2022年11月2日(水)

 韓国で嫌われている麻生さんがなぜ訪韓?

 麻生太郎自民党副総裁が韓国を訪問し、今日にも尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領と会談するようだ。また、額賀福志郎会長が率いる日韓議員連盟訪韓団(19人)もソウルで開催される韓日議員連盟との合同総会に出席するため今日、韓国に向け出国する。

 麻生副総裁は日韓議員連盟の副会長も兼ねているが、今回は自民党副総裁として訪韓するようだ。尹大統領との会談では岸田文雄首相からの親書を伝達し、日韓の懸案である元徴用工問題の解決策について話し合うものとみられている。

 それにしても麻生副総裁の訪韓発表は唐突だった。

 岸田政権としては国内で反対の声が強かった故・安倍晋三元総理の国葬に尹錫悦政権がNo.2の韓悳洙(ハン・ドクス)総理を派遣してくれたことへの返礼として「梨泰院惨事」で喪中にあるソウルに同格の麻生副総裁を派遣し、弔意を示せば、韓国国民に歓迎され、それが結果として日韓関係に意欲を示している尹政権へのサポートになるとの計算が働いているのかもしれない。

 韓国では麻生副総裁の訪韓を意外な思いでもって受け止めている人は決して少なくはない。麻生氏は「反韓人士」の烙印を押されていた安倍元総理と並んで韓国では極めて評判が良くないからだ。

 麻生氏が副総理兼財務相として文在寅(ムン・ジェイン)政権下の2019年に韓国大法院(最高裁)が日本企業に元徴用工への賠償金支払いを命じた判決への対抗措置として韓国への半導体素材の輸出厳格化やホワイト国からの除外措置を主導し、仮に韓国が日本企業の資産を現金化すれば関税に留まらず送金停止やビザの発給停止など更なる報復措置を示唆していたからである。

 それでなくても、麻生氏には過去の発言などで韓国では「反韓政治家」「右翼政治家」のレッテルが貼られている。そのことは2008年9月に麻生氏が総理に就任した時の韓国メディアの反応を見れば、一目瞭然だ。

 当時、「聯合ニュース」が「日本の植民地時代、麻生氏の父親が経営する炭鉱で朝鮮半島出身者が多数働いていた」との記事を配信するなど、強制連行絡みでその「ルーツ」を掘り下げて報じていたメディアが多数あった。

 「国民日報」などはズバリ「父親は日帝占領時代、1万余名の朝鮮人徴用者を連行し、九州の麻生炭鉱の社長だ。 麻生は『創氏改名は朝鮮人が求めたもの』などの暴言により対外イメージが悪い点が指摘されている」と好き放題書いていた。

 韓国の「麻生嫌い」はもちろんその「ルーツ」だけにあるのではなく、麻生氏の「歴史認識」に関する発言に起因しているようだ。

 あるコラムニストが「PRESSIAN」というメディアに「妄言が口癖の麻生太郎が日本の次期総理か」と題して 「日本市民に送る手紙」なるものを発表していたことがあった。内容は概してこんなものだった。

 「麻生氏は韓国人の記憶に残る妄言を口にする政治家として認識されている人物だ。 彼は韓国の歴史を否定する妄言を繰り返しながら、心から謝罪をしたことのない人物である」

 「2003年5月の東京大学での講演では『創氏改名は朝鮮人が求めたもの、ハングルは日本人が朝鮮人に教えてあげたものであり、 義務教育も日本が始めた。正しいことは歴史的事実として認めたほうが良い』と言ったこともあった。2005年5月の英国のオックスフォード大学での講演では『戦後の日本は経済再建が最優先目標だったが、 幸いにも朝鮮半島で戦争が起き....』と隣国の惨憺な戦争の苦痛を省みない発言を行なったこともあった」

 「この時の講演では靖国についても発言し、『靖国神社参拝は正しく、今後も続けなければならない。 靖国神社の軍人がA級戦犯と決定したのは、日本ではなく、占領軍が決定したものだ。靖国神社参拝を問題にする国は世界で韓国と中国だけだ』 とむしろ中国と韓国を批判していた」

 また、麻生氏が2013年2月に朴槿恵(パク・クネ)大統領の就任式に出席し、朴大統領と会談した際、「韓日間の真の友好関係構築のために歴史を直視し、過去の傷がこれ以上悪化せず治癒するようお互い努力しよう」との朴大大統領の呼びかけに対して「米国を見てほしい。米国は南と北が分かれて激しく戦った。しかし南北戦争をめぐり北部の学校では相変わらず『市民戦争』と表現するところがある一方、南部では『北部の侵略』と教える。このように同じ国、民族でも歴史認識は一致しないものだ。異なる国の間ではなおさらそうだ。日韓関係も同じだ。それを前提に歴史認識を論じるべきではないだろうか」と反論したことも、韓国では批判の的にされていた。

 加えて朴大統領が「両国の指導者が慎重な発言と行動を通じ、信頼を持続的に構築していくことが重要である」と訴えたにもかかわらず、帰国から2か月後に靖国に参拝したことから「朴大統領のメンツが潰された」として当時韓国では保守派までも麻生氏に嫌悪感を示していた。

 しかし、現実には「麻生政権が誕生すれば、これまでの妄言を政策に反映し、実行するのではないか」と韓国ではピリピリしていたが、 いざ、麻生氏が総理になると、日韓関係は案ずるほど冷却化することはなかった。

 思えば、李明博(イ・ビョンパク)政権下にあった今から10年前の2012年10月に李大統領の「天皇謝罪要求発言」で険悪化した日韓関係の修復のため訪韓したのは野田民主党政権の現職閣僚ではなく、他ならぬ麻生氏であった。

 対外関係を好転させるには時に、その国にとって「友好人士」と見られている人物とは相反する立場の人物のほうが得てして良い結果を生む場合が多い。古くは日韓国交正常のため当時「嫌韓派」で知られていた大野伴睦自民党副総裁の訪韓がその典型的なケースだ。

 李承晩(イ・スンマン)政権下の1952年から始まった日韓国交正常化交渉は遅々と進まなかったが、1962年に12月に大野副総裁が重い腰を上げ、訪韓し、時の朴正煕(パク・チョンヒ)大統領との会談を機に大きく動き出したのは知られざる歴史的事実である。

 大野副総裁は帰国後「韓国国内で政権への批判と抵抗が強まることになれば、日韓会談妥結の機会は永久に失われる。だからこの機を逃さずに妥結を急がなければならない」と語っていた。

 岸田政権が尹政権を朴正煕政権以来の「親日的政権」であるとみなしているならば、この機会を逃してはならないと、手を打ったとしても決して不思議なことではない。

 今日にも予定されている尹大統領との会談内容が注目されてならない。