2024年6月3日(月)

 「ビラ風船」に「汚物風船」、「拡声器放送」に「砲弾」? 南北チキンレースは9年前の再現!

2015年8月に散布された「金正恩は殺人魔」と書かれれた風船ビラ(JPニュース)

 北朝鮮が5月28日(〜29日)に続いて6月1日にもごみや動物のフンなどが付着してある「汚物風船」を韓国に向け飛ばした。

 韓国軍(合同参謀本部)の発表では「汚物風船」は5月28日から2日の間に260個、6月1日には720個が全国で確認された。全部で約1千個に上るが、北朝鮮の金ガンイル国防次官の2日の談話によると、北朝鮮は汚物15トンを3500個の風船で散布したようだ。

 軍事境界線からソウルまで早く60kmであるが、「汚物風船」は軍事境界線に近い京畿道、ソウルだけでなく、風に乗り、南方の慶尚道、全羅道まで飛来し、農家のビニールハウスの柱が壊れるなど至る所で被害が発生した。

 仁川空港にも落下し、飛行機の離着陸に影響を及ぼした。また、北朝鮮が夜に飛ばしたことから京畿道では「空襲危機警報」のような自治体の「緊急災難メッセージ」が発信され、道民は不安に陥れられていた。

 この北朝鮮の「汚物爆弾」投下に対して韓国統一部は5月31日に「止めなければ、耐えられないようなあらゆる措置を取る」と北朝鮮に警告を発していたが、北朝鮮はこの警告を無視し、翌日汚物をまき散らしたため韓国当局は「耐えられない対抗措置」として拡声器による北朝鮮体制非難を検討していた。そうした矢先、北朝鮮の国防次官は昨日(6月2日)、唐突に談話を発表し、「(ビラ散布を)暫定的に中止する」と韓国に通告した。

 中止を決定したのは今回の対韓ビラ散布が5月10日の脱北団体の対北ビラ散布への対抗措置であり、「韓国が散布された紙くずを拾い集めることがどんなに気持ちが悪く、多くの手間がかかるか十分に体験させる」ことにあったと主張していた。その上で「暫定的に中止するが、韓国の連中が反朝鮮ビラ散布を再開する場合、百倍の紙くずとゴミを再び集中散布する」と、間接的ながら韓国政府に対して脱北団体によるビラ散布を規制するよう促していた。

 金国防次官の談話では北朝鮮は韓国軍が検討中の対抗措置とは無関係であることを装っていたが、韓国の対抗措置による事態の悪化は北朝鮮にとっては得策でないのは明白で、金国防次官の談話にはここらで矛を収めたいとの意図が透けて見えていた。

 問題はやられっぱなしの韓国政府が何事もなかったかのようにこのまま何もせずにいられるかということと、5月10日に北朝鮮に向け体制批判ビラ30万枚を散布した当事者の脱北団体「自由北韓運動連合」の対応である。

 今朝、同団体の朴相学(パク・サンハク)代表は韓国メディアとのインタビューで「金正恩(キム・ジョンウン)が(汚物風船を飛ばしことを)韓国5千万の国民に謝罪すれば、(我々も)暫定的に中断するが、謝罪しなければ、今月5〜6日頃に風船を使ってビラ20万枚とKポップ歌手の歌などが収録されているUSB5千個を北朝鮮に撒く」と暫定中断の条件として「金正恩の謝罪」を求めていた。

 脱北団体は文在寅(ムン・ジェイン)前政権下の2020年12月に成立した「対北ビラ禁止法は」(南北関係発展法)が尹錫悦(ユン・ソクヨル)下の昨年9月、「憲法違反」との憲法裁判所の判決が下されたことで大手を振って北朝鮮に向け「ビラ風船」を飛ばすことができる。

 憲法裁判所が「言論や表現の自由は保障されなければならない」と裁定しており、尹政権の対応も「民主主義国家なので政府が民間を規制することはできない」としているので金総書記が謝罪しない限り、また尹政権が自制を求めない限り、5日から6日にかけて脱北団体の対北ビラ撒きは強行されることになる。そうなれば、北朝鮮もまた「汚物風船」を飛ばすのは必至で、北朝鮮が「汚物風船」を飛ばせば、韓国政府も報復として拡声器を持ち出し、北朝鮮体制宣伝放送を再開せざるを得ない。

 大型スピーカー数十個を束ねた韓国軍の拡声器は昼夜関係なく放送される。北朝鮮体制批判、金総書記への人身攻撃を主とした拡声器放送は、夜は24km先、昼間でも10km先まで音声が届く。北朝鮮が最も嫌がる、言わば北朝鮮のアキレレス腱でもある。

 このような展開になると、「一触即発」となった2015年8月の状況が朝鮮半島で再現されることになる。

 当時、朴槿恵(パク・クネ)政権は北朝鮮が仕掛けた地雷に韓国将兵が負傷したことへの報復措置として軍事境界線の南側に拡声器を11か所設置し、拡声器放送を11年ぶりに再開させた。

 これに北朝鮮人民軍前線司令部が反発し、8月15日に「拡声器を撤去しなければ、すべての拡声器を焦土化させるための正義の軍事行動を全面的に開始する」と韓国を威嚇し、信じ難いことに実際に2度にわたって計7発の砲弾を韓国に向け打ち込んだ。北朝鮮の「容赦しない」「座視しない」との再三の警告を単なる脅しに過ぎないと受け止めていた韓国政府は本当に砲弾を撃ち込まれたことで大きな衝撃を受け、直ちに北朝鮮に向かって29発放つなど「応戦」した。

 その後も北朝鮮人民軍総参謀部は「48時間内に宣伝施設を撤去しなければ軍事行動を開始する」との電文を韓国国防部に送り、拡声器を照準打撃するための76.2mm牽引砲を非武装地帯に配備し、金総書記は8月20日、軍事委員会非常拡大会議を招集し、前線地帯に戦争一歩手前の状態を指す準戦時状態を宣布した。

 火力兵器部隊が最前線に移動し、短・中距離ミサイルが北朝鮮南東部の元山、北西部の平安北道に配備され、発射準備に入った。また、潜水艦数十隻が基地を離れ、特殊部隊も所属基地を離れ、韓国への潜入の指令を待った。北朝鮮外務省は韓国や国際社会に向け「戦争も辞さない」との声明を出した。

 韓国もまた朴大統領の出席の下、国家安全保障会議が地下バンカーで開かれ、砲撃を受けた西部戦線だけでなく全前線に最高レベルの警戒態勢を敷いた。

 軍も警察も予備軍などすべての作戦兵力は命令が下されれば指定された場所に出動し、戦闘態勢に備える体制を整えた。対空警戒態勢を発令し、陸軍のコブラ(AH1S)攻撃ヘリコプターと空軍の戦闘機を緊急出撃させた。

 まさに南北は非武装地帯を挟んで一触即発の状態となったが、この時は高位級会談が電撃的に開かれ、4日間、延べ43時間のマラソン交渉の結果、北朝鮮が地雷爆発により南側の軍人らが負傷をしたことについて遺憾を表明し、韓国が拡声器放送の中止に同意したことにより土壇場で軍事衝突が回避された。

一触即発の衝突を回避した2015年の「南北2+2会談」(JPニュース)

 この拡声器放送をめぐるチキンレースは客観的に見て、北朝鮮が引いたことで収まったと言っても過言ではない。仮に、北朝鮮が引かず、韓国も拡声器の撤去に応じなければ、確実に交戦状態となり、局地戦争からへたをすると、全面戦争に発展したかもしれない。

 当時とは異なり、今の南北関係はミサイルと核を手にした北朝鮮が「韓国はもはや同胞でも同族でもなく、また対話、交渉、協力、統一の相手ではなく交戦状態にある敵対国家、主敵である」と、韓国との関係を断絶した史上最悪の関係にあることから9年前のような電撃的和解などとても期待できそうにない。

 南北のチキンレースがどのような展開になるのか、当分目が離せない。