2025年3月20日(木)

 ロシアの「クルスク奪還」の背後に「恐るべき北朝鮮軍の戦争能力」「ワシントンポスト」が報道

軍事パレードで行進する北朝鮮特殊部隊(朝鮮中央テレビから)

 ゼレンスキー大統領は「まだ包囲されていない」と、ウクライナ軍が8月に侵攻して以来、7か月間死守していたロシア領、クルスクの明け渡しを否認しているものの全面撤退は時間の問題となっている。

 攻勢を強めているロシア軍政治局副局長でアフマト特殊部隊の司令官であるアプティ・アラウディノフ少将は3月17日(現地時間)、タス通信の記者の質問に「我々の進撃でウクライナの駐屯基地がほぼすべて陥落し、敵の兵力は破壊された。クルスクのほぼ全域が解放されたと言ってもよい」と豪語していた。この通りならば、ウクライナ軍の巻き返しは期待できそうにない。

 この発言を裏付けるかのように米国の有力紙も一斉にウクライナ軍のクルスク前線からの後退を伝えており、「ウクライナは占領していたクルスクの1295平方キロメートルのうち94%を失った」との「ニューヨークタイムズ」に続き、「ワシントンポスト」(3月18日付)も「ウクライナ軍は一部国境地域を除き、クルスクの統制権を失った」と、報じていた。

 英国の「BBC」(18日)は、「すべては終わった」との見出しの記事でクルスク前線にいる5人のウクライナ軍の証言を基にロシアの攻勢、ウクライナの苦境を伝えていた。

 クルスクの戦局が逆転し、ウクライナ軍が後退を余儀なくされたことについて「ワシントンポスト」はロシアのクススク奪還の過程で「後方で戦列を整え、2月初旬にクルスク前線に再投入された北朝鮮軍が戦局を大きく変える決定的な役割を担った」と報じていた。特に、「昨年10月に派遣された1万1千人規模の軍隊は単純な歩兵部隊だったが、新たに追加に派遣された部隊には特殊部隊が含まれていた」と記していた。

 北朝鮮は昨年12月から1月にかけて約3千〜4千人の死傷者を出したため正確な数は不明だが、クルスクに追加派兵していた。

 同紙はまた、「北朝鮮軍は体験した戦争経験を通じて独自的な指揮系列と攻撃計画を備えることができるようになった。小規模のグループで作戦を遂行し、ロシアのベテラン部隊と連合し、ウクライナ軍を2対1で圧倒し、主要物流拠点であるスヴェルドコフの占領に寄与した」とも書いている。

 北朝鮮軍が作成した作戦地図を確保したと主張したウクライナ軍の兵士は同紙に「兵のすべての移動経路が完璧に手書きで書かれていた」として「昔のソ連式超精密軍事接近法をみているようだった。すべての線はまるで生涯訓練をやっていたかのように精密に描かれていた」と語っていた。特に北朝鮮軍はウクライナ軍が夜間透視鏡でも識別困難な装備を備えるなど改善された装備を利用したようだと、同紙は指摘している。

 同紙によると、ウクライナのある将校は「北朝鮮軍が状況を変えた。ロシアは強力な良い同盟国を持った」と語り、また、ウクライナのある政治家は「北朝鮮軍はよく訓練されており、意欲的である。クルスクの現在の情勢が全的に北朝鮮軍によるものとは言えないが、北朝鮮軍の役割は非常に大きかった」と分析していた。

 さらに戦況変化を追っているウクライナの自然奉仕プロジェクト「ディープステート」の創立者であるルスラン・ミクルラ氏は同紙に「北朝鮮軍がいなかったらロシアは自国の領土する自分の力で守れなかっただろう」と語っていた。

 ニューヨークタイムズ(3月8日付)のインタビューにもウクライナ軍通信部隊のオレクシー指揮官は「我々は彼らを防げない。北朝鮮軍は50人が一つの組となって、進撃してくるが、それに対して我々は5〜6人ぐらいしかおらず、少数無策であった」と現地の状況を伝えていた。

 北朝鮮駐在のロシア大使館は3月18日、テレグラムを通じて前日に大同江外交団会館で行われた「朝ロ経済的および文化的協力に関する協定」締結76周年記念式典での演説マツェゴラ大使が「ロシアに支持が必要だった時期、最初に我々を支持した国は北朝鮮だった」と感謝の意を表したことを伝えていた。

 マツェゴラ大使は「西側の連合勢力が挑発したウクライナ戦争でロシアに戦略的敗北を抱かせようとする状況の中(北朝鮮が)このような支持と援助をしたのは極めて貴重なことである」とし「親しい朝鮮の友が我々を支持し、危機の瞬間に我々が頼れる存在になったことを決して忘れない」と述べていた。

 ウクライナにもチェチェン、ポーランド、ジョージア、ラトビアやリトアニアなど数十カ国から約2万人の「義勇兵」が加わったが、所詮ボランティアの「参戦」で訓練された正規軍として派遣された北朝鮮軍とは比べ物にはならなかった。

 結局のところ、欧米や韓国がゼレンスキー大統領の派兵要請に応じなかったことがウクライナにとっては痛手でとなった。