2025年3月21日(金)
ウクライナ停戦を前にショイグ前国防相が電撃訪朝 注目される金正恩総書記との会談
2023年7月訪朝時に金正恩総書記と握手を交わすショイグ前国防相(労働新聞から)
ロシア連邦安全理事会のショイグ理事長(前国防相)が今朝、北朝鮮を電撃訪問した。
ロシアからは14日にルデンコ外務次官が訪朝し、崔善姫(チェ・ソンヒ)外相らと会談し、17日に帰国したばかりだが、入れ替わる形で平壌に入ったことになる。
ショイグ氏の最初の訪朝は国防相の時で、ウクライナ戦争最中の2023年7月で名目は朝鮮戦争勝利(休戦)70周年式典への出席だったが、この時の滞在は2泊3日で、25日に平壌に入り、27日に出国していた。
式典には中国からも政治局員の李鴻忠全人代副委員長が参加していたが、脚光を浴びたのはショイグ国防相だった。
北朝鮮は熱烈歓迎し、空港には強純男(カン・スンナム)国防相(当時)、朝鮮人民軍の鄭京擇(チョン・ギョンテ)軍総政治局長、それに朴寿日(パク・スイル)軍総参謀長(当時)の「軍3役」(ビッグ3)が現れ、代表団を迎接していた。
また、平壌滞在中は金正恩(キム・ジョンウン)総書記が3度も会談し、自ら武装装備展示会場に案内するほどだった。まさに、ショイグ氏の訪朝が北朝鮮の軍事支援、武器の調達にあったことを窺わす象徴的なシーンであった。実際に北朝鮮はその後、自走砲や放射砲、北朝鮮版「イスカンデル」と称されている射程600kmの戦術誘導ミサイル「KN-23」などを密かにロシアに供給した。
2度目はロシア連邦安全理事会理事長としての訪朝で、2024年9月14日に前回とは異なり、予告なく、電撃的に行われた。
ショイグ氏は平壌に到着すると、直ちに金総書記が待っている場所に直行し、ロシア側の通訳を含め随行員を誰も同席させず会見していた。また、平壌を出発する前にも再度、金総書記を訪れ、話し合い、終わると慌ただしく帰国した。日帰りだった。驚いたのは、金総書記が自分の車にショイグ氏を乗せ、平壌空港まで送迎していたことだ。
先代も含め北朝鮮の指導者が大統領でもない外国の要人と1日に2度も会うことも、空港まで見送ったこともかつて一度もなかった。金総書記の極めて異例な厚遇は北朝鮮にとっても「ショイグ再訪朝」がいかに重要な出来事であるかを物語っていた。
北朝鮮の国営通信「朝鮮中央通信」によると、席上、ショイグ氏はプーチン大統領のメッセージを伝達していた。明らかにプーチン大統領の特使としての訪朝だった。
プーチン大統領のメッセージの内容も金総書記との会談内容も明らかにされてなかったが、ショイグ氏が到着した日に北朝鮮外務省対外政策室長の名で出された「NATOと代理勢力を反ロシア対決へ煽り立てる米国こそ欧州が直面した重大脅威である」と題する談話に「ショイグ訪朝」の狙いが隠されていた。
談話には「我々は今後も帝国主義の覇権政策と強権を粉砕し、主権守護と公正な多極世界建設のために邁進しているロシア人民の正義の偉業を変わることなく支持、声援する」との文言が含まれていたのである。
その後の推移を見るまでもなく、「ショイグ訪朝」の目的は8月6日にウクライナ軍に自国領のクルスクに攻め込まれ、苦戦を強いられたプーチン大統領が北朝鮮に派兵を要請することにあった。北朝鮮が約1万1千人〜1万2千人の兵士をロシアに派遣したのはそれから約1か月後のことである
3度目となる今回の訪朝はウクライナ停戦関連であることは推測できるが、前回同様に日帰りで帰国するのか、また、金総書記がどのような対応、待遇するかによってその目的が見えてくる。
米国も、ウクライナも、NATOも、また韓国を含め世界中が「ショイグ訪朝」に注目している。