2025年6月25日(水)
日韓国交正常化60周年も朝鮮戦争勃発75周年も眼中にない韓国 南北対話は今後は「韓朝対話」に!
日本の官邸で行われた日韓条約調印式(韓国外交部から)
今日6月25日は日本と韓国が国交を結んだ日でもあり、朝鮮戦争勃発日でもある。
日韓国交正常化は60周年にあたり、朝鮮戦争も勃発75周年を迎えた節目の年月である。
当然、韓国の全国紙の中には社説で取り上げるところもあるだろうと、チェックしてみると、「日韓国交」についてはゼロだった。
日韓が国交を結ぶ前の人の往来はたった1万人、貿易額は2億ドル(720億円=1ドル360円レート)程度だった。それが60年経った今日、人の往来は日韓合わせて1200万人(2024年)を越え、貿易量も約11兆円(2023年)に達している。
日韓国交がいかに両国、両国民に恩恵をもたらしたかを総括し、改めて未来志向の関係の重要性を呼びかけるメディアが1紙ぐらいあっても良さそうなものだが、残念ながら皆無だった。
唯一、「韓国日報」が姉妹関係にある「読売新聞」と共同で世論調査を載せていたのが救いだ。
この調査結果によると、「現在の関係は良い」と答えていた人は日本で52%、韓国で55.5%と、いずれも50%を上回っていた。韓国人が50%を上回ったのは初めてで特筆すべきことだ。それだけに、人間ならば還暦にあたるこのお目出たい日にメディアはもう少し、スポットを当ててしかるべきである。
「朝鮮戦争」の関連では「国民日報」と「京郷新聞」の2紙のみが扱っていた。
「国民日報」は「イラン危機」に引っ掛けて「6.25戦争75周年・・・大きくなる安保不確実性を綿密に点検」と題して「北朝鮮をコントロールし、非核化を進めるためにはまず、米国の北朝鮮政策を我が国の安全保障に即したマネジメントをしていく必要がある」と、訴えていた。
「京郷新聞」は「李大統領6.25を前に『平和が飯』・・・新対外安保チームは信頼構築から」の見出しの下に「尹錫悦(ユン・ソクヨル)政権から李在明(イ・ジェミョン)政権に取って代わったが、直ぐに平和が訪れるわけではない。戦争の心配のない国になるためには北も南もすぐに不信の沼から抜け出さなければならない」と、南北間の信頼関係の構築を呼びかけていた。
この2紙の他にも「毎日新聞」が「6・25参戦少年少女兵の名誉と補償はこれ以上待つことができない」の見出しを掲げ、兵士でも徴兵対象でもなかった17歳未満の少年少女が銃を持って戦った歴史的事実を指摘し、現存している約2700人の元少年少女兵に対して「公正な評価、正当な礼儀、補償が行われるべきだ」と訴えていた。
歴史は風化するし、今では戦争を知らない、戦後世代が韓国社会を凌駕していることから無関心増が増えるのは歴史の流れかもしれないが、依然として軍事境界線が存続し、南北双方合わせて100万人以上が銃口を向けている分断の現状を考えれば、もう少し関心を払ってしかるべきである。
では、北朝鮮はどうか?
北朝鮮はこれまで朝鮮戦争を「祖国解放戦争」と呼んでいた。
しかし、金正恩(キム・ジョンウン)総書記が2023年末に開催された労働党中央委第8期第9回全員会議(総会)での報告で「南北関係は敵対的な二国間関係で、韓国は敵国、交戦国である」と断じ、2024年1月に開催された最高人民会議(第14期第10回会議)での施政演説で、「共和国の民族歴史から『統一』、『和解』、『同族』という概念自体を完全に削除しなければならない」と宣言してからは「祖国解放戦争」の言葉が消え去った。
6月25日は「祖国解放戦争記念日」ではなく、「米帝反米闘争の日」に取って代わっていた。
例えば、2022年には6月25日に平壌市群衆集会が「祖国解放戦争勝利記念館」の前で開かれていたが、2023年以降は「5月1日競技場」に場所を移して、開催されている。
今朝の労働新聞をみると、「戦勝世代の英雄精神を学ぶ」「6.25が再び思い出す哲理 強くより強く」「75回目の6.25が来た」などの記事が掲載されているが、どの記事にも「祖国解放戦争」という文言はなかった。
また、労働新聞には全国各地で、また青年団体から女性団体に至る角界各層で反米決起集会が行われ、参加者らは米国に対して復讐の決意を誓っていたなどの記事が掲載されていた。
李在明大統領は南北関係の修復を目指し、統一部長官に盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権下で統一部長官だった鄭東泳(チョン・ドンヨン)「共に民主党」議員を指名し、また文在寅(ムン・ジェイン)政権で大統領秘書室長を務めた任鍾錫(イム・ジョンソク)氏が南北経済協力文化財団の理事長に復帰したが、北朝鮮が「統一」とか、「南北」という言葉を禁句にしていることからいずれ改名をせざるを得ないであろう。
北朝鮮が翻意しない限り、南北対話は「韓朝対話」に「南北首脳会談」は「韓朝首脳会談」に名称を変更せざるを得ないであろう。