2025年9月20日(土)
消息不明のウクライナの北朝鮮捕虜 帰るに帰れない
生け捕りにされた北朝鮮兵士(ゼレンスキー大統領のテレグラムから筆者キャプチャー)
終わりの見えないウクライナ戦争だが、ロシアのウクライナ侵攻に北朝鮮が参戦してから間もなく1年を迎える。
北朝鮮はこの夏、帰還した指揮官と一部戦闘員及び戦死者に対する国家表彰授与式を行い、同時に戦死者らの遺族を集め、慰労会も開いていた。
国営テレビ「朝鮮中央テレビ」が放映した映像をみると、金正恩(キム・ジョンウン)総書記は参戦者を「偉大な英雄」、「偉大な愛国者」と称え、自ら一人一人に英雄称号など勲章を授与していた。また、戦死者の遺影にもメダルを授けていたが、その際「大事な生命を捧げて偉大な我が国家の尊威と名誉の燦然たることを守り抜いた参戦烈士の高貴な生が祖国と人民の記憶の中に永遠なる偉勲の星として永久に輝くことを祈願し、追悼の壁に花を供えて黙祷した」とのナレーションが流れていた。
慰労会では軍を統括する朴正天(パク・ジョンチョン)党中央軍事委員会副委員長(党書記)が演説し、「党中央の絶対的権威を死守し、我が国家の尊厳と名誉、我が軍の名と伝統を守り抜く決戦場で我が将兵は文字通り血潮で不滅の戦闘記録を記し、人類戦争史の英雄談も顔負けする戦闘的勇猛伝説的軍功をもって朝鮮人民軍の偉大な新しい歴史を創造し、我が国家の戦勝史に栄えある新しいページを金文字で刻んだ」と、ありとあらゆる美辞麗句を駆使し、兵士らを労っていた。
この日、「朝鮮中央テレビ」は別枠でクルスク奪還作戦に投入された兵士らの戦闘シーンの映像を流していたが、そこには戦死した戦友の遺体を収拾しながら涙を流す場面、ドローン攻撃に砲撃を浴びせて敵陣を爆破する場面、戦車を破壊する戦闘場面などが次々と映しだされていた。
ナレーションでは特に自爆した兵士たちの名前と年齢、そして自爆当時の情況などを映像で詳しく紹介していた。
例えば、「22歳の北朝鮮兵士はウクライナ軍の攻撃により自分を救いに来た戦友らが倒れると自爆を決心し、手榴弾を炸裂したものの左腕だけが落ちると再び右手で手榴弾を拾って頭に当てて自爆した」とか、20歳の兵士が「自軍の進撃用通り道を確保するため地雷作業を行っていた最中、進撃開始時間に間に合わないとみると、地雷を肉弾で爆破させ、通路を開拓した」とか、あるいは「20歳と19歳の二人の兵士は戦死した戦友の遺体を収拾する途中に敵に包囲されると二人で抱き合って手榴弾で自爆した」という具合に戦死者らの状況を克明に伝えていた。
金総書記は戦死者らの子供を党高官や軍幹部の子弟が通っている「革命学院」で学ばせることを約束したようだが、今後、遺族には様々な「恩恵」が施されることであろう。
国を挙げてのこの「国家祭事」を見ていて気になったのは今年1月にクルスクで交戦中に生け捕りされ、ウクライナの捕虜収容所に入れられた二人の兵士の動静である。
一人は1999年生まれの今年26歳になる2016年に入隊した狙撃手で、もう一人は2005年生まれの2021年に入隊したばかりの若い兵士である。狙撃手は銃弾を受け、横たわっていたところをパラシュート部隊に捕獲され、若い兵士は負傷し、壕に潜んでいたところを捕らわれた。
生け捕りした時はゼレンスキー大統領をはじめウクライナ当局は北朝鮮派兵の生きた証人として外国のメディアに公開していたが、今はあえて触れようともしない。ウクライナのメディアも全く動静を伝えていない。韓国のメディアも一時は二人に韓国への亡命(脱北)意思があるとしてウクライナと韓国間の送還交渉の動きを伝えていたが、これもプツンしたままだ。
金正恩政権がロシア派兵を認めた以上、もはや利用価値がなくなったからなのか、北朝鮮への対抗上、武器供与を示唆していた韓国の政権がウクライナ寄りの尹錫悦(ユン・ソクヨル)保守政権から李在明(イ・ジェミョン)進歩政権に変わったことでその可能性が消滅したと判断したからなのか、定かではないが、ウクライナからの情報は皆無である。
そうした最中、2週間前ぐらいだったか、韓国「KBSテレビ」の番組「戦争と捕虜」と題する30分もの企画番組を見ていると、取材チームが首都キーウから車で7時間行ったところに位置するウクライナ西部の最大捕虜収容所を取材していた。
北朝鮮兵士が移送され、収容されているとの情報を得て、ウクライナ当局の許可を得て、現地に入っていたが、そこには彼らはいなかった。収容されているロシア人捕虜も「ここでは朝鮮人は見かけてない」と語っていた。ある捕虜にいたっては「捕虜交換でロシアに移送されたとの噂さがある」とすら語っていた。
ロシアに移送され、そこから北朝鮮に送還されたのならば、それはそれで、また悲劇である。
年上の兵士は「私が捕虜にならず祖国に帰れば大変な待遇を受けただろうが、捕虜交換で祖国に戻れば、父母に会うことはできないであろう」と寂しそうに語っていたのを思い出したからだ。確か、若い兵士も「敵に捕まれば祖国に対する背信となる」と辛そうに語っていた。派兵兵士は投降も捕獲されることも許されず、いざとなった場合は「自決、自爆せよ」という精神教育(命令)を受けている。
彼らは投降しなかったものの自害しなかったが故に生還者になれず、戦死者扱いにもされず、異国の地でさ迷う運命を歩むことになってしまった。
歌手の千昌夫の持ち歌「夕焼け雲」(作曲:横井弘 作曲:一代のぼる)に「あれから春が また秋が流れて今は遠い町 帰れない 帰りたいけど 帰れない 帰れない」という歌詞があるが、二人は今、このような心境なのだろう。