2025年4月15日(火)
「金正恩の実兄」でロックファンの金正哲は「核専門家」に転向したのか!10年ぶりに話題沸騰
金正哲(左)と金正恩兄弟(KBS報道画面からキャプチャー)
今日4月15日は北朝鮮の建国の父でもあり金正恩(キム・ジョンウン)総書記の祖父でもある故金日成(キム・イルソン)主席の生誕日である。
北朝鮮はこの日を機に金日成―金正日(キム・ジョンイル)―金正恩と3代続く革命伝統継承の正統性を大々的にPRするが、2代目まで長男だった後継者が3代目のみ3男に継がれた理由は今もって謎となっている。
異母兄弟の長男でマレーシアで暗殺された故金正男(キム・ジョンナム)氏とは異なり、「金正日前総書記が溺愛した高英容(コ・ヨンヒ)夫人との間に生れた子であるから」とか、「性格が勝ち気で、後継者に相応しかった」とか、「幼い頃から父親が定めていた」など様々な説があるが、金正恩総書記には4歳年上の実兄、金正哲(キム・ジョンチョル)氏がいる。金総書記の料理人で知られる藤本健二氏によれば、二人は1990年代半ばにスイスのインターナショナルスクールに一緒に留学するなど仲が良いことで知られている。
その金正哲氏は大ファンである英国のロックギターリスト、エリック・クラプトンのコンサートを観に2006年6月にはドイツを、2011年2月にはシンガポールを、そして2015年5月には英国に出没していた。ちなみに英国では3人の付き添いと女性が一緒に随行していたが、付き添いのうち1人が2016年8月に韓国に亡命した太永浩(テ・ヨンホ)元駐英北朝鮮公使(後に与党「国民の力」の国会議員となる)だった。
金正哲氏の消息は英国を最後に途絶えてしまい、国内でも動静は全く伝えられていない。父親が2011年12月に亡くなった時の通夜、葬儀には妹の金与正(キム・ヨジョン)党副部長は出席していたものの正哲氏の姿は確認できなかった。
ロンドンに現れて以来、この10年間、国内の動静も皆無だ。
ところが、韓国の外交安保専門誌「SAND(South &North
Democracy)TIMES」が今月4日に北朝鮮の歴史雑誌「歴史科学雑誌」(2024年2月号)を入手、分析した結果、この科学雑誌の寄稿者の中に金正哲氏が含まれていた可能性が高いとの記事を一週間前に掲載したことから外交専門家や北朝鮮問題専門家らの関心を集めている。
金正哲氏が書いたものとみられる「我が共和国を核保有国に引き上げた偉大な指導者金正日同志の不滅の功績」と題する寄稿文の主な内容は1990年代初頭に米国の圧力の中で主権を守るために核兵器の開発を決断し、2006年に最初の核実験を、2009年に2回目の核実験を成功させ、堂々たる核保有国の列に加わったというもので、北朝鮮が核保有国になったことを「金正日同志の不滅の業績」であり、「英雄的な決断」であると称賛していた。
雑誌の寄稿者は全部で23人いるが、「金正哲」を除く他の22人については社会科学院室長や金日成大学の教授(博士)など役職や肩書が明らかにされているるのに金正哲氏だけは所属も肩書も明らかにされず、名前だけ記されていた。
この点について北朝鮮研究者で知られる鄭成長(チョン・ソンチャン)世宗研究院朝鮮半島戦略センター長は「一人だけ身分を明かさなかったところをみると、金正恩の兄、正哲と推定される」と述べ、また脱北者も「特殊な身分や地位にあるため所属や地位を明らかにできない重要人物であることは間違いない」と、韓国のメディアに語っている。
また、鄭成長センター長は金正哲氏が登場した理由について「金正恩が権力掌握に自信を持っているのでもはやライバルでもない兄を今後徐々に限定的に明らかにするつもりのようだ」と分析していた。
最近は金総書記の娘「ジュエ」に続き、金与正副部長の二人の子供も公開されるなどロイヤルファミリーにある種の変化が感じられる。
この点について前出の鄭氏は金総書記が娘を「白頭の象徴」として宣伝し始めた時期と重なっていることから「金正哲の登場は家紋全体の歴史的正当性を再認識する時期と一致しており、金正哲は家紋の歴史記録者の役割を果たしているようでもある」と付け加えていた。
「核の遺産」を正当化する寄稿文の筆者が金正哲氏ならば、金正哲氏の地位に変動があった可能性も考えられるので目が離せない。