、二度と登録ができなくなる。遺産登録が早いことにこしたことはないが、肝心なことは遺産登録を確実に実現することである。