2022年7月10日(日)

 安倍元首相を追悼! 日韓・日朝関係を「逆転させた」安倍元首相の「実像」

 朝鮮半島に最も近い山口県の出身のせいか、故安倍晋三元首相ほど朝鮮半島と縁の深い政治家は他に見当たらない。近年、日韓関係だけでなく、日朝関係でも常にその中心にいたのが安倍元首相であった。

 終戦までの36年間にわたる植民地統治が原因で戦後の日本は加害者の立場に立たされ、韓国に対しても北朝鮮に対しても贖罪意識から低姿勢外交を余儀なくされた。それが近年、韓国に対しては「慰安婦合意」(2015年)を機に、また北朝鮮に対しては拉致問題(2002年)で守勢から攻勢に転じている。何よりも両国に圧力の一環として制裁を掛けていることがそのことを物語っている。

 「形勢逆転」を主導したのは他ならぬ安倍元首相である。安倍氏が「反韓」「嫌韓」の右翼保守層の間で圧倒的な支持を受けた理由はまさに歴史問題をめぐる韓国との綱引きでは一歩も引かないその強気な姿勢にあったようだ。

 一方、安倍元首相の訃報に接した韓国のメディアは安倍氏について「韓日の歴史を忘れさせようとした」(ハンギョレ新聞)、「韓国最高裁が日本企業による強制動員の被害者に対する賠償判決を出した際、半導体輸出管理措置で報復し、日韓紛争を一層エスカレートさせた」(中央日報)として批評していた。韓国の視点からすれば間違いなく安倍元首相は対韓強硬派なのだろう。

 しかし、 安倍氏は根っからの対韓強硬派ではない。そもそも外祖父の岸信介元首相は「日韓の黒幕」と称されたほどの日韓国交正常化の立役者であり、父親の安倍晋太郎元外相も代表的な「親韓派」政治家であった。安倍氏はその二人のDNAを受け継いでいるのである。

 首相在任中は韓国だけでなく中国も安倍氏に「歴史を歪曲せず、正しい歴史認識を持て」と迫っていたが、晩年はいざ知らず、 政治家になりたての頃はこと韓国に対する考えは謙虚で率直で、曲りなりにも一本筋が通っていた。

 筆者は安倍氏とは浅からぬ関係にある。

 安倍氏は初当選した28年前の1994年に某雑誌の依頼で同僚議員と共に初めて訪韓し、ソウルで筆者が司会を担った韓国若手政治家らとの4時間に及ぶ座談会に臨んだことがある。すでに40歳となったこの時から安倍氏には「タカ派」のレッテルが貼られていたが、以下は座談会での安倍氏の発言である。著作権の関係上、一部だけ紹介するが、これを読めば、安倍氏の対韓観を読み取ることができる。

 ▲「日韓併合」について

 「私は両国にとって日韓併合は間違ったスタートだと思っている。しかし、いわゆる強制的なものであったとしても、形が整っていたのは事実だ。事実だから認めるという訳ではないが、当時日本がロシアとの安全保障上の問題を抱え、そうした状況から日韓併合がでてきたのも事実だ」

 ▲日本人の対韓感情について

 「日本人は基本的に韓国、朝鮮半島に対して罪悪感を持っている。決して過去を知らないわけではない。罪悪感があるからこそ、政権が変わるごとに『謝れ、謝れ』と言われることに対して徐々に反発を募らせているのだと思う」

 ▲韓国の対日文化開放について

 「(韓国が日本の文化流入に慎重な理由について)韓国政府の意図はわかるが、もうそろそろそうしたものは過去のものとして日韓は文化の面から理解を深める時期に来ていると思う」

 ▲将来の日韓関係について

 「日本の立場としては、我々の世代はもう二度と同じ過ちを繰り返さないということを宣言し、そうしてお互いに過去を正しく踏まえ、マナーを持って付き合っていくことが大切だと考えている」

 安倍氏は12年後に小泉純一郎首相の後を受けて日本のトップに立ったが、元慰安婦問題の視点は変わることはなかった。そのことは2007年4月に訪米した際の米議会での演説を読めばわかる。元慰安婦問題について以下のように言及していた。

 「元慰安婦問題について一言念のために申し上げたい。私の真意や発言が正しく伝わっていないと思われるが、私は辛酸をなめられた元慰安婦の方々に個人として、また総理として心から同情するとともに、そうした極めて苦しい状況におかれたことについて申し訳ないという気持ちで一杯である。20世紀は人権侵害の多い世紀であり、日本も無関係ではなかったが、そのような認識に立って21世紀が人権侵害のないより良い世紀になるように日本としても全力を尽くしたい」

 韓国に対して「過去に申し訳ないことをした」との根本認識は何一つ変わってないのである。

 実際に2015年の「慰安婦合意」でも「日本国の内閣総理大臣として改めて慰安婦として数多くの苦痛を経験され,心身にわたり癒しがたい傷を負われた全ての方々に対して心からお詫びと反省の気持ちを表明する」と言っており、また朴槿恵(パク・クネ)大統領に対しても直に電話を掛け、「元慰安婦の方々の筆舌に尽くしがたい苦しみを思うと心が痛む。日本国の首相として心からお詫びと反省の気持ちを表明する」と伝えていた。

 元慰安婦問題を含め日本が過去に韓国に対して行ったことへの安倍氏の認識は安倍氏自身が語った発言がすべてである。昔も今も変わりなく、それ以上でも、それ以下でもないのである。

 安倍氏は対北朝鮮問題、拉致問題でも決して強硬一辺倒ではなかった。 問題解決の手法は誰もが認めるように確かに圧力と制裁に軸足を置いていたが、 早期解決を目指し、そのためにはあらゆる手段を講じるとの一点においては現実的な思考の持ち主であった。

 一緒に訪韓した「仲間意識」もあって安倍氏とはその後もパーティ会場で会うと必ず挨拶を交わしていたが、安倍氏が官房長官の頃の2005年11月に初めてテレビ番組でご一緒し、拉致問題について議論したことがあった。番組終了後に安倍氏から「ピョンさん、私はそれほど強硬派ではないですよ」と声を掛けられた。

 番組で筆者が「拉致問題の解決なくして国交正常化はないとの基本方針を崩さず、とりあえずは北朝鮮を交渉の場に引っ張り出すため入口を広げ、拉致問題と平行して北朝鮮が求めている過去の清算(国交正常化)についても協議し、同時解決を目指したらどうですか。『拉致の安倍』と言われているぐらい安倍さんへの国民の期待は大きい。解決できなければ、胸に着けている議員バッジを外す覚悟はあおりか」と拉致問題が進展しないことに苛立って詰問したからである。

 安倍氏は私の「口撃」に「交渉の入口を広げようとやってきたが、拉致の実行犯の辛光洙(シン・グァンス)の引渡しにも応じない、めぐみさんの遺骨については偽物を送ってくる、そして(安否不明者に関する)説明もでたらめな状況の中で正常化交渉ができるかどうかだ。我々が経済制裁をすると言っていない以上は、正常化交渉は最大のカードだ。それを切ってしまっては、彼らが拉致問題を進展させるわけがない」と答えていたが、番組終了後に楽屋裏で意見を交わしてみると、安倍氏が国交交渉を入り口に、あるいは誘い水にして拉致問題を含む日朝の懸案を包括的に解決することに異論がないことが理解できた。

 その時点では知らず、随分後になって分かったことだが、 安倍氏は自民党幹事長時代の2003年と2004年に秘書を2度も秘密裏に北朝鮮に送り込み、不発に終わったが、拉致被害者5人の家族の帰国と日朝国交正常化交渉の再開をセットに北朝鮮と水面下で交渉を行っていたのである。

 官房長官(2005年10月〜06年9月)の頃の安倍氏は盛んに圧力と制裁を連呼していたが、その裏では対話にも意欲を示し、「北朝鮮が拉致問題を解決し、国際社会から受け入れられて国を建て直していく、そういう状況を作りださないといけない」との持論を持っていた。 筆者が2006年に拉致問題解決のため中国の瀋陽で北朝鮮の拉致問題担当者らと直談判したやりとりを伝えに行った時は長時間にわたって熱心に耳を傾けていた

 安倍氏は2007年に首相に就任したが、経済制裁を掛ける一方で北朝鮮の水害支援を呼び掛けた国際機構に日本赤十字社を通じて3千万円の寄付を行い、また、麻生太郎外相(当時)の「拉致問題で進展がなければ、核問題で進展があってもびた一文出さない」の言葉とは裏腹に国際原子力機関(IAEA)に北朝鮮の核施設を監視する資金提供も行っていた。

 極め付きはこの年の8月にインドネシアを訪問した際に「拉致、核、ミサイル、そして不幸な過去の清算に積極的に取り組み、正常化を目指したい」と発言し、北朝鮮を驚かせたことだ。

 「拉致と核とミサイルを包括的に解決する」というのがそれまでの日本政府の決まり文句だが、安倍首相は初めてこの3点セットに北朝鮮が求めていた「不幸な過去の清算」を加えたのである。一週間後の8月28日にはさらに一歩踏み込んで、「一刻も早い拉致問題解決を目指す」と同時に「不幸な過去の清算をして、日朝国交正常化を行っていく」と発言するまでにいたった。

 安倍首相のこの一連の発言に辛口の宋日昊(ソン・イルホ)日朝国交正常化交渉担当大使は「個人的に評価する」と歓迎し、その結果「制裁を科せられたまま日本と交渉するつもりはない」の姿勢を一転させ、9月初旬にモンゴルで日朝作業部会に応じたのである。

 安倍首相が体長不良を理由に9月12日に突如退陣を表明し、順調に進んだ日朝交渉は一時的に途絶えたが、これが翌年2008年8月の福田政権下での「日朝合意」の下地になったことは言うまでもない。また、首相に復帰した2014年にはストックホルムで北朝鮮との間で日朝合意も交わしている。北朝鮮に拉致問題の再調査を約束させたこの合意は小泉政権下の2002年に平壌で交わした「平壌宣言」に準じる合意である。

 安倍氏から「北朝鮮から前向きな行動を引き出すうえで何が最も効果的かを検討しつつ、ありとあらゆるチャンスを逃さず、解決に向けて全力で取り組む」ことを聞かされていたことや個人的な縁もあって安倍政権下で何としてでも拉致問題を前進させたいとの思いから筆者は3年前に安倍首相に拉致問題解決に向けた私信を届けたことがある。私信には以下のようなことを綴った。

 「小泉政権下の2002年9月、初の日朝首脳会談の結果、拉致被害者5人が帰国できましたが、それ以後、総理が7人、拉致担当大臣も17人交替しましたが、残念ながら今日まで何の進展もみられません。拉致被害者の家族らに時間は残されておりません。政府認定の拉致被害者の家族らは横田めぐみさん、有本恵子さんのご両親、さらには田口八重子さんのお兄さんをはじめ高齢、病弱で精神的にも、忍耐的にも極限状態にあります。特定失踪者のご両親らもしかりです。めぐみさんの父・滋さんは御年87歳で、現在病院で闘病生活を送っています。安倍首相も昨年4月にお見舞され、滋さんの病状についてはご承知のことと存じますが、滋さんは2005年にも「血栓性血小板減少性紫斑病」という難病にかかり、長期間入院されておりました。2007年にも背中やお腹の痛みを訴え、再入院していました。仮に滋さんに万一のことがあれば、国民の非難の矛先は金正恩政権だけでなく『一日も早くめぐみさんをご両親の懐に抱かせてあげたい』との約束を果たせなかった安倍首相にも向けられるかもしれません。安倍首相は今年1月の施政方針演説で『最も重要な拉致問題の解決に向けて、相互不信の殻を破り、次は私自身が金正恩委員長と直接向き合い、あらゆるチャンスを逃すことなく、果断に行動する』と誓っていましたが、まさに拉致問題の解決は核問題同様に首脳会談以外に方策はないように思われます。では、そのためにどのような手が効果的かを考察してみました(省略)」

 私信は安倍氏の友人を通じて届けられたが、時すでに遅しで、体調を崩していた安倍首相はこの年の8月に辞意を表明してしまった。辞めずに政権の座にいたら拉致問題をもう少し、動かせたのではないかと勝手に思ったりもしたが、翌年から新型コロナウイルス感染がパンデミックとなったことから所詮無理だったかもしれない。

 安倍氏の対韓、対北朝鮮政策に批判的な人からすると、安倍氏は拉致問題も含め日韓、日朝関係を最悪の状態のままにして他界してしまったことになるが、少なくともこと 拉致問題ではどの政治家よりも関心を払い、熱心に取り組み、何とか解決しようと最後までもがき続けた政治家であったことは否めない事実である。

 志半ばで、逝去するとはさぞかし無念であろう。

(韓国のメディアが「安倍元首相銃撃」を一斉に速報、トップで伝える!)