2025年6月4日(水)

 李在明政権の初代首相候補は「反日」?

金民錫次期首相(金民錫議員のフェイスブックから)

 李在寅(イ・ジェミョン)政権下の最有力首相候補に「共に民主党」の金民錫(キム・ミンソク)議員の名前が挙がっている。内定したと言っても過言ではないようだ。

 金民錫次期首相は李在明大統領と同様に日韓条約締結1年前の1964年生まれの61歳。本籍は慶尚北道の慶州だが、生粋のソウル生まれである。

 全斗煥(チョン・ドファン)軍事政権の戒厳令及び光州事件から2年後の1982年にソウル大学(社会学部)に入り、3年後にはソウル大学総学生会会長に選出されるほど当時、反体制学生リーダーとして頭角を現していた。

 行動は過激で、早くも同年6月には延世大学の近くに位置していた米国の文化院を延世大や高麗大の同僚ら73人と共に奇襲占拠、籠城する事件を引き起こし、翌1986年には懲役4年を宣告され、獄中体験をした「反米闘士」としてもその名が知られている。

 出獄後、渡米し、コロンビア大学で国際政治学を学び、ハーバード大のケネディスクールで行政学の修士を取得した後、政治の道を志し、1992年に国会議員選挙にソウルの永登浦区乙から出馬したものの落選。浪人中の1993年に同窓生のKBSアナウンサーと結婚し、当時「運動圏と制度圏の結合」とか「韓国のケネディとジャクリン」と騒がれたこともあった。

 金次期首相は結婚から3年目の1996年に再度国会議員選挙に挑戦。この時は金大中(キム・デジュン)元大統領の党「新政治国民会議」から出馬し、念願の当選を果たした。

 その後、再選を果たし、順風満帆の道を歩むと思いきや2002年に後に大統領になった野党「ハンナラ党」(「国民の力」の前身)の李明博(イ・ミョンパク)候補に敗れ、またもや野に下った。それでも挫折せず、2020年の選挙では雪辱を果たし、18年ぶりに国会に復帰した。当選回数は4回で、現在は「共に民主党」の首席最高委員である。

 実兄は進歩系雑誌「マル(言葉)」の記者で、朴槿恵(パク・クネ)政権を打倒した「蝋燭デモ」のリーダー(常任代表)である。尹前大統領が昨年12月に非常戒厳令を発令した際には李在明代表(当時)らと共に兄弟揃って逮捕リストに含まれていた。

 民族的思考が強く、日韓関係が最悪だった文在寅(ムン・ジェイン)政権下の2019年には日本の半導体素材輸出禁止に対抗し、設立された「日本経済侵略対策委員会」では副委員長を務めていた。

 金民錫副委員長は当時、「安倍総理が経済戦争を中断し、その原因となった過去史(歴史認識の問題)について謝罪しなければ日本が最も売りたがっている製品である東京オリンピックに対して全世界の良心が不買運動(ボイコット)をするだろう」と、尹政権にボイコットを迫る発言したこともあった。

 記者会見の席で日本経済侵略という言葉があまりにも過激だとして、日本の記者から「経済圧力という風に言い換えたらどうか」と質問された際には「名前というのは正面から正確に規定することが重要だ。慰安婦被害者らが過去に受けてきたことなどは国家間の強姦、国家間の性暴力というのが正しいネイミングなのに日本は認めないからこうした問題が起きるのだ」と強く反発していた。

 また、昨年11月25日に開かれた「共に民主党」の最高委員会議では「尹政権の外交は霊魂が親日でその副作用が韓米デカプリンとなり、国家の損失が持続している。今すぐにやらなければならないのは外交・安保ラインの全面的な更迭である」と発言していた。

 内政を重視している李大統領は国政を安定させるため金最高委員をNo.2の首相に任命する考えのようだが、日本に厳しいスタンスを取っている人物の首相就任は日本にとっては気がかりであろう。