2025年8月23日(土)

 クルスク戦場に投入された北朝鮮兵士は自爆精神で武装された捨て駒だった 北朝鮮国営テレビが初めて放映

ウクライナ戦争で戦死した北朝鮮兵士の遺影の前に立つ金正恩総書記(朝鮮中央テレビ)

 北朝鮮の国営テレビ「朝鮮中央テレビ」は昨日、ロシアに派兵された将兵たちの戦場での場面を扱った映像を繰り返し放送していた。

 北朝鮮は昨年の10月からロシアに派兵し、ロシア軍とともにウクライナに占領されたロシア領のクルスク州奪還作戦に従事していたが、派遣された兵士及び戦死者の数についてはウクライナや韓国の情報機関からの公表はあったものの北朝鮮やロシアでは伏せられていた。北朝鮮はそもそも今年5月まで派兵の事実さえ認めていなかった。

 北朝鮮が公式に認めたのは金正恩(キム・ジョンウン)総書記がロシアの対独戦争勝利80周年にあたる5月9日に駐朝ロシア大使館を訪れ、演説した際に「私は兄弟国のロシアの主権と安全を乱暴に侵奪した敵対勢力の冒険的な軍事的妄動を我が国家に対する侵攻とみなし共和国武力戦闘区分隊にロシア武力と共にウクライナのネオナチ占領者を撃滅し、クルスク地域を解放するという命令を下した」とする発言からである。

 そして、翌6月下旬には訪朝したロシアの文化代表団が平壌で公演した際の会場のスクリーンに北朝鮮兵士が戦場で戦っている写真と金総書記が国旗に覆われた棺を前に頭を垂れる場面が映し出され、北朝鮮は初めて戦死者が出ていることを認めた。

 韓国の国家情報院はすでに4月30日の時点で死者600人を含む4700人の死傷者が出ていると発表していたが、一昨日、北朝鮮で執り行われた戦死者を追悼する式典での遺影をチェックすると、「追慕の壁」に掲げられていた遺影は全部で101枚で、韓国の発表の約6分の1だった。

 負傷者については言及されてなかったが、ロシアに派遣された兵士が約1万2千〜1万5千人と推定すると、死者600人が多いのか、少ないのか、議論が分かれるところだが、数字的には死者数は全体の5%であった。また、10か月に及ぶ戦闘でウクライナ軍に生け捕りされた兵士は公式的には2人しかいない。

 クルスク奪還作戦ではロシア軍も認めているように北朝鮮軍人の士気、戦闘能力は高かった。特にウクライナ軍が北朝鮮の決死隊による「自爆攻撃」に悩まされていたことはこれまでも公然と伝えられていた。それを見せつけたのが昨日の「朝鮮中央テレビ」の放映である。

 激戦地クルスク州での北朝鮮兵士の戦闘訓練模様はロシア国営放送のウラジミール・ソロヴィヨフ氏が4月28日に自身のテレグラムで北朝鮮軍に手榴弾の投げ方を教えるロシア軍の映像を流す際に伝えていたが、北朝鮮自身の手で直接知らしめたのはこれが初めてである。

 ナレーション付きの映像には北朝鮮兵士らが戦死した戦友の遺体を収拾しながら涙を流す場面、ドローン攻撃に砲撃を浴びせて敵陣を爆破する場面、戦車を破壊する戦闘場面などが次々と映しだされていた。

 ナレーションでは特に自爆した兵士たちの名前と年齢、そして自爆当時の情況などを映像で詳しく紹介していた。

 例えば、22歳の北朝鮮兵士はウクライナ軍の攻撃により自分を救いに来た戦友らが倒れると自爆を決心し、手榴弾を炸裂したものの左腕だけが落ちると再び右手で手榴弾を拾って頭に当てて自爆したとか、20歳の兵士は自軍の進撃用通り道を確保するため地雷作業を行っている最中、進撃開始時間に間に合わないとみると、地雷を肉弾で爆破させ、通路を開拓したとか、20歳と19歳の二人の兵士は戦死した戦友の遺体を収拾する途中に敵に包囲されると二人で抱き合って手榴弾で自爆したという「美談」が紹介されていた。

 また、「食糧も弾薬もなく9日間孤立無援の状態」というナレーションが出てくると、焦点が合わない目つきで壁にもたれかかっている若い兵士の顔がクローズアップされたり「雹のように降り注ぐ敵の砲弾と蜂の群れのように飛んでくるドローン」とのナレーションが流れると、ドローンのシーンが何度も画面に登場していた。

 今年1月にウクライナが生け捕りした兵士の一人はウクライナ特殊作戦部隊から「自爆の指示をうけていたのか」と聞かれると「我が人民軍では捕虜は変節(祖国への背信)と同じだ」と語り、もう一人の20歳の兵士も「手元に手榴弾やナイフがなかったので自決できなかった」と証言していたことはすでに公になっている。

 追悼式では金総書記が「生の最期に直面した時刻にさえ自分の義務に忠実であり、良心をとがめない選択をすべき道徳性も一糸乱れず立派であった」と述べ、戦死者を称えていたが、101人の遺影を目の当たりにした軍人、そしてテレビを見た人民は複雑な心境だったに違いない。祖国防衛という大義名分のない他国での無残な戦死だからである。

 北朝鮮にとっては同盟国ではあるが、国際社会から「侵略国」「戦犯国」との烙印を抑されたロシアに加担したツケの重さはウクライナ戦終戦後に重くのしかかってくるのではないだろうか。