2026年4月13日(月)

 米・イ交渉決裂は米国の対イラン不信が原因 トランプ政権は北朝鮮との核交渉失敗から教訓を学んでいない!

トランプ大統領と金正恩総書記(労働新聞とホワイハウスHPから筆者キャプチャー)

 パキスタンのイスラマバードで行われた米国とイランの「和平交渉」は、「イランから核兵器を開発しないという根本的な意思表明を確認できなかった」(バンス米副大統領)として決裂した。

 米国とイスラエルが2月28日にイランに対して軍事行動を行い、核関連施設などを空爆した理由について、トランプ大統領は、北朝鮮との外交交渉が進展せず、その結果、北朝鮮に核保有を許してしまったことへの反省を挙げていた。

 北朝鮮との核交渉が進展しなかったのは事実である。北朝鮮の核問題が浮上した1990年代以降、クリントン政権、ブッシュ政権、オバマ政権、トランプ第1次政権、そしてバイデン政権に至るまで、米国は軍事的オプションを選択せず、外交交渉による解決を模索した。その結果、米国から見れば、北朝鮮の遅延戦術に翻弄され、核開発の断念に至らせるどころか、6回も核実験を許し、最終的に核保有を認めるに至ったという苦い教訓がある。しかし、外交交渉決裂の一因は米国側にもある。

 例えば、クリントン政権下の1993年に始まった米朝交渉は1年4か月に及ぶ交渉の末、1994年10月にジュネーブで合意に達した。

 この合意で米国は、@2003年をめどに軽水炉2基(各100万キロワット)を建設・供給するA軽水炉完成までの代替エネルギーとして、初年度(1995年)は15万トン、以降は毎年50万トンの重油を2003年まで無償供与するB経済制裁を緩和し関係正常化を図るとともに1995年末までに連絡事務所を設置するC北朝鮮に対する核不使用を宣言することなどを約束した。

 これに対し北朝鮮は@核施設の凍結および使用済み燃料棒(約8千本)の密封と第三国への移転A第1号機の核心部分が1999年に供与された場合、疑惑施設へのIAEA(国際原子力機関)特別査察の受け入れB2基目の軽水炉完成時点での寧辺核施設の全面解体CNPT残留およびIAEA保障措置協定の履行などを約束した。

 さらに2000年10月、クリントン政権末期には@相互に敵対意思を持たないことの確認A主権尊重と内政不干渉の原則の確認Bミサイル交渉期間中の長距離ミサイル発射の停止などを盛り込んだ米朝共同コミュニケが発表された。

 同年、クリントン大統領は、オルブライト国務長官の訪朝を踏まえ、自ら平壌を訪問し、金正日(キム・ジョンイル)総書記(当時)との間でミサイル協定を締結する予定だった。しかし、11月の大統領選挙で後継者のゴア副大統領が敗北したため、この計画は実現しなかった。

 その後のブッシュ政権は、大統領選挙期間中から「ジュネーブ合意」の見直しを示唆していた。1999年のアミテージ報告も核・ミサイル開発を放棄しない場合には、先制攻撃や船舶の拿捕など武力的手段の検討を提言していた。

 ブッシュ大統領は北朝鮮を「イラク、イランと並ぶ悪の枢軸」と位置づけ、金正日総書記を「ならず者」「暴君」と非難した。ラムズフェルド国防長官も強硬な発言を繰り返し、北朝鮮を強く威嚇した。

 この時期、北朝鮮はプルトニウム路線とは別に、ウラン濃縮による核開発に着手した。金桂寛(キム・ゲグァン)次官はこれを否定したが、米国が信じることはなかった。但し、開発は初期段階であり、完成には程遠かったとみられる。

 トランプ第1次政権も同様である。2018年6月、シンガポールで行われた史上初の米朝首脳会談では米国が新たな関係を構築することを前提に北朝鮮が非核化に向け努力することを約束する共同声明が発表された。しかし、翌2019年2月のハノイでの第2回会談は、ウラン核施設をめぐる対立により決裂した。

 金正恩総書記は、父の時代に核凍結が実現しなかった理由として米国への失望を挙げ、「非核化は先代の遺訓である」と表明していた。また、「安全が保障されれば核を保有する理由はない」とも述べ、さらに「私にも子供がいる。父親として子供らが核を持ったまま生涯生きることを望んでいない」と訴えたが、米国の不信は解消されなかった。豊渓里の核実験場の爆破や東倉里のミサイル発射台の解体といった先行措置も評価されなかった。

 会談決裂直後、李容浩(リ・ヨンホ)外相は「我々が求めたのは全面的な制裁解除ではなく、民生に影響する一部の解除だった」と述べ、崔善姫(チェ・ソンヒ)外務次官も「金委員長は(列車で)故国に戻る途中『一体何のためにこんな汽車旅行をしなければならないのか』と語られていた。米国は千載一遇の機会を逃した。二度とこのチャンスは訪れないだろう」と落胆していた。その後、北朝鮮は対話再開を呼びかけたが、米国が応じることはなかった。

 仮にハノイ会談が決裂していなければ、寧辺核施設の凍結により核兵器の増加や小型化は抑制されていた可能性がある。さらに、大陸間弾道ミサイル「火星17型」や固体燃料型の「火星18型」の開発も進まなかった可能性がある。加えて、南北関係の断絶や日朝交渉の停滞、拉致問題の未進展、さらには対ロシア派兵といった事態も回避されていたかもしれない。

 イランの核開発はIAEAを含め国際社会ではまだ認定されていない。イラクの時と同じような過ちを犯すべきではない。何よりも北朝鮮との交渉失敗から教訓を得るべきだ。