2025年5月14日(水)

 「戦争を知らない世代」の金正恩総書記が頻繁に「戦争」を口にする不気味さ

首都防御軍団第60訓練所で13日に実施された北朝鮮の合同軍事訓練(朝鮮中央通信)

 北朝鮮は5月13日に人民軍首都防御軍団第60訓練所で特殊作戦区分隊の戦術総合訓練と戦車部隊による合同訓練を行っていた。

 金正恩(キム・ジョンウン)総書記が立ち会ったこの訓練には軍のトップスリーである努光鉄(ノ・グァンチョル)国防相、李永吉(リ・ヨンギル)軍総参謀長、鄭京擇(チョン・ギョンテク)軍総政治局長をはじめ国防省の主要指揮官と人民軍大連合部隊の軍事・政治指揮官らが勢揃いして参観していた。

首都防御軍団第60訓練所で13日に実施された特殊部隊の上陸訓練(朝鮮中央通信)

 朝鮮中央通信は一連の訓練が「実際の戦争に対処できるように多様な領域で革新的に行われた」と伝えていたが、金総書記もまた、軍指揮官らを前に「最も死活の任務は戦争準備の完成である」ことを強調し、「人民軍をいつでも戦争を行える軍隊、戦えば必ず勝つ軍隊に準備させよ」と発破を掛けていた。

 最高司令官でもあるので軍人らの前で勇ましい発言をするのは致し方ない。韓国の尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領も就任した年の2022年12月28日に大統領室参謀らとの会議で「平和を手にするためには圧倒的で優越な戦争準備をしなければならない」と発言するなど「戦争」とか「金正恩政権の終末」という言葉を在任中にしばしば使っていた。しかし、その頻度からすると、金総書記の足元にも及ばない。

 金総書記は急死した父の後を受け、最高指導者になった2012年の3月2日に西海岸諸島前方防御隊を視察した際に「戦う準備に拍車を掛けよ」と命じたのを皮切りに軍部隊を訪問する度に、また米韓の合同軍事演習を批判する度に「戦争」を口にしている。権力の座に着いた26歳の時から15年にわたって戦争準備を云々しているのである。

 直近の3年間を見ても、その「異常さ」がわかる

 例えば、2023年12月に開かれた党中央委員会第8期第9回総会では「戦争という言葉はすでに我々に抽象的な概念ではなく、現実的な実体として迫っている」と発言し、また2024年1月初旬に重要軍需工場を視察した際には「我々は決して朝鮮半島で圧倒的力による大事変を一方的に決行することはないが、戦争を避ける考えもまた全くない」と言いながらも、いざとなったら「躊躇することなく手中の全ての手段と力量を総動員して大韓民国を完全に焦土化してしまう」と韓国を威嚇していた。

 同年1月に開催された最高人民会議第14期第10回会議で行った施政演説では「戦争を願わないが、決して避ける考えもない。戦争が我々の前の現実に迫ってくるならば絶対に避けないであろうし、自分の主権死守と人民の安全、生存権を守って我々は徹底的に準備された行動に完璧に迅速に臨むであろう。戦争は大韓民国という実体をむごたらしく壊滅させ、崩壊させるであろう」と脅迫していた。

 今年も2月8日の人民軍創建節に際して国防省を訪れた際に随行した軍トップスリーに「戦争の準備を現代戦の要求に即してより徹底的に整えよ」と命じたばかりであった。

 韓国は今、大統領選挙の真っ只中にある。北朝鮮の威嚇、脅威が高まれば高まるほど安保を強調する与党の保守系候補には追い風となり、北朝鮮に融和的な野党の進歩系の候補には逆風となる。即ち、「風が吹けば、桶屋が儲かる」ではないが、「北風」が吹けば、保守が利するのである。

 北朝鮮もそのことを当然知らない筈はない。

 それでもこのタイミングで南侵を想定した訓練を大々的に行い、それを隠そうともせず、写真を32枚も配信し、訓練を公開しているところを見ると、北朝鮮は韓国の次の大統領が誰になっても意に介さない、あるいは期待を掛けないことの意思表示なのかもしれない。

 そのことは金総書記が2023年12月の党中央委員会総会で「今まで傀儡政権が10余回も交代したが、いつになっても統一が実現しない」と、さじを投げていたことからも窺い知ることができる。韓国はもはや北朝鮮にとっては統一の相手ではなく他国なのである。

 それよりもロシアの対独戦争勝利80周年の5月9日に表敬訪問したロシア大使館での演説でロシアのクルスクに侵攻したウクライナに倣って「ソウルの軍隊もその無謀な勇敢さを真似かねない」と言っていたが、裏を返せば、「戦争なら韓国全土を平定する」と言い続けている北朝鮮こそが「ウクライナの領土を侵略したロシアを倣って、韓国に攻め込むのでは」との懐疑心が韓国内で生れるかもしれない。

 「戦争」「戦争」と騒ぎ立てるのは北朝鮮にとって百害あって一利なしである。