2025年9月13日(土)
「銃殺されることがあっても」 「一か八か」だった尹錫悦前大統領の「戒厳令」発令
憲法裁判所での尹錫悦前大統領(「JPニュース」)
直近の韓国の5人の大統領の中では最も日本では好感度の高かった尹錫悦(ユン・ソクヨル)前大統領は今年4月に大統領を罷免され、哀れにも現在、拘置所に収監され、内乱容疑で裁判を受けている。それもこれも昨年12月3日に無謀にも非常戒厳令を発令したことによる。
民主主義が定着し、G7(先進国首脳会議)に仲間入り寸前の韓国で実に44年ぶりに非近代的な強権が発動されたことに韓国のみならず世界中が衝撃を受け、いたるところで「気でも狂ったのか」との声が聞かれた。検事として27年間も検察畑を歩み、検察トップの検察総長にまで上り詰めた輝かしい経歴の持ち主だけに誰もが「俄かに信じられない」と思うのは当然のことだ。
しかし、尹前大統領は決して血迷ったわけでも、あるいは衝動に駆られて事を起こしたわけではない。大統領に就任した年から虎視眈々とその機会を狙っていた「確信犯」であった。
尹前大統領は昨年12月に戒厳令を宣言した際、その理由について「反国家勢力を一挙に撲滅し、自由憲政秩序を守ることにある」と述べていた。「国会は犯罪者集団の巣窟となっている」とみなし、国会で圧倒的多数を占めている「共に民主党」の李在明(イ・ジェミョン)代表や禹元植(ウ・ウォンシク)国会議長らを逮捕し、国会を解散させ、新たに非常立法機構を創設する考えだった。このことは検察がソウル地方裁判所に提出した起訴状にも明記されている。
しかし、こうした構想というか、計画をすでに大統領に当選した年(2022年5月)、それも就任から僅か半年で抱いていたと知れば、驚きを禁じざるを得ない。
尹政権発足当時、「国民の力」の最高委員であった金鍾赫(キム・ジョンヒョク)前議員が数日前に韓国「CBSテレビ」とのインタビューで明らかにしたところによると、尹前大統領は2022年11月25日に与党執行部を大統領官邸に招いて行われた晩餐会で「非常大権(非常戒厳令)」を口にしていたそうだ。
晩餐会には金鍾赫氏も含め鄭鎭碩(チョン・ジンソク)非常対策委員長ら「国民の力」の執行部と金龍顯(キム・ヨンヒョン)大統領警護室長(後に国防長官)、申源G(シン・ウォンシク)国防長官(後に国家安保室長)、趙太庸(チョ・テヨン)国家安保室長候補(後に国家情報院院長)、呂寅兄(ヨ・インヒョン)国軍防諜司令官、大統領首席秘書官ら20数人が集まっていたそうだが、宴もたけなわになったころ、アルコールが回ったのか、尹前大統領は「時局が心配だ。政局を打開する方法として非常大権がある。銃殺されることがあっても全部一掃する」と発言したとのことだ。
金鍾赫氏は「衝撃を受けたが、出席者の誰もが黙って聞いていた」とインタビュアーに語っていた。これまでは尹前大統領が非常戒厳令を論議した始めた時期は2024年3月頃と言われていたが、実際はそれよりも遥か以前だったことがわかった。
検察の起訴状には「尹政府は2022年5月に出帆した当初から国会の『与小野大』(少数与党)状況により主要政策を推進する過程で野党との葛藤を繰り広げていた」と記述されているが、その通りで、就任から2か月後の7月には政権与党の李俊錫(イ・ジュンソク)代表との確執が表面化したことで与党が内紛状態に陥り、また、金建希(キム・ゴンヒ)夫人の「株価操作疑惑」や6千万ウォン相当のネックレスの申告漏れ疑惑を巡り野党が特別検察官による特別検査(特検)を国会で発議するなど追及が強まっていた。
国内だけでなく、外交でも9月にニューヨークを訪問した際、国際会議の場でバイデン大統領と立ち話して会場を後にする際に「議会でこの野郎どもが承認しないと、バイデンにとって非常に恥ずかしいことになる」と失言したことが大問題となり、米国の「CBSテレビ」では「すでに記録的な低い支持率と戦っている尹大統領が米国を卑下する発言が放送社のマイクに捕捉されたことで尹大統領は再び苦境に立たされた」と伝えられるほどだった。大統領の支持率はイエローカードの30%前半からレッドカード(危険信号)の20%台に落ち込んでいた。
大統領は国家の最高責任者として国家の独立、領土保全、国家の継続性と憲法を守護する責務を負っており、国家緊急権を有している。国家緊急権の中には緊急財政などに加え戒厳宣布権もある。
大統領は「公共の安寧秩序の維持のため必要な場合、法律の定めるところによって戒厳を宣布できる」(憲法第77条第1項)ことから尹前大統領は非常戒厳令という伝家の宝刀を抜けると思っていたようだが、戒厳令は「戦時、事変またはそれに準ずる国家非常事態において」との条件を度外視したことが命取りになってしまった。
失敗すれば、内乱容疑で裁判に掛けられる。有罪となれば「死刑もしく無期懲役」の極刑が待ち受けている。
「銃殺されることがあっても」の発言はルーマニアのチャウシェスク大統領のように反政府勢力に銃殺されるのではなく、「死刑に処せられる」ことを覚悟した発言のようだ。
思い詰めていたが故に尹前大統領は国会議員選挙を控えた昨年3月末から4月初旬には三清洞にある大統領の安家(お忍び場)での金国防長官、趙太庸情報院長、呂寅兄国軍防諜司令官、朴鍾俊(パク・ジョンジュン)警護処長らとの食事会の席で「非常戒厳令を発布して突破するほかない。軍が出るべきではないか。軍が役割を果たすべきではないか」とけしかけ、さらに国軍の日の軍事パレードが終わった2024年10月1日には大統領官邸に金国防長官、呂防諜司令官、郭鍾根(カク・チョングン)特選団司令官、李鎮雨(リ・ジヌ)首都防衛司令官らを呼び、政界や言論界、法曹界、労働界にいる左翼勢力らの話を切持ち出し、行動に移すよう命じていたものとみられる。
非常戒厳令の発令は発作でも、衝動でもなく、また異常な性格によるものでもない。「やるかやられるか」の本人なりの「覚悟」があっての「一手」だったことが、この「銃殺されることがあっても」の発言から読み取ることができる。
「勝てば官軍負ければ賊軍」ではないが、尹前大統領は野党との戦に負けたのである。